第15話 地底の光(3/5)
俺は、神瀬の言葉で立ち止まった。
世界五分前説……彼女の言葉からそれが出てくるとは思っていなかった。いや、シミュレーション仮説なんてものを投げかけてきたのだから不思議ではないのだが……
彼女が問いかける。
「世界五分前仮説のことは知っているかしら?」
その言葉に俺は「ああ」と頷いた。
俺もその話はある人物に聞かされたからな。
神瀬は立ち止まっている俺に気づき振り返る。持っていた懐中電灯が俺の足下を照らした。
「それなら話が早いわ。松本君は、こんなことを考えたことはないかしら?」
彼女は嬉しそうに話す。
「この世界が五分前に作られたのなら、五分前よりもっと前の世界はどうなっていたのかしら?」
……
そんなことは考えたこともない。
世界五分前仮説の通りに考えるなら、作られる五分前の世界は虚無だ。何もない所から俺達が生まれたという話になる。
それを見透かしたように彼女は話を続けた。
「この世界は世界五分前仮説の世界なのでしょ? それを知る貴方はその前の世界を知っていることになる」
「……何故それをお前は知ってる?」
聞き覚えのある言い方に、質問で返すが彼女は冷静に返してくる。
「先に私の質問から答えてほしいわ。貴方は五分前の世界の境界線を知っている。なら、その前の世界を知っていることになるのではないかしら」
……理屈では知っている。
俺の意識は移動してしまう為、世界の終わりの後の世界は見たことがない。
だが、あの大惨事のその後はこの前の食堂でユキから聞いた話から察するに、清掃でもされて改めてそこに生きていたクローン達を再構成するのだろう。
実際はどうなのか分からないが、たぶんそうだと思う。
「ああ、知ってるさ。それがどうしたんだ?」
俺の答えに彼女は微笑んだ。
「ええ、とても素晴らしいことだわ。やはり貴方は神のみぞ知る領域を知っているのね。私はその目が欲しかったのよ」
「その……目?」
「私達を上から見つめている者達しか知ることの出来ない境界を覗く力。貴方は私よりも高次元に位置している存在なのよ。見ている者達、神と同じ土壌に立てる貴方みたいな存在を私はずっと欲していたの」
神瀬の声色に何が嫌なものを感じた。
何とも言いがたいが、何か感情を押し殺したような人間味のない冷静さを感じとってしまった。
何か、獲物として狙われたような感覚だ。
それでも彼女の微笑みを崩さない。
しかし、あまりに表情の崩さと面持ちの神瀬に、俺は寒気を覚える。
張り付いたあの微笑みの裏にどんな顔してこちらを見ているのかを考えると目眩に似たものを感じた。
一度俺も冷静になって話を戻そう。
そうだ。
そんなことよりも、今の発言の確認をしたい。
「それじゃあ改めてになるが、やっぱりアンタは世界の終わりを知っているんだな……そして、今までの口ぶりからすると本当に見たことがないんだな」
「そうよ。でも、貴方は見たことがあるのよね。世界の終わりを……そして世界五分前仮説の更に先、神にしか分からない領域すらも到達している」
何だ?
何か彼女と会話がおかしな方向に進んできている気がする。
更に先……神の領域。
俺はもうそろそろ隠す気がなくなっていた。
「ああ……アンタが言っている物かはともかく、知ってるよ。この世界の全貌をな。全く神秘的でも何でもない、崩壊しかかったもんだけどな」
この世界の真実を神聖視している神瀬。
だが現実そんな素晴らしいものではない。
本当に人類が絶滅しかかった世界なのだから。
しかし、神瀬はウットリとした表情で俺を見つめた。
「そう……やはり外側の世界はあるのね。ああ、とっても素敵よ。貴方のような選ばれた人間に会えて、私の抱えていた疑問が消化されていく。これが満たされる感覚なのかしら」
「あのな……さっきから選ばれし者みたいな、その言い方は止めてくれ。俺を何かのメシアみたいに言うのは正直気持ちが悪い。それにな、神社に住んでるアンタに失礼なことを言うのは重々承知だが、神だとかそんなものはこの世にいないと俺は思ってる。もし神がいるのなら、このとんでもない状況の俺達を助けてくれるはずだろ」
「フフ、神はいるわ」
俺の猛反論を一撃で彼女はいなした。
「神は私達に試練を与えて楽しんでいるのよ。だから簡単には救ってくれないわ」
「どんだけ、サディストな神なんだよ。それに仏教じゃなくてそれってキリスト教の教えに近くなかったか? 神社の人間がそんなことを言って良いのかよ? それにまた、さっきのシミュレーション仮説の話をぶり返す気か? 神がいる証拠は何処にもないだろうが」
突っ込みどころ満載過ぎて、余計な突っ込みをマンシンガンのように入れてしまった。そして、俺が後悔した頃にはもう遅かったのである。
「だって、私は感じるのよ。私を、私達を見ている誰かの存在を」
「い、いや、だからそれは、アンタの病気だって」
「本当に私が病気であると言い切れるのかしら? 私達を見つめている外の存在がこじつけてきた嘘の設定である可能性は?」
「だから! アンタは医者からも診断を受けたんだろが! アンタはそういう風に思い込んでいるだけなんだろ? さっきアンタが自分で言ってたよな!」
「松本君は、今の私の言葉よりも私が話したお医者様の話を強く信じているみたいね。それは何でかしら?」
付き合っている彼女みたいな物言いだが、俺は一度呼吸を整えて答えた。
「支離滅裂な精神病患者のアンタより、医者の話の方が信憑性があるからだ。アンタはただの妄想を言ってるだけに過ぎない」
「フフ……なら、そのお医者様だけど、本当は実在しない、私の空想の産物だとしたら?」
「はぁ!?」
あまりに根底から覆されてしまい変な声を出してしまった。
その様子に神瀬はクスクスと笑う。
「私が病気なのも離人症っていうのも全てが信憑性を失ったわ。貴方は私が産み出した虚構の真実を信じてしまったのよ」
「アンタ……俺のことをおちょくってるだろ?」
いい加減に俺の堪忍袋の尾が切れそうになる。この気持ちを察したかどうか分からないが彼女は答えた。
「いいえ、私は貴方を馬鹿に何かしない。貴方は本当に素晴らしい逸材だと思っている。これは事実よ……フフフ」
どう考えてもおちょくっているようにしか聞こえなくなってきた。しかし、ここで何か否定しても彼女にあげ足をとられるような気がした。
俺が黙っていると、彼女は言葉を続けた。
「松本君」
神瀬から笑みが消え、真っ直ぐ無表情でこちらを見つめる。薄暗い中だが彼女整った容姿と透き通る瞳に、いつの間にか俺は釘付けになっていた。
「戯れはここまでにしましょう。話していて分かったことは、貴方がとても優秀であることよ。常識的でいて物事の善悪の区別がつき、道徳心も兼ね備えている。そして本質を探ろうとする目を持っているわ」
突然の誉め言葉に喜ぶべきなのだろう。だが、さっきまでの状況からでは素直に喜べない。
それに、誉めている所も別段特別なことを言っていない。大多数が持っている常識的な感性を持ってるというだけだ。
そして、彼女は目を伏せた。
「でも、そのままではいけない。これから先、そのままの貴方が進んで行っても、いつか必ず壁に当たる。自分自身の持つ常識の壁から、きっと進めなくなってしまうわ」
「いきなり、何を知ったようなことを言ってるんだ。お前は結局何が言いたいんだよ」
「合理性だけでは、真実に到達出来ない時がある。それだけは覚えておいて」
彼女は目を開き、そしてまた人形のように綺麗な笑顔を見せた。
彼女の目に何が見えているかは分からないし、分かりたくもない。
情緒不安定なのではないかと疑う程だ。
若干の恐怖すら覚え始めた。
でも、何となく彼女の目的が分かってきた。
彼女は、記憶の継続をしてはいない。
神だとか高次元の存在を信じてるちょっと頭のネジがなくなっているだけの一般人だ。
だが世界の終わりを知り、それを神瀬は自分の求めている神とかそういった存在だと思い込んでいる。
それでも、あながち間違ってはいないが……
彼女もまた俺達と同じように世界の真相を探索する者だったということだ。
彼女なりのやり方で……
何も特別な能力も持っていないはずなのに、彼女には尋常ではない何かを感じてしまう。
探求心の化け物といった所だろうか。
……にしても、何故世界の終わりを神瀬は知っているのか?
彼女が世界の終わりを知っている理由は、てっきり彼女がそれを認識しているからだと思っていた。
だが、これは根底から間違っていた。友達から聞いたと言っていたのだ。
神瀬の友人は確か中村だった……
でも、中村はそもそも世界の終わりを知ったのはつい最近。彼女自身この話を完全に信じているとは言い切れないし、友達に話すような面白い話でも無い。
中村から話す可能性はあまり考えられない。
となると、神瀬に接点がありそうな人物は予想がつく……
いや、もう予想通りだろう。
「なあ、また確認したい。神瀬……さん」
「何かしら?」
「アンタ、この前世界の終わりの話を友達から聞いたんだよな?」
「ええ」
「誰から聞いたんだ……ちょっと予想はついたんだが……」
俺の質問に彼女は考えつつも答えた。
「大野君よ。知っているでしょ? 君の所属するサークルの」
やっぱりアイツだったか……
何でこんな人物に暴露してしまったのか。完全に失敗だと思う。
神瀬が嬉しそうに語る。
「昔、大野君はね。凄く精神的に追い詰められていた時があったのよ。今は落ち着いた……寧ろ元気になっている気がするけど。そんな彼が誰にも話すことが出来なかった分を私に話したの」
「何で……アンタに話したんだ?」
「私が聞き出したのもあるし、彼にとって私はどうでも良い存在だったからじゃないかしら?」
そんな所か。
抱えていると押しつぶされそうになってくる。
特に大野は、俺が認識する前から一人で調べていた訳だ。身近な人に話したくなくても人間っていうのは何処かで話したいと思っている生き物なのかもしれないな。
俺も……そうなりかけていた。
俺が思考を巡らせていると、神瀬はまたくるりと道なりへと向き直り歩き出す。
「さあ、もう良いかしら? 早く目的地に向かっちゃいましょう」
「ちょ、ちょっと待て! まだ聞きたいことが山ほどあるんだ!」
「何かしら?」
俺の呼び止めにも彼女は足を止めない。
俺は小走りで着いていきながらも訪ねた。
「世界の終わりの時に見た大きな穴のことだ。あれはいったい何だ?」
「それならこっちの道にあるわ。ほら」
彼女は道の突き当たりに到達し、左手に持った懐中電灯で曲がり道の先を照らしていた。
指さす神瀬に駆け寄った俺は、照らされた先に見る。
そこには前にも見た。あの壁に開いた大きな穴があった。
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