第17話 シュレディンガーの猫(4/4)

 大野のブレる言葉に、俺は開いた口がふさがらなかった。

 俺の心境を知ってか知らずか、大野は淡々と話し始める。

「今の反応からすると、君は今世界の終わりの時と同じ状況になった。タイミングが良ければ、他の世界の君と僕の言葉が重なって聞こえたのではないか?」

 ……その通りだ。

 確かに例の如く声が重なった。

 でも……

「な、何で世界の終わりが来てない! いつもこの前兆があったら必ず――」

「その答えは簡単だ。世界の終わりが起きていないからだ。これは僕が世界の終わりの始まりに起こる意識の移動を意図的に起こしたことだからね」

 意識の移動……

 そう言えば、中村が言っていたことを思い出す。

 主人公は世界の終わりを境に意識が移動する。主に世界の終わりを優先して意識が移動するという仮説だ。

 だが、今みたいな例外の場合は何処に移動するんだ?

 俺が考えていると大野が続けた。

「これは君が世界の終わりで探索している最中、物体を傷つけた時の修復度を確認している最中に思いついたんだ」

「修復度?」

「……そう、世界の終わりの状況になった箱は……まあ、だいたい悲惨な状況になる。梅沢さんの話だと、世界の終わり終了後にこの箱の中は、新しい実験設備を整える為清掃されるみたいだ。物質に付いた汚れや傷の修復、空気清浄なんかも機械がやっているみたいなんだ。僕達も全く気付かなかった程の修復能力がある」

 いろいろとユキから聞いていたんだなと感心してしまう。

 大野は続ける。

「だが……物質に付いた傷に関しては、ほんの少しだけ甘いらしい。今みたいにほんの少しの切れ目は見逃されることがあるみたいだ」

「何でそこだけ甘いんだ?」

「さあ……単純にコストの問題じゃないかな。汚れなんかが残って病原があれば、次の実験に支障をきたす。少しの引っ掻き傷でも修復していたら資材の量がかさむからね。元々この実験はコスト削減の為に作られたものらしいし」

 大野は眼鏡の位置を調整して続ける。

「それに、言うほどこの傷の修復判定は甘くはなかった。触れば分かるほどの凹みでない限り残らなかった。建物関係はほぼ総取替えで、小物もほとんど残らない。それにまた同じ箱の世界に戻れるのか分からなかったから確認するのにも時間が掛かったよ」

 地味ながらそんなことを調べていたのか。

 ……いや、こんな短期間で確認に至るまでは厳しいだろうし、もしかしたら以前から調べていたのかもしれない。

 俺は感心しつつ、疑問も浮上してきた。

「なあ……四つの世界に別々の印を付けたのは良いが、結局今はどの世界にいるんだ?」

 そう言うと、大野は待っていたかのように頷いた。

「……僕が声や身振りでそれを教えると、また声がぶれて正確に伝えられない。だから今僕達が何番の世界に居るかは確定していないんだ」

「じゃあ、ダメじゃねえか。こんなこと分かった所で何の意味もない……」

「まあ、そうだね……でも、面白いことが分かる。たぶん、今の状態だと四分の三の確率で僕達は違う世界にいるんだ」

「何言ってるんだ?」

「……逆に問うよ。さっき君は何本の傷を確認したのか?」

 本当は三本の傷を確認している。でも、発声と共に俺の声がブレた。

 大野はまた机を指さす。

「もう一度机の裏を触ってごらん」

 言われるがまま触れてみると――


「……」


 俺は言葉を出すことを忘れてしまった。

 手の感触に、一本の凹みを感じ取ったからだ。

 俺の様子を見た大野は、分かっていたかのように淡々と話す。

「どうだい? 数は変わっていたかい?」

「……あ、ああ」

「まだ何本だったかは言わなくて良いよ。またブレるかもしれない。まず……今直前に触った凹みが、を教えて欲しい」

 大野の質問に俺は首を横に振る。

 最初の一回目は三本だったが、二回目は一本しかなかった。

 直前という事は二回目に触った一本だった時のことを言っているのだろう。

 俺の反応に大野は頷く。

「……分かった。それじゃあカオルちゃん、こっちに来てくれないか」

 唐突にカオルを呼び出した大野。

「ほーい! 大野先輩にカツヤ君、私のことをご指名ですか?」

 カオルは呼ばれたのに気付いてこちらに来た。

「なになに? 何か二人の男子大学生に熱い視線を向けられて、私……体が火照ってきちゃった……この状況、二人の前で服を脱いじゃった方が良い?」

「そんなことよりカオルちゃん、例の件でちょっと協力してほしいんだ……」

 カオルの言葉を遮る大野。

 それに間を置きつつカオルは「あ!」と一つ頷く。

「はいはーい! 例のアレですね! 了解です!」

 元気よくカオルは、分かっている様子で大野の作業机へ向かう。さっきの俺等と同じように机の裏をまさぐり声を上げた。


        1


        2


「えっとね……さぁん 本!」


        4


「……はあ?」

 カオルの声がブレた。だが、先程とは違う。

 妙に上擦った3の掛け声と、カオルの変顔が強調されて映った。そして視界のブレは元に戻り、カオルの変顔で収束していった。



 俺が呆気に取られていると、大野が話し出す。

「どうやら上手くいったみたいだ……カオルちゃんには、昔流行っていた芸人のモノマネをしてもらったんだ」

「三の倍数になったらアホになるやつだよ!」

 こんな所で懐かしいネタを持ち出されても、いったいどんな表情をすれば良いのか分からない。


「ようこそ、3の世界へ」


 大野はまたも机を指さす。

「それじゃあ……もう一度机の裏の傷を確認してほしい」

 またも俺は言われるがまま手を伸ばし、傷の数を数える。

「……3本だ。あれ?」

 俺が咄嗟に傷の数を口にした。だが、おかしなことに気付く。本数を声に出してもブレなかったのだ。

 そう言えば、大野が数字を言った時も……

「これは……いったいどうなってるんだ?」

「……世界の終わりと同じ状況を作ったんだ」

 大野は無感情に淡々と話し始めた。

「……さっきまではのように、同じ環境下にある他の箱の世界にいる僕達が同じ事をしている。それが答えの複数ある状態が同時に起きたとき、視界や言葉がブレるという理屈だ。そこまでは理解していたかな?」

 その質問に俺は頷いた。

 この話は前にユキが言っていた話だ。

「……なら簡単だ。僕は世界の終わりの時にそれぞれ違う箱毎に違う傷を付けることに成功した。そして、その傷を転に箱の中の意識をを手に入れたってことさ」

「箱の中を移動って……それが出来たとして、何の意味があるんだ?」

 確かに凄いことは分かる。

 だが、それが今出来ているとしても実感が全く湧かない。

 それに何処かの箱の中に意識が集中出来たとしても、俺達の動作が一瞬違っただけであってその後は分からない。違った動きをするのか、それとも違う動作をし続けるか……

 そのことを大野に伝えると、一つ頷いた。

「確かにこれだけでは些細な誤差だ。だけど、今回は3の世界にいる僕達が少しだけでも独立した動きが出来たとしたなら……四つの箱それぞれ固有の独立条件を付けられればどうなるか想像できるかい?」

 四つの箱にそれぞれ条件を……もし同時にそんな事が出来たとしたら……

 俺の考えを見越してか大野が続ける。

「そのズレが大きくなる。玉突き的にその波紋は大きく出来るはずだ。それが実現できれば……探索幅は世界の終わりだけでなく、今みたいな状況下でも実験が出来る。無茶も出来るんだ」

「無茶?」

「この日常の中でも死ぬことのリスクが減らせるんだ……世界の終わりの死んでも生き返るという概念有りきで捜索していたけど、今度は時間も縛られることなく、もっと体を張ったことも出来る様になる」

「そうか……死ぬことが出来るかもしれないってことか」

 確かにそれはある。

 いつも不定期にあの現象が起きて、短い間しかいろいろな事象を検証出来なかった。

 それは確かに死ぬことに対するリスクがあったからだ。

 でも、もしそれがなくなるとしたら……

「あ、あのさ……カツヤ君に大野先輩……」

 話し込む俺達の間にカオルが入った。

「ほ、ほら! 話してる内容は分からないけど、もっとその……肩の力を抜こうよ! ね?」

「な、なんだよいきなりお前……肩の力を抜くって……」

「顔が怖かったからさ……二人とも大変なことに巻き込まれてるのは聞いてる。だけど、こういう部活の中ぐらいは、もっとリラックスして良いと思うよ! だからほら、死ぬとか言っちゃダメだよ」

 ……

 そうだな。命を粗末にするものではない。

 俺や大野は死んでも意識の継続をすることが出来るが、カオルや他の人達は出来ない。

 前を同じ事を思ったはずだ。

 だから、コイツらの前で……いや、そもそも命をかける話事態が間違っている。

 同じ事を思ったのか、大野が頷く。

「……カオルちゃんの言う通りだ。何があったとしても死んで良い理由にはならない。まあ、保険が利くようになるぐらいに思ってくれれば良いよ」

 要はそういうことだな。

 コイツの言いたいことは、世界の終わり意外でももっと強気に行動できるということだ。

 俺達だって死にたい訳ではない。

 早くこんなことを終わらせたい。

 切実にそう願っている。


「あの、話し合ってるとこごめんなさい」


 丁度良い頃合いにユキが暗幕から出てきた。

「この箱の世界の設計図を見つけたのですが……」

 何か含んだ物言いをするユキ。

 そんな彼女の反応を見て、俺達は目を見合わせた。

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