第5話 私の運命を変えた或る中国人学生との出会い(2)


 授業が終わり、教壇の方へ向かって1人の学生が近付いて来るのが解ったが、いつもの出席の確認や質問の学生だと感じ、いつもと同じように私は対応した。


 その学生は、開口一番、次のように言った。「先生は、中国のことがとても詳しいですね!」と。


心の中で、何と他愛もない質問をする学生だろう、と思いながらも、「まー、それなりに何年間も勉強もし、研究もしているからね!」と答えると、次の言葉が返ってきた。


「先生は、中国に行った事がありますか?」


内心、びっくりしながらも変な質問をする学生だなーと思いながら、その学生の変な日本語のアクセントが気になりだし、徐々に、ひょっとすると、この学生は、もしかして中国人の学生なのではと心の中で考え始めると、何かしら体の中が熱くなり始めたのである。


 すると、彼は、私の心の中を見透かしたかのように(その時の私には、中国に1度も言ったこともない人間が、中国を語るなんてとんでもないという罪の意識から、間違いなくそのようにしか受け止められなかったのであるが、後にして解った事であるが、事実はそうではなかったのである)、「私は、中国の大連から来た聴講生です。でも、本当に先生は、中国のことが詳しいですねー!」とまた言ったのである。


 この恐ろしい言葉を聞くや否や、私の体の中のほてりは頂点に達し、一瞬にして私の顔や体には、大きな汗が吹き出してしまったのである。

 その汗の出ること、出ること、その姿は、まるで川か海の中に服を着たまま飛び込んで、這い上がってきたずぶ濡れの人間の姿そのものであったと思うが、彼はといえば、そんな私の状況には全く何も構うことなく、「先生は、中国に行った事がありませんか?」とまた、尋ねてきたのである。


その質問に対して私は、覚悟を決め、汗を拭き拭き、言葉が詰まりながらも、「えーと、恥ずかしいけど、まだ1度も中国には、行った事はありません。行こう、行こうとは思いながらも、なかなか機会がなくてねー。」と、正直に答えるしかなかった。


すると、直ぐに彼は、「1度、大連へ行ってみませんか?私が、お世話しますよ!」と、言ったのである。


 この頃には、私の興奮状態も、やや落ち着きを取り戻してはいたが、まだまだ彼の話を冷静に聞けるような状態ではなく、まして、そんなに簡単に中国に行けるものとは思ってもいなかったので、期待することもなく社交辞令として、「可能であれば、お願いします!」と、淡々として言うしかなかったのである。

 それよりも何よりも、早く彼から遠ざかりたいとの一心で精一杯であった。


それから、2ヶ月ぐらい経った頃であろうか、私としては、ほとんど忘れかけてしまっていたのだが、授業終了後、あの学生がまた私の所へやって来て、「先生!大連にあるR大が、先生を客員として迎えることを決定しましたよ!」と言ったのである。


初め、彼が何を言っているのか、よくは理解できなかったが、徐々に彼の言っている意味が解ってきたのである。つまり、私から頼まれた、中国の大学へ行きたいという気持ちを、知り合いのいる大連のR大に相談した所、手続を踏み、大学当局が次年度の9月より私を受け入れることを決定したとの事であった。


そー言えば、確かに2ヶ月ぐらい前に、私の履歴書と業績一覧を彼に渡していたことを思い出すとともに、まさか本当に中国の大学に行けるとは夢想だにもせず、ただただ、おろおろしながらも彼の努力に感謝する言葉を何度も言ったような気がする。


 冷静になって考えてみると、私は当時のK大学に赴任して2年半が経っていたが、規定では、3年以上の勤務実績が海外派遣研究員の申込みには必要であったことを思い出し、さて、どうしたものかと頭を抱えることになった。


 当時の私は、まだまだ40歳手前の若輩者であり、どう考えても良い考えは浮かばず(申し込み資格がないのだから、経験のない私に良い考えが浮かぶはずもなかった)、それでもこの信じられないチャンスも逃がしたくはなかったので、大先輩のN教授に相談することにした。


 N教授は、しばらく私の話を聞いていたが、驚いたことに次のように答えたのである。つまり、「申し込み資格がないことは解った。でも、申し込み資格がなくても、申し込むこと自体、禁止されている訳ではないから、申し込みは可能である。だから、先ずは申し込むことである。そして、もしも申込者が先生1人であれば、申し込み資格がないからといって、1年に1人の機会を棒に振ることこそおかしいのではないか?普通ならば、決定してから相手大学を探すこともあり、そのように考えると、先生の場合、相手大学も決まっており、さらにまた、赴任時には、申し込み資格の3年を半年も過ぎているし、何の問題もないのではないか。」と。解るような解らないような理屈であったが、さすがだなーと敬服し、とにもかくにも申し込んだのであった(このような経験を積み重ねて行くうちに、人間は、どんどん悪人になって行くのであろうか?)。


どこの社会でもそうだと思うけれども、何等かの「おいしい」申し込みをする場合、さまざまな憶測や情報が飛び交い、彼が申し込むそうだとか、今回は断念したとかと言う事を直接的にせよ、間接的にせよ情報収集して、自分の意思決定をするわけであるが、その時は、私が既に中国の大学の了解をとり、申し込み資格がないにもかかわらず、前述した理屈で申し込んだとのあからさまな噂が飛び交い(どうも、N先生が派手にその情報を流したようである)、結局、申込者は私1人であり、あの屁理屈で教授会決定したが、世の中は本当に解らないものであり、どんなことでも決して簡単には諦めてはならないものであるということをつくづく考えさせられ、良い勉強をさせて頂いたとN先生には心より感謝したものであったが、これによってさらに私の「もの凄さ」に、より一段と磨きがかけられたことは言うまでもない。


 それから1年後の1986年の8月に、家族5人での大連への旅立ちを迎えるわけであるが、予行演習として5泊6日の上海・無錫・蘇州を早速ながら1人で経験することになった。


 この旅行は短いもので、何故か信じられないほどの周囲を憚らない興奮や嗚咽と号泣の渦の中に私は巻き込まれることになったが、やはり前に記したことから推察される通り、私の体に流れている血が何かを感じたことによって大騒ぎするような事態にになったと思っている。


 もちろん、1年後の大連で、あの謎の怪人、「M氏」と出会うことになろうとは、この時点では、全く私には想像さえできていなかった。

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