1-1-2
暗転。
再び世界が開けるとそこは公園だった。紛れもなく、そこは僕らがいた公園だった。
体から力が抜けた。
糸が切れたマリオネットのように体が前のめりに崩れる。その先は美雲の膝の上だった。
美雲の動揺した声が聞こえた。え、という音が単発でいくつも聞こえた。
すぐに起きなければと思うが、一切の力を入れることができなかった。貧血によく似た症状だった。吐き気があり、妙に体が暑い。息は切れ切れ、体に力は入らず、まぶたを開く力も残っていない。加えて耳がキンとする。
美雲がすぐに冷静さを取り戻し、僕を仰向けにしてちゃんとした形の膝枕をする。
「大丈夫なんか?」
その声に僕は荒い呼吸のまま頷いた。混濁する意識だが、不思議と頭は働いた。
これはおそらく干渉酔いだ。えらい深くまで潜ってしまったらしい。
後天性の超能力者は、超能力が発現すると頭痛等の症状が現れると聞いたことがある。だが先天性の超能力者は、母体で慣らされているため症状が出ることはなかなか無い。現に僕も生まれてこのかた超能力を使用して症状が現れたことはなかった。
心理干渉系能力者は極稀に何かの波長がピタリと合うと無意識の干渉でも深く潜ってしまうことがあると聞いたことがある。今回がそのピタリと合うということだろう。まさか美雲の体験を反芻してしまうとは思わなかった。いや、反芻自体は珍しくはない。問題は意識下で美雲と同調していたことだ。無意識の干渉は幾度と無く経験したが、こう何度も体験を反芻するのは初めてだった。思い返せば自意識が混濁していた。まるで夢でも見ていたかのように受け入れてしまっていた。
恐怖だった。
床がガラス張りのタワーの最上階で高をくくっていたら足場が抜けてしまったかのような、抗えないものに直面してしまった恐怖があった。
今日は散々だ。
バイトは首になるし、初対面の子に介抱してもらうなんて。最悪、今の深い接触ならば彼女に超能力であることが通じてしまったかもしれない。
甲高い声が近づいてきた。
「ねーねーなにやってるの?」
男の子の声だった。膝枕を見るのが初めてなのだろうか。
「ばか、これはこいびとどうしがやることなんだよ」
女の子の声だった。ませている容姿を想像した。
「はいはい」
美雲の声が耳に入る。丸みを帯びた優しい響きだった。
「恋人同士の甘い一時を邪魔しちゃアカンやろ? 二人きりにしてくれへんかな?」
女の子が「すみませんでしたー」と謝ると、バタバタとした足音が遠ざかっていった。
「やっぱり体調悪かったんやないの。無理したらアカンて」
母親が幼い息子を諌めるような口調だった。
謝罪の言葉一つでも言わなければと口を動かしたが、言葉が音を成さなかった。
美雲は、僕のおでこに手を添える。その手はひんやりとしていて気持ちよかった。滞り熱を帯び始めた血が流れだしたような錯覚がした。
「ええからアンタはゆっくり休みぃ」
その言葉に甘え、しばらくその状態で休ませて貰った。数分も横になっていると、体から熱が引いていった。意識がはっきりし、四肢に力を入れられるようになった。
目をゆっくりと開く。予想よりも陽の光が強く、再び閉じかける。
「あ、もう大丈夫なん?」
美雲が訊いてきた。顔を下に向けたため太陽が隠れる。
起き上がり、答える。
「う、うん、もう大丈夫。お手数かけてすいません」
意識がはっきりしたおかげで自分が膝枕をした事実に顔がかーっと暑くなる。申し訳なさやら恥ずかしさでまたも自分の殻に入りかけた。
美雲の声で外に引っぱり出される。
「別にええよ、気にしてへんし。うちも暇やったから」
暇という単語が耳に残った。自分が暇という理由もあるが、美雲がこの平日の真昼間にどうして暇なのか気になった。大学生なのだろうか。
美雲が「ところでな」と言葉を紡ぐ。
「さっき触れた時な、変な風景見えたんや。なんか夢みたいやったけど、えらい現実味があったんや。あれが白昼夢いうやつやろか」
なぜ、そんなこと僕に言うのだろうか。本当に白昼夢だと思っているはずなら、わざわざ尋ねないはずだ。
美雲がさらに繋げる。
僕は心の中で何度も言うな言うなと祈った。
「間違ってたらごめんな。もしかすると、アッキーって超能力者やないか?」
全身が強張る。呼吸も止まる。少しでも気を抜くと、飲み終えたペットボトルのようにひしゃげてしまいそうだ。
「ええって、うちは超能力者に対してなんの偏見も持ってへんから」
そう言われて、「はい、そうです」と簡単に曝け出せるほどまっすぐに成長していない。回り道のない障害物だらけの道のりを折れて、歪んで、無理矢理に突き進んで来たんだから。
「言わへんのなら、もっかい触らせてもらうで?」
すぐに思い出した。この子には敵わない、と。折れて歪んだ僕を力技で正そうとする美雲には。
「そうだよ。僕は超能力者だ」
言ってしまった。超能力者だと知ると誰もが眼の色を侮蔑に変える。口では気にしないと答えていた美雲だって例外ではないはずだ。
美雲の目の色も変わった。それはもう他に類を見ないぐらい輝きだした。
「それで何の超能力なん?」
前のめり気味に聞かれる。食い気味どころではない。完璧に食い付いている。
「……さ、サイコメトリーだけど」
「すごいやん。心読めんやろ? なんかヒーローみたいでかっこええな。さっき、うち触った時って何か見えたん?」
言わなければならないのだろうか。見えたもの全て何が何だかイマイチよく分からなかったというのに。
見えた映像は三つ。渋谷と子供と事務所。わざわざ三つ全てをいうことはないだろう。ならば、一番気になったものを訊いてしまおう。あまり褒められたことではないが、人の生活は気になってしまうものだ。
「仕事場かなんかが見えたんだ。そしたらおじさんが謝ってたんだけど、あれって一体どうしたの?」
訊くと、美雲は歯切れ悪そうに苦笑する。
「うちも超能力のこと聞いたからには答えないわけにはいかへんよね」
訊いておいて、思うのも筋違いだが踏み込むべきではなかったと後悔した。「嫌なら言わなくていいよ」と断りをいれようと思ったが言葉がすんなりと出てこない。対人恐怖が立ちふさがっている。そうしている間に美雲が一呼吸置いて、言葉にする。
「うち昨日、解雇されたんよ」
その突然の解雇宣言に僕は固まってしまった。自分も数時間前に解雇された身だが、どのような言葉をかければいいのか分からなかった。自分の心の整理もついていないのにどのようなことを口にしても無駄な気がした。
「なんかな、取引先が突然取引やめる言い出したらしくてうちを雇われへんようになったんやて。笑えるやろ、まだ働き始めてから一週間経ってないんやで」
解雇に関して諦念したように口を開き続けた。
自分で引き起こしたことだが、なんとかしなければならないという安い良心がそれを許さなかった。
「ぼ、僕も今日仕事クビにされたんだ」
口をついて出たのは共感を覚えさせようとする内容だった。もっと他の内容があるだろうと思うが頭が話の展開に追いつかない。事務的な会話ばかりの僕には久しぶりのことだった。
「ならウチらダメダメ同士やな」
「そうだね」
ぐうの音も出ない。進学もできず、バイトもクビになった。まさにダメダメの見本だ。
不意に視線がピタリと合う。僕らの間に妙な緊張感が走った。美雲が笑い出す。僕も愛想笑いで返す。
「嬉しいなぁ。一人じゃないってのは」
共感してくれていたことにホッと胸を撫で下ろす。
「このご時世だし、探せばまだまだ仲間いそうだけどね」
「うちらみたいなダメな人、いないこと願うわ」
また僕らは笑った。笑えた。
それから僕らは他愛もないことを話した。ここしばらく事務的な会話しかしていないので、弱冠どころではない会話への不安があった。ところが会話が大きく進みだすと、あれよあれよと不安はどこかへ去っていった。
美雲はいわゆる話し上手というものなのだろう。話の盛り上げは上手いし、話題の切り替えも自然だ。僕が話に詰まるとそれとなく助け舟を出してくれたりしている。僕が振った話題でも嫌な顔をせず耳を傾けてくれた。ヒーロー物を熱弁しだした時だけは少しだけ戸惑ったが。それでも話題の尽きない美雲の話術に関心した。
僕も少しぐらいは話題を提供しなければと良心の呵責が僕を突き動かした。
「そういえば美雲って関西出身なの?」
美雲の耳がかーっと赤くなった。
何か変なことを訊いてしまっただろうか。今一度質問を胸中で反復するが、至ってまともな質問だったと思える。
「ええとな、うちは東京生まれ、東京育ち。バリバリの江戸っ子やで」
「え、でもそれって関西弁……だよね?」
途端に自分の知識が誤りではないのか不安に駆られた。もう一度一問一答しながら、返答を待った。
「うちの親――育てのな。それがな関西出身なんや。幼い頃、関西弁に憧れて親の真似――漫画とかの真似もあったかな。そしたらな似非関西弁が出来上がってしもたんよ」
自分の知識が間違っていないことに安心しつつ会話を続ける。
「そうなんだ。でも親はやめさせなかったの?」
「いや、うちな昔は頑固だったんや。それでやめろやめろ言われて意固地になってやめる機会なくしてしったんや」
親も大変だっただろう。この一を聞いて十を知るような子が反論してきたら。それが意固地になっているというのだから。親は途中で注意し疲れ、力尽き、なるようになれと放置したというのが予想できる。
「後悔してるの?」
「せやな。おかげで上手く共通語話せへんようになってしもたからな」
ずっと周りが共通語しか話さない環境にいたため、イマイチ理解ができなかった。
「へえ」
お茶を濁すように相槌を打つと美雲はむくれた。
「よく分かってないやろ」
「よ、よく分かったね」
この子も実は超能力なのではないだろうか。いや、そのはずだ。
「自分、顔に出やすいで」
初めての指摘に思わず顔の下半分を手で覆い隠し視線を逸らす。
「そんなに出やすい?」
「今まで誰にも言われたことないんか?」
ない。
数少ない会話を遡って思い出してみても、そのような記憶はなかった。むしろ数少なかったせいで気づけなかった。
「その様子やとなさそうやな」
美雲が笑う。ニヤリとした笑みだった。まるで良からぬことを思いついた子供のような可愛げのある不敵さだった。
「なあなあ、アッキーってウチのこと可愛いと思うか?」
美雲が前に身を乗り出し訊いてくる。ティーシャツの胸元が大きく開き中が見えそうだった。
視線が中を見てしまわぬよう右往左往と動かす。うろたえまくった。僕はどのように答えればいいのか分からなかった。女性経験皆無の僕には明らかなキャパシティオーバーだった。
ふとベンチの前で誰かが足を止めた。
背の小さな女子だった。ライダースジャケットにホットパンツ姿だった。上下とも黒で差し色に赤みの強い赤茶のレザーブーツを履いていた。そのブーツは男物にもありそうな縦が短い無骨なデザインだった。
足元から視線を上げて、顔に目を遣る。
黒髪のスッキリしたショートカット。直毛が卵のように顔の形に沿っていた。シャギーでも入っているのだろうか、軽い印象だった。目は切れ長。刀のような鋭いそれは僕達を静かに見据えていた。
まるで切り捨てられる直前の農民の気分がした。つまるところ肝が冷えた。
「いちゃつくのは人目につかないところでやった方がいいぞ」
女の子がちょいちょいと人差し指をどこかへ向ける。その先には子供の目を覆い隠す保護者の姿があった。
かあと顔が暑くなる。
「そそそそ、そうですね」
一つ、二つ年下に見える異性に思わず敬語を口にする。
美雲が左右に手を振る。
「そんな思ってるようなもんやないって。冗談や、冗談」
冗談で動揺していたと思うと、なけなしの自尊心がますます萎んでいく。
「そうなのか?」
「せや」
女子は気まずそうに頭を掻いた。その際にライダースジャケットの裾が上がり、ショートパンツのベルト部分に何か付けられているのに気付いた。ホルスターのようなものが左右に二つ縦に付けられていた。
あれは何なのだろうと考えていると、女子は軽く頭を下げた。
「すまない。私はそういうことに疎くてな」
「別にええんや。紛らわしいことしてたウチらが悪いんや」
ひたすらうろたえてただけの僕を含めないで欲しい。
「そのついでのようで悪いだが、道を教えてはくれないだろうか?」
「ええで。どこ行きたい?」
女子は頭をちょんちょんと人差し指でつついて考えるそぶりをする。
「ホテルなんだが、名称を忘れてしまってな。特徴なら分かるんだが」
「どんな特徴なんや?」
聞いた特徴をまとめると、ツインタワーで新宿区にあり、なおかつ老舗で高級ホテルということらしい。
美雲は検討もつかなかったのかすぐに「アッキー、分かる?」と訊いてきた。
「ある程度予想はついたけど……」
全く自信がなかった。これで間違っていたらどうしようとか考えてしまい、不安ばかりが胸に溜まっていく。
女子は直角に頭を下げた。
「頼む。一緒についてきて道案内をしてくれないか?」
力にはなりたいが自信のなさのせいで快諾できない。どうしようか迷っていると、美雲が「かまへんで」と勝手に快諾してしまった。
美雲は立ち上がり、僕の腕を引っ張り上げる。
「ならさっさと行くで」
よろめきながら立ち上がる。立ち上がると少女の身長の小ささが一際気になった。百五十センチぐらいだろうか。二人に「じゃ行こっか」と喉から出かけた瞬間、見知らぬ男性の声が先んじて耳に飛び込んだ。
「美雲くん、君は残ってね」
声のする方へ目を遣ると、いわゆる優男がいた。髪は男にしては長めで前髪は横へ流していた。服装もチノパンツにワイシャツで清潔感のある格好だった。背も高かった。バレンタインデーには両手が忙しいことになっていそうな容姿だった。
「お前の知り合いか?」
少女が美雲に訊いた。
美雲は男性の横に立つ。
「せや。ウチの知り合いや」
美雲が男性の顔を見る。
「てか、どうしてここにいるんや?」
「どうしてって、解散した後話があるって言ったじゃないか」
「そやっけ?」
「そうだ」
男性は語尾を強めた。
女子が僕に尋ねる。その顔は怪訝な様を表していた。
「あの男とはあの女性と一体どんな関係なんだ?」
僕に尋ねられても困る。僕だって初対面なのだから。
今日は初対面の人とよく会うな、と現実逃避したところで美雲が僕らに両手を合わせる。
「ごめんな。ウチ行けなくなったわ。でもここで待っとるさかい、無事送り届けたら戻ってきてな。まだまだ話したいこといっぱいあるんやから。それとアッキーに柊二くんとの関係訊いても分からへんよ。初対面なんやから。それとウチらはただの友達や」
柊二というらしい男性は、僕の前へ一歩進み出る。
「はじめまして。美雲くんの友人の山城柊二です」
手を差し伸べてきた。
この手を取るかどうか悩んだ。美雲の友人だということは信用できるのだろうか。ここで何も言わずに手を取ることを拒んだら美雲の顔に泥を塗る結果になるのではないのだろうか。
「アッキー、悩まんでもええよ。この人も超能力だってことで無碍に扱ったりはへん人やから」
信じてもいいのだろうか。
「君、超能力者なんですか?」
柊二さんが尋ねる。まだ手は差し伸べたままだった。
数秒にも満たない沈黙が流れる。とても長く感じられた。三人がそれぞれに僕へ向ける視線が嫌に鼓動を早くさせた。心配、友好、関心どれらも僕には縁遠かったものだ。
取るか取らないか、どちらの選択肢も僕には選べなかった。
「サイコメトラーです」
柊二さんは手を引いた。
「気を使わせてしまいましたね。すみませんでした」
気を使わせたのはこちらの方だ。自分で選択できないから任せただけだ。
「い、いえ」
自信が溢れている身のこなしだった。僕の苦手な部類の人間だ。こういうタイプは、自らの正義を疑わない。周りの人間もそれに感化し、その正義を疑わない。何度も僕はその正義に鉄槌を下され続けた。
「手は引いてしまったけど悪気はないよ。ただ、心の内を読まれるのは抵抗感があるだけだから」
もっともだ。美雲みたいに抵抗感の欠片もない方が異常だ。
柊二さんは女子にも手を差し出す。
「よろしく」
女子は、睨んでいるともいえる視線のまま腕を組む。
「私も超能力者だ。それでもいいのか?」
柊二さんは手を差し出したままにする。
「君もサイコメトリーかい? そうじゃなかったら何も問題はないよ」
女子は唇を一文字にしたまま腕を差し出した。
二人が握手を交わす。同じ超能力者でも握手ができる能力者が羨ましかった。握手を交わし終えた女子に美雲が跳びかかるようにして両肩を掴む。女子を前後に振り「なあなあ、なんの能力なんやっ?」と無垢な子供のように目を輝かした。
柊二さんが美雲を女子から引き剥がした。
「僕らはここで待っているよ。君はその子を目的地のホテルまで連れて行ってあげてくれないか?」
そんなとこまで聞いていたのか。どうやら僕らの話を邪魔しないようにタイミングを見計らっていたらしい。
「ならお言葉に甘えさせてもらおう」
そう言って歩き出したのは女子の方だった。僕も急いでその後を追いかける。
「君もまた会おうなー」
去りゆく女子に美雲が声をかけた。
女子は振り返る。
「用事が早めに済んだら会おう」
女子の張った声は、低音で耳にスッと入った。高音が大急ぎで返ってくる。
「せや、名前なんて言うんやー?」
砕けた雰囲気の美雲と違い、凛とした佇まいを崩さない。見えない壁があるようだった。
「
ふむふむと美雲が思案する。
「まこっちゃん、またなぁ」
突然のあだ名呼びに、真琴と名乗った女子は毒気を抜かれた顔になった。すぐに持ち直した。
「ああ、また会おう」
真琴は踵を返し歩き始める。急いで追いつくと、その横顔には微笑が表に出ていた。
僕もなんだか唇がむず痒かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます