遠くの場所へ

 実験小隊に充てられた指令室を退出し、王宮の中をコルベールは歩く。

 と、前方に赤色の衣を纏った者がコルベールの目に入った。以前、実験小隊の成立時にテリエと共にトリステイン王に謁見した際に控えていた者だ。

 リオンヌ枢機卿。齢50にして枢機卿の位についた者の名である。非常に優秀、且つ、トリステイン王の信頼も厚い。


猊下げいか


 コルベールは跪く。コルベール、というよりトリステインの貴族は皆、ブリミル郷の信者であり、ブリミル郷の中でも頂点に近い位置に立つ枢機卿には最大の礼を尽くすことは当然のことである。

 しかし、リオンヌは変わり者であった。


「そのようなことは止めてください。私は始祖に仕える身でしかなく、尊いのは始祖とその末裔であります。私に礼を尽くす必要などはございません」


 誰に対しても、それこそ平民に対しても礼儀正しく振る舞う様子からリオンヌは影では“ひら枢機卿”と揶揄されている。ペコペコと頭を下げて申し訳ない様子を浮かべた表情、その眉が地面と平行になっていることから付けられたと実しやかに噂されていた。

 しかし、その噂はリオンヌが枢機卿の位についた時から言われ始めたことであるので、リオンヌ自身はそれが嫉妬に駆られた者の仕業であることを見抜いていた。そして、リオンヌが出した結論は、取るに足らない些事であるので取り合わないこと。リオンヌの対応もあり、今や噂は下火となっていた。


「あなたは……確かテリエ侯爵の」

「ええ、部下のコルベールと申します」

「ミスタ・コルベール、お立ちになられてください」


 跪くコルベールに向かって両手を差し出しながらリオンヌは立ち上がるように促す。すっと立ち上がったコルベールに向かって微笑みながらリオンヌは頷いた。


「ミスタ・コルベール。テリエ侯爵から聞きましたよ。トリステインのために力を貸してくれていることを。ですが、少しやつれていますね? よろしければ、私からテリエ侯爵にあなたを休ませるよう要請しますが」

「いえ、猊下のお手を煩わせるなど恐れ多いことでございます。それに、今の状況は私自身が望んだことでございますので」

「そうですか。ですが、体調に不安があれば、いつでも私に相談してくださいね。力になりますから」

「お心遣い、感謝致します」


 最敬礼をしたコルベールにリオンヌは『そうそう』と話題を変えつつ、コルベールの視線を上げさせる。


「確か、ミスタの年齢は18歳でしたよね?」

「はい」

「なら、彼のことを知っているかもしれませんね。こちら、ゲルマニア大使のミスタ・ヘルトリングです」

「ご紹介に預かりましたエイブラハム・フォン・ヘルトリングでございます。以後、お見知りおきを」


 リオンヌの後ろに控えていた男が進み出る。茶目っ気たっぷりにウインクをしてくるヘルトリングにコルベールは軽く会釈を返す。


「君は相変わらずクールだな、ジャン」

「猊下の前でありますので、お控えください。ミスタ・ヘルトリング」

「猊下はいつも通りの態度でいいとおっしゃられた。それに従わないのはいけないことだろう?」

「屁理屈を」


 二人の親し気な様子を見たリオンヌは満足げに笑って二人に頭を下げる。


「私はこれで失礼させて貰いますね。お二人はごゆっくりなされてください」


 離れていくリオンヌの背に向けてコルベールとヘルトリングは深々と頭を下げた。リオンヌの姿が見えなくなるまで頭を下げ続けていたが、リオンヌの姿が廊下の角から消えていくのを見送って、二人は同時に頭を上げた。


「久しぶりだな。魔法学院を卒業してからだから一年ぶりか」

「ああ、そうなるな」


 旧友に会えた喜びで破顔させるヘルトリングはトリステイン魔法学院でコルベールと共に学んでいた学友だ。元々、ゲルマニアの貴族だったヘルトリングであったが、トリステイン魔法学院の留学生として在学していた。

 学生の頃から彼は、歴史的な溝があり関係が良好とは言えないゲルマニアとトリステインの関係を良くしたいという夢があった。そのためには、トリステインのことを知らなくては話にならないと考えた彼はトリステイン魔法学院へと留学を決めたのだ。

 トリステイン魔法学院に留学したヘルトリングだったが、入学当初は上手くいかなかった。トリステイン人である多くの学生たちはゲルマニア人であるヘルトリングに悪い印象を覚えていたからだ。

 多くのトリステイン人は隣国であるゲルマニアと度々、国同士で衝突していた歴史からゲルマニア人をよく思っていない。そして、戦争で国に駆り出される貴族にとって、その傾向は顕著である。

 だが、ヘルトリングは諦めなかった。持ち前の明るさと人を引き付ける魅力的な会話で以って、最終的には学院の多くの生徒と友になったのだった。下級貴族であるということで、学院の家格の高い生徒たちと自分を比べて肩身の狭い思いを持っていたコルベールも例外にならず、ヘルトリングとはそれなりに親しい付き合いをしていた。


「ジャン。君は今、何をしているんだい?」


 『そう言えば』と前置きをし、ヘルトリングはコルベールに尋ねる。それに対しての答えをコルベールは用意していた。リオンヌの後ろにヘルトリングが控えていることに気がついていたコルベールは、もしヘルトリングと話すことがあれば自分の近況を聞かれることを予想していたため、それに対する返答を考えていたのである。


王立魔法研究所アカデミーの研究員だ」


 コルベールの答えにヘルトリングは驚いた表情を浮かべた。

 この答えは嘘ではない。

 実験小隊はアカデミーの一部隊という立ち位置である。ただし、多くの人がアカデミーの仕事と聞いて想像するのは、実験小隊が行っている任務のような後ろ暗い内容ではなく、新しい魔法の開発やマジックアイテムの解析といったものなのではあるが。


「アカデミーなのか。てっきり君は軍属なのかと思っていたよ。君の魔法は凄かったし、魔法衛士隊に入れてもおかしくないと俺は思っていたんだが」

「いや、私は所詮、下級貴族出身だ。煌びやかな魔法衛士隊は似合わない」

「そのようなことはないと思うぞ。君は素晴らしいメイジだからな」

「止めてくれ、そのようなことはない。エイブラハム、君こそ素晴らしい仕事をしているじゃないか。ゲルマニア大使だろ?」

「いや、まだまだ勉強中の身だよ。今回、トリステインに来たことだって当たり障りのない仕事だ。だが、あと五年後には俺は大使として頼られる人間になる。この杖に誓おう」


 そう言って、ヘルトリング胸元から黒い杖を出した。


「学院の時の君の杖とは違うな」

「ああ、魔法学院を卒業して新調したんだ。これからのトリステインとゲルマニアの架け橋となる。その決意を込めてね」


 そう言ったヘルトリングの顔は希望で輝いていた。

 その様子を見て、コルベールの胸が痛む。自分は汚れ仕事、対して彼は輝く仕事。あまりにも大きな差だ。


「おっと、すまない。もう時間だ。ジャン、また今度」

「ああ、また」

「あ! ジャン、明後日は予定があるかい?」

「明後日か? 空いているが」


 任務は入っていない。というより、実験小隊が稼働するのはそう多くはない。任務が入れば辺鄙な場所まで赴くこともあるが、そのようなことは稀だ。


「それは良かった。俺も明後日は空いているから、明後日の夜にでも酒を酌み交わそう」

「……ん。分かった」

「ありがとう! 」


 慌ただしく去っていくヘルトリングを見送ってコルベールはゆっくりと足を出す。何か自分にも誇れるものがあれば、エイブラハムが食事の時にそれを教えてくれればいいのだがと思いながらコルベールは自室への道を再び進み始めたのだった。


+++


 ヘルトリングと別れ、アカデミーより割り当てられた自室、広さは魔法学院と変わらず家具も魔法学院に在籍していた時と同じでベッドと机と本棚しかない簡素な部屋だ、へと辿り着いたコルベールは黒のローブを脱ぎながら考えを巡らす。

 煤に塗れた自分のこの恰好はゲルマニア大使になったヘルトリングと会うには不適切だ。しかし、クローゼットには、今、コルベールが着ている服と同質のものしか入っていなかった。

 服を買い替えないといけないな。明日は任務も入っていない。明日の昼ごろに街に出るとしよう。

 一旦、結論を出し、コルベールは閉め切ったままのカーテンを見遣る。カーテンの向こうには燦々と輝く太陽。しかし、夜行性の蛇は床につく時間だ。ベッドに潜り込み、コルベールは目を閉じる。

 目を閉じても彼の瞼の裏は赤かった。それは、夜に自身が燃え散らかした炎の色か、それとも、夜に食い散らかした者の血の色か判別は付かなかったが、赤い色という結果は同じだということに気づいたコルベールはきつく目を閉じる。

 結局、彼が眠りに落ちることができたのは、ここから三時間後のことであった。


+++


 ヘルトリングとの約束のためにトリスタニアに出たコルベールは街の喧噪に気がついた。街を行き交う人々の顔付きを見ると、随分と穏やかではない様子が見て取れた。破壊することしか能のない自分ではあるがメイジである。浮遊呪文レビテーションなどであれば、人々を傷つけることなく役立てるだろうと考えたコルベールは多くの人が進む方向へと足を向けた。

 トリスタニアを進むコルベールの前に人だかりとその中心と思われる位置にある像が見えてきた。その周りにはトリスタニア憲兵が人垣に下がるように声を張り上げている。

 あのような場所に像はなかったハズだが。

 コルベールは心の中で眉を顰める。人垣の一番後ろにつき、何が起こったのか知るため周りの喧噪に耳をすます。


「憲兵が言っていたんだけどよ。今度もゲルマニア人らしいぜ」

「またかよ。今月入って何件目だ?」

「5件目だ。ゲルマニア人はあまり好きじゃないけど、こんな死に方は流石に可哀そうになってくるな」

「ああ、同感だ。段々、犯行が残酷になってきてるよな」

「全くだ。初めは青銅の髑髏どくろを被害者の隣に置くだけだったのに……。見てみろよ。今度は死神の像まで作っていやがる」

「悪趣味な奴もいたもんだな、本当に」


 眉を顰め、小声で囁きあう二人の男の会話を聞きながらコルベールは得た情報を整理する。

 どうやら、連続殺人事件らしい。しかも、猟奇的な犯行。そして、犯人はメイジだと考えられる。魔法なしで死神の像を運ぶことは非常に難しいことであるし、死神の像は見たところ青銅制だ。最下級であるドットクラスのメイジでも魔法で作り上げることのできる素材であるし、メイジならば簡単に犯行に及ぶことができる。

 となると、自分たちに回される事件の可能性もある。トリスタニア憲兵の調査で犯人が貴族であり、表に出せないような立場の人間だったならば昨夜と同じように実験小隊に回される案件になるだろう。それならば、少しでも情報を集めて置いたほうがスムーズに任務を遂行できるだろう。

 いつの間にか自分たちの家の防犯体制へと移行していた男たちの話を聞き流しながら、コルベールは自分に背を向けている死神の像に視線を注ぐ。

 痛ましい事件だ。

 そう思っても、自分には何もできることはない。一応、テリエ隊長の耳にこの事件のことを報告しておくべきだろう。そして、憲兵の調査結果を待つ。

 踵を返し、事件現場から離れようとしたコルベールの目が留まった。集まった人たちの頭の隙間から見えた黒い一つの杖。


『魔法学院を卒業して新調したんだ。これからのトリステインとゲルマニアの架け橋となる。その決意を込めてね』


 友人の声が聞こえた気がした。鼓動が早まる。確かめなければならない、確かめなければならない。

 コルベールは人混みを回り込む。その足は知らず知らずの内に早くなっていた。

 そんなハズはない。そのようなことがある訳がない。

 死神の姿を正面から目に入れたコルベールの目が驚きで大きくなる。感情を決して表に出さないと自分自身で決めたコルベールであったが、この時ばかりは彼の表情は心の内をしっかりと表していた。

 死神の像が遮る太陽、その影の中にあってコルベールはただ一言、言葉を漏らした。


「なぜだ……エイブラハム」


 青銅で作られた死神の手に握られていたのは、エイブラハム・フォン・ヘルトリングの変わり果てた頭蓋であった。

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