第10話 翠の月の夜②
月の光は次第にその翠の輝きを濃くする。月に向かい唄うのはもはや巫女だけではなく、信者の全て。逃げ出さずにいた見学者の中からも、詠唱に加わる者が現れる。皆一様にトランス状態。
「アムリタの効果だよ」
教団施設の屋上に姿を現した宮坂が語りかける。あれだけ執着していた瞬間を、特等席で見ないはずがない。
「私が作った模造品だがね。貴重な本物は僅かにしか手に入らないのでな」
蒼い光の尾を曳き、自在に宙を舞いアスキスを狙う3発の魔弾。今度は自動追尾じゃない。現れては消えるアスキスを、連携し猟犬のように狩り立てる。銃を構えたまま集中するセブンライブスの瞳が、蒼い炎を上げている。目視出来る場所からなら、自在に操れるという事か。
「アムリタを使って、無名都市中の人間を信者にでもするつもりですか!」
高みの見物を決め込む宮坂に向かって叫ぶ。
「ふむ。拝月教は方便だ。信者になろうがなるまいがどうでも良い。私が興味があるのは、緑の月の神が持つ、精神感応・接続の力だ。群体など、生物界では極簡単な生物が形作る物ばかりだが、人間を素材に、神の力を使った群体を作れるとしたら? 興味深いとは思わんかね?」
「あなたは人間を実験材料だと!?」
眼鏡を直して応える科学者。
「そう考えているのは神々だ。私はその手助けをしているに過ぎない」
不思議そうな声色。僕の声に含まれる非難の色の意味が理解できないらしい。
「……狂ってる」
今や完全に顕現を果たし、空に浮かぶ緑の月。
その正体は、巨大な水球――おそらく、宮坂がアムリタと呼ぶ物の海。本物の満月と重なり、翠の光を降り注ぐ。まるで深い海の底から眺めるような光景。
「さあ、もうすぐだ。もうすぐ始まる」
撃ち抜いたかと思えば、掻き消えるアスキス。風を孕んだスカートがひらめき、蒼い光の乱舞する様は、まるで黒い蝶を蛍が追うように見える。風音と金属的な唸り声を撒き散らし、目まぐるしい攻防が続く。
「逃げてるだけじゃ、あたいにゃ勝てないよ!」
「それもそうだ」
セブンライブスの挑発に乗るように、アスキスが現れた瞬間。魔弾がその姿を捉えたかと思われたが、小さな魔方陣が唸る魔弾を食い止めている。魔女が何かを呟くと同時に、魔弾の後方に現れた使い魔が、光を失った弾丸を捕らえ喰らう。
「ワンナウト」
「なっ!? そんな短時間で解呪出来るはずが!?」
銃使いが唖然とした声を漏らすが、攻撃の手は緩めない。アスキスが紙一重でかわした魔弾を、別の魔弾が弾き、想像もしない角度から魔女を襲う。
「ツーアウト」
再び小さな魔方陣が食い止めた魔弾を、今度は自らの手で摘み取り、光を失ったそれをルールーに投げ与える。
「馬鹿な!?」
理解出来ない物を見る目でセブンライブスが叫ぶ。最後の魔弾が銃使いの戸惑いを表すかのように、耳障りな唸りを上げながら、黒衣の少女の周りを飛び回る。
「その神器は、元々自分の魂を捧げて相手を殺す呪殺のための物だ。一人一殺が基本。他人の魂を奪って生きる三流魔術師あたりが回転弾層を後付したんだろうが」
魔弾を煩げに見遣りながら、見下すように鼻を鳴らす。
「温いんだよ! どうせお前らの神の従者に成り下がって、人間辞めた奴らの魂を使ったんだろうが、同じなんだよ、魂の波動が。おかげで一発解呪出来りゃ、後は繰り返しだ」
悔しげに歯噛みする銃使い。
「最初にあたしを狙った魔弾が、全部違う魂を込めた物だったなら、とっくにお前の勝ちだったのにな」
哀れむように魔女が嗤う。
「Reload!」
セブンライブスが弾層を空にすると、断末魔の悲鳴を上げた魔弾は光を失い、地に落ちた。
「Offer My Soul!」
地面にばら撒いた空薬莢の代わりに、豊かな胸元に押し込まれていたペンダントトップ――銀の弾丸を取り出し、装填する。僅かな瞑目のあと右手だけで銃を構え、静かに狙いを定め――
「Fuck Up!!」
叫びと共に撃ち出された弾丸は、蒼い炎を纏い、ただ真っ直ぐにアスキスの心臓を狙う。
「良いぞ銃使い! あたしを殺したかったら命懸けで来い!!」
魔女の作り出す風の壁を、次々撃ち抜いて迫る蒼い弾丸。
「貫けえぇぇぇぇぇぇッッ!!!」
最後の壁に浮かぶ魔方陣を突き破らんと、セブンライブスの絶叫に魔弾の咆哮がシンクロする。魔方陣がその輝きを失い、風の壁を貫いたかと思えたその時、アスキスに重なるように、翼を持つ異形がその姿を現した。
魔弾はハスターの残骸の空洞になった胸郭に飲み込まれ、目まぐるしくその内部を駆け巡った後、闇に包まれその輝きを消した。
「スリーアウトだ」
「What the hell? 何処に消えたってのさ!?」
セブンライブスの背後に現れた使い魔が、その足元に風の魔方陣を形作る。
「黒きハリ湖。ヒアデス星団の暗黒星さ」
「……!? Damn it!」
ようやく使い魔に気付いた銃使いの身体を、魔方陣の中に吹き荒れる嵐が空高く舞い上げた。
「地球まで光の速さでも65年。魔法で次元を越えでもしない限り、生きてるうちにあたしの心臓まで届かないだろうな」
地面に叩きつけられ、壊れた人形のように転がるセブンライブス。手足が変な方向に折れ曲がっている。不意討ちで追い詰められていた時ならともかく、本物の神の力を引き出すアスキスの前では、人間の作った神器程度では相手にならないって事か。でも、セブンライブスの攻略法を探してきたのなら、何故最初からハスターの力で圧倒しない? ひょっとして、殺さないよう手加減したのか?
「あははははッ! 猫でさえ9つの命を持つのに、7つじゃまるで足りやしない! 力の差を思い知ったか!? あたしが本気を出せばざっとこんなもんだ。10年早いっての!!」
……違うかもしれない。根に持っていただけか。
「お姉ちゃん!!」
ソーマの悲痛な叫びが響く。
「よくもッ……!」
目に涙を滲ませながらも、あざ笑う魔女を睨み付ける。ペンダントの燐光が激しく明滅し、その輝きでソーマを包む。
巫女の怒りに呼応するかのように、緑の月が降下し始める。本物の月が落ちてくるような、狂った遠近感。視覚的な物だけではない。見えない無数の指が己の支配下にある者を探すような、精神を弄られる感覚。おぞましさに鳥肌が立つ。
「アスキス! あれが落ちてきたら、この場だけじゃなく、この街中の人たちが緑の月に狂わされるんじゃないの!?」
「……だろうな」
ソーマと視線を戦わせていたアスキスも、その視線を降下し続ける緑の月に移す。
「早く何とかしないと、みんな――」
「知るか!! あたしはあたしの為に戦ってるんだ!」
黒衣の魔女が吐き捨てると、その苛立ちに呼応するかのように、異形の残骸が耳障りな啼き声をあげ、片方だけの翼で舞い上がる。上空で、風を纏ったハスターが緑の月と拮抗する。水球は偽足を伸ばしハスターを飲み込もうとするも、風の壁がそれを阻む。
「神様なのに、そんな残骸取り込めないのッ!? それじゃあ――」
小さな握りこぶしを作り、悔しそうに宙を見上げていたソーマの目が、アスキスに移る。
水球から伸ばされた偽足の一つが切り離され、落下した巨大な雫が黒衣の魔女を捕らえる。
「あはっ! わたしの神様と違って、そっちは壊れたものをあなたが使っているだけでしょう? あなた自身は所詮人間。どんなに強くても、同じになっちゃえばもう怖くない!」
風を纏って抵抗するも、ハスターとの繋がりを阻害されるのか、次第に緑の液体に飲み込まれて行く。
直径にして7、8mはあるだろうか。地上に落ちても歪な球を保つアムリタの中で、ついに力尽き浮かぶアスキス。口から空気の泡が漏れる。おそらく肺にまで緑の月の神の浸入を許してしまっただろう。
「アスキス!」
助け出そうと、アムリタに手を突っ込み、何とかアスキスの手を掴むも、水球の中心に重力があるかのような奇妙な感覚に囚われ、そのままアムリタの水面に落下――取り込まれてしまう。
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