五通目

「こんにちはー!」

「おおう、びっくりしたあ。おどかさんといて」

「ははは、すいません。これ、すごいですねえ」

「ああ、今時珍しいやろ?」

「ずーっと昔に見た記憶はあるんですけど、実際にこうやって間近で見たのは初めてかも。触ってみてもいいですか?」

「はっはっは。かまへんよ。減るもんやあらへんし」


 ぺんぺんっ!


「うわあ、やっぱごっついですねえ」

「せやなあ。ずーっと雨ざらしやさかい、すぐ錆びひんようにごーっつく作っとんのやろ」

「なるほどねえ……。これは実際に投函できないんですか?」

「でけへんよ。わしが飾りもんで買うたさかい。そこに張り紙してあるやろ」

「あ、なるほど」

「あんさんは、オートバイでどっか行かはったん?」

「ああ、前に祖父が住んでたところを見に行ってきたんですよ」

「ほう……」

「祖父はもう十年前に死んだんですけど、とんでもない山の中で一人暮らししてて」

「そらあ、豪気やなあ」

「頑固で大変でした」

「ほう」

「父も叔父たちも、実家畳んで同居しようって説得したんですけどねえ。頑として動きませんでしたからねえ」

「ははは。年取ると、こどもに戻りよるからなあ」

「年寄りだけの限界集落になると、どこかで保たなくなってきちゃうますね」

「せやろなあ。店はない。車には乗れへんようになる。具合悪くなったかて、病院もろくにあらへんしなあ。何より、話す相手がおらんようになるわ」

「ええ。それが心配だったんですけどねえ。祖母が亡くなった時が引き時で、それを口実にずいぶん説得したんですけど」

「んん」

「先祖代々住んでいる場所をおまえらはなんと心得るって、逆に説教されて」

「はっはっはあ。まあ、じいさんの気持ちはよう分かるわ。わしも大概じじいやしな」

「おじいさんは、こちらが地元じゃないんですよね」

「せや。言葉ぁで分かるやろ。わしも、田舎ぁ捨ててきたからなあ」

「ああ……」

「わしには、あんさんのじいさんみたいな意気地はあらへんかってん、田舎暮らしぃしんどくなってから、さっさとこっちに越してきてん」

「へえ」

「息子は構ってくれへんしな。あんさんらがうらやましいわ」

「ははは。うるさがられてましたけどね」

「ほいで、どやった?」

「そうですねえ……。まだ家は残ってましたけど、時間の問題ですね。次に見に行く時には、もう倒壊してるんじゃないかと思います」

「人の住まん家は、すぅぐ荒れよるからなあ」

「ええ。でも、家よりも、僕の記憶の中の祖父がどんどん薄れて消えていくのが寂しい感じがしました」

「ほぉ」

「小学生くらいの時は、祖父のところに遊びに行くのが楽しみで、夏休みを指折り数えて待ってたんですけどね」

「はっはっはあ。定番やなあ。虫取りやろ、朝もぎトマトやろ、水遊びやろ、遊び放題、食べ放題や」

「ははは。そうですね。もう真っ黒になって」

「せやせや。はっはっはあ」

「でも、祖母がなくなった時は僕は中学生で。いろんなことに反発する時期だったので」

「ほぉ」

「なんであんなクソ田舎に行かないとならんのって、親に反発しまして。祖母のお葬式だって言うのに」

「ほか」

「ええ。祖母にもよくしてもらったんですけどねえ……。そういうのが見えなかったんですよ。自分の不満ばっかぱんぱんに膨らまして」

「まあ……そらあ、しゃあないわなあ。わしの息子にもそういう時期はあったし、もしかしたら今やってそうなんかもしれへん」

「へえ……」

「まあ……」

「?」

「しゃあないわ」

「はい。でも」

「ん?」

「祖母を亡くしてがっくりきてる祖父に、なんにも優しい言葉をかけてあげられなかったかなあって……」

「……」

「親父や叔父たちがするのは、祖父のこれからをどうするかっていう話ばかり。祖父の悲しさを見てあげられなかった」

「うんうん」

「でも今思えば、それは親父たちなりに祖父のことを思ってのことですから、責められないです」

「せやな……」

「僕やいとこたちが、一番祖父の近くにいることが出来たはずなのに。僕らは、祖父の側で田舎の悪口ばかりわめき散らしてて。こんなクソ田舎。退屈だ。早く帰りてー、うざーって」

「……」

「残酷ですね。子供同士の見栄もあったかもしれない。それでも、それが祖父を追い詰めちゃった気がするんですよ」

「うん」

「結局祖父が亡くなるまで、僕が祖父のところに行く機会がなくて」

「うん」

「時々様子を見に行ってくれてた民生委員さんから、祖父が孤独死してたという連絡を受けて初めて……」

「ほか……」

「はい」

「つらいなあ」

「そうですね。もう祖父の持ってた土地も家も父が処分してしまいましたし、お墓もうちの近くに立てたので、こっちには祖父につながるものはもう何も残ってないんです」

「うん」

「でも墓参りする度に、お墓の前で思うんですよ」

「……」

「ここには祖父はいないんだろうなあって」

「せやなあ……」

「……」

「じいさんが、最後何ぃ考えて暮らしとったんかぁよう分からん。そらあ、本人にしか分からへん」

「ええ」

「せやけどな。じいさんは、そこにあの世に持ってくもんが置いてあったんちゃうかなあ」

「持っていく……ものですか?」

「せや」

「……」

「ものは何も持っていけへん」

「はい」

「うらみつらみとかなあ、思い出っちゅうのも、わしらんトシになりゃあ持ち過ぎると重うてかなん。たぶん、なんぼも持ってけへんなあ」

「……」

「そういうんをぜーんぶ捨てたかて、まぁだ残るもんは何かなあと」

「なるほど……」

「わしなんかぁ考えてしまうわけや」

「それは……何なんですか?」

「さあなあ。それは人によって違うんちゃうかなあ」

「……」

「わしがここにおるんはなんでやろ」

「え?」

「誰かがそばにおる時にゃあ、そんなん一々考えへんやろ?」

「あ、そうですね」

「そういうのをな。ずうっと考えとったんちゃうんかなあ。寂しいとかぁ、しんどい思う前にな」

「……」

「それが、じいさんの通したスジなんやないかなあ」

「ん」

「わしは、ようせえへんけどな」

「ははは。僕もごめんですね」

「せやろ。だから、置いてき」

「え?」

「もう、じいさんはこっちにはおらへんねや。あんさんはあんさんで、持ってくもん決めなあかんやろ?」

「……」

「せやから、重ったいもんは早う始末してき。ほれ」

「便箋ですか」

「せや。このポストに放ったかて、じいさんには届けられへんけどな。せやけど……」

「はい。僕には区切りになりますね」

「うん。わしはそう思うねんけど」

「じゃあ……」


 『じいちゃん 元気でね また遊びに行くから  敏弘』


「読まないんですか?」

「読んだかて、わしにはどないもできひんからな。わしは預かるだけや」

「そうですか……」

「まあ、読まんでも分かるがな」

「え?」

「じいさんは、あんさんに謝ってもろてんしゃあない言うやろ。きっと」

「はい」

「せやったら、あんさんが書くことは一つしかあらへんがな」

「ははは。なんか祖父と話してるみたいです」

「はっはっはあ。わしにはそないな根性あらへんて」

「いやいや」

「帰り道、気ぃつけや」

「ありがとうございます。それじゃあ、失礼します」


 ぶろろろろろー。


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