任務

「何なんだよ! 何なんだよ、お前らは!?」

「すーいませーん。魔法研究所アカデミー実験小隊でーす! 以後お見知りおきを……って言ってもアンタはここで死ぬから名乗っても意味はないんだけどね」

「そこまでだ、“噴炎”」


 足を縺れさせ地面に転がる男に、暗い笑顔を浮かべる金髪の伊達男をコルベールは強い口調で諫める。

 “噴炎”のオーギュスト・カーロ。実験小隊の隊員の内の一人だ。


「コルベールさんの言う通りですよ、カーロさん。僕らはあくまでも殺し屋じゃないんですから、相手を脅すのはダメです」

「テメェは黙ってろ! ドジのアルフレッド! 二つ名で呼び合うのが習わしだろうが!」

「アウウ……すみません~。あと、僕の二つ名は“ドジ”じゃなくて“清水”ですぅ」

「テメェの二つ名なんか聞いてねェっつーの、ドジ」

「“噴炎”」


 小さく、しかし、有無を言わせない口調で呟いたコルベールに対して、カーロは生唾を飲み込む。一瞬、大蛇に頭から飲み込まれたような感覚がカーロを襲い、カーロは背筋を正した。

 それは正しく恐怖。人の根源を震わせるコルベールの声にカーロは動きを止める。

 コルベールの声に反応したのはカーロだけではなかった。“清水”の二つ名を持つアルフレッド・マルタンもカーロと同じように動きを止めたのだ。


 しかしながら、彼らの前に這い蹲っている男は違った。

 歯の根が合わぬほどの恐怖をコルベールより与えられたゴロツキのような恰好の男は錯乱し、懐からナイフを取り出して、震えながら立ち上がる。


 男はゴロツキと言えるような人間であった。トリスタニアの闇を一手に引き受けているアポロニア・ファミリー。ならず者たちを使い、暴力や薬を蔓延させて金を毟り取る害虫の巣である。

 そして、男はそのファミリーの構成員であり、トリステイン王国が裁くべき犯罪者であった。


「我々の任務を言え、“噴炎”」

「ハッ! アポロニア・ファミリーのアジトの捜索、そして、殲滅であります、副長!」


 コルベールの冷たい目に晒されたカーロは敬礼を彼に寄こす。正確には、魔法研究所アカデミーの職員であり、軍属でないカーロであるが既にテリエによって軍の礼などは叩き込まれている。テリエが目指すのは魔法衛士隊と肩を並べるほどの戦闘集団に実験小隊を押し上げること。物覚えの悪いマルタンを除けば、テリエの小隊のメンバーは皆、礼儀作法を身に付けられていた。


 礼には寛容なコルベールである。普段は彼らもコルベールに対してはあまり遜へりくだった言い方はしない。

 しかし、この時のカーロは思わず、というより上官に対しては当たり前の礼を返した。


「ならば、我々が今すべき事はなんだ?」

「捕まえた捕虜から迅速に情報を聞き出すことです!」

「その通りだ」


 そう言って、コルベールはならず者の男に背を向けた。


 ――チャンスだ!


 男は彼らの力関係を見抜いていた。そうしなければ、自分は羽虫のように殺されると言うことを分かっていた彼にとっての結論は、自分が生き残るためにはコルベールと呼ばれた上位の男を殺すこと。

 そう考え、ナイフを取り出した男だったが、相手はメイジ。魔法を使われたら自分は一瞬で死ぬ。だが、奴は隙を見せた。ならば、殺すしかない!


 一歩足を踏み出した男の目に蒼色が映る。それはとても美しく幻想的な光景で、しかし、男に恐怖を与える原因となった。

 蒼い炎は男の右手、ナイフを持つ手に蛇を思わせるような俊敏な動きで絡みつく。それは一瞬の出来事であったが、男を無力化するには十二分に長い時間であった。


「グッ!」


 突如、振り返ったコルベールに裏拳で頬を殴られ、男はバランスを崩し地面に倒れ込む。

 そして、奔る痛み。あまりの痛みに男は悲鳴を上げる。痛いのは殴られた頬ではなく……。


 男は自分の右手であったものに目をやる。と、男の目が大きく見開かれた。

 男の視線の先にあったのは炭。そして、持っていたナイフが解け固まったのか、所々、煤に汚れた銀の金属が付着する炭だ。

 男は理解することを拒否した。なぜなら、そこにあったのは焼かれ、変質し、もう二度と使い物にならぬであろう自身の右手であったから。


 男は再び悲鳴を上げる。今度は痛みではない。恐怖からだ。だが、その恐怖で上げた悲鳴は恐怖によって止められることになった。


「アポロニア・ファミリーのアジトはトリスタニア郊外の廃屋敷で間違いないな?」


 自分の右腕を焼いた魔法を繰り出した杖を額に突き付けられていることを目にした男は目の前の蛇のような冷酷な男の問いにこくこくと頷く。男には偽るという選択肢は存在しない。

元々、ファミリーの鉄砲玉のような扱いであった男はファミリーに入って日が浅い。ファミリーに対する忠誠よりも目の前にいる脅威メイジたちから逃れることを優先させたのだった。


「アポロニア・ファミリーのアジトにいる構成員の数は?」

「さッ……30人」

「内メイジは何人だ?」

「5人」

「ランクと属性は?」

「ラインが3人でドットが2人。属性はラインの奴が“風”でドットの奴が“火”と“土”。それ以外は知らねェ。本当だ」

「そうか」


 杖を下して踵を返すコルベールに男は安堵する。しかし、彼の心の平穏は長くは続かなかった。肩に置かれた手によって彼の顔が引き攣る。

 そちらに顔を向けた男が認めたのは、この中で一番優しそうな風貌の男、アルフレッド・マルタンであった。済まなそうな表情を浮かべる彼に男はぎこちなく笑みを浮かべる。

 右手は失ってしまったが命は助かる。そう考えて。


「ごめんなさい。スリープ・クラウド」


 男の顔にマルタンの杖から出た雲が纏わりついた。それを正面から受け止めた男の瞼が落ちる。


 スリープ・クラウド。対象を眠らせる効果を持つ水の系統の魔法だ。

深い眠りに落ちた男を前にカーロがマルタンに話しかけた。


「おい、“清水”。データは後、どれくらい必要だ?」

「あと、三つですね。コル……副長がしたぐらいに焼いてください」

「なら、焼くのはそいつでいいか? ちょうど、両足と左手が余っているし」

「いえ、彼は既に熱傷を負っているので、別の新しい検体が必要です」

「面倒だな」

「ですねぇ。アカデミーの人たちは何を考えているのでしょうか? 実践だけのボクは分からないですよ」


 そう言って、マルタンは呪文ルーンを唱える。彼は実戦専門の研究員としての任務を遂行している。そして、今、彼が唱えているのは、まだ魔法としての体を成していない魔法。

 それは実験であった。新魔法が上手く火傷に効果を発揮するのか? それとも、何も起こらないのか? それとも、何か不具合が起こるのか?


 今回の新魔法は上手くいかなかったようだ。

 スリープ・クラウドで眠らせていたにも関わらず、あまりの痛みに跳び起きた男は地面を転がる。


「ダメみたいですね。右手は再生しないですし、被験者には多大な痛みを与えるっと」

「それじゃ、失敗ってことで処理していいってことだな。いいッスか、副長?」


 コルベールはカーロに頷く。

 それとほぼ同時にカーロの杖から出た炎が男の動きを完全に止めた。


 後に残るのは、人を焼く、コルベールが何度も嗅いできた臭いだけであった。


 それに興味を失ったのか、コルベールは顔を背けて丘の上にある屋敷へと目を向ける。雲の切れ間から差し込む双月の月明かりに照らされ浮かび上がる屋敷の姿を確認したコルベールは黒のローブの裾を翻す。


「行くぞ」


 カーロとマルタンに宣言したコルベールの足は二つの光に照らされた屋敷へと向いていた。


+++


「“噴炎”は私の隣に、“清水”は我々の後ろに。“清水”には精神力を温存して貰う」

「了解ッス」

「分かりました、コル……副長!」

「大声出すんじゃねェ、ダボ」

「あっ! すいません~」


 マルタンの頭を殴りつけるカーロ。その二人を冷ややかに見つめるコルベール。

 これまで、幾度となく交わされたやり取りとは言えども、コルベールにとっては、彼らのそれはあまり好ましくなく感じていた。


 命をやり取りする以上、そこには厳正なる所作が必要だと個人的に考えているコルベールではあるが、カーロの任務に対する愉し気な感情も、マルタンの任務に対する不安から来る地に足が着かない感情も咎めるつもりはなかった。

 悪に対して正義を執行することで感情が昂ることも理解でき、悪に対して恐怖を覚えることも理解できるコルベールは彼らに何を言うでもなく、ただ見つめているのであった。


「っと。すんません、副長」

「ごめんなさい」


 コルベールの視線に気づき、すぐに態度を改めた二人はコルベールに指示された位置に並ぶ。

 前には二人の“火”の系統の攻撃タイプの魔法使いメイジ。そして、後衛には“水”の系統の回復タイプの魔法使いメイジ。

 前の二人が攻撃を請け負い、後ろの一人が防御、そして、怪我を負った仲間を即座に回復させることのできる陣形だ。


「アンタら、何もんだ?」


 と、廃屋敷の中から一人の金髪の男が出てきた。見た目は遊び人風ではあるが、彼の目線は鋭く油断なくコルベールたちを見つめている。その所作は、彼が修羅場を潜り抜けてきたことを端的に示していた。


「魔法研究所実験小隊」

「は? なに、それ?」

「……」

「あん? 答える気はないってか? なら、答えたくなるようにしてやらなくちゃなァ。おい! 出てこい!」


 男の合図で廃屋敷の玄関扉が開き、ぞろぞろと男たちが出てくる。その数、5名。手に思い思いの武器を取り、コルベールたちに向ける。

 その何れも立ち振る舞いは慣れており、幾度となく死線を掻い潜ってきた猛者たちだと見て取れる。実験小隊が立ちあげられたのが一年前であるコルベールたちと彼らでは、年数で言えば彼らの方が長く裏の稼業に携わっているのだろう。


「“噴火”」


 だが、経験はコルベールたちに軍配が上がる。死を死で上塗りしていくほどの濃く重く圧し掛かるほどの一年間の戦いの経験がある彼らにとって、目の前の男たちは羽虫程度の脅威でしかなかった。集まれば煩いものの、自分たちに傷を負わせることはできない。

 ギャングのような力を誇示するような手法での戦いではなく、一瞬でも気を抜いたら殺される。そのような戦いの中で生き抜いてきたコルベール、カーロ、マルタンは人を殺してきた経験はギャングの下っ端には及びもつかないほどのものであった。


 カーロの魔法、“噴火”は地面より溶岩を相手に向けて放つ最上級魔法スクウェア・スペル。火・火・土・土と系統を足すことで発動する“噴火”の魔法は一番前にいた遊び人風の男を一瞬で溶岩の中へと飲み込んだ。


「ギュラさん!? 熱ッ!」


 突如、地面から天へと向かって立ち昇る溶岩の柱に飲み込まれた遊び人風の男を呼ぶ男だったが、体勢を崩し地面に倒れる。


 一体、何が?


 痛みの奔る右足に視線を向ける。


「ヒッ!」


 そこには、炭化した自身の右足があった。次いで、来きたる多大な痛みと熱さ。


「熱い熱い熱い熱い!」


 尋常ではない熱と痛みに皮膚という皮膚から汗を垂れ流して男は叫ぶ。熱さと苦痛の中、必死で周りを見渡す男の傍には二体の黒焦げの死体と今の自分と同じように火によって地面に転がって泣き叫んでいる二人の姿があった。


「さすが、副長。速いっすね」


 男は言葉を発した男に目をやる。金髪の男が話しかけるのは黒髪の青年。その瞳には何も映さず、感情もなくただ殺めるだけの、およそ生物とは思えない男と目が合う。


 鈍い思考の中、男は理解した。目の前に立つ者たちは危険だ。特に、蛇のような冷酷な黒髪の男はヤバイ。今まで気がつかなかった。攻撃を受けて初めて気がついたが、あの“副長”と呼ばれた男は何の感慨もなく俺たちを焼き尽くす。

 隣に転がる黒焦げのファミリーだった物体のように、いつ男の心変わりが起きて二目と見られない姿になるのか分からない。


「助けてくれ! 敵だ! 杖を持っている奴が三人! メイジだ! 誰か! 誰か、助けてくれ!」


 だからこそ、男は叫んだ。黒くなった右足を押さえ、声の限りに叫んだ。


 誰でもいい、助けてくれ、死にたくない。


 果たして、男の願いは叶うことはなかった。不条理な現実が男の顔に影を落とす。青い炎が灯す光を逆行に、男の前に立っていたのは自分たちを“魔法実験小隊”と名乗った黒髪の青年だった。

 魔法実験小隊がどこの所属で、何を目的に動いているのかは知らない男であるが、目の前に立つ男の冷たい目を直視した途端、自分の行く末を悟る。


 ――俺は死ぬ。


 体が動かない。力が入らない。泣き喚きたいほどの恐怖に駆られているのに、顔の筋肉は微塵も反応しない。それなのに、思考は加速し想像の羽を伸ばす。

 想像の羽は悪魔のごとき姿だ。焼かれる、煙を立てる自分の体、喉に絡みつくは熱い空気。男の頭の中の想像は正しく地獄であった。


「“清水”」

「はい、お任せください」


 だが、男の想像通りには事は進まなかった。

 蛇を思わせる青年は男の横を通り過ぎ、金髪の仲間を引き連れてアポロニア・ファミリーのアジトの中へと姿を消していく。


「ごめんなさい」


 トリステインで最も悪名高いギャングのアジトの中へと何の気負いもなく入っていくコルベールたちの姿を見つめていた男の隣へと、マルタンはいつの間にか移動していた。

 コルベールに比べて、マルタンの風貌は優し気であり、男は油断した。いや、マルタンに集中することができなかったと言うべきだろう。コルベールの視線の呪縛から逃れた男は、右足の火傷の痛みを感じる。コルベールの視線の恐怖により忘れていた大きな痛みは、隣のマルタンがメイジであることを、男の認識から疎外させるには十分な効果を持っていた。

 かくして、男は再び悲鳴を上げることになる。その後、男はマルタンに掛けられた水の魔法の実験により命を落とすことになるのだった。しかし、それは彼にとっては、まだ幸福なことだろう。


 なぜなら、彼はその目で見ることができないからだ。

 隣にいた彼の仲間、もちろん、太陽の下で大手を振って歩けるような者たちではないが、彼自身はかけがえのない仲間だと感じていた者たちが自身と同じように、魔法の実験体として使われる場面を見なくて済んだのだから。


 声の限りに叫びながら死んでいく彼らを済まなそうな顔付きで観察しながら、マルタンはデータを記録していく。

 そのデータから導き出される結果は、実験している魔法は理論の時点で間違っていると思われる魔法であるということだった。

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