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 “黒色の救い姫”?

 その囁きは部屋中に広がり、大きな波となって全体を包む。今や騒然となった皆を制そうとローが声を張るが、彼の顔にも動揺が見えた。

 ざわめきは耳を弄するほどで、ばくばくと鳴る心臓は締め付けられたみたいに痛む。この場から逃げ出してしまいたいような不安を押し込めて、深く息を吸った。

「あの! 聞いてください!」

 出来る限りの声を張り上げて訴えると、波が引くように声が鎮まっていく。そこここで囁き合う声は止まないが、それでもいい。

「驚かせてしまって、ごめんなさい。噂で知っているひともいるかもしれないけど、“黒色の救い姫”って呼ばれているのは、確かに私のことです。全然、その名前に見合うようなことはしていないけど。でも、ご覧の通りの色だから、信じてもらえると思う」

 集中する視線の前で、肩の髪をつまみ上げてぎこちなく笑って見せる。本物?と隣の子同士、囁き合う声が広がる。少し落ち着くのを待って、続けた。

「噂の内容はわからないから、これだけは伝えておきたいと思います」

極度の緊張で、胃のあたりが気持ち悪い。それでも、絶対に言っておくべきことがある。

「――私は、龍族じゃありません。人間という、この世界には他にいない種族なの。変化もできないし龍の常識も知らない。もちろん、皆の知ってる黒龍様とも何の関係もない」

 それが本当の私だ。

 子どもたちはぽかんとした表情でこっちを見ている。それはそうだろうな、と思う。私だって突然クラスにやってきた転校生が「実は私は地球外生命体です」なんて言い出したら、こいつおかしいんじゃないだろうかと思うだろうし。実際、そのレベルのことを言っているのだから理解してもらえるとも思っていない。

 それでも、これだけは伝えなければならないと思っていた。彼らを混乱させ、場をかき乱すことだとわかってはいたけれど。でも、隠したままでいたら本当の意味で彼らの仲間にはなれない。それは彼らを裏切ることのような気がした。

 子ども劇とはいえ伝統行事で祭典でも大きな注目を集めるイベント。それを全員で力を合わせ、本気で作り上げていくのだ。その中に夏妃という異分子が混じることで、全てを台無しにするようなことはあってはならない。それならば、最初からいないほうがマシだ。だから顔合わせで素性をすべて明かすことは、誰にも相談しないままに決めていた。

「こんな私が加わることで迷惑になるというなら、もちろん役を降ります。劇の成功を願ってるし、皆の邪魔をしたいわけではないから。でも、もし許してもらえるのなら。精一杯役を演じたいし、背中を押してくれた人たちに報いる働きをしたいと思っています」

 ここまで言い切って、震える息を吐く。あとは、託すしかなかった。

「だから、お願いします。私も劇に参加させてください!」

 深く頭を下げて、ぎゅっと目を瞑る。大きくなるざわめきから、子どもたちの戸惑いが伝わってくる。

「ニンゲンってなに?」

「“救い姫”って龍じゃないの? どういうこと?」

交わされる声に心臓がうるさく鳴る。膝に当てた両手が震えていた。これで受け入れられなかったら、と思うと怖い。

「龍でもなくて、この世界に他にいないって。そんなの気味が悪くない?」

 潜めきれずに届いた声。その内容に、身体が凍りつくような心地になる。

 わかっていたはずだ。簡単に受け入れてもらえるなんて思っていなかった。むしろ、それが当たり前の反応だろう。今までも出会うひとたちがあっさりと夏妃を受け入れてくれるたび、違和感に戸惑っていたのだから。

 でも、だから気づかなかった。本当に、今まで奇跡的と言っていいほどに出会いに恵まれていたことに。優しさに慣れて、甘えていた。

 どうしよう。拒否されたら、ミカさんになんて言えばいい? ウィルとも約束したのに。再会するまでに精一杯できることをやって、胸を張って彼の前に立ちたかったのに。

 泣き出す寸前の時のように喉の奥が痛む。だめだ、泣いたら諦めたのと同じこと。諦めるのは、出来ることを全部やった後でいい。

 もう一度お願いしようと、頭を上げた時。綺麗に揃った少女の声が響いた。

「やろうよ。ナツキと一緒に劇、やりたい!」

 シスルとエリスが立ち上がり、きらきらした目でナツキを見ていた。一瞬静まり返った部屋の中に、少しずつ意見する声が上がる。

「いいんじゃない? 何者でも、“救い姫”なのは本当なんでしょう?」

「龍の味方ってことだよね」

「見た目は黒龍様にぴったりだし」

「嘘ついてるようには見えないもんなあ」

 少し信じられない思いで、頭の中が真っ白になった。徐々に、子どもたちの表情が柔らかくなる。

「なあ、おれたちツイてるかもよ。“救い姫”がいるんだぜ? 今までで一番盛り上がる劇になるって!」

 快活そうな少年がひときわ大きな声で言って立ち上がると、「おお~」と嬉しそうな声が上がる。あまり過剰な期待をされても困るけど……と嬉しいながらも戸惑ってしまう。このあたりもミカの思惑通り、ってことだろうか。

「い、いいの……?」

 思わず呟くと、隣でローが応えた。

「見た通り、これが皆の総意なんじゃないかな? 正直、僕も半信半疑だけど。君にやる気があるっていうなら歓迎するよ。また選び直すには、時間もないことだしね」

 苦笑気味にだが、しっかりと視線を合わせてそう言ってくれるローの手を思わず握った。

「ありがとう!」

 驚いた顔の彼の手を離すと、皆に向かってもう一度深く頭を下げる。

「私、精一杯頑張るから。よろしくお願いします!」

 ばらばらにではあるけれど、「よろしく」という声が返ってくる。それだけで、へたり込みそうなほどに安堵した。




 挨拶が一通り終わって、休憩時間。夏妃は興味津々の子どもたちに囲まれそうになるのをすんでのところでかわして、建物の裏口横に座り込んでいた。廊下の窓の下で死角になっているうえ、ちょうど壁がくぼんでいるので誰かが来ても見つかりづらい。元気な喧騒を遠くに聞きながら、自分の手のひらを見下ろす。

 未だに目に見えて震えているそれを、ぎゅっと握りしめる。安堵のあまり滲んだ涙を拭って、膝を抱えて顔を伏せた。

「怖かったぁ……」

 声までみっともなく震えていた。本当はまだ怖い。「気味が悪い」と言った声を思い出すと、全身が冷たくなるような不安がある。でもそれも含めて、これで良かったんだ、と思えた。

 何も言わず、“黒色の救い姫”なんていう美称に甘えて受け入れられていたら、絶対に後悔した。自分の弱さはよく知っている。何か上手くいかなかったとき、きっとその名前をくれた人たちのせいにしてしまうだろう。自分が望んだことではないのだと。それだけは嫌だった。

 自分で踏み出した第一歩。それが上手くいくかはわからないけれど、決めたことをやり遂げた、という達成感はある。逃げなくてよかった。震える手で膝を強く抱いて、心の底から呟く。

 壇上で大勢の視線にさらされている間中、ずっと怖かった。ただ一生懸命に話すことが、こんなに怖いことだなんて知らなかった。

 話した内容にひとつだって嘘はない。嘘偽りなく本当の自分をさらけ出して話した分だけ、否定されたらと思うと視界が真っ暗になるような心地だった。それは、自分のすべてを否定されるのと同じようなものだ。だから、僅かでも受け入れてもらえた今、本当に良かったと思える。

 でも、これで終わりじゃない。これから夏妃に向けられる評価は、自分で得るものだ。良いも悪いも、自分次第。それを求めたのは夏妃自身なのだから。

「よしっ……、う、ひゃあっ!?」

 気合を入れて顔を上げたところで、目の前にあった少女の顔にのけぞる。いつの間に。まったく気配に気づかなかった。

「え、ええと。シュカちゃん、だっけ?」

 ぼさぼさ気味の髪からのぞく桜桃色の瞳を瞬かせて、膝に手を当てしゃがみ込んだ彼女が頷く。

「うん。シュカベンティスカメルトゥーリオ。でも、シュカでいいよ」

「あ、ありがとう」

 相変わらず、龍の名前の響きは耳慣れない。またばくばくと鳴る心臓の上に手をおいて、深呼吸を繰り返した。

「あのね、いきなり近くにいるとびっくりするから。声を掛けるとか」

「ねえ、あなたが“救い姫”って本当?」

 途中で遮られ、少し戸惑う。真剣そのものの眼を見ると怒る気にもなれず、頷いた。

「そうだよ。……やっぱり、怪しいかな」

 呟くと、シュカはぶんぶんと頭を横に振った。

「ううん。疑っているんじゃないの。ただ、想像していたのとは違ったから、驚いただけ」

 そりゃあ、きらきらしい美称からすれば、ごく平凡な見た目の夏妃じゃ納得いかないかもしれないけど。……やばい、思ってたよりへこむ。少しでも名前に見合うようにこれから頑張るところなんだけど。でも、だけど。

 ついうじうじと俯きそうになった夏妃の両頬に、シュカの手が触れた。それも、がっと勢いよく。おかげで落ち込んだ気分が吹っ飛び、間近な桜桃色の瞳にたじろいだ。

「な、なにっ?」

「あなたの目って、本当に黒色なんだねえ」

 なんなんだろう、この子。遠慮がないというか、間合いが掴めないというか。最初のどこかぼんやりとしたドジっ子属性的イメージからは程遠い気がする。

「……シュカちゃんも随分、最初の印象とは違う感じがするけど」

「そうかな」

 首を傾げる彼女の手を頬から外させて、息を吐く。シュカは膝の上に手を戻して、ぽつりと言った。

「泣いてるのかと思った」

 もしかして、蹲っているのを見つけて、心配して様子を伺っていたんだろうか。

「あはは。泣かないよ」

 立ち上がり、服を払う。

「頑張るための力は、今までたくさんもらったから。これからはその恩を返さないと。だから、めそめそしてはいられないのです」

 わざとおどけた口調で言って、笑顔を向ける。シュカはこてんと首を傾げて、そんな夏妃を見上げた。

「やっぱり、あなたはなんだか不思議」

 彼女も立ち上がり、でも、と続ける。

「その空気は悪くないな。仲良くしてくれる? ナツキ」

 手を差し出して、笑う。初めて見たその笑顔は意外なほど華やかだった。よれよれの髪や衣装を整えたら、すごい美少女なんじゃないだろうか。白い手のひらを見つめて、うん、と頷く。

「よろしくね、シュカ」

 少女らしい華奢な手を握る。その体温が嬉しくて、頬が緩んだ。

 こうやって、ひとりずつでいい。味方を増やしていけたらいいな。

「あ、いた! ナツキとシュカ!」

「稽古始まるって! 早く早く!」

 二人を見つけたシスルとエリスが窓に駆け寄ってきて、忙しく急かす。夏妃はわたわたと裏口に回り、シュカと一緒に駆け出した。

 緊張もあるけれど、心は不思議と浮き立った。大丈夫。ひとりじゃないなら、ここからちゃんと、始めていける。

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