参 客(かく)

「知念!」


 返事がない。


 また妙円のところへ行きよったな。困ったものじゃ。せんに儂が出奔を急かしたものじゃから、すっかり慌てておる。何も、二度とここへ戻るなと言うておるわけではない。いつまでも儂に寄るなと釘を刺しただけじゃ。かようなことで浮き足立つようでは、先が思い遣られるのう。


 儂は、雲雀が立つ畑を悄然しょうぜんと眺めておった。


「ごめん」


 かどで声がする。女の声じゃ。儀助の女房や娘ならば、かような言い方はせぬ。はて、この襤褸寺にわざわざ足を運ぶ物好きが、たれかおったかの?


 よっこらせ。大儀じゃ、大儀じゃ。儂は尻をぼりぼり掻きながら、門へ出向いた。


「誰じゃ」


 出てみれば、女が二人。一人は妙円くらいの年回りのおうな。もう一人は従者か。若い女じゃ。どちらも草田舎の襤褸寺とは相容れぬ、整ったなりをしておる。歩行かちのように見えるが、衣の乱れた様子がない。近くまで、馬か御車で来たのであろう。


 儂の問いには委細答えず、気位の高そうな媼が儂に問うた。


倉田玄斎くらたげんさいどの、ですね」


 こやつ。


「さようなやからはおらぬよ」

「何をおっしゃいます」


 見下ろすような、ねめつけるような。嫌な目じゃ。


「儂がおらぬと言ったらおらぬわ。帰られい」


 儂は女房どもにくるりと背を向けた。その背に、鋭い声が突き刺さった。


猪狩いがり領主、能十のと光春みつはるの命で参りましたゆえ、このまま帰るわけには行きませぬ」

「ふん」


 儂は鼻で笑う。


「親子してろくでなしか。とっとと帰って負け戦の支度でもするがよい。こんな片田舎の乞食坊主相手に、呑気に油を売っている場合ではあるまいに」


 儂の雑言に、従者が殺気立った。なるほど、忍びか。物騒なことじゃ。


「おぬしらが光春に何を言われてここへ来たか知らぬが、おぬしらに呉れてやれるものなど何もない。とっとと帰れ」

「何を言われます」


 冷たい笑いを浮かべた女が、被っていた菅笠を傾けて目を隠した。


「みども、命を二つ受けておりまする。一つは御身に陣に戻っていただくこと。もう一つ。こちらにお預けしている菊丸君きくまるぎみをお返しいただくこと」


 なんじゃと?


「菊丸? そのような者は儂は知らぬ。ここには小坊主一人おるだけじゃ」

「十五年前。やんごとなき事情ゆえ、こちらにお預けさせていただきました」


 なるほどな。ということは、今来ておるのはおゆうの方か。能十の親父の正室。親父が蛇なら、こやつはまむしだ。生き残るためには手段を選ばぬ。


「面倒じゃ。最初に返事からしておこう。儂は陣には戻らぬよ。すでに出家した身。もう何物も持ち合わせぬ。剣も、はかりごとも、野心も。何もかもな」


 坊主に頼ろうという時点で、既に終わっておるわ。


「ゆう殿。儂はおぬしから何も受けてはおらぬ。小心の光紀みつのりが家臣を疑ぅて片端からやいばにかけた時。おぬしは、それをただ愉悦として見ておったであろう」


 下郎めが。


「儂はその時城を出て、国を捨てた。すでにおぬしらに一族郎党討ち果たされて、儂は何も持たなんだ。じゃから、こうしてのんびり坊主が出来る。ははははは。それにだけは謝しておくわい」


 女が、ぎりぎりと歯噛みした。


「ぼんくらの光春に言うておけ。いかに田舎の腑抜け侍だと言うても、おぬしは領主じゃ。擦り切れるくらい尻尾を振ったところで、二主に仕えることは出来ぬ。肝を据えるがよい、とな」

「く……」

戦場いくさばになれば、人質など何の意味も持たぬ。あやつを連れて、綺堂きどうに差し出そうが、間中まなかに差し出そうが同じことじゃ。それにの、知念がおぬしらにのこのこ付いていくわけはなかろう。あやつも僧の端くれじゃ。何かあれば、身を仏に返す覚悟はできておろう。むくろを持ち帰ってなんとする? はっはっはあ。無駄じゃ、無駄じゃ。はっはっはっはっはあ!」


◇ ◇ ◇


 場違いな女二人は何も言わず、踵を返して歩き去った。儂は庵でつくづく考える。


 知念が妙円のところに入り浸るのは、あの二人が実の親子であるからじゃろう。それは、知念は相知らぬことじゃが。


 光紀の乱心の最中は、女御にょごにもあまた果てるものが居てた。もちろん、ゆうのそそのかしがあったのじゃろう。光紀の寵愛がゆうより深かった洗月院どのは、生まれたばかりの子を取り上げられ、屋敷を追われた。


 ゆうが子を殺めなかったのは、いずれこうなることを考えておったからじゃろうな。我が子光春を立てて後見の名目で国を牛耳るのは容易い。が、それと戦国の世を生き延びることとは別じゃ。


 ぼんくらの光春は、国を統べることすらままならぬ。戦場いくさばには立ったこともなかろうて。ひたすら列強の領主に媚を売り、恭順の意を示すことでやり過ごしてきた。それとて、ゆうの差し金じゃ。


 知念に食指を伸ばしてきたということは、光春の嫡男を人質に出したのであろう。恐らく間中の狸の方に、じゃろうな。

 じゃが、ゆうのはかりごとは浅い。あやつも阿呆じゃ。いくら尻尾を振ってみせたところで、何もせぬやつは何ももらえぬ。ましてや、二主、三主にへつらうような下賤なものには、なおさらな。


 間中に世継ぎを守ってもらうつもりならば、本当の阿呆じゃ。あの狸は、能十一族がどうなろうと痛くも痒くもない。役立たずの能十を綺堂に当てて、切り代にするであろうて。人質の扱いがどうなるかなぞ知れておるわ。


 攻めるは綺堂じゃろうな。あやつは能十を裏切り者と見ておる。人質と親書だけで、兵糧も兵も出さぬのは敵対と何も変わらぬ。慌てて櫓を立てていると言うことは、綺堂から絶縁状が来たんじゃろう。綺堂の攻めは迅く、苛烈じゃ。かばねしか残らぬであろうのう。


 能十本陣の戸田山は、守るには不向きな山城じゃ。要害がなく、四方を囲まれやすく、火攻めに弱い。櫓を立てておるのは、攻め手を一早く察知して間中の援軍を呼ぶためであろう。間中とて、往来要所の猪狩を落とされれば厄介なことになる。能十はどうでもよいが、戸田山は死守するであろうな。


 ゆうは息子を連れて、間中の本隊と入れ替わりで落ちるつもりであろう。討ち死にするよりはましじゃと。じゃが、それでは城を守る兵に示しが付かぬ。それで……知念を飾り大将にするつもりじゃな。負けて捕らえられたとて、あれは庶子菊丸の乱心ゆえ何卒みどもには穏便に、と命乞いをするつもりで。


 どこまでも。ああ、どこまでも愚かで腐ったおなごじゃ。


 儂は、またぼりぼりと尻を掻きながら庵に戻る。知念には、うかつに出歩くなと言い渡さねばなるまい。ゆうが何を企むか分からぬ。それでなくともいくさの気配が近いのじゃ。


「愚か者どものせいで、春の風情が台無しじゃな。不粋なことよの」


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