第2話  私と中国との関わり(1)

人間の考え方や生き方に対しては、さまざまな尺度によるさまざまな表現が存在するが、例えば、楽観主義(プラス志向)と悲観主義(マイナス志向)も多くの表現の中の一つの対極を表してしている言葉であり、好むと好まざるとにかかわらず、大雑把に言うと人間はどちらかに分類される。


 どちらの考え方が良いのかと尋ねられれば、飽く迄も一般論であるが、楽観主義が良いのではないかと考えるが、実際は、ひょっとすると悲観主義の方が良いと考える人も、結構、いるかも知れない。

もちろん、私自身が長期的環境(遺伝)と、短期的環境(これについては、後で説明する。)から、楽観主義であり、悲観主義的考え方から生まれてくる楽しさや喜びについては、全く想像さえできないので、悲観主義者に是非とも教えて頂きたい。

但し、悲観主義者の持っている楽しさや喜びは、恐らく悲観主義的楽観論者がもつそれらであり、決して悲観主義的悲観論者にはないのではないかと考える。そうであるがゆえに、楽観主義的楽観論者のもっている楽しさや喜びは、楽観主義的悲観論者がもっているそれらと比較すると雲泥の差があり、私がその雲泥の差の恩恵を受けてきたことをここで「天」に感謝したい。


 ここでの「天」の意味は、あるがままを受け入れる「天の思想」の「天」であり、紀元前より、中国人の一般大衆が、好むと好まざるとに関わらずそう考えざるを得なかった考え方であり、そのように考えたがゆえに、彼らは紀元前から現在まで、たくましく生き続けることができたのであり、また、そのような生き方が現在の中国人の考え方や行動パターンに見事に反映されているのである。

もしも、受け入れずに、命令に対して批判や抵抗をすれば、最悪の場合、結果として生じることが死であったわけであるが、そうである以上、誰が抵抗できただろうか?

それを「天命」(運命)として受け入れ、1日1日を必死に生き抜いてきた中国人の姿が、目をつぶると見事に私の脳裏にしばしば蘇ることがあるが、これは、私の出生の秘密?と密接に繋がっているのである。

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