ユメウツツ

@rad1805

第1話


小さい頃の夢はお嫁さんになることだった。好きな人と結婚して、毎日好きな人の為にお弁当を作ったり、掃除をしたり洗濯をして、いつか子供を授かり愛するパパと子供に”ママ”と呼ばれる。

それが小さい頃の私の夢でもあったし、それは当たり前に誰にでも訪れる幸福だと思っていた。


高校を卒業して、地元を離れ県外の小さな工場に就職した。地元を離れた理由は''ただなんとなく''。そんな曖昧で平凡な理由だった。

そんな理由で就職した会社は一年くらい勤めたのち、退職してしまった。

毎日同じことの繰り返しに、なんだかとてつもなく嫌気がさしてしまったのだ。


二十一歳になった今、小さい頃なりたかった私はどこにもいない。


退職した私は地元には戻らず、細々と生活を続けている。


「相原さん、紅茶飲む?」

私のデスクの前に座る田中さんが私に話しかける。

「はい、いただきます。…じゃなくて、私が入れます」

私がそう言うと田中さんはふふっと笑い、「じゃあコーヒーをお願い」と言った。


退職して、次に就いた仕事は正社員ではなく、アルバイトの事務職だった。なんの資格も持たない私を事務職で採用してくれたのは県内に何軒か店を出す飲食店だ。

私はそこの、本社と呼ばれるこの事務所で売り上げデータを作成したり、各店舗からきた事務作業の依頼をこなしている。

ここに入って、一年になろうとしていた。


この小さな事務所で働く人間は私と、事務員のパートさん二人。

田中さんはその一人だ。田中さんは元々現場で正社員として働いていたのだが、五年前に結婚をしたのと同時に正社員を辞めたらしい。歳は不明だが、四十は過ぎていると思う。

基本的に私が平日毎日入り、田中さんともう一人のパートさんは交互に入るシフトだ。


私が田中さんのコーヒーと自分の紅茶を淹れていると、入り口が開いた。


「おはようございます、専務」

田中さんがドアを開けた人物に気付き、声をかける。

「おはよ。…って俺専務じゃなくて社長だから」

「ごめんなさい。ダメね、クセってなかなか治らないものね」


スーツに身を纏い、出勤してきたのは専務…ではなくて社長の園田さんだった。

三十五歳と、彼が若くして社長になったのはつい二ヶ月前のことだ。前社長、彼の父親が亡くなったのだ。

それまでは専務として各店舗を管轄して働いていた彼がこの会社を継ぐのは当然のことだった。


園田さんは小さなキッチンに立つ私に気付くとこちらへ向かってきた。


「相原さん、おはよう」

「おはようございます」


私が挨拶を返すと園田さんはニコッと笑う。

笑った顔が、少年みたいな人だった。


「社長もコーヒー飲まれますか?」

「いや、いらない。これ飲むから」


園田さんはそう言うと私のカップに入った紅茶を手に取り、口運ぶ。私が家から持ってきたハートのイラストが入ったマグカップ。


「あ!」咄嗟の出来事に思わず声が漏れる。

「ん?何か不満でも?」

「………いえ」

「ごちそうさま、もういらない。俺紅茶嫌いなんだよね」

園田さんから飲みかけの紅茶が入ったカップを受け取る。


「嫌いなのになんで飲むのよ。変な人」

田中さんが園田さんに聞こえるように言う。

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