終幕

 突然だが、馬を手に入れた。

 アリーに乗馬を教わった際、全くの初心者である俺に付き合ってくれたソヘイラーだ。村人たちからの御礼ということで、ぜひとも受け取ってもらいたいと言われてしまったのだ。

 馬なんてこの村で少しばかり触れただけだし、ちゃんと世話も出来るかどうかもあやしいし、そもそも御礼などを期待してどうこうしたわけでもないのだが、それでも受け取ったのは、

「貰っときなよ。でないと、いつまでも出発できなさそうだしさ」

 というニューランの発言のせいだった。

 馬はこの村にとっては大切な財産のひとつだ。そんな大層なものとても受け取れないと固辞する俺と、何がなんでも譲りたいアリーとマーリカ、それからナジやアーダムやハサン達長老の面々との話が平行線だっだのを、ニューランが俺の背後から肩を揉みながら言ったのだ。

「暫くは隊商と一緒に行くんだろ? 世話のやり方はそこで教えてもらえばいいじゃん。それに、荷物だって増えたんだしさ。ジウ一人で全部担ぐつもり?」

「ぐぬ」

 俺は反論できず、呻き声をあげるしかなかった。

 あの夜から更に二週間近くを過ごしていた。すぐに村を発ってしまわなかったのは、なんだかんだと雑用をこなしたり、新たな旅に備えての準備をするために年内最後となる隊商の来訪を待っていたからだ。

 この村に来た時はほとんど身一つ、必要最低限な食料と荷物を詰め込んだバックパックが俺の所持品の全てだった。だが、今は道中の食料と防寒具、それと、野営に備えての道具までが加わっている。今までならニューランと分担して運ぶこともできたが、これからはそういうわけにはいかない。

「アーダムからも話を聞いて、古唄のことをもっと詳しく記録しておきたいからさ」

 言って、ニューランはすっかり見慣れた笑みを一層深くする。もとより、奴の本来の目的、本筋がこれなのだ。よく考えずとも当然の選択だと言えた。 

 そういうわけで、村を発つのは俺一人だけということなった。

 寂しさを感じないわけではないが、ニューランが望んで選び、ずっと目指してきた終着点だ。途中から相乗りをしただけの俺がどうこう言っても仕方がないし、言える立場でもない。素直に受け入れ、無事成し遂げることを祈るのが俺に出来る全てだろう。

 それはさておき、馬だ。

 草原を徒歩でやってきた頃はまだ夏だった。野宿でもなんとかなったが、外世界はこれから本格的な冬を迎える。

 大崩壊時代よりも昔には、もっと穏やかで過ごしやすい季節が続いたらしいが、今のこの世界は夏と冬しかないような具合だ。比較的穏やかといわれるこの平野でさえ、山が冬季に入れば道連れとばかりにすぐ冷え込んでしまう。喪明けの式の日も、すでにその兆候はあった。

 真白い山頂から吹き下ろされる冷風の夜から、今日この朝まで良い気候が続いてくれたのは奇跡と言っても過言ではない。

 俺は首を巡らせて背後の草地に目を向ける。一面はすでに白い霜に覆われている。旅立つならまさに今、今日この日だ。

 山麓の都市は隊商が出発した後すぐに閉鎖され、今はもう雪の下に埋もれている。鉱山も閉鎖されているため、暖かくなって雪が融け出すまではもう誰も訪れることはない。

 今回のこの隊は村を経由した後、次は西の都市へと向かう予定らしい。

 俺とニューランは南東の街からここへ来たのだが、長く旅を続けているニューランとは違って、俺自身は旅を始めて日が浅く、隊商が向かう西側にはまだ足を踏み入れたことはなかった。

 見たこともない光景がそこにある――それだけでも充分魅力的ではあるのだが、もうひとつ、それとは別に決め手になるものがあった。


「あたしたちはねぇ、昔、そうね、もっと昔は、ここからずっと西の方から、北のお山の麓まで移動をしながら暮らしていたの。毎日馬を駆って羊を追い、毛を紡いでは機を織ってね」


 草原の西の果てにある大きな湖は、かつては海と繋がっていたらしい。

 弦を作りながらラナーが語ったその思い出を――彼女たちが見てきた光景を――そして、アーダムが歌ったあの光景を、俺はこの目で見てみたい。

 現状のこの世界では残っているものも少ないだろうけれども、それでも俺は、そこへ行ってみたいと思ったのだ。


 隊商がきたその日、俺は隊を率いる隊長と話をし、同行の許可を取り付けた。

 隊長は壮年の逞しい男で、名をベルクといった。元々はこれから向う西の街で警備の任に就いていたのだが、何年か前に、商人達の組合が長期の旅路に信用が置ける腕っ節の強い男を求めたところ、組合に身を置く親戚に推薦され、以来ずっとこの隊を預り、率いているのだという。

 当初、俺の希望を聞いたベルクは渋っていた。が、俺が技師だと知ると、すぐに考えを改めてくれた。

「よろしい。では、街までの同行を許可しよう。我らの隊商へようこそ、ジウ・タイラ殿。困ったことがあれば遠慮なく言うといい。代わりに、我らも困り事があれば貴殿に相談するであろうから、その時はよろしく頼む」

 そうして硬く分厚い手を差し出しながら、付け加える。

「ただし、自分の荷物は自分で運んでくれ。荷車は我々の商品で一杯だからな」

 隊長からの念押しに、俺はその手を握り返しながら一も二もなく頷いた。

 これまでのような貨物との相乗りと違うのは、今回の道程がこれまでの回遊路よりも長いからだった。

 かつては東西を繋げていた大陸だが、今では大きな亀裂が走っている。迂回するためには、その亀裂の南北にある迂回路を通らなくてはならない。

 北方は先にも述べたように雪で閉鎖されてしまったため、あとは南を選ぶしかない。なだらかな平原とは違い、幾らかの起伏もある。順調に進んでも一ヶ月はかかるだろう。そんな長丁場、タダ飯食らいの上客人になれるほどの持ち合わせは、残念ながら今の俺には無い。

 こうして外堀を埋められる形で手に入れることとなったソヘイラーなのだが、当人……もとい、当馬とうにんは、革袋に詰められた荷物と鞍とを背に載せた状態のまま、先程からずっと俺の足元の草を食んでいる。

 ソヘイラーはのんびりとした気質で大人しい馬だ。片手で数えるほどしか俺を乗せていないが、一度も俺を慌てさせたりからかったりはしなかった。彼女も俺のことを気にいってくれているらしい。これなら道中も安心できそうだ。

 その新たな相棒から少し離れたところ、村の広場では、出立の準備をしている隊商と、途中まで俺の付き添いで来てくれるアリーが愛馬と共に待機していた。

 アリーとはとっくの昔に別れの挨拶を済ましているため、彼は白い息を吐きながら、村の面々と俺との話が終わるのを辛抱強く待っていてくれた。 

「ジウさん、どうぞ気をつけて。これ、持っていって。風邪をひかないようにね」

 マーリカがうっすらと涙を浮かべながら俺の手に小さなビンを持たせてくれる。茶色く濁ったジャムのようなそれは、香辛料や薬草を、糖蜜と一緒に煮詰めたシロップだ。身体の調子が悪い時に、熱い茶に溶いて飲むといいのだと教わった。

 マーリカから防寒用の毛織物やら何やらと既に沢山貰っている。これ以上は貰いすぎなのではとも思うのだが、これで彼女の心が軽くなるのなら素直に受け取るのがいいだろう。

「ありがとうございます。無くなったらまた貰いに来ますよ」

「ええ、そうね。是非いらして。鍋一杯に作って差上げるわ」

 マーリカは笑いながら涙をそっと拭う。

「ジウ、本当に行っちゃうの?」

 ナジが名残惜しそうに俺の顔を上目遣いで見る。その左腕には、演奏用とはまた違う別の義手が装着されていた。ケマル氏設計の義手を参考に、日常使い用にと改良を施した簡素で頑丈なものだ。

 見てくれは悪いし、楽器演奏のような細やかな動きは無理だが、右手の補助をする程度のことならこれで充分だろう。この先、ナジが成長をして体格が変わったとしても、簡単な調整で済むようにもなっている。

 一応、簡単な説明書も添えて、小さなナジが自分自身でもメンテナンスできるようにはしておいた。あれを参照すれば、テレメトリのアンテナをへし折ったアリーにだって出来るはずだ。……多分。

 それに、今はまだ無理でも、ナジがもう少し大きくなれば、いずれは村の外に出ることもあるだろう。街の技師に頼んで調整するなり新調するなり、好きに選べばいい。

 俺が村を出ることを伝えた日、ナジは春まで待てばいいのにと頬を膨らませて拗ねたが、俺自身はもう充分満喫したし、むしろ長く居すぎたくらいだと思っている。

 また来るよと宥めると、ナジは小さく頷いた。

「ジウ、いっぱいありがとう。元気でね」

 ナジが俺の足を両腕でしっかりと抱き締める。俺はその頭を優しく撫でてやった。

「ナジもな。お母さんやアリーや、それからアーダムのことも頼んだぞ」

「うん、任せておいて」

「ジウさん、これ」

 ナジが離れると、入れ替わるかのように背後に控えていたアーダムが進み出てきた。その手には、革紐で括られた革袋がある。受け取り、中をみると、見覚えのある大粒の青い石が入っていた。以前、俺がアーダムに渡した、あの一際大きな天星石の結晶だ。

 驚く俺に、アーダムはかぶりを振った。

「いいんだ。俺はもう充分に受け取ったから」

 アーダムはバツが悪そうな苦笑いをしながら俺の手を取って、そこに天星石を押し付けてくる。その指は、欠けたままだ。

 義指を作ろうかという俺の提案を、アーダムは断った。

「以前のような指さばきはできなくとも、残った指でなんとか工夫してみるよ。右手だって無事なんだし……それに、ナジに教える手前、負けてはいられないから」

 そう答えた真っ直ぐな瞳に、以前のような暗い影は無かった。 

「御守り代わりに持っていってくれ。貴方の旅の無事を祈る」

「……わかった」

 俺は袋の口を閉じて紐を首にかけ、懐に収めた。 

「ありがとう、アーダム。元気でな」

 俺はそう答えると、アーダムと抱擁を交わした。

 次いで、ハムザにワリード、ハサンやマウリーシ、ナーセル、そしてラナーも、涙を浮かべながら、代わる代わる俺の手を握り、抱擁し、別れを惜しんでくれた。

 そして、最後に。

「これ、持って行きなよ」

 ニューランが差し出す物を見て、俺はまたぎょっとした。

 長い旅路を共にした小さなポーチ――小型の携帯型録音装置テレプシコーラ本体と、アスタリウムの欠片を記録媒体にするための専用ソケットを収めたものだ。

 長年の使用とアーダムのウタによる強烈な刺激によって遂にその役目を終えたかのように思えたそれは、俺の手によって再び息を吹き返していた。

 この村に来る前に一度修理を手掛けたことがあったし、結晶システムの制御回路も無事だったため、ケマル氏の工房部屋を借りることであっさり解決したのだった。

 俺としては、また使えるようになって良かったなとしか思っていなかったのだが、ニューランの方はどうやら違ったことを考えていらしい。

「おっと、勘違いするんじゃないよ。貸すだけだってば。僕の代わりに、記録してきて欲しい」

「何だって?」

 戸惑う俺に、ニューランは含みのある笑いを浮かべた。

「折角直してもらっておいて言うのも何だけど、代替のものはさっき隊商の商人に注文したんだ。記録したいことはまだ沢山あるし、容量も増えそうだしね」

 ニューランは突っ立ったままの俺の手を取り、テレプシコーラのセットを収納したポーチを握らせた。

「僕が探してるウタは一つとは限らない。僕は暫くはここに残るつもりだけど、他にも隠れた古唄がまだどこかにのこっているかもしれない。だから、僕の代わりに記録をしてくれないかな。そんで、面白いものが録れたら、僕に聞かせて欲しいんだ」

「いや、でも、お前、ここにずっと居るわけじゃないんだろう? 村を出たら、どこに届ければいいんだよ?」

「その時はジョシュにでも託けてくれれば、何とかなるよ」

「そんなこと言ったって、ジョシュだって簡単には捕まらないんだぞ? あいつが今どこにいるのか、わかってるのか?」

「平気平気。だったら街の預かり所にでも預けておいてくれれば大丈夫だから。今までだって、彼とはそうやってやり取りしてきたんだし」

 言って、ニューランはゴソゴソと探ったポケットから小さなタグを取り出し、ポーチの上に乗せた。

 生体情報が刻まれたそれは、ニューランが言った預かり所の利用許可証だ。

 大きな街には商人達が利用する保管庫がある。契約をすれば、通貨であるクレジットや貴重品だけではく、その他の荷物等も預かってくれるシステムだ。

 俺のような無名の一個人が契約をしようとしても門前払いをされてしまうのがオチだが、ある程度の信用が置ける商人との伝手があれば――あるいは、本人が結構な資産を持っていて信用の置ける人物ならば、サービスを利用できるようになっている。

 そういえば……と、俺はニューランが高価なカートリッジを惜し気もなく使ってきた姿を思い出す。あれはつまり、そういうことなのだろう。

 微妙な顔をしている俺に、ニューランが駄目押しの言葉を放つ。

「預かり所にはカートリッジも幾らかは預けてあるから、必要なだけ持ち出してくれて構わないからね」

 至れり尽くせりで用意周到ともいえる依頼に、苦笑を浮かべるしかなかった。

「いいのか? 俺のこと、そんなに信用なんかして」

「大丈夫だよ、ジウは真面目だもの」

 精一杯の意地悪でさえ通じない。

「……わかったよ」

 俺は盛大な溜息を一つして、ニューランからの餞別を受け取った。笑うニューランの目尻、その皺の深さに、それ以上何かを言う気が挫かれたのもある。 

「ほら、そんな顔してないでさ。そのうちどこかで会えるさ。それよか、また皆に置いて行かれる前に合流しておきなよ」

「あれは、お前が寝坊したから」

「ジウだって前日に深酒して、二日酔いてフラフラだったじゃん」

 そうして互いに笑い合って、俺たちは抱擁を交わす。

「またね、ジウ」

「ああ。またな、ニュー」

 いつもよりも気持ち少し強めに背中を叩き、離れた。 


「出発!」

 隊長の号令と共に角笛が鳴らされる。

 行商の荷を積んだ荷車やそれを牽く家畜たち、駱駝や驢馬に馬までも加わった一行が霜に覆われた大地を踏み締め、歩みはじめた。

 鞍に結わえた鐘や金具が立てる音にかき消され、踏みしだかれ、草原はかつての道にまた新たな轍を刻み込む。

 平地が続く限りどこまでも付いて来そうな具合で追いかけながら手を振り続る村人達に、俺も時々振り返って応えてみたりもしていたが、やがて一人二人と消えていき、丘を越える頃には俺も振り返るのをやめた。

 アリーは顔馴染みの商人達と話し込んでいたようだったが、すぐに俺の側へと戻ってきてくれた。

「心配するな。お前は俺の大切な友人だと伝えておいたから、よほどのことがない限り手荒なことはされないよ。安心して付いて行くといい」 

 そうして彼らの列に加えてもらい、暫く話をしていた時だった。

 先頭を進んでいたはずのベルクが、道の側で俺達が近付くのを待っているのに気づいた。

 軽く会釈を返すと、彼は馬を寄せて話しかけてきた。

「村ではあまり話しをする時間がなかったのでな。改めてよろしく頼むぞ、タイラ殿」

「こちらこそ」

 並んで歩を進めていると、ベルクが片手を顎に当てて髭を撫でながら俺を見つめ、質問を寄越した。

「それにしても、貴殿は技師と聞いたが、本当は何者なんだ? 随分とあの村の者達から歓待を受けていたようだが……?」

 言って、俺達の後ろに付いて馬を進めるアリーをちらりと見遣る。アリーは黙ってニヤニヤと笑うだけだ。

「俺は……」

 言いさして、口ごもる。

 どこから話そうかと思案しながら視線を落とすと、馬の動きに合わせて揺れるベルトのポーチが視界に入った。ニューランから渡されたテレプシコーラだ。

 そっと手を当てれば、つい先ほど別れたばかりのニューランの顔が思い浮かぶ。

 俺は小さく笑って顏を上げると、ベルクに向かって言った。

 

伝承蒐集家フォルクロールレイカーだよ」


 「何だって?」

 聞き慣れない言葉に、ベルクや周囲で聞き耳をたてていた商人たちが戸惑いを見せる。その姿に、アリーが盛大に噴き出した。

 山裾からの冷えた風が俺とアリーの笑い声を乗せ、草原の遥か遠く先へと渡ってゆく。

 空はどこまでも広く、青かった。


【完】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天星石≪アスタリウム≫の響≪うたごえ≫ 不知火昴斗 @siranui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ