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龍の王のおわす王都には、これまた名前がないらしい。王都も一つきりだから必要がないとか、まあそういうことなんだろう。
王都と言われて夏妃が抱いていたイメージは、やはり定番と言って差し支えない、どーんとそびえる白亜の城とばりばりの西洋風の街並み、みたいなものだった(城なんて見たことがないのだから想像力に乏しいのは仕方ないと思う)。
だが、実際に目にした王都はそれとはまったく違う。百八十度というより二百二十五度違う、というのがふさわしいくらいの微妙なずれっぷりだった。
まず、大通りの正面にそびえ立つそれに、夏妃は釘付けとなった。
「すごい……」
ぽかんと口を開けて見上げるそれは、視界いっぱいの巨大な岩山だった。荒々しい岩肌がのぞき、ふもとに色づき始めた紅葉が見える様子は、なんだか日本で見たことがある風景のような気がする。
それでいて、山の下に寄り添うように広がる町は洋風だ。だからといってお互いにアンバランスな印象はないのが、なんとも不思議だった。
「ナツキ、ぶつかるよ」
ウィルに腕を引かれて、往来の真ん中で誰かに衝突しそうになるのを免れる。ごめんと謝って、意識を下界に引き戻した。見上げたせいでずり落ちかけていたフードを直す。髪を隠すために必要なのだが、視界が狭まるし少し不便だ。
夏妃は王都の手前で変化を解いたウィルとともに城下町に入り、繁華街と思われる場所を歩いていた。
町の目抜き通りには市があり、たいした混雑はないもののかなり賑やかだった。建物は村でも見た木組みの造りで、統一感のある高さと色合いの屋根が軒を連ねる。
鮮やかな織物や見たことのない果物が陳列されていたり、どこからか香ばしい匂いが漂ってきたり、つい興味を惹かれてきょろきょろしてしまう。考えてみれば村から出るのは初めてで、見るものすべてが珍しかった。
「すごいね。たくさんありすぎて目が回りそう」
「いつ来てもにぎやかだな、ここは。自分が田舎者だってすごく実感する」
苦笑いするウィルは、どこか懐かしそうに通りを見渡していた。
「ウィルは、王都に来たことがあるんだっけ」
「小さい頃だけど、何度かね。母の付添いだったから好きなところを見て回れたためしなんかなかったけど」
遠い目をするウィルの口元には自嘲の笑み。どことなく哀愁が漂っている。
なんだか、突っ込んで訊かないほうがよさそうな雰囲気だった。空気を読んだ夏妃は、ところで、と本来の目的に思考を戻した。
「エルヴァさんたちとの待ち合わせってこの辺なの?」
「そう、この通りのはずなんだけど。久しぶりだからずいぶん様変わりしてるなあ……。えーと、【銀の
宿屋宿屋、と通りを見まわしながらしばらく歩いていると、ひとつの看板が目に入った。とっさにウィルの袖口をつかんでそれを指差す。
「あ、あれじゃない?」
鉄の軸にぶら下がる木製の板に【銀の杯亭】と店の名前が書かれ、その下に杯の絵も描かれている。ウィルも見つけ、頷いた。
「うん、間違いない。すごいな、読みはもう完璧?」
「たくさん勉強したもの。看板くらい読めるよ」
ちょっと大げさに胸を張ると、えらいえらいと頭を撫でられた。完全に子ども扱いだが、褒めてもらえるのは単純に嬉しい。
弾んだ気分のまま宿屋に入ると、右手のカウンターから声をかけられた。
「いらっしゃいませ。お泊まりですか、お食事ですか」
愛想のいい営業スマイルを見せているお姉さんもまた、龍なのだろう。彼女も珍しい色彩を持っていた。
結い上げた髪は青灰色で、瞳は深い藍色。すらりとした立ち姿といい、かなりの美人だ。思わずうっとりと見とれた夏妃の横でウィルが用向きを告げると、お姉さんはにっこり頷いた。
「お待ちしておりました。ご案内いたします。では、こちらへ」
お姉さんの先導を受けて、広い空間に並べられたテーブルや椅子の間を通り抜ける。たぶんここが食事用の場所なのだろう。廊下を進み、突き当たりのドアの前に立ったお姉さんがノックする。
「お連れ様が御着きになりました」
「はい。ご苦労様だったね」
声とともに、壮年の男が顔を出した。上背がありがっしりとした体格だが、夏妃とウィルを見つけて破顔する日に焼けた顔に威圧感はない。彼の名前はバザルト。シルエラの夫であり、次期村長と目される存在だ。
「さあ、入って。ああ、ふたりの分のお茶を頼むよ」
かしこまりました、と答えたお姉さんが立ち去りドアが閉まると、バザルトに促されるまま部屋の奥のソファに座った。
部屋はこぢんまりとしてはいるが、南向きの窓から光が入って明るく、調度品も木製のもので統一されていて暖かみを感じる。隅々まで掃除が行き届いているようで、居心地もよかった。
備え付けの菓子入れにあしらわれた小鳥の意匠を眺めていると、入り口とは別のドアが開いた。それは別の部屋につながっているらしく、現れたエルヴァがおや、と笑う。
「朝早くから大変だったろう、ふたりとも。昼食はとったかい?」
「はい。シルエラさんがお弁当を持たせてくれましたから」
夏妃が答えると同時に入り口のドアがノックされ、お茶を持ったお姉さんが現れた。バザルトが受け取り、お姉さんが笑みを残して退室すると、向かい側に座ったエルヴァが切り出した。
「急なことですまなかったね、ナツキ。驚いただろう」
否定もできず、苦笑いした。
「まあ、そうですね。でも、いつかは来なければならなかったんですし」
「こんなに急な召集は珍しいんだがね。まあ、城に入るのは明日だし、今日はゆっくり休んでくれ」
「あ、じゃあ後で外に遊びに行ってもいいですか?」
こんなことでもなければ、王都を歩く機会なんてないかもしれない。期待を込めてエルヴァを見つめると、彼が答えるより先にウィルが口をはさんだ。
「ひとりで? 王都ははじめてなのに、ナツキをひとりにするわけには……」
「ストップ。ウィルは過保護すぎるってば。私だって馬鹿じゃないもの、大きい通りを選ぶしフードも外さないようにするよ」
彼のこういうところには慣れつつあるが、いい加減子ども扱いは勘弁してほしい。夏妃もふざけて子どもっぽい態度をとることはあるが、こういうことは別だ。これでは心配性な母親と変わらない。
それでも渋る気配の彼に、エルヴァが口を添えてくれた。
「王都は治安もいいし、王都の主要な通りには
「……わかりました」
「絶対、日が暮れる前には帰るから。危ないことはしない。約束する」
悄然とするウィルに申し訳なくなり、慌てて言い添えた。そういえば彼は、シルエラの制裁宣言を受けていたのだった。
「信用してるよ」
ウィルが苦笑を返し、エルヴァが話を戻した。
「とにかくそれも、話が済んでからだ。君たちに謁見までの流れを説明しよう」
重要な話が始まる気配に、背筋を正す。
エルヴァは両手の指を組んで膝に置き、夏妃を見つめて話し出した。
「さっきも言ったとおり、城に入るのは明日。私はその後煩雑な手続きに時間を取られるが、君たちは会議が始まるまで待機となるだろう。定例会については話したね?」
「はい。龍の王様に会って、いろんな集落の長が半年間の報告をする会議ですよね」
確認すると、彼は頷いて続けた。
「各地にある集落の数は現在二十四。基本的に四種族それぞれに分かれているけれど、すべての種族が混じった集落もある。この王都のようにね」
言われてみれば、通りを歩く者たちの色彩は多様で、目がちかちかするほどだったことを思い出す。
「それなら、王都にも長がいるんですか?」
「王都は王の直轄地だから、王が長ということになるだろうね」
「そっか。じゃあ王都は二十五ヵ所目の集落なんですね」
エルヴァはよくできました、という表情を浮かべて頷いた。
「その通り。そして、その長でありすべての龍族を統べる王がいらっしゃるのが、王城だよ」
王城。この王都に入った当初思い描いていた城らしいものは、どこにも見かけなかった。
「王城ってどこにあるんですか?」
思ったままを訪ねると、エルヴァはからかうような笑みを浮かべた。
「おや。ナツキはもう目にしているはずだよ」
「え?」
まったく覚えがない。王都に着いてからの記憶をひっくり返してみても分からず、眉を寄せていると、ウィルが笑いながら答えをくれた。
「王都に入る前から見えてただろ? あの岩山だよ」
「え……、山?」
山が城? さっぱり意味が分からない。
「あの山の頂上あたりは、岩肌を掘って建物が作られている。岩山そのものが城なんだよ」
エルヴァの説明を聞いても半信半疑だった。確かに、そういう造りの家が遺跡となって残る世界遺産の話を聞いたことがある気がする。しかし、城なんていう規模のものは可能なんだろうか。今考えたところで、わかるものではないけれど。
そしてふと、不穏な単語に気が付いて顔がこわばった。
「……ちょっと待ってください。『山の頂上』?」
恐る恐るエルヴァを見ると、彼はごくあっさりと頷いた。
「そう。城は山の上にある」
「ってことは、そこに行くには」
「山登りだね」
ウィルに嫌な予感を肯定され、とっさに「聞いてない!!」と叫びそうになった。自慢ではないが体力にはまったく自信がない。
テーブルに沈みかけ、はっとして隣りのウィルを仰いだ。
「そうだ、登らなくたって変化すれば飛べるじゃないの」
「行き先は城だよ? そんな不敬な真似をしたら首が飛ぶって」
起死回生の提案だったつもりが、肩をすくめたウィルにあっけなく却下される。
夏妃はまだ納得がいかない。
「不敬って、どうして? お年寄りや小さい子ども相手でもそんなことを言うの? それってすごく不親切だよ」
それこそ不敬極まりないことを言う夏妃にバザルトが目を剥いたが、ウィルとエルヴァは怒るどころか笑い出した。
「はっきり言うねえ」
「だって、権威を示すために相手に不便を強いるなんて、嫌な感じがするじゃない」
面白がる口調のウィルに言い返す。運動嫌いだから八つ当たりも入ったのは認めるが、回りくどい言い方はもともと苦手だ。
「確かに、そういう一面はあるかもしれないな。だが、これは龍の王に対する、私たちの敬意の表し方でもあるんだ。強制されているからそうするのではなく、王に最大の敬意を払いたいからそうしている。わかってもらえるかな」
真摯なエルヴァの表情から、それが彼の心から言葉なのだと感じる。思わず頭を下げていた。
「……ごめんなさい。よく知りもしないのに、失礼なことを言って」
「謝る必要はないさ。龍として暮らしてほしいとは言ったけど、考え方まで押し付けるつもりはない。君が自分の目で見て、思うことを信じなさい」
エルヴァの言葉はいつも公平で優しい。しかし、決して甘やかすこともなく、夏妃にすべての判断を任せようとする。そんな傾向はウィルにもあった。
それは、叱りつけ強制する以上に厳しい態度かもしれなかった。それでも心細くならないのは、彼らの信頼を感じるからだ。
「……はい」
夏妃は、それに応えたい。その思いを声に込めた。
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