中国登封市嵩山にある少林寺の法師への里程

@yamashita

第1話 少林寺拳法との出会い

人生とは、まさに筋書きのない歴史であり、一歩一歩を踏みしみて進むしかなく、怖くもあるが、楽しみでもあるものである。


 少林寺拳法との出会い



 私は、2002年8月6日に長年の念願であった中国の河南省登封市の嵩山にある少林寺の法師(法名:釈延睦)になり、少林寺の法師になって今年でおよそ14年目を迎えるが、それまでに到る苦難の過程について、以下、回想してみたい。


 今年でK大学を定年退官して早や5年目を迎えるが、K大学の少林寺拳法部の顧問になったのは、今から20数年前のことであり、前任者からは、このクラブの面倒は、もうとても見切れないとの絶縁の言葉を、当時の主将からは、前任者に関わる話とともに、何故か是非とも私になって欲しいとの崖っぷちのような悲痛な懇願(この主将の顔には何らかの刃物による傷跡があったが、男が惚れるような男の中の男を感じさせる落ち着いた静かな風貌と、低く少しかすれたようなドスの効いた声は、今でも忘れることができないが、残念ながら彼が卒業してから一度も会ってはいない。)に、もとより、空手や柔道の経験があり、格闘技に興味があったことに加え、頼まれたら断りきれない性分のために、ついつい後先も考えずに引き受けてしまったのが事の始まりであった。


 そのクラブも、その後、他の体育系クラブと同様に笑いの多い仲良しクラブになり、結局、部員がいなくなり、廃部になってしまったけれども、その当時の少林寺拳法部の道場は、思い出すだけでも殺気漂う緊張感で背筋がゾクゾクするほどの物凄い雰囲気であり、さすがの私でさえ、道場に足を踏み入れる時には、入り口の少し前から呼吸を整えて非常に険しい表情(外見上は、にこりともしない無表情)を何度も繰り返し(つまり、映画で言う役作りである。)、厳かに入室したものである。


 扉を開けるや否や、練習中であるにも拘わらず、部員(当時は、30人位がいた。)からの結手(合掌)での嵐のような大きな声による挨拶が私の方に飛んでくるが、私は片拳(両手による合掌ではなく、片手だけの挨拶で、中国の少林寺でよくみかける挨拶の方法である。)での挨拶はし、靴を脱ぎ、てきぱきと道場の隅に用意された椅子の方に向かい、厳かに腰を下ろすわけであるが、座って全員の姿を見据えるまで私の表情には何らの変化も生じない(道場の雰囲気に合わせざるを得ないがゆえに、いかなる妙な変化も生じさせられないのである)のである。そして、しばらくの間、そうしているうちに、見ているようで見てはおらず、座っているようで座っておらず、多くの拳士がいるにも拘わらず、我一人の無心の世界に浸るようになり、いよいよ禅の世界への第一歩を踏みしめることになったのである。

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