第4話 世界五分前仮説
第4話 世界五分前仮説(1/3)
大野の後を追うと、部室棟の外にある喫煙所に着いた。
夕暮れ時の喫煙所は、辺りが橙色に染まっている。
ここには大野と俺以外誰も居ない。
大野は適当な灰柄入れの前に立ち、ポケットから煙草の箱を取り出す。
「……君も吸う?」
大野は箱から煙草を一本取り出し、俺に差し向ける。俺が首を横に振ると、無言で差し向けた煙草を自分の口にくわえ、取り出したライターで火を付ける。
しばらく男二人で無言の一時を過ごし、一息ついた所で大野から話し始めた。
「君は……世界が終わる所を見たんだね?」
世界が終わる。
心構えはしていたが、いざこんなことを聞かれると、少し戸惑ってしまう。
「あ、ああ……空が赤くなって、周りの人達が死んだり、殺し合ったりするアレだろ?」
俺は思い出したくもない記憶を探りながら答える。その言葉に彼は頷いた。
「そう……あの現象に関しての名称がないから、これからは単純に世界の終わりって呼ぶことにしようか」
そう言いつつ彼はまた一呼吸置く。
「今までの反応から察すると、君は今日から、世界の終わりを自覚したんだね?」
俺は大野の様子を伺い、彼が言っている言葉の意味をゆっくり理解しながら黙って頷く。それに対して彼は表情を変えずに納得した素振りを見せる。
「そうか……それじゃあ、昼前に僕と会った記憶があるのか」
「ああ、そうだ。今日アンタと会うのはこれで三回目だ」
「なるほど……」
大野は目線を俺から逸らしながら、口に含んだ煙草の煙を噴き出す。
やはり大野と俺は、今同じ状況に陥っている。俺達は、世界が終わる瞬間の記憶を持っているが、周りの皆は誰もその記憶を持っていない。周りの奴等は、世界の終わりなんて来ていないかのように、何事もなく日常を過ごし、死んだ奴等も生き返る始末だ。
彼の話を聞き、やはり俺が見てきた現象の数々は全て現実なんだと、改めて認識した。
「じゃあ、話は早いよ……」
大野は、白い煙を吹きながら呟く。
「……早く忘れた方が良いよ。こんなこと」
「……はぁ?」
何を言っているのか理解が出来なかった。
「どういう意味だ?」
彼は表情一つ変えずに煙草を吸い終え、こちらに顔を向ける。
「全部気のせいだったってことにした方が、今後楽だよってこと」
「だから! どういう意味なんだよ! 今までの出来事を、気のせいなんかに出来る訳ねえだろうが!」
「僕達が直面している問題は、僕達がどうこうした所で……どうすることも出来ない程、大きな事態なんだよ」
大野は眠そうな顔付きでこちらを見つめ、語り出す。
「この現象が起こり始めたのは、一年前からなんだ……もしかしたら、僕が認識し始めたのが一年前ってだけで、その前から起きていたものかもしれないけどね」
「一年も前から……」
「僕が二学年の時かな、急に空が赤くなって多くの人達が死んだ。気づいた時には皆生き返り、何事もなかったようにいつもと変わらない日常が続いていた。……君も今日、体感しただろ?」
大野の言う通り、俺が体感した現象とまったく同じだ。
「……最初は僕も動揺したよ。自分は幻覚を見る程、頭がおかしくなったんじゃないかって……でも、何度も世界の終わり見てきて、これは現実だって自覚出来たんだ」
「アンタ……一年前からこんなことを?」
「お陰様で馴れたよ。グロ耐性が高まったのかな」
大野は溜息混じりに呟く。そして、彼は気怠げに笑みを浮かべる。
「まあ、一年も同じことを繰り返していくと、だんだん分かってきたんだ。なんと言うか……結論って言うのかな」
「結論?」
結論っていうのは、この謎の現象の答えってことか?
大野は、少し間を置いてから、まっすぐ俺を見つめる。
「世界五分前仮説って、知ってるかな?」
何処かで聞いたことがある言葉に、俺は考える素振りを見せる。
「分からないなら後で詳しく説明するよ……僕の言いたいことは、ここが五分前世界仮説の世界なんだ」
「……は?」
あまりにも奇想天外な答えに、俺は唖然とする。しばらくの沈黙後、大野は少し姿勢を楽にする。
「……それじゃあ、まず世界五分前仮説から話そうか?」
頷いた俺を見て、彼は話し始めた。
「世界五分前仮説っていう有名な思考実験があるんだ……世界五分前仮説は、この世界の住民達が、ありもしない過去を覚えている状態で突然現れたのではないかという考えだ……君も少しはこんなことを考えたりしなかったかい?」
大野が言いたいことはなんとなく分かる。
俺も中学生の頃に、考えたことのある題材だ。
世界が本当は五分前に作られたのだと言われた時、否定出来ないことが面白い話だったはず。カオルと少しだけ話し合ったことがある。
「それで、その五分前仮説と今の状況がどう関係するんだ?」
「……世界五分前仮説は仮説ではないのかもしれない。実際に僕達も認識出来ているだろ?この世界の時間の流れは断続的で、終わりが来ては、また再形成されるのがこの世界の理なんだよ」
段々、大野の正気を疑いたくなってくる。
「僕と君は、新しい世界が作られたのだと自覚出来る特別な人間なんだ。……いや、もしかしたら、僕達は寧ろ普通の人間で、周りの人々が狂っているのかもしれないけど……」
彼は無表情でそんなことを言い切り、さらに話しを続ける。
「僕達は周りの人達とは違い、世界の終わりと、その後の境目を見ることが出来る。この世界が五分前に作られたことを……いや、もっと早く五秒前には作られたことを自覚出来るんだ」
「……待ってくれ」
俺は混乱する頭を押さえ、止まって欲しいと手を前に出す。大野も俺の様子を見て止まってくれた。
しばらく、硬直が続いた後に、大野から尋ねてくる。
「分かって……もらえたかい?」
俺は頭を押さえながら、
「……と、とりあえず、納得は行かないが、なんとなく言いたいことだけは、分かったよ」
と、頭の中を整理しながら頷く。
俺は、いくつか浮かんだ疑問を投げかけることにした。
「今の話で分からないところは、どうしてこの世界がこんなことになっているのか? どうして俺達だけ世界が終わったことを覚えているのか? この……の二つだ」
そう言うと大野は、
「正直その二つの問いに対して、本当の理由は分からない、としか答えられない……」
すぐさまガッカリな返答を返してくる。
「……ただ、予想はある程度している。どうしてこんな世界になったのか、誰がやっているのか」
大野は自分の眼鏡のズレを直す仕草を見せ、そんなことを伝えてくる。
「……こんなことを、誰かがやっているって言うのかよ?そいつの正体は? 目的は? 解決法は?」
そう聞くと彼は肩を竦め、首を横に振り、
「……正確には分からないけど、予想しているんだ」
と、答えた。
俺の予想では、昼前の講義の中で急に立ち上がった、あのポニーテールの子がこの世界を狂わせる有力候補なのだが……
少し間を置いて、大野は真上を指さす。
「この現象を引き起こしている犯人だけど、神、もしくは宇宙外生命体の仕業だと思う。一番可能性があるのは未来人だけど……」
真顔でそんなことを言われ、さらに俺の頭は痛くなる。この痛みを言葉で表現するなら頭痛が痛いって奴になるのであろうか。
「もっと簡単に例えるなら、この世界の創造主さ」
「……誰なんだよ、そいつは」
やけくそ気味に聞くと、彼は態度を変えずに答える。
「世界の終わりの時に出てくる、あの大きな手の主だと思う」
大きな手って……空から降りてきた大きな手のことか?
「何でアレが創造主の手だって分かるんだ?」
「……僕なりに調べた結果から考察したんだ」
今までの話の中で、どう繋がって神や宇宙人やらで、あの大きな手が創造主であるという結論に行き着いたのだろうか。
「……それで、その神様はいったい何が目的で、こんなことをやっているんだよ?」
「これは僕の勝手な先入観と妄想が含まれているけど、たぶん実験をしているのではないかと考えている」
「実験?」
「ああ……僕達をこの世界に閉じ込め、何度も僕達を殺しては、新しい記憶を植え付け蘇生させているんだと思う。言わば実験台のモルモットと同じだよ」
記憶を植え付ける?
「記憶を植え付けるなんていったいどうやって?」
尋ねてみると、大野は少し姿勢を正して話し始める。
「……脳に一定の電流を与えることで五感に影響を与えるらしい。人間の記憶も同様に電気信号で情報伝達を行っているという話を聞いたことがある。さらに今では、光によっての暗示なんかでも、記憶の書き換えに成功しているみたいだ。今後医学や電子工学、科学の発展が進むのなら、人間の記憶を偽装することも可能かもしれないよ」
俺の開いた口は塞がらない。
大野は俺の反応を見ず、さらに続ける。
「つまりこういうことなんだ……記憶の書き換えは僕等より高度な技術を持った者達であれば、可能かもしれないってことになる。記憶を書き換えられる技術を持っている者達が居るとするならば、この世界に起こる現象を意図的に生み出せるかもしれない。その正体は宇宙人かもしれないし、未来人かもしれない。そいつ等が僕達を使って実験しているんだよ」
もうダメだ。
彼の話に着いて行けず溜め息を漏らしてしまう。
「アンタなあ……そりゃあ、そんなありもしないファンタジーを並べれば、出来ないことなんかねえだろ」
「君の言う通り……僕達の常識ではそんな物存在していない。全部僕の妄言さ……」
彼は空を軽く見上げながら話す。
「だけど、実際に世界が再形成された時、死んだ人々は蘇り、日常の記憶を植え付けられ何もなかったかことにされる……君も見ただろ?」
ああ、見たさ……
確かに、これは異常だ。
大野が言った妄想も、間違いじゃないんじゃないのかと、思うほど狂った状況である。
話を聞いている限り、たぶんコイツ自身も全てを知っている訳ではなく、俺と同じ被害者の立場なんだろうと思う。
コイツが嘘をついていなければだけど……
「とりあえず、これが僕の予想だ。そして分かったことは、僕等が直面しているこの現象は世界規模の大きさで、人為的なものによって行われているんだと考えている」
俺は頭を抱えた。答えは分かり切っているが最後に聞いてみる。
「で……この現象の解決方法はないのか?」
「ない」
気持ち良い位の即答。
最後に俺は、大きく溜息を吐いた。
「……分かったよ。要はアンタも俺と同じく、ほとんどこの状況のことは分かってないんだろ?」
「……原因とか根本的な部分はね。この現象に関して僕も被害者の立場だから」
しれっと、そんなことを言ってくる大野に、少し腹が立つ。
一つ深呼吸を置いて、もう一つの疑問も投げかけてみる。
「何で、俺達だけ記憶を継続させているんだ?」
それを聞くと、大野は心当たりがないようで首を横に振る。
やっぱりそうか……
彼も俺と同じく、何故か記憶を継続させられるようになった被害者で、本当に間違いはないのかもしれない。
「記憶の継続に関しては……もしかしたら彼女に聞いた方が良いのかもしれない……」
大野は、独り言のようにボソッと呟く。
「彼女?」
「ほら、世界の終わりの時に屋上に立っているポニーテールの……」
「……ああ」
そう言えば、あの子の存在も気になる点だ。
何か知っている素振りに見えたしな。
「あの子は何者なんだ?」
「……名前は
梅沢ユキ。
ユキ?
何だろう?
何処かで聞き覚えがある……
「ただ……彼女は何も教えてくれないと思うよ」
「話したことがあるのか?」
「僕が気づいた頃には、毎回校舎の屋上に居るからね。気になって何回か話し掛けたことがある」
大野も、やはりこの現状を解決したかったのだろう。さすがに気になったことに対して、行動はしていたみたいだ。
「それで……どうだった?」
「さっきも言った通り、彼女は何も話してくれない。何か知っている素振りはあるけど、はぐらかしてくるよ」
「はぐらかす?」
「……アナタは、悪い夢を見たんですって」
ああ……完全に何か知ってるな、その対応は……
大方話は聞いた。
大野は、とりあえず俺と同じで世界の異変に気づいてしまった立ち位置の人間だ。解決しようとはしていたが、いろいろ調べた結果、諦めたって所だろう。
今のまとめを踏まえ、俺個人として聞くべきことを聞くことにする。全身が強ばり、握り拳を作る。
「この現象の根本が分かっていないってことは分かった。だったら最後に一つ聞く。どうしてあの時、カオルを刺した」
「……」
今まで即答していた大野は急に黙り込む。俺も彼が何か言うまで黙るつもりだ。
しばらく無言が続いた後に、大野は話し始めた。
「カオルちゃんの為に刺した」
「……どういう意味だ?」
「苦しませずに殺す為だよ。世界の終わりを迎えると、皆苦しい思いをするからね。救済みたいなものさ」
彼は無表情にそう伝えてきた。
まるで、カオルを殺すことがさも当然のように言い放ったコイツに、何か俺の中にあるヒモのような物が、引き千切れる音がした。
「ふざけんな! 何が救済だ! ただの人殺しじゃねぇか!」
「……どうして?」
何故聞き返してくる……
「どうしてって……お前……」
疑問系で返される理由が分からない。
更に大野は続ける。
「……皆は絶対死に、そして生き返るんだ。それなら、なるだけ苦しい思いをさせたくないって思うだろ?」
「そんな訳ねぇだろ! 絶対死ぬからって、絶対生き返るからって、殺して良い理由なんかにならないだろ!」
大野は感情の読み取れない程の無表情で、俺を見つめる。
「……なら、君は大切な人が惨たらしく死んでほしいと思うのかい? ……例えば、カオルちゃんとか」
「お前……」
これは、挑発しているのだろうか?
俺の中で怒りが沸々と沸いてくる。この怒りは、大野の悪びれた様子のなさに対してでもあるが、彼の考えにほんの少しだけ共感してしまった自分に対してのものでもある。
俺もカオルに対して、あんな死に方はしてほしくないと思った。もし死ぬことが回避不可能だと悟ってしまったら、俺も大野みたいになってしまうのだろうか?
そんな自分の思考を振り払い、俺は大野を睨む。
「もっと……やるべきことがあるだろうが」
「……やるべきこと?」
そう言うと、大野は聞き返す。
「ああそうだ、この現状を変えようとかそんなことは思わなかったのかよ」
「……思ったさ」
彼は表情を崩さない。だが、少しだけ彼が目を細めたのが見えた。しばらく無言で睨み合い、大野が溜め息を吐く。
「……君は、まだ知らないことが多過ぎる。今日始めて気付いたってこともあるだろうから仕方ないとは思うけど」
「妄想を垂れ流しているアンタよりかは、マシだと思うぜ」
俺の言葉を聞いていたのかどうか分からないが、大野は自分のポケットから携帯を取り出す。
「今度の休日、空いているかい?」
「は? なんで?」
「君に見せたい物がある。それを見れば、僕の言っていることも少しは理解出来ると思うよ」
今からそこに向かわないのかと尋ねるが、そこまで急ぐことではないらしく、部員達が心配だからという理由で断られた。
「いったい何を見せたいんだ?」
「境界線さ」
「は?」
「この世界を覆う境界線があるんだ。見に行くかい?」
半信半疑に俺は頷いた。大野とアドレスを交換し、電話番号を乗せたメールを送ってやる。彼は自分の携帯の画面を確認し、ポケットにしまう。
「今話せるのは、これぐらいかな……説明するのはそこまで得意じゃないから、伝えきれなかったかもしれないけど……それじゃあ、また後日」
と言いながら背を向けて部室棟に戻っていく。俺は睨みながら奴の背中を見送った。
ちなみに、部室に置いた俺の鞄は、後でカオルに回収してもらうことにした。
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