第8話 アスキス

「よう、上手く行ったみたいだな」


 寮まで送らせようという宮坂の申し出を辞退し、日の落ちた街を歩む僕に、闇から滲み出た黒衣の魔女が声を掛けた。

 ちょっと話があると近場のファミレスに連れ込まれる。……なかなか寮に辿り着けないぞ。夕食時の店内は程よく込んでいたが、すぐに席に案内された。


 なんだか凄く視線を感じるが、見られているのは僕じゃなくアスキスの方だ。ゴシックドレスの人形のように可憐な少女は、何処にいても人目を引かずにはいられない存在だろう。本人は堂々としているが、僕は恥ずかしいような自慢したいような、複雑な気持ちだった。


「働いてくれた礼だ。何でも好きな物を食べてやる」

「!? 『何でも好きな物を食べても良い』の間違いじゃないの!?」

「ふうん。本当にそれでいいのか? 極太あらびきソーセージでも、濃厚クリームシチューでも良いんだぞ?」


 そっと人差し指で唇を撫で、上目遣いで妖しく微笑むアスキス。


「な……何を……」


 言ってるんだこの魔女は。言いよどむ僕の頭の中で、ふっくらした桜色の唇がソーセージをはむ映像や、とろりとした白い液体が零れるのを小さな舌が舐め取るイメージが、もやもやと繰り広げられる。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「ほうれん草とベーコンのパスタ」

「!! 何でだっ!?」


 アスキスの迷いの無い速やかなオーダーに取り乱し、テーブルを叩いて立ち上がった僕を、ウェイトレスが脅えたような目で見る。


「大声を上げるな、迷惑だぞ。ほら、お前も早く決めろ」


 恐ろしく冷めた目でたしなめる魔女。……こいつはッ!!


「……チキンドリアを……」


 がっかり顔でウェイトレスを見送る僕を、にやにや笑いながら眺めるゴスロリ悪魔。


「何だ? 期待したのか?」

「してないよ!!」

「ならいい。ほら、ドリンクバー行って来い。あたしはウーロン茶な」


 一瞬、コップの中にゴキブリ的な物を入れてやろうかと、凶悪な思考が過ぎったが、都合よくそんな物が這いずり回っているはずもなく。第一、可愛い悲鳴を上げさせるどころか、おぞましい報復を受けるのが関の山だ。割に合わない。


 黒衣の魔女の用件は言われずとも解っていたので、僕は拝月教のセミナーや宮坂との会談の内容を話して聞かせた。所々で意味ありげに口元を歪めて見せたが、アスキスは口を挟まずに僕の話に耳を傾けていた。


「宮坂さんの言っていた、11年前に砕かれた神っていうのが、アスキスの使う力の源だよね? 君は神智研の関係者じゃないの? どうして一人で戦っているのさ?」


 ハスターを砕いたのは神智学研究所。その研究をし、力を利用する方法を見出したのもおそらく同じ組織のはず。それなのに、ハスターの力を振るうアスキスは神智研との接触を頑なに拒み、構成員のジジとも戦っている。


 僕の問いには答えずに、届けられたパスタを摂り始めるアスキス。半分ほど食べてフォークを置き、ナプキンで口元を拭ってから語り始める。


「神智研ってのは形の無い組織だ。直轄の研究班や対策班は100人にも満たない。そのくせその影響力は各国の財界、政界、軍部にまで及ぶ。実在する神の力は、魅力的なカードだからな」


 口元を歪め、あざけるように吐き捨てるアスキス。確かに神を砕き、その力だけを利用する事が出来れば、医学や軍事など、様々な技術が飛躍的に進歩するだろう。


「利害関係によって何処までも手を広げられる反面、条件次第では身内同士でも争うような事も起こる。一枚岩じゃ無いってこった」


 白衣の科学者の顔が浮かぶ。神智研に籍を置きながら、神に転向した男。


「その力を一国だけの物、一人だけの物に出来るなら――っていう事?」


 皮肉めいた光を瞳に浮かべ、無言で首肯する魔女。報道が規制されている理由も腑に落ちた。でも、そんな事をしている場合なのか?


「誰も信用出来ないから一人で戦ってるって言うの!?」


 人類を標的に襲来する存在。その顕現を許せば、ヒトという種の在り方さえ揺るがしかねないというのに。


「宮坂から『黒の淵』の事は聞いたんだよな? 1300年も昔の狂人の戯言に踊らされるなんて、滑稽だと思わないか?」


 アーモンド形の瞳を細め問うアスキス。強い意志を感じさせる輝きに、応えに躊躇する。乾坤一擲の戦いだからこそ、自分の信じられる物だけに命を懸けたい。人として当たり前の姿勢だと思う。それなら、


「……アスキスの目的は一体何なの? 一体、何のために一人で戦ってるのさ?」

「何だ? 心配でもしてくれてるのか?」 


 なんだか胸が詰まって料理を摂る手が止まる僕に、アスキスがテーブル越しに身を乗り出してくる。


「……何?」


 細い指が頬に触れる。

 顔が近い。甘い薔薇の香りがする。吐息さえ感じられる距離で。


「翠月祭には顔を出すつもりなんだな? それならもう一仕事して貰うぞ」


 宝石のような碧の瞳は、吸い込まれるような深い輝きを――



「……お客様、ラストオーダーの時間ですが……」


 肩を揺すられて目が覚める。どうやらテーブルに突っ伏して眠っていたらしい。色々ありすぎた一日だ。疲れがピークに達していたのだろう。


 向かいにいるはずのアスキスの姿が無い。化粧直しかと30分ほど待って見たが、どうやら僕を残して姿を消したらしい。ふと、テーブルの端に置かれた伝票が目に付く。……おごりじゃなかった。支払い時に確認すると、ドリンクバーじゃ飲めないアイスロイヤルミルクティと、極太あらびきソーセージが追加されていた。


「お客様……」


 無言のままレジ前の柱に頭を打ち付ける僕に、店員が可哀想な人を見る目で声を掛ける。財布の中身は一日で半分にまで減少した。


            §


 星審学園の寮で一夜を過ごし、明けて翌日、僕は正式に編入手続きを済ませた。学園生活の初日が学期末試験の答案返却日という、恐ろしく間の悪いタイミングだったが、編入試験を済ませた僕にとっては、ある意味好都合だった。クラスメイト達は試験結果に一喜一憂する事に気を取られ、奇妙な時期に転入してきた僕を詮索する余裕までは無いようだった。……いや、別に寂しい訳じゃない。答案を解説する教師の声を聞き流し、昨日の事件をゆっくり整理出来た事だし。


 宮坂との会談は、その内容があまりに理解を超えた物だったからか、正直最後の方の記憶がぼやけている。直截的には語らなかったが、拝月教の崇める「緑の月」とやらも、「黒の淵」に記された神の一柱だという事ではないのか。翠月祭への招待を受けたが、この儀式が召喚のための物だとすれば――


 広い空間を何処までも浸す黒い泥。隠微で甘やかな腐臭。その全てが元は人間だった物の成れの果て。


 ――あれに似た光景が再現されるという事か。もしそうだとすれば、僕は……。


 ファミレスでの食事の際、アスキスにはこちらの携帯端末の番号を教えてある。アスキスの物も聞き出そうとしたが、断られた。魔女はやっぱり端末じゃなく、黒猫やカラスを使うのかと訊ねたら叩かれた。端末くらいは持っているらしい。恐らく、僕の携帯端末が後見人――間違いなく、神智研の構成員――に持たされた物である事を警戒しているんだろう。


 ……あれ? それじゃあ自分でこっそり契約した端末なら、ナンバーを教えて貰えるんだろうか。アスキスとのプライベートな通話やメールを夢想して、5秒で挫折した。罵声と皮肉と嘲笑しか思い浮かばない!


 午前だけの授業を済ませ、クラスメイトがファーストフード店で催してくれた歓迎会を受けるも、上の空で楽しめなかった。ずいぶんぼんやりさんだと思われた事だろう。


 空騒ぎの間中、僕がずっと考えていたのは、ゴスロリの悪魔の事ばかりだった。負けん気の強い彼女の素直な笑顔を想像してみるも、上手く行かない。何故だか銀髪の少女の儚い笑顔に擦り替わる。彼女の前でなら、アスキスは無邪気に笑って見せるのだろうか。そう思うと、少しだけ胸が苦しくなった。


 日が沈み月が昇る。アスキスからの連絡は未だない。自分で決めろという事だろうか。


 空に浮かぶ月はあくまでも白く。それが翠に輝く時、一体何が起こるというのだろう。幼い巫女の語ったように、月と一つになり、全ての苦しみから解放されるのか。歪んだ科学者の言うように、別の存在に作り変えられるのか。


 鳴らない端末を弄ぶのをやめ、僕は僕なりの決断を下した。

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