出会い

 実験小隊、指令室の中でテリエは書類を片付けていた。最近は実験小隊に回される案件が落ち着いてきており、これならコルベールの実験小隊の副長就任を祝う祝賀会を行うことができそうだと彼は笑みを溢す。

 半月後には、第二期の隊員の入隊も控えている実験小隊は規模の拡張に付随した纏め役としての副長が必要不可欠だとテリエは考えていた。そのためには、実験小隊内で一番の魔法の使い手であるコルベールという力の象徴を副長に、そして、運営面ではかつてトリステイン陸軍大臣として経験豊富なテリエという知の象徴を隊長に据えることが理に適っている。そして、その二人の良好な関係を内外にアピールするためにもコルベールの副長就任の披露は必要なことである。

 実験小隊はトリステインの暗部とも言える組織。その組織が一枚岩だと思わせることは魔法研究所アカデミーに対して多少の牽制、そして、交渉事の際は上手に出ることができることをテリエは狙っていた。


「む?」


 思考を止めて、椅子に深く腰掛けながら一息つこうとしていたテリエの耳に焦ったような早い歩みの足音が聞こえてきた。

 どうせ、ドジのアルフレッドだろう。

 テリエはそう検討をつけた。彼が“ドジ”と評した実験小隊員であるアルフレッド・マルタンは水のスクウェアメイジである。水系統の代名詞と言われる“治癒”の魔法のエキスパートであるマルタンであるが、その他のことは苦手、端的に言うとダメである。

 元々、テリエが市井で燻っていたマルタンを見つけ、実験小隊に編入させたという経緯がある。つまり、彼は平民出身であるということで貴族の礼がよく分かっていない。そのことから、王宮には出さない、出してもテリエが傍に控えてフォローすることが常となっている。

 メイジの才を始祖に愛されているというのに、残念な奴だ。それが、テリエがマルタンに抱いた印象である。そして、今現在、近づき続けている足音はマルタンのものだとテリエは判断した。このように足音を鳴らしながら廊下を渡る者は実験小隊の中でマルタン以外にはいないからだ。

 足音が実験小隊の執務室の前で止まり、間髪入れずに扉が勢いよく開く。


「隊長、お時間を頂いても?」

「ジャン?」


 だからこそ、テリエは驚いた。マルタンではなく、礼を重んじて普段は物静かなコルベールが足音を鳴らして廊下を渡り、更にはノックもなく扉を開いた。考えられないことだ。

 テリエはコルベールのいつもとは全く違う様子に眉を顰める。

 冷静という言葉を人型にしたらコルベールになる。そうテリエが思うほど感情の起伏が少ないコルベールが今は焦っている。表情は変わることがないものの。彼の行動からコルベールの内心を読み取ったテリエは椅子から身を乗り出してコルベールを真剣な顔付きで見つめた。


「ジャン、まずは座りなさい。君が落ち着いてから話をしようじゃないか」

「申し訳ございません」


 テリエの低く優し気な声はコルベールに冷静さを取り戻させた。少し前の自分の行為を恥ずかしく思ったコルベールはその頬を僅かに羞恥に染める。

 静かになったコルベールに、椅子に座るように促したテリエは立ち上がり、実験小隊の指令室に備え付けている簡易キッチンの前に立ちながら、杖を取り出す。


「紅茶を淹れよう。少し待っていてくれ」

「かしこまりました」


 無言の時間が続く。テリエがティーセットを用意するカチャカチャという陶器が擦れる音だけが司令室の中に響いていた。


「で、どうしたのかね?」


 テリエはコルベールにカップを差し出す。ティーカップを受け取ったコルベールは、その中に入った緋色の液体を啜り、唇を薄く開いた。


「隊長はご存知でしょうか? 最近、トリステイン在住のゲルマニア人が次々と殺害されていることを」


 『ああ』と言ってテリエは顔を顰める。


「もちろん、私の耳にも入っている。痛ましい事件だ。今日の件で確か五件目だったか」

「ええ。おそらく犯人は土系統の魔法使いメイジだと思われます」

「なぜかね?」

「犯人は犯行現場に青銅の髑髏どくろを残していたそうです。そして、今日の事件はそれよりも大きな死神の像が現場に残されていました」


 コルベールの話を聞き、テリエは一つ頷く。


「なるほど。ジャン、君の言う通りだ。犯人はメイジに違いない。殺害した後に“錬金”で青銅を作り出したのだろう。ならば、土系統を得意とするメイジ考えられる」


 頷くコルベールにテリエは『だが』と続ける。


「そう思わせることが犯人の狙いだとしたら?」

「そう思わせること?」

「そうだ。犯人は態々、精神力を削り魔法を行使した。それには、意味があると考えられる。自分自身を表すという意味が。これは分かるかい?」

「はい。行使された魔法を特定することで、そのメイジの力量を判断することができます。自分自身を表すとはそういうことでしょうか?」


 テリエは頷いて、言葉を続ける。


「そのことを知らない犯人ではないだろう。魔法を使うことができるのは、例外がほんの少しいるが、多くは貴族だ。つまり、それなりに教育を受けてきて頭の作りはいいと考えられる」


 コルベールに視線を合わせたテリエは彼に質問を投げかける。


「そう仮定すると、なぜ犯人は自らに繋がる情報を残したのか?」

「まさか……はったりブラフ?」

「だろうな。火系統の君でも、土系統の魔法でに位置する錬金の魔法は使うことができるだろう?」

「はい、錬金の魔法は私も使うことができます。つまり、犯人は自分を土系統の魔法の使い手と思わせるために、青銅の死神の像や青銅の髑髏を残したということでしょうか?」

「私はそう考える。いや、そう考えた方が自然だ。尤も、犯人が平民、又は、馬鹿な貴族であった場合は自己顕示欲が溢れる愚か者であるがね。だが、その場合は愚か者であるにも関わらず、憲兵に捕まらないというのも可笑しな話。やはり、使える魔法の系統を偽る目的であると考えた方がいいだろう」

「隊長の慧眼、御見それいたしました」


 テリエはコルベールの賛辞を鼻で笑う。


「ここまで偉そうに述べてきたが、これはあくまでも私の予想でしかない。もしかしたら、真実は私の予想より複雑怪奇なものやもしれん。真実が明らかになるまでは、どんな称賛も意味がないということを覚えておきたまえ」

「はい。申し訳ございませんでした」

「いや、気にしなくてもいい。それより、ジャン。今日、その連続殺人犯によって殺害されたのは君の友人かね?」


 テリエの質問に対するコルベールの反応は無言。コルベールはまだ心の整理ができていないのだろうと気づいたテリエは、コルベールが自ら口を開くまで待った方が彼の心の負担にならないと考えて口を閉じる。


「……はい。魔法学院で共に学んだ友人です」

「そうか。それは済まないことをしてしまった」


 テリエは椅子から立ち上がって回り込む。コルベールの肩を優しく叩き、悲痛な面持ちで彼に言葉をかけるのであった。


「辛いことを聞いてしまったな」

「いえ、隊長のせいではありません。私から相談したことですので。それに、犯人の手掛かりが掴めました」

「ジャン。君はその犯人を捕まえようとしているのかい?」

「はい。相手はメイジで連続殺人犯です。実験小隊が出るべきではないでしょうか?」

「出るべきではないな」


 テリエはにべもなく言い切る。


「しかし、隊長。隊長は犯人についての素晴らしい推察をされていますし、我々が調査した方がいいのではないですか?」

「憲兵の管轄だ。我々は表に出せないような事件を闇に消すことが任務。今回の事件は大きすぎる。君の友人はゲルマニアの大使だろう? 今回の事件はとてもではないが、秘密裡には処理できん」


 コルベールは視線を落とす。自分は残酷に殺されたエイブラハムのために何もできないのか? いや、できない。事件自体が始めから自分たちが担当できるようなものではない。自分には、何も、全く何もできない。


「コルベール“副長”」

「は、はっ!」


 歩き始めたテリエはコルベールの隣から移り、窓から影になった王宮の庭を眺める。


「だからこそ、実験小隊の地位を高めなければならないのだ。我々が多くの事件を担当できるように、そして、迅速な解決に導くために。そのためには、我々、実験小隊員が一丸で事に当たっているということを示さなければならない」


 テリエは一度、言葉を切る。


「そのために、君にある人物を紹介したい」

「ある人物……ですか?」

「ああ、私の娘だ」


+++


 夕日に照らされる街道を一大の豪奢な馬車が駆け抜ける。馬車には、本日の仕事を全て終わらせたテリエとコルベールが乗っていた。


「ジャン。緊張しなくてもいい。娘は私と同じく気さくな子でね。君もきっと気に入ると思う」

「……はい」


 隊長は緊張しなくていいとおっしゃったが、それは無理だ。自分のような煤に塗れた男が陸軍大臣にも就いたことのある大貴族、ド・テリエ家の門を潜るなど恐れ多い。

 コルベールの心中にまでは、テリエと言えども察することはできなかった。生真面目なコルベールは女性と会うこと自体が緊張することだと思い込んでいるテリエは、その実、テリエ自身もコルベールから畏敬の対象となっていることが思考から全くないのだ。

 コルベールは馬車の行先について思いを馳せる。

 ド・テリエ領はトリスタニアの街から遠く離れており、領地の管理は実験小隊隊長であるフランソワ・ド・テリエの息子であるジュール・ド・テリエに任せているため、テリエはトリスタニアにある別宅に住んでいる。今、向かっているのは、そこだ。

 王宮に務めている者で領地から出ている者については、王城の近くに屋敷が構えられており、平民が多く住んでいる下町とは川で区切られている。貴族ではあるものの、吹けば飛ぶような地位で、魔法研究所に備え付けられた寮暮らしのコルベールにとっては、現在、馬車が進んでいる貴族の居住区は馴染みのない場所であった。


「もうすぐだ」


 テリエが呟くと同時に馬車のスピードが緩んだ。ガタンと馬車に衝撃が響いた所から、門を通り敷地内に入ったのだろうとコルベールは当たりをつける。しばらく、柔らかな芝生を進む感触を馬車の車輪からの振動を感じていると馬車が更に速度を落とし、やがて、その動きを完全に止めた。


「行こうか、ジャン」

「はい」


 御者が開けた扉からテリエが出ると、それを待っていたかのように鳴る鈴を思い起させる声が夕暮れの空に響いた。


「お父様! なぜ、昨日は帰ってきてくださらなかったのですか? 今日のことで、お話をしたかったのに」

「済まない、ミシェル。昨夜は仕事が残っていてね」


 馬車から降りたテリエは外からコルベールを促す。


「あら!」


 コルベールが馬車から降りてくるのを見たミシェルとテリエに呼ばれた女性は目を丸くする。


「お恥ずかしい所を……」

「いえ、お気になされずに」


 コルベールは頭を下げている目の前の女性を見る。

 豊かな金の髪が春風に揺れている。彼女はゆっくりと頭を上げた。コルベールの息が少しの間、止まった。

 白く透き通るような肌、薄い桃色の小さな唇、顔の中央に位置する小さな鼻、女性特有の柔らかそうな頬、整った髪と同じ色の眉、大きな緑色の瞳。その相貌は美しいとしか言いようがない。

 更に、羞恥で赤くなった頬や目じりに溜まった涙は男にとって、最高にそそられるエッセンスだ。

 そこには正しく令嬢と言える存在があった。


「ご挨拶が遅れました。フランソワ・ド・テリエの娘のミシェルと申します」

「これは、ご丁寧に。ジャン・コルベールです。お嬢様につきましては……」


 姿勢を正したコルベールをミシェルの微笑みが止めた。


「そのような固い挨拶は私たちの間に必要ありませんわ。お話は常々、お父様からうかがっておりましたの」

「テリエ様から、でございますか?」

「ええ。コルベール様は素晴らしい火の魔法をお使いになられる、と。それだけではなく、現状に満足せずに研鑽を積む方だと聞いております」

「それは、買被りというものでございます」


 魔法の研究をしている時は何も考えなくていいから、燃やしたことを思い返さなくていいから入れ込んでいるだけで、そこに素晴らしいという評価は全く適していない。しかし、その言葉はコルベールの口から出る前に、テリエの言葉で遮られた。


「夕日に照らされる美しい娘と素晴らしい若者が話している様子を見るのも乙なものではあるが……夕方はまだ少し肌寒い季節でね」

「あら、ごめんなさい、お父様。そして、コルベール様も申し訳ございません。すぐに屋敷に案内致します」

「よろしくお願いします。ミス・テリエ」


 コルベールの少し前を歩いていたミシェルは振り返る。金髪が沙羅と鳴り、夕日の中で優しく微笑む彼女は絵画、いや、そのような表現では足りない。神が作りし芸術の一瞬にコルベールは囚われた。


「ミシェルと呼んでくださいな、ジャン」

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