第7話 謎の怪人「M」氏との遭遇

第7話  謎の怪人、「M氏」との遭遇 



 空港の出口で群がっていた異様な集団は、よくよく見ると、どうもタクシーの運転手(当時のタクシーは、流しは全く存在せず、或る特定の場所で客を待つタクシーだけであった)のようであるが、彼らの姿と言えば、そのほとんどが上半身裸であり、下半身は短パン姿でサンダル履きに加え、頭にはタオルを巻いた、まさに日本で言えば、雲助そのものであった。


 ベターや子供たちは、その異様さを見て騒ぎ出し始めたが、ここは腹をくくってやるしかなかった。


 「タクシー!、タクシー!、安いよ!、安いよ!」と、数人の運転手が声を掛けながら近付いてきたが、私は全く無表情に彼らを嘗めるように見回して人定めをしようとするが、どの顔も似たり寄ったりで、どの運転手が安全な運転手なのか、皆目、見当もつかないけれども、このような非常時に大切なことは、余り時間を掛け過ぎることは、決して良い結果をもたらすものではない事を知っていたので、覚悟を決めて、1人の運転手を指差し、低く唸るような声で私は次のような言葉を搾り出したのである。


 「ダオ  ファンディエン(ホテルまで)!」

 すると彼は、「ハオー!、ハオー!(了解!)」と嬉しそうに返事をしてきたが、この状況を見ていた回りの仲間たちが彼を囃し立てるのを私は睨み付けながら、家族4人を車へ冷静に誘導し、どうにか、空港から離れることはできたが、空港を離れるにつれ、辺りは全く明かり1つさえ見えない真っ暗闇(当時の中国は、夜になると街灯ははほとんどなく、全くの暗黒の世界であった)の中をタクシーは進んで行き、正直に言って、私は顔には出さなかったけれども、地獄へ直行しているのではないかと言う錯覚さえ覚えるほどの恐怖感を感じていた。

 なぜならば、以前、これと同じような状況に遭遇し、商社マンの父親と母娘が引き離され、結局、父親は無事であったけれども、母娘は行方不明となり、噂によれば、喉を潰され、声が出せないようにされて、中国の各地を回る旅の一座で見世物にされたとの話を聞いていたからである。


 車の中で、ベターが引きつったような表情で、「この車は、本当にホテルへ行くの?大丈夫?本当?」と聞いてくる声に、子供達のじっと聞き耳を立て、何かしら大変な事になっていっているのではないかというような不安な表情や、また雲助のような運転手が、ニヤニヤしながら助手席に座った私を横目で見たり、バックミラーで私の家族の様子をちらちらと窺っていることを知りながら、私は無表情に、そして冷静に、「信じるしかないだろう?大丈夫!大丈夫!」と、落ち着き払った低い声で答えるしかなかったのであるが、ホテルに到着するまでのその時間の長かったこと、長かったこと、押し殺したような密室の雰囲気の中で数時間も閉じ込められていた様な気分であった。


 その時、前方に明かりが見え、近付くにつれ、「ーー飯店(ホテル)」の文字が見えた時のあの嬉しかったこと、嬉しかったこと、天国に着いた気分とは、こんな感じではないだろうかとさえ思ったほどであった。


 到着して、お金を払った後で、運転手と握手をし(彼は、それにどのような意味があるのか解っていないようであった)、ホテルに入るや否や、我々家族5人は、誰が音頭をとるともなしに、万歳を3度、叫んだようであった。


 ホテルでは、午後10時過ぎ頃であったが、1人の若い女性が座って本を読みながらカウンターから我々を怪訝そうに見上げ、無表情に宿泊名簿に記入を求め、鍵をくれたが、部屋に入った時の満足感は、言葉では言い表せないほど充実したものであった。


 お風呂に入り、食事を済ませ、どうやら落ち着きを取り戻すと、明日の飛行機の出発時間が午後2時だったので、午前中は上海動物園へ行ってパンダを見ることにして就寝したが、余程に疲れていたのであろう、あっという間に全員が寝入ってしまったようであった。


 翌日、前の日の暗闇が我々の目の前にはっきりとその姿を現すこととなり、そのすべてが清々しく、目に眩しいほどの光景であったが、上海動物園のパンダは、その期待とは裏腹に薄汚れて眠ってばかりで、またまた私がまるで悪いことをしでかしたかのような苦言を家族から浴びたが、その時の私にとっては、屁とも感じない位の叱責であった。


 中国では、珍しく定刻に飛行機は出発し、やっと目的地の大連に到着したのは午後4時過ぎであったが、勿論、あの学生とは連絡が取れず、大連で待っている人は誰もいなかった。


 学生の住所をタクシーの運転手に渡し、どうにか彼の家を探し当てると、4,5人の人が玄関の庭先で座って話をしてるような様子であったが、その中に彼がおり、吃驚して、「先生!どうしましたか?昨日、私は空港で待っていましたよ!」と声を掛けてきた。


 事情を、興奮しながら事細かに彼に説明し、ひと先ず、彼の家に1泊し、翌日から2週間、「青年旅行社」と言う所に泊まり、それから、T大(当時の名称は、R学院)のホテルが建設中のために、D大学(当時の名称は、D学院)に半年ほど宿泊することになり、いよいよ大連での生活が始まることになった。


T大では、一応、客員教授という破格の待遇で迎えられ、週に3日、お抱えの運転手が私をGD大学に迎えに来てT大まで連れて行き(およそ10分)、帰りは時間通りにT大からD大学まで送ると言う、今まで経験したことのないヴィップ待遇であり、また、ベターは、あの学生からの紹介で、炊事、洗濯、料理および買い物までしてくれるメードが格安の賃金で付けられ、そして長女と長男は現地の小学校、次女はT大付属の幼稚園へと、家族のそれぞれが異郷の地で新たな幸せな生活を始めることになったのであるが、勿論、良いことばかりではなく、現実の生活では苦労させられた事が多々あったことも事実であった。


例えば、料理のほとんどに香菜(シアンツアイ)が入っており、初めて食べる日本人には馴染めない香りと味のせいで、料理自体に嫌な香りが染み付いて食べられず、また当時の饅頭も噛み砕くことさえできないほど硬くて食べられず、さらにまた、10月以降になると午後5時頃には日が落ちて暗くなり、外の商店は店を閉めて,辺り一帯が真っ暗闇となり、そうなると早めの夕食が終われば、映りが悪く理解もできないテレビも見飽きて、結局、お風呂に入って寝るしかなく、大体、毎日、午後8時位には、10畳ほどのベッドルーム(なかなか格好よく聞こえるかもしれないが、たまたま、その部屋はベッド置き場で、隅から隅までベッドで埋め尽くされており、その部屋に布団を敷いて寝ていただけのことである)に5人全員が移り、リチャード・クレイダーマンを聞きながら寝る毎日であったために、帰国してからクレイダーマンを聞くたびによく眠くなったものであった。


 それからもう1つ、寒い冬場でのお風呂であるが、一般の家庭では浴槽はなく、ただシャワーだけであり、その部屋がまた広いためにとても寒く、入り方のコツは、ベターが考えついたことであったが、先ず、10個位の大きな洗面器にお湯をたっぷりと入れ、服を着たままの姿で最初に頭を洗い、それが終わるとぐしょぐしょの上着とその下の下着を脱いで上半身を片付け、同じ要領で下半身に移っていくわけであるが、ポイントは、移っていく動作を素早くすることであり、コツを掴むまでには、多少の時間を要したことは、言うまでもない。

 いずれにしても、予想もできないことも多々あったけれども、ここまでに到る書き尽くせない苦労があればこそ、天が我々に与えてくれた2度とないチャンスではないかと、真実、天に感謝したものであった。


 「人間万事塞翁が馬」と言う中国の格言があるが、まさにその通りだとつくづく私も常々考えているが、私の場合、この格言に関し、さらに敷衍させて、人間が生まれてから死ぬまでの幸福と不幸の数は、すべての人に対して天は平等に配分しているにもかかわらず、或る人は、自分が他の人よりも不幸過ぎると嘆いたり、また或る人が、幸せ過ぎるといって調子に乗ったりすることがあるが、重要なことは、幸せな時、天を信じて不幸を迎え入れる準備をしてしっかりと不幸を受け止めることであり、決して逃げてはならないということであり、また、不幸な時、次に間違いなくやって来る幸せを信じて辛抱強く耐えることである。

 また、幸福も不幸も、それを話せる相手の数の多寡により、2倍や4倍に増えたり、また逆に、2分の1や4分の1に減少したりするのである。

 要するに、不幸があるから、幸福があるのであり、不幸がなければ、幸福はないのである。

 天は平等であるから、必ずやって来る不幸を優しく抱いてやってみたらどうだろうかと考える。


 所で、中国の大都市では、日本人向けの複数の雑誌が無料で3星(中国のホテルは、星の数で格付けがされており、5星が、最高級のホテルである)以上のホテルで配布されているが、その1つに大連の昔話を載せたものがあり、私も読んでみたが、なかなかに面白い内容であったが、その著者名に「M」と記されており、これがM氏との初めての出会いであった。


 名前も独特であり、果たして今の世の中に、明治期の外相、M 宗光と同じようなMと言う人が存在するのか、それともただ単なるペンネームなのか、訝りながら各方面に当たってみると、出版社には定期的に原稿が送付されるが、現住所の記載はなく、皆目、いかなる人物なのか解らないとのことであった。


そこで、その時より、大連に住んでいる謎の怪人、「M氏」探しが始まるわけであるが(私も、この頃になると、幾分、余裕が出てきていたのであろう)、それからおよそ2ヵ月後にそのM氏に出会った時の私の驚き振りといったら、自分でもどのように表現したらよいのか恥ずかしくなるほどの醜態であった。

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