獲物は座して待つ

 アポロニア・ファミリーが拠点としている廃屋敷は、元は貴族のものだった。貴族が屋敷を捨てなければならない状況になることは他国に比べて貴族を重視しているトリステインでは珍しいものの、全くないという訳ではない。

 不慮の事故で死亡した貴族に跡継ぎがいなかった場合、自ら貴族としての地位を捨て逃亡した場合、はたまた、自らが仰ぐべき主君であるトリステイン王に牙を向けようとした愚か者が処断された場合など、貴族が住んでいた土地は王家に接収される。その後、手柄を立てた者に王が与える土地となるのだが、それまでの間、整備はろくにされていないケースが多く見られる。

 そして、今、コルベールたちがいる廃屋敷も例外ではなかった。


「しっかし随分とボロボロだな。ガラス、割れ過ぎ」


 一歩進むごとに足元で軽い音を立てるガラスに文句を言いつつ、廃屋敷内を進むカーロ。その隣で、頷いたコルベールは考えを口にする。


「この屋敷の荒れ様から察するに、アポロニア・ファミリーがここを拠点としてからそれほど日は経っていないようだな」

「そうみたいっすね。普通、自分たちの拠点が、ここまで酷ければ掃除をするでしょうし。アカデミー本部の連中も、よくこんな所に潜伏している奴らを見つけたもんですよ。これだけ人目に付きにくい場所をよくもまあ、ね」

「一目に付きにくいからこそ我々、実験小隊に依頼が降りたのだろう。我々の任務は秘密裡に行われなければならない」


 すっとコルベールの目が細くなる。

 コルベールはその感情の多くを表に出すことはない。しかし、この一年の付き合いでカーロはコルベールの気配の変化を感じ取ることができるようになっていた。実験小隊の中で自分が一番だという自負を、その魔法の実力で以って粉々に打ち砕いたコルベールを観察し続けてきたカーロだからこそ敏感に察知することができたのかもしれない。

 コルベールのただならぬ様子に従い、カーロも気を引き締める。


 副長が気配を変えて警戒している。それはこの先に大きな力を持った敵がいることを獣のような本能で察知したって所か。


 ……こんな雑魚じゃない敵を。


 カーロは“炎球ファイヤー・ボール”の呪文ルーンを一息で完成させると、その杖を右横に振るう。杖の先端から射出された人の頭ほどの大きさの火の玉は大きく剣を振りかぶっていたアポロニア・ファミリーの構成員の顔へと襲い掛かる。玄関ホールの柱から出てきた男は剣を取り落とし、腕が焼けることを厭わずに顔に着いた火を消そうと自分の顔を何度も叩くが、その効果は全くなかった。火は勢いを弱めず、男が力なく横たわるまで彼の顔の上で踊っていた。

 喉が焼かれ、悲鳴を上げることも許されなかった男には目を向けることもなくコルベールは玄関ホールの正面にある階段に足を掛ける。


炎壁ファイヤー・ウォール


 ルーンを紡いでいたコルベールが発動ワードを口にすると、彼の目の前に炎の壁がせり上がった。炎の壁はコルベールとカーロを守るように、前方から飛んできた銃弾を融かし尽す。


「よく防いだ!」


 階段の上から降ってきたのは鐘が響くような重みのある大きな声。今し方、コルベールに向かって銃弾を発射した者の声だ。


 コルベールは声の方向に顔を向ける。

 大柄な男がそこに居た。コルベールよりも頭一つ分高く、筋肉が締まった男は見るからに用心棒だという風貌をしていた。

 ハルケギニアという世界の中、非合法アングラな手段で雇うことのできる実力者。それは、身を落とした貴族であった魔法使いメイジか、対魔法使いメイジに特化したメイジ殺しと言われる者たちが多い。


 コルベールの目が大男の持つモノに止まる。銃だ。

 目測1.5mほどの大きさの銃。一度打てば、弾を込めるために銃身の先から火薬と共に玉を入れなければいけない構造。すぐに撃つことは不可能だ。そして、弾を込める時間よりも呪文を紡ぐ時間の方が短い。


 理性では脅威ではないと判断したコルベールであったが、体を動かすことなく彼の目は鋭く大男を観察する。

 銃を使うのならば、目の前に現れる必要はない。命中精度が悪くても、近づくなどという愚かな行為は自分を攻撃してくださいと言わんばかりの行動だ。それなのに、自分たちの前へと出てきた男の狙いは他にあると言えるだろう。仲間を控えさせているのか、それとも、他に策を巡らせているのか?


 動きを止めたコルベールに大男は犬歯を見せて笑う。


「久しぶりの客……んんん? いや、この屋敷を拠点にしてから初めての客か。存分に……もて成そう」


 大柄な男はニヤリと赤い唇を歪めて階下のコルベールたちを見下ろして返事を待つ。しかし、反応を返さないコルベールたちの様子を見て男は肩を竦める。


「連れねぇな。……仕方ない。話を進めさせて貰おうか。俺の二つ名は“赤口”……“赤口”のサレルノだ。よろしくな、兄ちゃん。ついでに、言っておくよ。じゃあな」


 そう言って銃を構えた大男、サレルノはルーンを紡いだ。


「カーノ・ラド・ギョーフ・イル・アース……“装填”」


 頭の中の警鐘に従い、コルベールはカーロの襟首を掴んでその場から飛び退く。と、今までコルベールが立っていた場所の床が弾けた。


「よく避けた! “装填”」


 再び長銃の照準をコルベールに合わせたサレルノ。照星フロントサイトの奥に光る彼の眼光は鋭くコルベールに注がれている。

 しかし、既にサレルノの魔法を対処するための準備を終えていたコルベールは杖を自分とサレルノの間に翳す。


「死ね!」

炎壁ファイヤー・ウォール


 サレルノが持つ長銃の銃口から発射炎が僅かに光る。だが、その炎よりもより強大な炎が弾丸の前に立ち塞がる。

 それは壁であった。炎によって創られた壁だ。サレルノの銃弾はコルベールが創り出した炎の壁によって、その形を失い銃弾がコルベールの元まで届くことはなかった。


 防げたが、このままでは負ける。奴の“装填”は聞いたこともない呪文。そして、その効果は自分の持つ銃に弾を込めるというもの。

 なるほど、魔法を使うことのできないメイジ殺し。それならば、遠くから狙撃して敵の反撃の間に弾を込め直す時間を取る。だが、メイジならば自身の魔法で銃に装填した場合、装填のための時間は格段に短縮される。

ならば……。


「“噴炎”! 来い!」

「了解!」


 コルベールは炎壁ファイヤー・ウォールを発動させたままサレルノの射線から逃れるように、カーロを伴って屋敷の奥へと駆けていく。

 炎壁ファイヤー・ウォールは、その特性上、自分と敵の間に高熱の炎の壁を創り出す魔法。そのため、敵の姿を視認することは極めて難しい。更に、サレルノが“装填”をし続けて弾丸を打ち続けるよりも、サレルノの攻撃を防ぐために炎壁ファイヤー・ウォールを使い続けるコルベールの方が魔法を使うための精神力が早く切れると考えた。


 ならば、一旦、サレルノの攻撃の射線上から身を隠し、改めて攻撃を仕掛けるべき。


 考えを整えたコルベールはこうしてカーロと共に屋敷の奥へと駆けるのであった。


+++


 アポロニア・ファミリーが拠点とする廃屋敷は元男爵領の屋敷であり、規模としては並。トリスタニアにあるテリエ家の別邸とほぼ同規模である。もっとも、トリスタニアに別邸を持つことができるほどの資産を持つ大貴族と片田舎の男爵の屋敷を比べるのは間違いとも言えるが。

 とはいえ、その規模の話は貴族に限った場合だ。人一人が住むには広すぎる屋敷。本来なら、当主の家族とその使用人たちが暮らすことで維持できるほどの規模。駆けまわることができるほどの大きさの屋敷で、部屋数も多く、その構造をコルベールたちは知らない。


 これはコルベールたちにとって非常に不利である。数で劣る場合は身を隠して奇襲をすることがセオリーであるが、それは自分たちの陣地ホームである場合に適用されることが多い。

 どこに身を潜めれば、敵から気づかれることなく攻撃できるかを入念にシミュレーションすることが前提である奇襲は相手の陣地アウェーである場では使うことができない。

 ならば、以前したように屋敷ごと炎で燃やし尽くすという方法もあるが、コルベールたち実験小隊にアカデミーから下された任務は、あくまでも“アポロニア・ファミリーの殲滅、及び、新魔法の検体としての利用”である。屋敷を燃やすなどという大火事は目立つため、指令がない限りは取るべき手段ではない。


 それに……。


 そう考えたからこそ、コルベールはカーロを伴って屋敷内を走っていた。


「副長」

「どうした?」

「なんで、逃げたんですか? あの程度の相手、副長なら一瞬で片が付くっていうのに」

「奴が何者か分からない。だからこそ、一旦、身を隠して奴の感情が落ち着くのを待つ。もっとも、鉢合わせた時に聞き出すことができれば良かったのだが。私もまだまだだな」

「へ? あのサレルノとか言う男はアポロニア・ファミリーの一員じゃ?」

「ここに来る前に情報を聞き出しただろう? その時、アポロニア・ファミリーに所属しているメイジは、ラインは二人でドットが三人という話だった。だが、奴は少なくともトライアングルクラスのメイジだ」

「それは……嘘を吐いていたとかじゃ?」


 カーロの意見にコルベールは軽く首を横に振る。


「それはない。忠義溢れる者ならともかく、奴はただのゴロツキ。あそこまで恐怖を与えれば嘘を吐くなどという思考はしないだろう」


 無表情でカーロに振り向いたコルベールは薄く唇を開く。


「“噴炎”。奴は私が相手をする。君は“清水”と合流し、その他のメイジの制圧を頼む。あと、なるべく敵は殺すな」

「え? 殺しちゃダメなんですか?」

「ああ。アカデミー本部に移送する。検体として使う人材が不足しているらしい」

「奴らもツイてねーな。俺に一息で殺される方が楽だったっていうのに。それじゃ、副長。お先に」


 カーロの後ろ姿を見送りながらコルベールは屋敷の二階へと続く階段へと足を進める。細く人一人が通れる程度の幅しかない階段は、かつて使用人が使っていたものなのだろう。主人やその客の通行を妨げないように作られた階段。

 しかし、今はその階段の奥から濃厚な殺気が漂う処刑階段と同質の性質を持つ階段だ。


「ふぅ……」


 コルベールは軽く息を吐き、階段の上を水色の目で見つめる。その瞳の色は己が創り出す炎の蛇と同じ色であった。

 蛇の如き彼の目に映るは獲物の姿。今は目には映らないもののコルベールの瞳はその姿を捉えていた。


///


「そう仮定すると、なぜ犯人は自らに繋がる情報を残したのか?」

「まさか……はったりブラフ?」

「だろうな。火系統の君でも、土系統の魔法でに位置する錬金の魔法は使うことができるだろう?」


///


 同じだ。

 別の系統土の系統、そして、メイジ殺しメイジ。真偽を別にして自らを隠すその手段、ゲルマニア人を、そして、エイブラハムを殺した犯人と同じような手段を用いている。


 ……必ず捕まえなければならない。


 コルベールはサレルノとゲルマニア人殺しの犯人像が一致していた。

テリエが語ったことはあくまでも一例。今回のゲルマニア人殺しの犯人について解っていることはほぼない状態での仮定でしかないが、コルベールにとってテリエの仮定は信ずるに値するものだった。

 だからこそ、サレルノと初めて会った時にコルベールは躊躇したのだ。ここで、サレルノを焼くと何も情報を得ることができないと感じたからこそコルベールはすぐに杖を向けることはできなかった。


 階段を上がり切ったコルベールの前にある景色はボロボロの廊下と窓から入る双月の月明かり。その月明かりに照らされる者は一人もいなかったが、廊下に漂う気配は鋭くコルベールの肌を刺すのであった。

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