第17話 シュレディンガーの猫
第17話 シュレディンガーの猫(1/4)
夕方の部室に俺は居る。
他にもここに、カオル、ユキ、小倉、そして大野の俺含めた五人が揃っていた。
部長の中村は体調不良で休んでおり、今日は平穏な活動になる。と、思っていたのだが、少しゴタゴタしていた。
ユキが部室端の暗幕の中に入り、小倉と共に作業を行っていた。
「小倉さん……すみません、私も久しぶりなので少し時間が掛かってしまいそうです。もう少しこの場所を使うことに……」
「良いっすよ! ゆっくりやってくだしあ!」
「ありがとうございます。すぐ終わらせますからね!」
「いや、終わらせなくて良いっすよ!」
「……え?」
「自分もこの狭い空間に梅ちゃん先輩の香りを籠もらせてほしいっすからね!」
「え……」
「この部室では到底嗅ぐことの出来ない、ちゃんと身だしなみに気を使っているであろう女の子特有のほんのりシャンプーの香りを堪能しながらエロゲーをやる。すーはー……ああ……最高じゃないっすか! フヒヒ!」
「頑張って、早く終わらせますね」
小倉のセクハラを流しているユキ。
その様子を俺とカオル、そして大野が見守っていた。
ユキのやることが気になるが、手伝えることが何も無いのである。
暗幕を覗き込むカオルは、ほーと感心したようで、
「凄いなー、梅ちゃん。ブラインドタッチして何か凄い出来る人みたい……」
と、どうでもいい感想を呟いていた。
「……」
一方の大野は、暗幕を見つめながら手を顎に当て、何か考え込んでいるようだった。
だがしばらくして、大野は俺のことを呼んだ。
「……松本君」
何故か彼に名前を呼ばれることが、若干のむず痒さを感じつつ俺は大野に向き直る。
「さっき、梅沢さんが言っていたことなんだが……彼女も認識していない施設があるって……」
大野は無表情ながらどことなく焦った様に、確認をするように聞いてくる。
そう、大野には俺が神瀬に会うまでの出来事を今さっき話したのだ。
彼と会う機会が中々なく、メールで神瀬と知り合いなのかを訪ねた程度で情報共有が上手くいっていなかった。
大野は大野で、世界の終わりで行った実験研究を考察していた。
どれぐらいの周期で終わりが訪れるかとか、以前の世界の終わりに何処かしらの壁に付けた傷が残っていないかなどを探し、それぞれの箱への移動にどのような法則があるのかを調べていたらしい。成果もあったようだ。
話は戻って、俺は大野の訪ねた内容に答えた。
「ああ、神瀬が以前から発見していた地下の穴を見つけた。その先には何かあるらしい」
「……」
大野は考え込む。
しばらくの沈黙の後に、痺れを切らせた俺から話し始めた。
「アンタは、神瀬に何を話したんだ?」
「……何って?」
「世界の終わりについてとかだ。アンタがアイツに話したんだろ? その時について教えてくれないか」
「……」
俺の質問に大野は口ごもるが、すぐに答えを出してくれた。
「……少し脅されただけだよ。詳しくは話したくないけどね」
脅された。
確かに彼女も無理矢理聞いたと言っていた。いったい何があったのかは聞き出せそうではない。
「……まさか、例のツーショット写真でも撮られたとかじゃないだろうな?」
「ん? ツーショット写真?」
「い、いや、何でも無い」
大野の反応を見て、とりあえずそれはなさそうだと思う。
これをあまり追求すると、俺が墓穴を掘りそうだから止めておく。
大野が続ける。
「でも、彼女になら話しても良いと思ったから話したのはある」
「何でそう思ったんだ? どうでも良い奴だったからか?」
俺の言葉に、大野は薄く笑みを浮かべた。
「接してきた君なら分かるだろう? それとも、君の前でも猫を被っていたかい?」
脅されたとも言っていたし、その口ぶりだとやはり大野は神瀬の本性を知っている。いや、あれが本当に本性であるかは分からないけど……
俺は溜め息交じりに返事をする。
「ああ……神瀬に話した所で、アイツの発言は全部嘘だって周りの奴らが思うからだろ?」
その答えに、大野は間を置いて返す。
「それも間違いではない。僕も話していて分かるが彼女は奇人だ。それとも奇人のふりをしているだけもしれない。だが……彼女を選んだ明確な理由は、洞察力と常軌を逸した執着心を持っているからだ」
「執着心?」
「ああ……真実への執着心だ」
確かに神瀬はそれ一点を見据えているのは分かる。もはや真実の度を超して妄想の域へ突き進んでいるように見える程だ。
宗教の信仰心にも等しく思える。
俺は更に訪ねた。
「じゃあ、何で協力しなかった? いやまあ、俺もアイツと協力したいとは思わないが……」
「ああ……彼女には悪いけど、いろいろと面倒だからね。彼女に関わったら行動を制限されかねない。だから情報だけ教えて泳がせたんだ」
そしたら案の定こんなことになったのか。
大野は俺に尋ねてくる。
「君は見たんだよね? その地下の大きな穴を」
改めてだが俺は頷く。
「ああ、見てきた。この街の下水道でな。素人だが、たぶん人工的に作られた下に続く穴だ」
今のところそれぐらいしか分かっていないが、とりあえず分かる限りを大野に伝えると、彼は改めて考え込む。
「……人工的ということは、意図して作られたということだよね」
「ん? まあ、そういうことなんだろうな。たぶん」
「……」
また深く考え込む大野。彼が何に悩んでいるのか分からないが、しばらくするとその答えを出してくれた。
「……やはり、そのことを梅沢さんが忘れているのはおかしい気がするんだ」
俺はガクリと躓きそうになった。
「そりゃあ、な……ちょっと抜けてるように見えるし、管理人としてどうなんだよと俺も正直思ってたさ……」
「いや……そういう意味じゃなくて……」
俺の抱いていた本音に、大野は首を横に振った。
「僕は梅沢さんが、神瀬の発見した穴を認識出来ないようになっているのではと思ったんだ……」
「お、おいおい……」
ちょっとさすがに、話が飛躍している気がした。世界五分前仮説の話をされた時もそうだが、今回も負けず劣らずだった。
「なんだそれ? まるで催眠術にでもかかってるみたいじゃないか」
「かかっているのさ、そもそもそれで人の行動を操作する機械が、現時点で存在している」
また、ファンタジーの話かよ。
と、溜め息交じりに呟こうとした時だった。
俺は、以前大野と出かけた先のことを思い出した。
そう、確かにあった。
「まさか……世界の壁から人を遠ざける、あの謎の技術か」
「そう、僕達みたいにそれを認識しないと気づくことの出来なかったアレだ」
俺の顔が勝手に強張ったのを感じた。
この世界を覆うあの壁だ。
俺達のように異変に気づいた者でなければ認識出来ない世界の壁。
あの時はコイツの話に流されていたのだが、今改めて思い返してみると、認識操作するという俺達の理解を超えたとんでもない機械があるのだ。
「なあ……そういえば、その機械って結局本当に実在するのかよ?」
「ああ、あるらしい……梅沢さんから聞いたんだ。どうやらこの箱の中の管理システムの一部として存在しているそうだ」
「それって、壁から人を遠ざけるだけの機械じゃないのか? ほら何かあるだろ。モスキート音みたいな奴で蚊を寄せ付けないみたいなそんな類いの……」
何か聞いたことのあるようなうる覚えの知識を出すが、大野は首を横に振った。
「……いや、正真正銘の人を操る機械だ。そのシステムは壁に人を近づけさせないように誘導をし、万が一円滑にこの実験が進められないとシステムが判定した時は、箱の中の人間の意思や言動をコントロールすることが出来るらしい」
マインドコントロールじゃねえか。
どういう仕組みなのか全く理解出来ないが、何故こんなにも発達した世界だったにも関わらず疫病なんかで人類が滅びかけているんだ?
技術の割に脆弱過ぎる。
いや……でも確かにそうかもしれない。
冷静に考えてみたら、何かこう腑に落ちないことが多すぎる。
梅沢がシステム全てを理解しきれていないことも、ただアイツが抜けていたような軽い気持ちで思っていたが、普通に考えてそんな訳はない。
そもそも俺はアイツのことを分かった気ではいたが、そんな訳がないんだ。
俺は大野に尋ねた。
「確かにあの壁のシステムがあるなら可能だと思う。でも、なら何故そんな管理者のユキにも認識を誤認させる作用が働いているんだ? それに俺達みたいな実験に支障を起こす存在の認識を操作しない? 実在するとしても、ただの欠陥品じゃねえか」
「経年劣化によるバグ……というのが有力な要因だと思う。でも、何か都合が良すぎる気もする。何故梅沢さんが例の穴に気が付かなかったのかって疑問がね」
「つまり、アンタは意図的に管理者がマインドコントロールされているって考えているのか?」
眼鏡の位置を直しながら大野は頷いた。陰謀論が渦巻き始めたが、俺の中にもう一つの仮説が立っていた。
「なあ、こうは考えられないか? あの穴は後から作られたんだ」
「後から?」
「ああ、ユキ……まあ、アイツらがこのクローンの実験を始めてからだ。それなら管理者が穴の存在を知らなかったことも納得出来る気がする。マインドコントロールなんてSFを頼らなくてもな」
大野の揚げ足を取ったような言い方になってしまったが、そんな意図は無い。
大野も怒ること無く返答した。
「……確かに設備の改装によって追加されたのかもしれない。でも、それでも一つ大きな疑問が出てくる」
「疑問?」
「マインドコントロールが存在しないと仮定しても、なら改装されたことを梅沢さんが知らないのか……ということさ」
そりゃそうだ。人類滅亡がかかっている以上、勝手に設備に新機能を搭載する訳が無い。 だが、俺は反論した。
「アイツの仕業ってことは考えられないか?」
カオルへと目を向ける。カオルは俺達の視線に気づかず暗幕の中を見守っていた。
視線を大野に戻した俺は、どういうことなのか問うと大野は一つ頷く。
「……外の彼女のことかい?」
俺の意図を察してくれたみたいだった。
「そうだ。アイツがユキにも了承を得ず、勝手に作ったんだ。正常な精神ではなかったのは確かだし、理由は分からないがそれならユキが知らなかったことも筋が通る」
「なるほど確かに筋は通る……でも、それはカオルちゃんの考えからズレる気がするよ」
落ち着いた声音で、大野が否定する。
「確かに彼女は精神的に不安定だったのは僕も知っているが、一応彼女にも理念があった」
「理念っていうと……」
「箱の中のこの世界を本物にすると言っていただろ?」
そういえば言っていた。
俺も人形遊びだと否定したことも忘れない。
大野が続ける。
「理由は簡単だ。彼女が本当にこの世界を本物にしたいなら、あの穴のような綻びを自ら作るとは思えない」
確かにやるなら徹底してバレないように設備を整えるはずだ。
だが、隠すどころか人一人分の大きな穴が下水道の途中の道のりに作られていて、何かに覆われて隠されている訳でも無かった。
しかもイレギュラーであろう俺等ではなく、関係性の乏しいであろう神瀬に見つかる始末。
外のカオルがすでに狂人だったのなら、全て解決しそうな問題だが……
大野は考える素振りを見せて、更に話を続けた。
「でも……こうして話し合って分かったけど、どちらにしろ共通点が見えてきたね」
「共通点ね……」
「……誰かが作為を持ってこの実験に関与しているように思えないかい?」
作為……か……
確かにあの穴が人為的に作られた物であるとは思うし、ユキがそれを知らなかったことはこう思うと不自然だ。
俺や大野の推論には必ず誰かしらの意図が絡んでくることになるのは、彼の確かに言うとおりになる。
俺は大野に聞く。
「その作為を持った奴っていうのは、いったい誰なんだよ? ってことか?」
その問いに大野は頷き、少しの間を置いて答えた。
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