七通目
「おじいちゃん」
「ああ、むらさんかい。おはようさん」
「おはよう。は、いいんだけど、ポストどうしたの?」
「ああ。買うたところに、また引き取ってもろうてん」
「ええー? せっかく買ったのに?」
「いやあ、こないに見に来よる人がぎょうさんおると思てへんかってん。ゆっくり寝てられへんねや」
「ほほほ。すっかりこのあたりの名物になっちゃったもんねえ」
「わしゃあここの観光協会の回しもんやあらへんさかい、面倒ごとは堪忍や」
「でも、なくなっちゃうとちょっと寂しいわねえ」
「ああ、郵便局の小島はんが、局のポストで使うちうとったさかい、きっとまた見れるで」
「あら、そうなの」
「せや。ははは」
「……ねえ、おじいちゃん。やっぱり手紙入れられたの?」
「せやなあ。いろいろあってなあ。わしん手元に六通残ってもた」
「あらあ」
「……」
「それ……どうするの?
「どないしよ。まだ、決めてへん」
「……」
「なあ、むらさん」
「なに?」
「わしがここに越してきてから、むらさんにはほーんま世話んなってん」
「ほほほ。なに言ってんのよ。ご近所さんでしょ」
「いやあ。なかなかでけることやないで。むらさんかて、独りやないか。旦さんに先ぃ逝かれとんのに、女手一つで息子さん二人ぃ立派に育てあげはって。今はこないに、わしらみたいな年寄りの心配してくれはる」
「やあね。わたしが好きでやってるから、それはいいのよ」
「わしもなあ、無駄ぁに長生きしてもうてん、ご恩返しになんや人の役に立とう思たんねやけど、なかなか難しいわあ」
「そうよねえ……」
「……」
「ねえ、おじいちゃん。わたしは、今こういう仕事をお手伝いさせてもらってるけど、それはたまたまわたしが運がよかったからなの」
「運?」
「そう。わたしは決して主人とは仲がよくなかった。主人が生きてる間は、息子たちの前でしょっちゅう罵り合いをしてたの。お互いに手が出て、取っ組み合いなんてこともあったわね」
「ええー!? とってもそんな風には見えへんがな」
「ほほほ。わたしも若かったってことね。我慢は出来ないし。わがままだったし。でもね」
「うん」
「主人が脳出血で倒れて、さっさとあの世に行ってしまってから。わたしは初めて主人の重さに気が付いたの」
「……」
「それは夫婦の愛情とかそういう問題じゃない。扶養家族がいて、それを養わないとならないもの。今まで主人がしてくれてたこと全部、自分に降りかかってきちゃった」
「せやな」
「おじいちゃんも奥様を亡くされてるから分かるでしょ」
「ああ」
「もうね。気遣いとか、人に優しくとか、そんなのはどうでもよかった。どうやって生きるか、生き抜くか。それしかなかったわ」
「わしと同じやな……」
「あら、おじいちゃんも?」
「ああ」
「今だから言えるけど、人には言えないすれすれのこともしてたことあったのよ」
「ああ、それも同じや」
「……。そうかあ」
「運がええ、言うんは?」
「そう。その間、わたしはまるっきり周囲が見えてなかったけど、わたしを見てくれてた人がいたの。わたしが足を踏み外しそうになるたんびに、そっちは違うよって言ってくれた。それと……」
「うん」
「息子が曲がらなかったことね。お母さんはかわいそうだ。ずっとそう言って、わたしがどんなに荒んでる時も、わたしの味方になってくれた」
「そらあ、むらさんだからやろ」
「いやあ、違うと思う。本当に運ね。もしその運がちょっとでも足りなかったら、わたしは今ここにいなかったと思う」
「ほか」
「うん。だから、わたしは誰かを助けるとか、手伝うとか、そんな大それたことは考えられない。わたしのもらった運を誰かに返す。そういう感じかなあ」
「ははは。むらさんらしなあ」
「そう?」
「せや。わしは今でも欲しがっとるさかい。足らん。返せるもんなんかなーんもあらへん。それなのに、みーんなわしからむしり取っていきよる」
「……」
「せやけどな。もうそれを欲しがってん、間に合わんようになってもうた」
「ええ」
「むらさんや町内の人らにこーんなにようしてもろたさかい、最後に少しくらいは返せへんかなあ思うたんやけどな」
「最後って……」
「もう、わしはここにはいられへんよ。息子が今住んどるとこ追い出されるちうとる。ここ寄越せ言うんよ」
「そんな……ひどいっ!」
「ああ、薄情なやっちゃ。せやけどな、あいつの責め句は、まんまわしの後悔や。わしは、そいつとは一緒に暮らしとうないんや」
「おじいちゃん、どうするの?」
「いやあ、まだなあにも考えてへん。今日、明日ちう話でもあらへんやろ。せやけど、片付けはしとかなあかんねや」
「片付けって?」
「心の始末や。どうせそれするんやったら、他のも一緒に始末したろ思てな。それでぇ手紙預かったんや」
「あ、そうなんだ」
「ああ。せやけどな、自分のもよう始末せえへんのに、そらあ無茶やったな」
「……」
「なあ、むらさん。わしぃ決めたわ。預かってる手紙ぃ、今焼いとこう思うとる。わしはどこにも持って行けへんさかい」
「うん」
「ちょい、立ち合うてくれへんか?」
「え? いいわよ」
よっこいせ。
からからから。
「汚いとこやけど、上がって」
「おじゃましまあす」
ぱちっ。ぽっ。めらめらめらっ。
「……」
「……」
「……。ねえ、おじいちゃん。おじいちゃんのは?」
「わしのか?」
ごそごそ。
「わしのはな。他ん人のと一緒にはでけへん。一緒にしたらあかんねん」
「どうして?」
「これぇ書いた人らな。みいんな後悔を置いて行きよってん。置いたかてなくなるわけはないんやけどな。せやけど、置いて行きよってん」
「そうなんだ……」
「せや。せやけど、わしのはよう置かれへんねや。それをな、いっしょくたにするんはあかんやろ。わしのが足ぃ引っぱりよるさかい」
「……」
「だから済まなんだけど、これはむらさんに預けるさかい、後で焼いてくれへんか?」
「ええ、分かったわ。お預かりします」
「変なこと頼んでしもて、えろうすんまへん」
「いえいえ。それよりおじいちゃん。息子さんとのこと、ちゃんとわたしに相談してよ。それがわたしの仕事なんだから」
「せやね。また、世話ぁかけるかもしれへんけど、よろしう頼んますわ」
「ええ。じゃあまたね、おじいちゃん。おじゃましました」
「おおきに」
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