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寝不足の目に朝日が眩しい。裾から昇る太陽で逆光になった岩山を仰ぎ、夏妃は欠伸をかみ殺した。
王都の大通りは今日も朝から賑やかだ。呼び込みの声や喧騒を聞きながらぼんやりしていると、後ろから名前を呼ばれた。微笑んで手招きしているエルヴァに近づくと、今まで宿の前で話し込んでいた屈強そうな男を示された。
「こちらは城からいらっしゃった使いの方で、城までの案内と護衛をしてくださる」
警邏の制服と似た、丈の長い軍服みたいな衣装を着た男は、生真面目な表情を崩さないまま夏妃に会釈した。
「城まで同行させていただきます。サブルムとお呼びください」
「夏妃と申します。よろしくお願いします」
挨拶と会釈を返しても、鉄壁の無表情は変わらない。愛想はないが、なんだか仕事の出来そうな人だなあ、と考えた。
岩山のふもとにあるという門をくぐり、あとはひたすら山道を歩いて城へ向かうという。聞けば遅くとも夕方には着くだろう、とのこと。一日がかりの山登りというわけだ。気が重いなんてものじゃない。
加えて、気がかりなことはまだあった。ちらりとエルヴァの背後に目を向けると、何やら話しているウィルとバザルトがいた。視線に気づいたのかウィルがこちらに視線を向け、目が合う。どんな顔をしていいかわからずにいる間に、彼が歩み寄って来て言った。
「ここひと月は天候もいいし、山道に危険箇所はないみたいだよ。あまり苦労せずに登れるだろうってさ」
「そ、そう。良かった」
声も表情も硬いのが自分でわかる。ということは、もちろんウィルにも態度がおかしいのが丸わかりなわけで、案の定眉を寄せた彼がずいと顔を覗き込んできた。
「どうしたの。朝食もすすまないし、なんだか上の空だし、夜も眠れてなかったでしょう?」
「な、なんで!」
若干腰が引けたまま、びっくりして彼を見る。彼はこともなげに答えた。
「一緒の部屋にいるんだから、気配でそれくらいわかるよ」
そういえばそうだった。いい部屋を割り当てられているといっても四人、それも成人の男がうち三人もいれば、部屋のスペースは限られる。寝室も二つしかなく、夏妃はウィルと同室に振り分けられたのだった。
確かにほかの組み合わせでも違和感はあるが、昨日の状況でウィルと過ごすのは余計に気まずかった。同じ家に暮らしているとはいえ、もちろん部屋は別だったのでこんな状況になったことはなかった。
耐えかねて共同部分にあるソファで寝たいと言ってみたのだが、これも予想通りあえなく却下された。かと言って夏妃が過剰に意識しているだけなのに、彼を部屋から追い出すというのもあり得ない選択肢だ。
結果、もやもやした気分を抱えてベッドに入ったもののろくに眠れず、朝を迎えたのである。
彼に適当な言い訳が通じないのは、夏の一件でもう身に染みている。迷いながら、考え考え話した。
「ちょっと、いろいろ考えてたというか、悩んでたというか。あ、でも、深刻なことじゃないの。ただ自分がどうしたいのかがよくわかんなくて、もやもやして。……ごめん、私自身もまだごちゃごちゃしててよくわかんない」
我ながらめちゃくちゃな説明だった。ごまかしているわけではないのは伝わったようで、彼は困ったように微笑んで頷いた。
「話ならいくらでも聞くから、そうしたくなったら言って。体を壊さないように、ほどほどにね」
「うん。ありがとう」
はたしてもやもやの張本人に話を聞いてもらうのは有効なのだろうかとは思ったが、心配はかけたくないので素直に頷いた。昨日からまともに目も見れなかったのだが、今話して少し気がまぎれたかもしれない。ほっとして息をついた。
山門は大きな石造りで、高い灰色の柱が二本両脇に立っていた。その奥にはところどころ苔むした石畳が続く。黄や赤に色づく木々の色も相まって、神社の鳥居のようにも見える。日本の風景を見ているようで、つい見入ってしまった。
門には番人らしきいかつい風貌の男が二人いて、エルヴァが差し出した何かの書類と夏妃達を見比べると、門の下から脇に避けて一行に道を譲った。これで審査は終わりらしい。
あっさりしたものだなと拍子抜けしたが、延々と続く山道を見ればすぐにげんなりとした気分になる。これこそが最大の関門なのかもしれない。
山登りに備えて、男たちは動きやすい生地の服に底の厚いブーツをそろえ、夏妃も膝丈のキュロットスカートみたいな服に同じくブーツを合わせている。龍族の女性は基本的にヨーロッパの民族衣装みたいなスカートがデフォルトなので、そういえばこの世界で丈の長いスカート以外のものをはくのは初めてだ。
山登りに適した格好のおかげで転んだり足を痛めたりということはなさそうだが、やはりはやばやと息が切れてきた。男性陣の涼しい顔を見ると恨めしい。
「ナツキ、大丈夫? 背負おうか?」
初っ端から過保護全開のウィルを突っぱね、黙々と歩く。どれだけ子ども扱いされようと子どもではないのだ、自分の足で歩く他ない。
見た目は日本の観光地にある登山道と大差がないように見えたが、実際に登ってみると全く違った。まず、石段の傾斜が恐ろしく急な箇所がいくつもある。踏み外したら死ぬんじゃないだろうかと危惧するほどの急勾配で、しかも一段一段が高い。さすがに何度かはウィルの手を借りなければならなかった。
龍族はどちらかというと西洋人並みに体格の良い者が多いので、そちらに合わせたのだろうか。現に、一行で一番の高齢者であるところのエルヴァでさえ、苦も無く登っているようだった。今だけ龍になりたい、切実に。
小一時間は歩いただろうかという頃、少し道が開けて端にベンチが備え付けられた場所に出た。少し休もうか、とのエルヴァの鶴の一声に飛びついて、夏妃はよろよろとベンチに腰掛けた。
もうふくらはぎがこわばっているし、喉もからからだ。バザルトが水筒から注いだお茶を面々に配り、夏妃もありがたく受け取った。
サブルムは礼を言ってお茶を受け取ったものの、座らずに立ったままだ。護衛も兼ねているので、城に着くまで気を抜くことは許されないのだという。やっぱり仕事人間だったんだなあ。自分の予測が正しかったことに感心しつつ、お茶を飲み干す。一息つくと、申し訳なさがこみ上げてきた。
「ごめんなさい。確実に私、皆さんの足を引っ張ってますね」
彼らの足なら苦も無く登れる道だろう。しかし、夏妃が加わることで余計な時間を食っている。
夏妃の隣に座るエルヴァが首を振った。
「いいや。ナツキは我々にいいものを与えてくれているよ」
首を傾げる夏妃に、彼は背後を指差した。ベンチの後ろ側には木々がなく視界が開けていて、簡易的な柵の向こうに城下町が一望できた。思わず立ち上がり、柵に手をかけてその眺望を眺める。
ミニチュアみたいな町並みがちんまりと並び、遠方には畑や草原、山脈の影まで見晴るかせる。ずいぶんと高くまで登って来ていたようだ。
「綺麗……」
そうだろう? とエルヴァが笑う。
「いつもの年なら早く城に着こうとばかり考えて、ゆっくり休憩しようなんて思っていなかった。だから、ナツキのおかげでこの景色が見れたんだよ」
……これは、惚れるなというほうが難しいですよ、エルヴァさん。なんてナチュラルにこちらを立てるんですか。
これは、シルエラさんのお母さんもさぞ苦労しただろう、と内心で大いに同情していると、夏妃に並んだウィルやバザルトも目を細めた。
「確かに。俺たちは飛べば済むって考えがどうしてもあるから、ゆっくり景色を眺めようっていう情緒が欠けてるのかもなあ」
「ああ。私も何度もここを通っているが、気づかなかったな」
そういうものだろうか。山に登れば景色を見る、というのは夏妃にとって当たり前すぎる感覚なので、首を傾げる。
「山に登ること自体が目的だとそうなるんでしょうか。私たちの場合だと、綺麗な紅葉を見たり、普段見れない景色を見るために山に登っていたから。まあ、行楽目的だから別の話かもしれないですけどね」
「いつもは見れない景色を見るため、か。それもいいね」
ウィルが笑い、楽しげに言う。しかし、続いた怪訝そうな声に、一気に肝を冷やす羽目になった。
「……不思議な風習の集落があるのですね。お嬢さんはシルウァ島の生まれではないのですか?」
サブルムの言葉に、しまった、と表情を固める。異世界人だということは隠していたというのに、まるっきり失念していた。
「ええ、縁あって預かった子なんですが、村の子ではないんですよ。彼女の故郷は遠いので、話を聞いているとなかなか新鮮で。面白いでしょう?」
さすがは年の功で、エルヴァが如才なくフォローした。サブルムは不思議そうではあったが、なるほどと頷いてくれた。
「ではそろそろ行こうか」とバザルトが声をかけ、そのまま出発することになる。一行の真ん中を歩きながら、まだばくばくいっている心臓の上あたりを押さえる。
……危なかった。気をつけなくては。
まして、これから行くのは王城なのだ。厄介ごとに巻き込まれないためには、余計なことはしないに限る。夏妃の動向によっては、恩人たちにも害を及ぼしかねないのだから。
先ほども顔色一つ変えなかった村の男たちを盗み見る。ポーカーフェイスも必須項目かもしれないな、と考えつつ両頬を押さえていたら、バザルトに怪訝な顔をされた。
昼休憩をはさんで、太陽が西にだいぶ傾いてきた頃、ようやく城の建物が垣間見えるようになった。ウィルに指差されて仰ぎ見れば、細い尖塔がいくつかと、武骨な灰色の屋根が紅葉の間に見える。
あの王城は屋根の瓦の一枚一枚までが、山から削り出した岩から作られているのだと説明され、あんぐりと口を開けてしまった。尖塔に見える細工も、鈍く光る瓦も、すべてが岩を削って出来たものだなんて、にわかには信じがたい。どれだけの労力を使えばそんなことができるのだろう。
「この分なら、予定通りの時間には城に入れそうですね」
サブルムが淡々と告げる言葉に嬉しくなった。頑張った甲斐があったというものだ。もう膝が笑っているし、にじんだ汗を拭うのも億劫なくらいには疲れ果てていたが、彼の言葉のおかげで気合いが入った。
あと少しだと男たちに背や肩を叩かれ、笑みを返す。
よし、ともう一度城を仰いだところで、何かが視界をよぎった気がして足が止まった。違和感のあった部分に目を凝らしても、何もない。
気のせいだろうか。木立の上に見えた影だから、何かの動物かもしれない。ここまで来る道中にも、熊こそ出なかったものの、珍しい色彩の鳥や、鹿に似た生き物の親子を見かけた。
名前を呼ばれ、慌てて歩くうちに、一瞬見えた影のことはそのまま忘れてしまった。
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