第3話 私と中国との関わりの原点(2)
私の両親の系統は、代々、薩摩出身であり、私は6人兄弟の末っ子として鹿児島の、今なお燃え続けている桜島で生まれたが、そうであるがゆえに、今なお、内面でも外面でも燃え盛る炎を持った生粋の薩摩隼人であるが、4人の兄や姉は、実は中国生まれなのである。
私の父は、結婚後、夢を追って当時の奉天(現在の遼寧省の省都であるしん陽市)にあった満鉄に勤め、その後、中国の内陸部の山西省の省都である太原市に発足した満鉄の子会社である華北交通に、鉄道技術者として赴任したが、しん陽で4人の兄が、そして太原市で姉が生まれている。つまり、私の兄弟は、兄、兄、兄、兄、姉そして私の6人であったが、長兄は、残念ながら5歳にして、しん陽で病死したとのことであるが、まだ生まれもしていない私が長兄のことを知る由もないのは当然のことである。
昭和20年8月の日本の敗戦後、我が家の玄関の上には、赤でAというマークが付けられたそうであるが、これは、この家の住民に危害を加えてはならないという印で、父は、太原市の中国共産党の幹部から鉄道技術者として中国に残るよう懇願され、厚遇を保証されたため気持ちは残留に傾いたそうであるが、母が猛烈に反対し、母と子供の4人だけでも日本に帰るとの物凄い意思の強さに負けて、家族全員での帰国を決意したそうであるが、その時、まだ私は母のお腹の中にはいないのである。
それから、済南市に向けての鉄道による逃避行が始まるわけであるが、それはそれは大変な逃避行だったそうである。
昭和20年の12月に、母は頭を丸坊主にして姉の手を握り締め、父や3人の兄達は持てるだけの貴金属やお金の入ったカバンを持って、進む先々で遭遇する検問所で中国人に時計やお金を渡しながら、やっとのことで収容所に到着し、そこで3ヶ月も待たされることになるが、その時までに、私は母のお腹で芽を出していたのである(このような生死にも関わる重大な時期に、私が芽を出すきっかけを作ってくれた父や母に、心から感謝したい)。
昭和21年の3月に、そもそも鉄道省の関釜連絡船であった、かの有名な興安丸が、引き揚げ船として私の両親と4人の子供を乗せて日本の佐世保港を目指し中国の港を出港したのであるが、やっと帰国できるという人々の興奮も、ぎゅうぎゅう詰めの船内の喧騒や、はしかの伝染による多数の幼児の死亡という大変な現実を目の当たりにして、押し殺したような惨状だったそうである。
多くの死亡した幼児は、親や兄弟の泣きの涙の中で船の甲板から海上へ投げ落とされ、海葬されたそうであるが、熊本出身の女性が1人だけ、海葬を拒み、佐世保港到着後も死亡した我が子を背負って熊本へ向かったそうであるが、その哀れな姿がいつまでも忘れられなかったと母が姉にしばしば語っていたとのことであるが、私も母のお腹からであったが、どうもおぼろげながらそのような光景を見たような気がしてならないのであるが、あれは幻想だったのであろうか?
桜島に到着後、当然の事ながら家族の住む家はなく(元の家は売り払っていたのである)、母の弟の家の傍にあった馬小屋で生活することになり、そこで私は生まれたのであるが、この事実は、あのイエス・キリストと全く同じである。さらに加えて、産婆さんや父、そして兄弟の見守る中で私が産声を上げたのであるが、その声は、普通のおぎゃーではなく、「天上天下、唯我独尊!」と言った、否、そのように聞こえたそうである。
所で、今から33年前に、週に1回、佐世保にあるK大学(現在のN大学)に北九州市の八幡から片道5時間かけて、午前7時に出発し、12時に到着後、昼食後の午後1時から2コマ担当してから午後の4時半に佐世保を出発し、午後の10時前に帰宅、さらにまた、同じ週に熊本にあるK大学へ高速道路を使って片道、およそ2時間かけて2コマ教えに行っていたが、どうやら佐世保も熊本も、これまで書いてきた事情から推察されるように、何らかの霊が私を呼び寄せたのではないかと今でも思っている。とりわけ、佐世保の九十九島の美しさを曲にした、「天然の美」(八幡東区にある大谷球場の傍に、11月の17日、18日、19日の起業祭で来ていた矢野大サーカスや、木下大サーカスの呼び込みでよく聞いたあの3拍子のジンタである)を耳にすると、なぜか涙が出てきたことを今でもはっきりと覚えているし、また、蜩の、とくに日暮れ時の泣き声を聞くたびに物思いに耽ることがしばしばであった。
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