ミシェル・ド・テリエ

 ミシェルから屋敷の中に案内されたコルベールは周りの調度品を見て、ほぅと溜息をつく。それは、どれもが逸品揃いの品。贅を極めた上流階級の貴族の証だ。そして、テリエ家にとって、ここは別宅である。つまり、本邸はここ以上に金が掛かっている豪奢なものだと予想ができた。


 ならば、自分は身分違いではないか?

 テリエ家のような上流階級の貴族と共に、暗部のような任務ではあるが、仕事ができること自体が恐れ多いのにも関わらず客として邸宅の中に入るのはいかがなものかとコルベールは自問自答する。


「どうぞ」


 しかしながら、テリエの誘いに断りを入れることの方が失礼だと結論付けたコルベールは勧められるままロビーから繋がる扉を潜った。

 予想はしていたとはいえ、その豪華絢爛な様子にコルベールは目を丸くする。トリステインでは珍しい全てがガラス製のテーブル。ふちは金で縁取られながらも、ケバケバしさはなくガラスの透明と上手く調和している。テーブルの形はスタンダードな縦長のものである。華美になり過ぎず、それでいて見る者を引き付ける、まさに芸術品とも言えるテーブルがコルベールを迎え入れた。

 壁際に控えていたテリエ家のメイドが椅子を引くが、それに気がつかないほどコルベールは目の前の光景に囚われていた。繊細優美な調度品、そして、自分が尊敬して止まない人物と彼の娘である可憐な令嬢。コルベールにとっては、まさに夢のような光景であった。


「君を驚かせることができたようで幸いだ。このテーブルをガリアから取り寄せた甲斐があった」

「こ、これは申し訳ございません。余りにも素晴らしく見惚れておりました」

「私はマホガニー材で作られたテーブルがいいと思っていたが、ミシェルの一声でこちらのガラスで作られたテーブルにした。いや、どうしてなかなか映えるものだ」


 満足そうに頷くテリエは今だに椅子に座っていないコルベールに座るように促す。緊張した面持ちで促された椅子に座るコルベールはガラス製の長テーブルの端に座るテリエから正面のミシェルへと視線を移した。

コルベールと視線が合ったミシェルは彼に優しく微笑む。

 学院では浮いた話が全くなかったコルベールにとって、彼女の微笑みは何よりも彼の心を打った。


「では、食事を始めよう。本当は私が作りたかったのだが、私の料理の師であるシェフから夕食の調理は止められていてね」


 お茶目にウインクをするテリエ。それを合図に給仕たちが一斉に動き始めた。

 その日のディナーはコルベールにとって、一生忘れることのできない思い出となった。湯気を立てソースで煌めかせられている料理は目にも鮮やかで、それを口に運ぶ銀の食器は曇り一つなく煌びやかに光を反射する。煌らかなテリエやミシェルの話はコルベールのことを称賛する内容が続き、恥ずかしがりながらも彼にとって居心地は悪くなかった。

 それは正しく貴族の食卓であったのだ。


+++


 テリエ家の客間に通されたコルベールは大きく伸びをする。

 ヘルトリングの事件に、それに対するテリエの考察、そして、今現在続いているテリエ家への宿泊。

 そのどれもがコルベールにとって非日常的な出来事であった。


「ジャン、少しいいかしら?」

「ミシェル様?」


 扉の外から聞こえてきたミシェルの声にコルベールは驚く。もう夜も更けたというのに、どのような用事だろうか?

 ミシェルが自分を訪ねてくる理由が何も思い浮かばなかったコルベールだったが、聞かなければ何も始まらないだろうと考えた彼は扉を開ける。


「夜遅くにごめんなさい、ジャン。お父様の前では話し辛いことがあったの。あなたさえ良ければ聞いてくれるかしら?」


 恩人の娘であり、コルベール自身は恐れ多いということで否定するだろうが、好意を抱いているミシェルの頼みだ。コルベールにとって、彼女の頼みを断るという選択肢は存在しなかった。


「もちろんです。どうぞ」


 そうコルベールが促すと、ミシェルとそのメイドがコルベールに貸し出された客室へと入っていく。彼女らが部屋の中に入り切った所で、コルベールは失礼のないように音もなく扉を閉めた。


「座ってもよろしいかしら?」

「ええ」


 コルベールに一言、声を掛けたミシェルは部屋にあったベッドサイドテーブルの椅子に座る。彼女に続いてコルベールも空いている椅子に腰掛けると、二人の目の前にワイングラスがそっと置かれた。ワインがグラスの中に注がれていく。ミシェルの後ろに控えていたメイドの仕業だ。優雅で洗練された仕草にコルベールは感心する。

 と、ミシェルがグラスを持ち上げた。それに応じる形でコルベールもグラスを持ち上げる。高く軽い音が響いた後、二人はワインを口に含んだ。

ワインで口を湿らせたミシェルはゆっくりと口を開く。


「お父様とあなたのことで少しお話しがあるの」

「テリエ様と私、ですか?」

「ええ、二人ともあまり体調がよくなさそうに思えるわ。お仕事が忙しいことは分かっていますが、二人とも自分の体には興味がないように見えるの。お父様には私から言ってみたのだけど、笑って流されてしまって。それで、ジャン。あなたの方からもお父様に体に気をつけるように言ってくださらない?」

「かしこまりました」


 小さく溜息を吐いたミシェルは視線をグラスに向けたまま言葉を繋げる。


「お父様は昨日の夜も帰って来なくて。忙しいとは思うのですが、もう若くないし、お仕事は程々にしなくては体を壊してしまいます」

「申し訳ございません。明日からは早く切り上げるようにテリエ様に私からお伝えしますのでご安心を」

「そうじゃないの。ジャン、それだとあなたの負担が大きくなるわ。あなたも疲れているでしょう? キチンと休まなきゃダメよ」


 身を乗り出して、ミシェルは陶磁器を思わせるような白い親指でコルベールの目の下をなぞった。

 最近、睡眠不足だったからか隈ができていたのかもしれない。

 コルベールはミシェルの行動に内心、動揺をしていながらも実験小隊で培った感情コントロールにより表情には出さないように心掛けた。


「私が伝えたかったのはそれだけ。無理は禁物よ、ジャン」


 そう言って、ミシェルは椅子から立ち上がる。


「良い夜を」

「はい。ミシェル様も」


 最後に挨拶を残して、ミシェルは部屋から出ていった。残されたコルベールはなんとなしに自分の涙袋を触る。触った所で何も分かるハズはないと気がついたコルベールは軽く笑った。


 彼女といれば、自分の冷え切った感情を温め直して貰う事もできるかもしれない。そうなれば、彼女との結婚生活は素晴らしいものとなるだろう。そして、彼女の父親のテリエ隊長は公私に渡り、仁徳があり、自分の恩人であり、そして、自らが汚れを被ることを厭わない人物だ。

 更に、家格が重要視されるトリステインでは珍しく家格に拘らず、一人一人に対して適正な評価を下してくれる方だ。


 また、テリエもミシェルも自分のことを高く評価していた。それこそ、婚約者としてミシェルと付き合ってみないかというテリエの提案にミシェルもまた嬉しそうに頷いていた。それに対するコルベールの返事は、今はまだ忙しい時期ということで言葉を濁してしまっていた。しかしながら、心の中ではミシェルと共に、そして、テリエと共に居たいという答えを出していた。


 それなのに、どこか踏ん切りがつかない。他の実験小隊の隊員が今のコルベールの様子を見たら、信じられないという顔をするだろう。それほど、常に冷静で合理的なコルベールが出す答えと今のコルベールが出す答えは違っている。


「なぜ、私は迷っているのだろうか?」


 コルベールの呟きに答える者はおらず、彼の声は夜の闇が飲み込んでいった。

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