3

 眩しい朝日が目に痛い。鬱々とした気分に鞭打つような白い光は、容赦なく朝の訪れを知らせて追い立てる。

 いつまでも昨日のことを引きずっているわけにもいかない。今日は勝負の日なのだ。普段以上に気合を入れていかなければ。

 今回の逗留は大人数なので、一つの部屋に食事を運んでもらうには無理がある。というわけで、宿の一階にある食堂に集まることになっていた。降りていくと、先に部屋を出ていたシルエラとオレアが夏妃を笑顔で迎えた。

「おはよう。今、迎えに行こうかと思っていたところだよ」

「おはようございます。すみません、遅れて」

「いいや、男共の方が遅れてるからね。……おや、来たようだ」

 見れば、エルヴァとバザルトが降りてくるところだった。少し遅れて、目をこすりながらティリオも危なっかしげに階段を一段ずつ降りている。さすがにオーロは留守番だ。

 先に歩み寄ってきたエルヴァが挨拶した。

「おはよう。すまないね、遅れて。寝たりないのか、ティリオがぐずってしまって」

「まあ。ちゃんと起きられるからそちらで寝たいって言ったのは、あの子なのに」

 オレアが呆れた風に言う。階段を降りてきたティリオは母親を見つけると、一目散に走って来て彼女に抱きついた。オレアのお小言は、半分眠ったような彼にはたぶん届いていないだろう。

 その場の六人が席に着き、夏妃はつい、昨日までは埋まっていた七人目の席を見つめてしまう。ほんの少し薄らいでいた胸の痛みがぶり返すようで、また重たい気分になる。

 夏妃の視線を追ったシルエラが、鼻を鳴らした。

「ウィルはもう行ったのかい。最後に朝食くらい、一緒にとったっていいだろうに」

 薄情者と言わんばかりの彼女を宥めるように、バザルトが言う。

「仕方ないだろう。一時的とはいえ、警邏になる以上、規律は厳しい。時間を守れなければ懲罰もある。それに、昨日の夕食の席で事情は聞いたじゃないか」

「そうはいってもね。一言くらい挨拶があってもいいんじゃないかい?」

 シルエラが同情的な視線を夏妃に向けると、全員の目が集まった。夏妃は慌てて顔の前で両手を振る。

「いいんです。昨日ちゃんと話はしたし。お互い祭りまで頑張ろうって決めたので」

 シルエラはまだ心配そうに夏妃を窺っていたけれど、エルヴァが穏やかに「食事にしよう」と告げると皆が姿勢を正した。いただきます、と声が重なって、周囲の客と同じように賑やかに食事が始まる。

 本日の朝食は、根菜のスープにふっくらしたオムレツ、サラダにパン。どれもシンプルだけれど、スープの味付けは塩加減が絶妙だし、パンは焼きたてで香ばしい。ひとつひとつが丁寧に仕上げられていて絶品なのだ。オレアなどは、食べながらぶつぶつと「この焼き加減のコツは何かしら」「野菜の下準備が」と、料理の考察をしている。

 夏妃もこの宿の料理はいつも楽しみにしているのだが、スープに手を付けたきりなかなか食が進まない。美味しいのはわかるのに、口に運ぶ気になれない。こういう時目ざといのはやはりシルエラで、心配そうに顔を覗き込んできた。

「具合でも悪いのかい、ナツキ」

「いえ。たぶん、緊張してるんです。劇の稽古、今日からだし」

 ウィルのことももちろんだけれど、胸の内を占めている間近な問題はそれだ。

 龍族ではないということを公表した以上、今までのように好意的な反応が返ってくるとは限らない。何しろ、夏妃の存在自体がこの世界では異分子だ。今までに接した龍たちを思えば想像もつかないけれど、攻撃の対象になることだってありうるだろう。

 特に、子どもは正直で容赦がない。自分と違う存在を受け入れようとするだろうか。不安はいくらでも湧いてくる。

「気持ちはわかるけどね。食べないと、力も出ないよ」

「そうですよね……」

 木製のスプーンを泳がせていたスープをじっと睨んで、よし、と気合を入れる。緊張と空腹が重なって倒れたなんていう情けない真似だけは、絶対にしたくない。

 それからは黙々と手を動かして、なんとか朝食を平らげた。

 デザートのオレンジに似た果物をティリオに譲って食後のお茶を飲んでいると、ミカがテーブルに近づいてきた。一同に挨拶をし、夏妃を見る。

「おはよ、ナツキちゃん。準備ができたら宿の入り口前でいいかな?」

「はい。よろしくお願いします。支度をしてきますね」

 がんばれ、と席に着いた皆が励ましてくれる。夏妃は出来る限りの力強い声で応えて、席を立った。




 顔合わせの場所は、これから劇の稽古で使うという地区の集会所のような施設であるらしい。

 王都には四つの地区がある。楕円に近い形の街を太い通りで東西南北に分けたもので、そのまま東地区、西地区、南地区、北地区と呼ばれている。前々から思っていたけど、そういうところテキトーなのだろうか、龍族って。

 劇はこの四地区の持ち回り制で、地域内に住む子どもたちの中から公募で選ばれる。今年の担当は西区だ。ここには【銀の杯】も含まれ、以前にはミカ自身も劇に関わったと知らされて驚いた。

「劇に出たんですか?」

「いいえ、私は広報係。みんな地味な仕事より役者の方をやりたがるから、競争率が低くて助かったわー」

 嬉しそうに話しているが、夏妃などはなんてもったいない、と思ってしまう。これほど目を引く美女なのだから、幼い頃だって美少女だったに違いない。舞台に立てばとても映えたと思うのに。

 広報を選ぶというのも彼女らしいとは言えるけれど。

「公募っていうのは表向きで、役を選ぶのはもっぱら地区内での立候補と他薦ね。合う年頃の子どもが少なかったりすると、余りものの役を押し付けられたりするから大変。このところの西区はそんなことないから、穏便に決まったと思うけど。まさか、主役の子が怪我しちゃうとはねえ」

 ため息をつくミカは、迷う様子もなく細い路地を進んでいく。明日からは自分で通うのだからと、彼女が教えてくれる目印を頭に叩き込みながら訊ねた。

「その子、怪我はひどいんですか?」

「ううん。木登りしてて落っこちて足を捻挫、っていうまあ子どもらしいっちゃらしい他愛ないものよ。ただ、しばらくは満足に歩けないし、そのあいだ稽古に出られないわけだしね。代役を立てる以外になくて、地区長さんが泣きついてきたの」

 他の子どもたちの中から選ぶことも考えたが、西区には商売をしている家の子が多い。今は当然、祭りに向けて家の仕事が増える時期なわけで、役目から外れた子どもたちが今から劇を、それも主役を演じることは難しい。

 そういうわけで夏妃に回ってきた役だったのか、と改めて納得する。その横で、何故だかミカがふふふ、と怪しい笑みを浮かべた。

「ちょっと反則だけど、ナツキちゃんが参加してくれる以上、成功は間違いないわ。何しろ名前が売れてるわけだし、外見は黒龍さまそのものだし。広報指導にも熱が入るわね……」

 そんな役目まで引き受けてたんですか、ミカさん。見かけによらず熱い人らしい。

「あの、見た目はともかく私、劇とかほぼ初心者ですからね……? そりゃ、出来る限り頑張りますけど……」

「平気へいき。その方が初々しくていいわ。要は話題性よ。観客の方は劇なんて見飽きるほど見てるんですからね。真新しい要素としてナツキちゃんが混じってくれれば、もう目的は達成したようなものなのよ!」

 それはまた、身も蓋もない。半分呆れつつ、つい笑ってしまう。ミカが顔を覗き込んだ。

「そうそう、その顔。笑顔は立派な武器よ。誰とでも対等になれるし、誰とでも仲良くなるきっかけにできる。焦ることはないから、普段通りにいってらっしゃい」

 その言葉に、ずっとのしかかっていた緊張感が和らぐ気がした。そうだ、自分を繕っても意味がない。これから会うのはひと月の間、共に一つの劇を作り上げていく仲間なのだから。

「ありがとうございます」

 やっと、目の前の靄が晴れて自分の行く先を見たような気がした。

 ミカが足を止め、少し遅れて夏妃も彼女の横に立つ。二人の前には、大きめのログハウスのような四角い建物がある。公民館のような場所だと聞いていたが、想像よりもずいぶんと大きい。その前は広場のようになっていて、所狭しと白いテントが張ってあった。舞台の道具に使うものなのか、大小さまざまな木材や箱が積まれていたり、どこからかはしゃいだような子どもの声が聞こえたりする。学芸会や文化祭の前の空気によく似ていた。

 やがて、テントの間から布を抱えて飛び出してきた少女が二人、門前の夏妃たちに気づいて足を止めた。

 年の頃は夏妃より一つか二つ年下くらいに見えるけれど、龍族なので本当のところはわからない。その顔は瓜二つで全く見分けがつかず、肩口で揃えられた橙色の髪もそっくりで、違うのはワンピースの色だけだ。仲がよさそうに顔を見合わせる様子は、村のパン屋の双子を思い起こさせた。

 彼女たちはたたっと駆け寄ってくると、二人の顔を見て言った。

「ここは我ら、西都の城なり!」

「敵を退け、守るが務め。我らに属す者ならば、隠されし言の葉を述べよ!」

 開口一番、古めかしい言い回しで元気いっぱいに言われて困惑する。まごつく夏妃の横で、ミカが少女たちと同じくらい楽しそうに答えた。

「ならば、証たてまつらん。し夜、明けて西の空。月の櫛げて、呼ばわるは九子くし

 呪文のような言葉を聞いて、少女たちは満面の笑みで声を合わせる。

「「せいかーい!」」

 きゃっきゃとはしゃぐ彼女たちをぽかんと見つめる夏妃に、ミカが教えてくれた。

「今のは、西区だけに伝わる合言葉。他の地区の諜報を防ぐため、なんていうけど、ただの言葉遊びよ。子どもだけで集まるわけだから、こういう遊びも根付きやすいのよね。ふふ、懐かしいなー」

 嬉しそうに頬を緩めるミカの言うことはよくわかった。確かに、こういった雰囲気は非日常的でわくわくするものだ。

「あなたも顔合わせの参加者?」

「私たちもそうだよ。ね、一緒に行こう?」

 双子が空いた手を伸ばし、夏妃の両手を取る。思わぬフレンドリーな空気に戸惑う夏妃の背中を押すように、ミカが笑う。

「私はここまでね。行ってらっしゃい、ナツキちゃん」

「い、行ってきます!」

 かろうじて答えたところで、すごい勢いで手を引っ張る二人に連れられ、新たな世界への入場を果たしたのだった。




 建物の中は想像よりも広く、入り口を入ってすぐはホールのようになっていた。どっちを見てもいるのは子ども、子ども、子ども。本当に大人の姿はひとりとしてなかった。

 双子は夏妃の手を引いて、向かって左側の壁にくっつくようにして備え付けられた階段を上る。そうしながら、自己紹介してくれた。

 右手を引く空色のワンピースの子がシスル、左手を引く山吹色のワンピースの子がエリスというらしい。夏妃も名乗り、よろしくと言い合った。

「私たちは衣装係なの。ナツキは劇に出るの?」

 シスルの問いにまあ、と曖昧に頷くと、エリスが誇らしげに胸を張った。

「なら、衣装は任せて! 私たちの家は仕立て屋なの。こーんな小さいころから仕込まれてるから、腕はかなりのものよ!」

 自信満々なのが微笑ましく、同時にそら恐ろしくもなる。プロの職人の子どもたちまで劇に関わるとなると、やはり聞いていた話の通り、学芸会なんて比較にならないレベルの催しなのだろう。そんなところに右も左もわからず飛び込んで、大丈夫なのだろうか。今更ながら、深く考えていなかった自分の甘さを痛感する。

 いや、怖じ気ている場合ではない。もっとしゃんとしないと。

 双子が夏妃を連れて行ったのは、二階の奥にある一室だった。学校の教室よりも一回り小さいくらいの部屋の中には、すでにたくさんの子どもたちがいた。そこには木の床に敷かれた絨毯しかなく、彼らはてんでに腰を下ろしている。

 好き勝手に喋る声はかしましく、また懐かしい気持ちにもなる。こうして同年代の少年少女たちと集まる機会なんて、こちらに来てからは一度もなかったから。

 双子と共に窓際の空いていた一画に座り、いろいろと話を聞く。劇全体では百人近い子どもたちが関わっていること。年齢は五十歳から七十五歳(人間年齢に直すと十歳から十五歳。これが就学年齢らしい。十六歳以上は過去に役目を経験済みの者が指導役に回るんだとか)の者が大半だということ。この部屋に集められているのは役者、演出係、衣装係、広報係といった比較的中心的な役割の者が集まっているということ。

 やがて、部屋の前方の一段高い場所にひとりの少年が立った。彼が良く通る声で「静かに」と一言発すると、徐々に話し声が収まる。ここに集められた子どもたちの中では年長に位置するだろう彼は、不思議な貫禄のある少年だった。

「今日は、この場に集まってくれてありがとう。これからシロガネ祭に向けて、本格的に準備が始まる。他の部屋に集まっている者たちも含めて、全員が一つの目標に向かう仲間だ。特に、この場にいる皆が中心的なメンバーになる。意見を出し合い、協力して劇を成功させよう」

 堂々とした話しぶりに、自然と拍手が起こる。彼がリーダーを務めるんだろうか。何とも頼もしそうな子だ。

 少年はぐるりと室内を見渡し、では、と続けた。

「まずは自己紹介から行こうか。役者から順に呼ぶから、前に出てきて」

 言って、上着のポケットから紙を取り出し、読み上げた。

「“龍の王”役。これは僕、ロードデンドロームが演じます。どうぞよろしく。ローと呼んで」

 小さく微笑んで一礼した彼に再び拍手が送られる。

 次いで、ローが呼び出すごとに一人ずつ壇に立ち、挨拶した。

 主要な役として、“王妃”、“龍騎士の長”、“九頭龍”、“長老”と続く。そして“魔族の王”役の子が挨拶し頭を下げた瞬間、大きな音を立てて部屋のドアが開いた。

「ごめんなさい! 遅れました!」

 響いた声の主は肩で息をして、鳥の巣みたいな風情に乱れた紫紺色の髪の奥で、目を潤ませていた。気づいた双子が声を上げる。

「あ、シュカだ」

「もう、また遅刻? ほんと、のんびりしてるんだから」

 どうやら顔見知りらしい。司会進行していたローが、じっとシュカなる人物を見つめ、苦言を呈した。

「今日はまあ、顔合わせだけだし大目に見るけど。稽古が始まってからの遅刻は困るよ。全員に迷惑がかかるし、その遅れが響いて本番に間に合わないなんて事態は、絶対に避けなければならない。そこのところを肝に銘じて」

「はっ、はい。ごめんなさい……」

 しょんぼりと肩を落としたシュカのことは置いて、ローは次の役を読み上げる。

「次、“魔族の王の従者”役」

「あ、はいっ! 私です!」

 よろよろと双子の横に座ろうとしたシュカが飛び上がる。再び場の注目を浴びた彼女は、壇に上ると懸命に鳥の巣頭を整えて、意外と真っ直ぐな視線で挨拶をした。

「シュカです。えっと、今日はごめんなさい。これからは絶対遅刻しないように気を付けます。えーと、よ、よろしくお願いします」

 最後はちょっと頬を赤くして、頭を下げる。もみくちゃの髪の毛を整えて背筋を伸ばしたシュカは、少しぼんやりとしたところはあっても普通の可愛らしい少女だった。笑い声交じりの拍手の中、双子や夏妃の近くに戻ってきて腰を下ろし、ほっとしたように息を吐く。

 彼女の様子を伺っていた夏妃は、響いたローの声に心臓を跳ねさせた。

「次は、“黒龍”役」

 はい、と硬い声で返事をする。立ち上がり、壇に近づく途中、フードを被ったままの夏妃の様子を怪訝そうに話す声が耳に届く。緊張で心臓が破れそうだ。双子やシュカの驚く声もそれに混じって聞こえた。

 これが、自分の新しい一歩。覚悟を決めて壇に上がり、ローと並んだ。彼は紙をめくり、軽く首を傾げる。

「君は、役が決まっていた子の代理なんだね?」

「はい。代理を探していた人の紹介で、ここに来ました」

 答えて、深呼吸する。

 大丈夫。言い聞かせて、フードを取った。

 一瞬広がったざわめきと、次いで訪れた息を潜めるような静寂の中で、夏妃は精一杯微笑んで、ゆっくりと告げた。

「はじめまして、椎名夏妃です。私はこの西区の出身ではないですが、引き受けた以上は精一杯やります。祭りに参加するのも初めてなので、迷惑をかけることもあると思うけど。どうか、よろしくお願いします」

 深々と頭を下げ、続く沈黙に耐える。すべてを受け入れる覚悟で、顔を上げた。

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