六通目

「おはようございまーす!」

「おはようさん。いやあ桜井はん。いつもわがまま言うて、えろうすんまへんな」

「ああ、長さん。気にしないでください。私はこれが商売ですから、電話一本でどこにでも出向きますよ。はっはっは。どうです、このポスト。いいでしょう?」

「せやな。もてもてや」

「賑やかになっていいじゃないですか」

「もてとんのは、ポストだけやけどな」

「あちゃあ。で、今日は何か買い取りですか?」

「そのことなんやけどな。このポスト、引き取ってもらえへんか?」

「ええっ? 買ったばかりなのにですか?」

「ああ、えろう申し訳ないんやけど」

「いや、こちらは商売なんで、それは一向に構わないですけど、買取りは安くなっちゃいますよ?」

「それはかまへん。そんでなあ、郵便局の小島さんが欲しい言うとったさかい、そこに売りに行ってくれへんか?」

「へえ……。また使える形にするのかなあ」

「せやろなあ。やれ携帯やぁめえるやぁ言うて、最近みんな手紙ぃ書かへんようになったさかい、ちぃとは手紙ぃ見直してくれへんかぁ言うことちゃうかなあ」

「そうですよねえ……。そういや私もすっかり手紙はご無沙汰だなあ。社に届くのも、家に届くのも封筒に入ってんのは請求書ばっかり」

「わあっはっはっはあ。そらあ桜井はん、飲み過ぎやて。みぃんな飲み屋のツケやろ?」

「あはは、大当たりぃ。長さんにはかなわないなあ。でも次の行き先があるのは嬉しいですね」

「ああ。人間とちごて、古いポストや言うてんまだまだ現役でいけるさかい、しっかりつこたらなあかんわなあ」

「いやいや、長さんだってそれだけお達者なら、まだまだ行けますよ」

「何言うとんね。桜井はんもいけずやなあ。はっはっはあ」

「ええと。これくらいの額になりますけど、いいですか?」

「ああ、それでええわ」

「積み込みするのにクレーン頼まなきゃなんないんで、引き取りは明日以降になりますけど」

「ああ、かまへんよ。わざわざ他頼まんでも、升田の大将にちょい声掛けはったらええねん。ロハでやってくれよるやろ」

「え? そうなんですか?」

「ああ。あそこの大将もごっつええ人やさかい、ちょい飲ましたったらいちころや」

「あはははは。頼むかどうかはともかく、そっちには惹かれますねえ」

「あーあ、桜井はんもほんま酒ぇ好っきやなあ。嫁はんも呆れとんのとちゃうか?」

「いやあ、もう愛想尽かされちまいましたからねえ」

「え? せやの?」

「ええ、もう別れて三年になりますね。今は気楽な独身おやじですよ」

「こどもは?」

「いませんよ。あいつが欲しがらなかったし。商売もかつかつで、生活の見通しもどうなるかって感じでしたからねえ」

「……」

「骨董好きが高じて、脱サラで骨董品店始めたって言っても、仕入れのルートはまともにないし、目利きもまだまだだし。実質はリサイクルショップみたいなもんですよ」

「ふうん」

「がらくた引き取ってくれっていうお客さんはいっぱいいますけど、買ってくれるお客さんがそんなにいるわけじゃない。店の内外にものがどんどん積み重なって、まるでゴミ屋敷でした。ははは」

「へえ……」

「家内は、仕事してましたからねえ。普通の共働きサラリーマンの家庭だったはずが、いきなりど貧乏のゴミ屋敷でしょ? この商売始める時には、そうなることをちゃんと話してあったんですけど、ぷっつんしちゃいましたね」

「そらあ……えらいこっちゃなあ」

「私はいいんですよ。いつかは骨董屋ってのが私の若い頃からの夢でしたから」

「へえ。まあた、しっぶい夢やなあ」

「あはは。みんなに言われますね。でも、私らがどんなに長生きしたところで百年かそこら。その間に触れられる時間て、それだけなんですよね」

「せやな」

「骨董は、私らよりもずっと長い時を生きてる。その時間に触れるのが好きなんですよ」

「おおー、ロマンやなあ」

「えらい金食い虫のロマンですけどね」

「はっはっはあ」

「でも、それはあくまでも夢です。夢が私らのおまんまを運んできてくれるわけじゃない」

「……」

「家内はその現実だけをじーっと見つめてきて、付いていけんと思ったんでしょう」

「……そうかい」

「ええ。それは私には責められません。夢があるから生きて行けるって言いますけど、夢に潰される人生もあるので」

「せやな」

「それを怖がって逃げるのを、私が止めることはできませんよ。ははははは」

「うん」

「ただねえ。後悔はありますね」

「後悔?」

「そうです。夫婦も骨董品と同じですよ。時間を経て生まれる味みたいなものがある」

「なるほど」

「私らは、その味が出せるまで辛抱できんかったなあと」

「まあ、でもそらあ仕方あらへんなあ」

「ええ。全ては結果オーライですからねえ。私か家内がもう少し辛抱したところで、それが味になったか、大怪我になったかは誰にも分かりませんから」

「せやなあ」

「……」

「なあ、桜井はん。もう元嫁はんとは会うてないんか?」

「いや、年に一回か二回、顔を合わせますよ」

「もう今は、商売の方も軌道に乗ってはるんやろ? 撚りぃ戻さんのかい」

「……それは無理ですねー。お互い、まだ独り身だっていうだけで、それ以外は別れる前と何も変わっていませんから」

「……」

「相手を嫌いになるには、二人で過ごした時間が長過ぎた。子供の頃からの付き合いですから」

「そらあ……えらいなあ」

「そうでしょ? でも復縁するには、どっちかが見るもの、信じるものを変えないとなんない。それが出来ないから別れたんですから、無理ですよね」

「せやな」

「好きになることも、嫌いになることもできない宙ぶらりん。正直しんどいんですよ。でも、しょうがないですね」

「うーん……」

「長さんの奥さんは、まだ若い頃に亡くなったって聞いてますけど」

「ははは。所帯持ってすぐに息子が産まれて、それから一年もせんうちに病気で逝ってもうたわ」

「再婚は考えなかったんですか?」

「今とは時代がちゃうがな。まだみぃんな自分の食い扶持ぃどないしょ言うて、うろうろしてた頃や。子供ぉ抱えた貧乏百姓んとこに、誰がほいほい嫁に来るかいな」

「あたた……」

「わしにも、そんな心の余裕はあらへんかったな。息子ぉどやって食わそうか、それだけや。せやけど、食わす心配を今までせんならんとは思わへんかったわ」

「まだ息子さん……あれなんですか?」

「もう、どうにもならんわ」

「そうですか……」

「ああ、桜井はん。もうポストともこれでお別れや。なんや書いて残しときたいことはあらへんか? わしが届けることはでけへんけど、整理はつくやろ」

「ははは。そうですねえ……」

「ほれ」


 『今度こそは同じ夢を見よう  美緒子へ 貴之』


「あれ? 中ぁ見ないんですか?」

「人の手紙なんか見るもんやないて。それに、何ぃ書いてあるかぁだいたい分かるさかいな」

「あはは、やあっぱ長さんにはかなわないなあ」

「それじゃあ、桜井はん、ポストのこと頼んます」

「分かりました。それじゃあ」


 ばたん。ぶろろろろー。


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