第9話 翠の月の夜①

 翠月祭の会場はそれなりの人出で賑わっていた。

 信徒だけではなく、その家族や一般参加者もいるのだろう。施設前の広場にテントや折りたたみ式の机を設置し、焼きそばやかき氷やフランクフルト、例の怪しげな薄紅色の飲料が安価で振舞われている。フレンドリーな演出で敷居を低く見せるつもりなんだろうが、代表の著書や教団のグッズは、見るからに売れていない。その毬藻にしか見えないストラップ、本気で売れると思ったの?


 代表である月詠の説教が始まると、一般参加者のほとんどは帰ってしまった。残るのは信徒と、この後執り行われる儀式に興味がある者達のみ。ざっと数えて50人強といったところか。やがて二人の女性信徒に付き添われて、白いローブに身を包んだソーマが会場に姿を現した。胸元には翠の液体を閉じ込めた小瓶のペンダントトップ。「巫女様」や「ソーマちゃん」と、信徒達から声が掛かる。「ソーマたん」はあんまりだと思ったが、巫女はその全ての声に笑顔で応えた。代表とのカリスマ性の差を目の当たりにし、思わず苦笑がもれる。


 セミナーを受けた時も、どこかしっくりしない接木めいた物を感じたが、周囲から聞こえる話を総合すると、月詠の興した新興宗教に、後からソーマを迎えた事がその理由らしい。紛い物の宗教に本物の神を結びつけて箔を付けたのか、実存する神を隠すために偽りの宗教を利用したのか。どちらにせよ、顧問を名乗る宮坂の仕組んだ事だろう。


「こんばんは、皆さん。ついにこの夜を迎える事ができました」


 ソーマが大人びた口調で語り始める。一声で信者が引き込まれるのを、月詠が憮然とした表情で眺めている。


「みなさんと今夜を共に過ごせる事を、心から嬉しく思います」

「いいぞ、ソーマたん!」


 と、弁えない男の声が掛かるも、彼女は笑顔で返す。マスコット的な意味合いでも愛されているのだろう。俗っぽい中年男性と比べれば、僕だって彼女を選ぶ。……ロリコン的な意味では無しに。巫女はちらりと代表に目を流し、


「例年行われてきた翠月祭は、今夜のための予行演習のような物です。今日の良き日を迎えるため、皆を導いてくださった月詠様に感謝を表しましょう」


 台本に無かった台詞なのか、湧き上がり次第に大きくなる拍手の渦に、月詠が相好を崩しつつ応える。頭の回転が速く、人の感情を読むのもうまい。喝采にやにさがっている中年男より、よほど教祖の器に相応しい気がする。


「今日は正しい星辰の位置を示す夜。約束します。ここにいる皆さんは必ず緑の月を目にし、直にアムリタを授かる事ができると。共に神と一つになれる悦びを迎えましょう」 

「ソーマたんと一つに!」


 自重しろ。ソーマに従っていたローブ姿の女性信徒が、声の主を引き摺って行くのが目に入る。星辰――星の事か。間もなく月は中天に懸かろうとしている。件の男は明らかに羽目を外しすぎだったが、巫女の登場とその言葉により、場の雰囲気が日常から変化したのを感じた。この場にいる者のほとんどが、何かが起こる予感めいた物を抱いているようだ。


 そして儀式が始まる。


            §


 正面の祭壇に、金糸で刺繍を施されたローブを身に纏う教祖が向かい、その後ろに、信徒達が円を描くように立つ。中心には巫女の姿。

 見学者はその様を少し離れた所から眺めている。僕もその中の一人だ。

 巫女を囲む信徒達の中に宮坂の姿はない。


「る・らー・る・いらー・んぐないー・んぐなうー……」


 夜空を見上げ、両手を差し伸べ。鈴を振るような声で、ソーマが月に唄を捧げる。皆一様に空を見上げている。怪しげな儀式が、幼い少女ただ一人の存在で、厳粛な物に様変わりする。


 アスキスは現れないのか?


「ゆ・いらー・ゆ・らーる・い・うるえ・いあー・いあー……」


 うっとりと、眠るような眼差しで月を見上げるソーマ。澄んだ声が夜空に響く。


 ソーマの胸元に揺れるペンダントが、淡く翠の光を放つ。気のせいか、降り注ぐ月の光も微かに翠がかってきた。本当に召喚が始まったのか!? 信者達は軽いトランス状態にあるのか、うっとりとした顔で月の光を浴びている。


 見学者達がざわつき始めた。僕や信者達だけでなく、彼らの目にも、同じ光景が映っているのか?


 なんだか胸元がむずむずする。こんな時に、蚊にでも咬まれたか。


 不意にソーマの詠唱が中断される。何が起こったか理解出来ずに静まり返る中、どこかから微かな忍び笑いのような声が響いてくる。


「来るよ……。風に乗って悪魔が来る」


 怯える巫女が、震える声で不吉な託宣を下した瞬間。僕の胸元にシャボン玉のような虹色の球体が弾けると、ふわふわした繊毛を持つ使い魔・ルールーが飛び出した。


「うわああああ!?」


 驚く僕に構う事無く、宙に浮かぶ使い魔は2本の触腕を複雑に動かす。奇妙な風が地面に不可視の魔方陣を描くのを、舞い上がる土煙で理解した。


「あははははははははははははは!!」


 悪役めいた高笑いと共に、腕を組んで踏ん反り返る黒衣の魔女が宙に滲み出る。


「何重にも結界が張ってあったが、お前のおかげで楽に入れた」


 むずむずしていた胸元に血が滲んでいる。僕に埋め込んだ触媒を利用して使い魔を送り込み、さらにその使い魔を足場に、敵地に無理矢理捻じ込んだという訳か。


「僕を利用したのか!?」

「ありがとな、奏氏」


 アスキスの一言で何も言い返せなくなる。燐光を纏う細い指が僕の胸元を撫でると、小さな傷口は跡形も無く塞がった。それに今、名前で呼ばなかったか? そんな些細な事で頬が熱くなるのを自覚する。下僕として調教されつつあるのか、僕は?


「あっちはあっちで何か手を回したようだ。この件に神智研の介入はない」


 それは横槍を入れられる心配が無いという事だが、同時に手助けが見込めないという事でもある。緑の月の顕現を僕達だけで、いや、僕は数に入れていないはずだから、一人で阻止するつもりなのか。


 見学者達は驚いて逃げ出すか、遠巻きに様子を見ている。虚ろな眼差しのままの信者達の中から、巫女を射抜く魔女の視線を遮るように、長い髪をポニーテールにした、白いローブ姿の若い女性信者が立ちはだかる。


「お姉ちゃん!」


 ソーマの切羽詰った叫び。駆け寄り縋り付く。


「あんたは儀式を続けな。神様呼んでみんなを幸せにするんだろ?」

「お姉ちゃんも一緒じゃないと!」

「……どうかな。あたいは一人でブラブラするのが性に合ってるから」


 泣き出しそうなソーマの頭を、くしゃりと乱暴に撫でる。


「奴を倒してから考えるさ。行けよ、ソーマ」

「でもあいつは……」


 怯えた目で黒衣の魔女を見る。


「大丈夫」


 巫女にウィンクして送り出すと、ローブを脱ぎ捨てる。現れるのは西部劇で描かれるガンマンのような姿。


「初めましてだな、銀の鍵の魔女。あたいはセブンライブス。金さえ貰えば神でも悪魔でも殺してみせる、雇われ者のガンマンだ」


 セブンライブスの銃が、ホルスターの中耳障りな金属音で唸りを上げる。


「今回は弾層をフルに充填して貰える、やりやすい仕事だったはずなのに、魔弾を三発も使ってまだ仕留められないとはね。おまけにその後足取りが掴めずに、探しに出した信徒達まで戻りゃしない。ちょうど良い。あんたから顔を出した以上、今度は逃がしゃしないよ!」


 馬鹿にしたように鼻で笑うアスキス。


「影からこそこそ狙い撃ちしか出来ないくせに、偉そうにするな。ティンダロス――」


 銃使いの顔色が変わる。


「――しつこいだけが取り得の浅ましい獣。その骨を削って作り上げた銃把。魂を捧げ、狙った相手を必ず殺す神器だろ。調べ事をしてたんだよ、無限回廊の書庫でな」

「道理で見つからないわけさね。OK,OK.今度は最初から全力で潰す!」


 言うや抜き撃ちで魔弾を放つセブンライブス。銃声は一つだが、唸りを上げて迫る魔弾は3発。再び始まるソーマの詠唱をバックに、魔女と銃使いとの決闘が開始される。

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