3

 明日の登城の話を聞き終え、まだ渋る顔のウィルを残して宿を出た頃には、もう空の色は昼から夕方へと移り始めていた。約束もあるので、本格的に日が傾く前には戻らなければならない。時間もないことだしと、喧噪も賑やかな大通りを歩き出す。

 いくらも歩かないうちに、エルヴァに言われた通り警邏けいらの姿があちこちに見えた。髪や瞳の色はさまざまだが、その誰もが屈強そうな男ばかりだった。

 紺の地に白の縫い取りの制服の彼らに気付くと大人たちは挨拶し、子どもは彼らの足元にまとわりついたりする。かなり頼りにされている存在だということは目に見えてわかった。

 それに安心して手近な店の軒先に目を向けると、鮮やかな組み紐を編みこんで作られた小さなアクセサリーが並んでいた。銀の細い鎖とさまざまな色の紐が螺旋に絡まり、真ん中にはコイン型の飾りがある。たぶんペンダントだろう。

 つい見入っていると、売り子のおばさんが愛想よく声をかけてきた。

「こんにちは、お嬢ちゃん。銀守りを見るのは初めてかい?」

「銀守り? これ、お守りなの?」

 瞬きして問うと、おばさんはそうだよと頷いた。

「銀は龍にとって命の色。コインの中に、いろんな色の小さい石が埋め込まれてるだろう? 身に着ける者の瞳の色と同じ色の石がついた銀守りを持つと、災いを退けて命を守ってくれるのさ」

 龍にもお守りを頼りにする風習があるのか、と感心した。一つを手にとって、おばさんは親切に説明してくれた。

「石と合う色の紐を選んで、一つ一つが手作りなんだよ。同じ石はないから同じ銀守りもない。ひとりにひとつのお守りってわけだ」

「へえ、すごい。綺麗だね」

 興味津々の夏妃の様子に気をよくしたのか、おばさんがにこにこと言った。

「お嬢ちゃん、この辺の子じゃないだろう? 定例会の出席者の付添いかい?」

 言い当てられて驚いたが、彼女の口ぶりからするとそういうことは珍しくないのだろう。素直に頷くと、目を細めて笑う。

「えらいねえ。よし、おばちゃんがおまけしてあげよう。うんと安くするよ。さて、お嬢ちゃんにはどの石が良いかねえ」

 じっと夏妃の眼を覗き込み、おや、と目を丸くした。

「黒に近い綺麗な色をしているねえ。なかなかお目にかかれるもんじゃないが……」

 ぎくりとし、慌てて身を引いた。

「い、いえ、お金は持ってないんです。嬉しいんですけど、買い物はまた今度……」

「あら、いいじゃない。お姉さんが奢るわよ」

 逃げ腰になったところで、明るい声が割って入る。振り向くと、見覚えのある美人がいた。

 青灰色の髪と、藍色の瞳。夏妃を見下ろす彼女の綺麗な笑顔を見て、思い出した。

「あ。宿屋の……」

「当たり。【銀の杯亭】の看板娘、ミカと申します」

 おどけて丁寧に頭を下げて見せ、おばさんに屈託なく話しかける。

「おばさん、私が払うわ。この子、うちのお客さんなの。エルヴァ様のお付きの子なのよ」

「あらまあ、【九頭龍ノウェム・カプト】様の!」

 驚いた様子でまじまじと見られてたじろぎながらも、とにかくミカに向かって首を振る。

「そんな、買ってもらうわけには……」

「いいのいいの。そんなに高価なものじゃないんだし。あ、その左端の石が良いんじゃないかしら」

 指差された銀守りの石は黒に近い深い茶色で、確かに夏妃の瞳の色に近かった。さっさと支払いが済み、はいどうぞと差し出されたペンダントを前に、途方に暮れた。

「あの、とても嬉しいんですけど、困ります……」

 こんなことなら、お小遣いを断らずにいくらかお金をもらってくれば良かった。

「戻ったらお金は払いますから」

「野暮なこと言わないの。女の子はもらえるものはもらっておけばいいのよ」

 自分こそ男性からなんでももらえそうなあでやかな美人だというのに、言うことはやたらと男前だ。結局は押しに負けて受け取ってしまった。

 だが、やはりこういうのは何か違う気がする。

「ありがとうございます。でも、ただで物をもらうのはやっぱり嫌なんです。お手伝いでもなんでも、なにか私にお返しできることはありませんか?」

 これだけは譲れない、という顔でそう言うと、ミカは面白そうに夏妃を眺めた。

「へえ、いいね。そういう子好きよ。名前、なんていうの?」

 夏妃です、と教えると、機嫌のいい猫みたいに目を細めて笑う。

「じゃあ、ナツキちゃん。ちょっと時間をつぶすのを手伝ってくれない? 今日は、いつも一緒に休憩に入る子が休みで暇だったの」

 彼女は夏妃の手をつかむと、おばさんに手を振って歩き出した。

 通りをすいすいと進むミカに引きずられるように歩きながら、何とか訴える。

「あの、日が暮れるまでには宿屋に帰りたいんですけど」

「大丈夫、そんなに長くは付き合わせないから。小腹空かない? この先においしい焼き菓子の屋台があるんだけど」

 それは、お返しを申し出た意味がない気がするのだが。

 見かけは近づきがたく思えるほどの美人なのに、なんとも押しの強い人だ。シルエラを思い出して、なんだかほだされてしまう。

 少し歩くと小さな屋台が出ていて、甘いにおいがしていた。

「買ってくるね」と言って屋台に近づく彼女に残された夏妃は、まだぽかんとしていた。手のひらの上のお守りを見下ろして、どうしたものかと考える。

 とりあえずは買ってもらったものだし、身につけるのが礼儀というものだろう。幸い、ひも部分は長さの調節ができる構造で、頭からそのまま通せそうだった。この往来でフードを外すことはできないので、助かった。

 フードをしたまま首にお守りを通したところで、両手に焼き菓子を持ったミカが戻ってきた。

「お待たせ。あ、着けてくれたんだ? うん、似合う似合う」

 花もほころぶ笑顔で差し出された焼き菓子は、食べ歩きができるよう薄紙に包まれていて、生地の間にはカスタードっぽい色のクリームと淡いオレンジ色の果肉がはさんである、ワッフルによく似た食べ物だった。

 基本的に甘いものには目がない夏妃は、つい戸惑いも忘れて目を輝かせた。

「わ、おいしそう。この果物はなんですか?」

「これは、アルビコッカの実。砂糖で煮詰めてあって美味しいよ。私のおすすめ」

 言いながら近くにあったベンチに腰掛け、さっそくかぶりついている。

 夏妃もその隣に座ると、いただきます、と生地の端のほうをかじった。記憶にあるワッフルの生地よりは堅めだけれど、厚みがあってふわふわしていて美味しい。ミカおすすめのアルビコッカは、桃に味が似ているけれど、砂糖の甘さの中に酸味があった。

「ほんとだ。生地に合いますね」

「でしょう? 旬の時期なら生で入ってることもあるんだけど、私はこっちのほうが好き」

 嬉しそうに言って、夏妃を見る。

「しかし、幸せそうに食べるねー」

「幸せですもん。やっぱり街だと美味しいものがあっていいですね」

 心の底からそう言うと、ミカは笑ってまた焼き菓子をかじりながら話し出した。

「うん、この通りなんかは美味しいものが充実してて、休憩時間には最高ね。王都は初めてなんでしょう? 銀守りも知らないくらいだし」

「はい。急だったんですけど、付き添いで連れてきてもらって……」

 詳しく話すわけにもいかないので、どうしても言葉を選ぶことになる。ちらりとミカを窺うと、彼女と目が合った。ふふ、と笑う。

「やっぱり警戒してる?」

 肯定するのは躊躇われたが、さばさばした彼女の口調に背を押されるように頷いていた。

「……正直に言えば、多少は。ほぼ初対面ですし」

「そうだよねえ。いきなり『それ買ってあげる』なんて言って引きずってきたら、怪しさ全開だわ」

 からからと笑う彼女にそれを悪いと思う様子はなさそうだが、毒気を抜かれて苦笑した。

「男の人だったら全力で断ってました。でもミカさんは、王城の認可があるっていう正式な宿の店員さんだし。まあ、危険はないだろうなって」

「しっかりしてるなー。さすがはあのエルヴァ様が、お付きに選んだだけのことはあるってことかな」

 エルヴァをよく知っているような口ぶりに、首を傾げる。

「エルヴァさんとは、親しいんですか?」

「とんでもない。定例会のたびに利用してくれるお得意様ってだけよ。それでなくてもあの方は、【九頭龍ノウェム・カプト】のおひとりに数えられる有名なお方だし」

「あの……、さっきのおばさんも言っていたけど、そのノウェム・カプトってなんですか?」

 訊ねると、彼女は綺麗な藍色の眼を丸くした。

「あれ、知らない? 龍族の長の中でも、とくに功績があって王の信頼が厚い九頭の長をそう呼ぶの。公式の場での発言権もあるし、王様の覚えもめでたいってだけですごいことだもの。かなり有名よー」

 ぽかんとして聞きながら、どこか納得もしていた。間近で見ていても、エルヴァは只者ではない雰囲気だったからだ。

 ミカはそれに、と笑う。

「私、個人的にもエルヴァ様のファンなのよね。すごく魅力的な方でしょう?」

「はい、それはもちろん」

 深く同意して頷いた。彼の雰囲気のある佇まいには、憧れを通り越して畏敬の念さえ覚える。

「ナツキちゃんは一緒に王城に参内するんでしょう? いいなあ。王城なんて、庶民の憧れよ?」

 自分も庶民のはずなんですけどね、と思いながら苦笑いする。

「でも、歩いて頂上まで登らなきゃならないって聞いてびっくりです。迷惑をかけないようにしないと……」

 思い出したら、気が重くなってきた。何が悲しくて異世界で山登り。

 たそがれていると、ミカがさらりと言った。

「大丈夫よ。熊が出ても衛士がいるし、崖から落ちても救護用の小屋があるから」

「熊!? 崖!?」

 のけぞる夏妃に、ミカは「あれ?」という顔で首を傾げた。

「あの山、割と険しいから三十年に一回くらいそういう事故があるんだけど。……言わないほうが、良かった?」

 正直、聞きたくなかった。

 勝手に日本の観光地的な登山道をイメージしていた自分が悪いのだろうけど、まさかそんなに険しい道のりだとは。っていうか、そんなところを客に登らせるって、ますますどうなんですか、王様。

「まあまあ。基本的に龍族に喧嘩売る獣はいないし、お付きの衛士が付くから危険な道は選ばないわよ」

 励ますように背を叩かれ、ますますがっくりする。明日を無事、乗り越えられるだろうか。……自信がない。

「元気出して! そうだ、おわびに穴場の足湯教えてあげる。空いてるし景色もいいし最高なのよー」

「……足湯? 温泉?」

「そうそう。街の中にも温泉の湧くところがあってね、無料開放されてる足湯が結構あるのよ」

 我ながら単純すぎるが、一気に気分は浮上した。明日の不安より今日の楽しみのほうが大事だ。

「わあ、入ってみたかったんです!」

「それはよかったわ。もちろん王城にも温泉が引かれてて、そりゃあ立派な湯殿があるって噂でね。一度でいいから入ってみたいわー」

「おお、立派な温泉!」

 途端に、聳える魔王城にしか見えなくなっていた岩山が温泉テーマパークに見えてくるのだから、現金なものである。おそらくは、ミカの策略だったのだろうが。

 よし、行こうか、とミカが立ち上がる。足湯につられて彼女に続き、隣に並んだところで、正面から強い風が吹いてきた。店の売り物のアクセサリーがしゃらしゃらと音を立て、通りの頭上に渡された飾り布が翻る。

 あ、と思った時にはフードが煽られて後ろへずれかけていた。まだ残った焼き菓子を手にしていたせいで、とっさに押さえられなくて焦る。こんな往来で、髪を見られるわけにはいかないのに。

 わたわたしている間に、頭にぽんと手のひらが載せられ、フードを押さえられる。顔を上げると、ミカと目が合った。

「大丈夫?」

「あ……、は、はい。ありがとうございます」

 にこりと微笑んだ彼女に応え、慌てて片手でフードを深く被り直す。危なかった。

 何事もなかったように歩き出した彼女の先導に従って歩き出しながら、夏妃は鼓動がいやにうるさいのを感じていた。

 彼女の今の行動は、夏妃を庇うためのもの。事実、彼女のおかげで助かった。『黒色』は龍族の中で特別視されている。隠した黒髪を誰かに見られるわけにはいかなかった。

 では、彼女は何故、庇ってくれたのか。

 ……隠しているものを、知っていた?

 疑念は膨らむけれど口に出すことはできない。戸惑いながら彼女の背中を見つめることしかできなかった。




 ミカは最初に言ったとおり、日没前に宿屋まで夏妃を送り届けてくれた。宿屋の前に着くなり、夏妃は見慣れた長身を見つけて小さく呻いた。

「……うわ」

「なにそれ。心配して待ってたのに、ずいぶんなご挨拶だね、ナツキ?」

 こころなしか怖い笑顔のウィルに迎えられ、つい言い返す。

「過保護。平気だって言ったじゃない」

「君が平気だろうと、俺が心配するのは俺の勝手だよ」

 すまし顔で退けて、ふと夏妃の胸元に視線を落とした。目ざとい。何か言われる前に、コインを持ち上げて自己申告した。

「これ、ミカさんに買ってもらったの。王都を案内してくれたのもミカさんなんだよ」

 振り向いてミカを示すと、ウィルは目を大きくして彼女を見た。

「……ミカ? ミカって」

 彼の視線を受け止めて、彼女は笑って小首を傾げて見せた。

「やっと思い出した? お久しぶりね、ウィリディス。いつになったら気づくのかと思ってたわ」

 夏妃まで驚いて、ふたりを見比べる。まさか、知り合い?

 ウィルはまだ半信半疑みたいな顔で彼女をまじまじと見ていた。

「本当にミカ? うわ、気づかなかった」

「薄情者。私はすぐに気づいたのに」

「だってもう五十年は会ってなかっただろ。わかるわけない。だいたいお前だって、受付で会った時に何も言わなかったじゃないか」

 ミカは悪びれもせずに笑顔で答えた。

「仕事中だもの。あなたがちゃんと気づくかどうか、興味もあったしね」

「相変わらず悪趣味だな……」

 いやそうな顔をしていても、ウィルとミカの会話はいかにも親しげだった。

 口が挟めずにいる夏妃に気づいたミカが、教えてくれた。

「ウィルと私は昔、ちょっとの間だけど遊び友達だったのよ。コルナリナ様もうちの宿を使っていてね。暇してるこの子と遊んであげてたの」

「何、その上から目線。そっちが年下のくせに」

「年上を笠に着るところが子どものままね」

 なるほど、中身はまんま子どもだが幼馴染みらしい会話だった。というか、今改めて気がついたけど美男美女だ。絵になりすぎて気後れした。

 なんだか居たたまれなくて、宿屋の入り口のほうに体を動かす。

「……あの、私部屋に戻ってるから」

「え? 待って、ナツキ」

「いいわよ、ナツキちゃん。気を使わないで。私も仕事に戻らなきゃならないし。今日はありがとう、楽しかったわ」

 綺麗な笑顔を向けられて、わけもなく後ろめたくなる。慌てて頭を下げた。

「いいえ、私こそごちそうになったしお世話になりっぱなしで。ありがとうございました」

「どういたしまして。また機会があったら遊びましょうね」

 そう言ってひらひらと手を振り、ウィルとすれ違いざまに彼の腕を引いて何か耳打ちした。その仕草が大人っぽくて、どきりとする。

 彼女が去ってから、ウィルは何やら不機嫌そうに入り口を睨んでいたが、やがて夏妃を促した。

「入ろう、ナツキ。冷えるよ」

「……うん。ねえ、今何を言われたの?」

 訊ねたが、ウィルは首を振った。

「くだらないこと。お節介なのも変わらないな、あいつは」

 ため息をつくウィルがなんだか遠い。なんなんだろう、このもやもやした気持ちは。

 いろいろあったけれど、楽しい一日として終わるはずだったのに。もやもやは消えないまま、夜ベッドに入ってからも夏妃を悩ませた。

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