魔法研究所実験小隊

 宮中というのはどの国でもそうだが、大変煌びやかな世界である。金糸や宝石で着飾った貴族たち、太陽の光を映して銀色に輝く衛士たち。そして、そこに在るだけで光を民草に与える王族が御座おわする場所だ。

 自分には不釣り合いだと黒の質素なローブを纏った男は自嘲する。煤に塗れた自分に向かって不審人物を見るような視線を投げかけた一人の貴族の様子を尤もだと感じながらも、男は宮中の庭が見える廊下でただ立ち続ける。

 彼が立つ場所は宮中の中でも最も北に位置する場であり、いつも影になっている場所である。太陽に当たることがないために薬庫として使用されている部屋がある場所だ。

 “水のトリステイン”と他国から言われるだけはあり、王国の首都トリスタニアに鎮座する城には数多くの魔法薬が保管されていた。火急の用がある場合に衛士に持たせる治療薬、毎日の政務に追われる貴族たちのために体力回復薬、王、またはそれに準ずる者の命令がないと使えないような禁制の薬などが保管されている。その薬の全ては状態を維持する魔法、“固定化”を強力に掛けられているものの、人間の心理的な要素が薬剤の状態を安定させるために太陽に当たらない場所に薬を保管するという選択を選ばせたのだろう。

 目の前を再び通り過ぎる貴族の手には体力回復用の薬の瓶が握られていた。黒いローブを身に纏った男は頭を下げる。体に鞭打って働く貴族は立派だと男は素直に思った。天と地が逆転しても自分が立つことのできない場所で身を粉にしながら働く者。ほんの少しの嫉妬と大いなる励ましの意を込めた礼を受けた男の返答は先ほどと同じ目線であった。


「ジャン!」


 黒いローブの男は下げていた頭を上げる。声がした方に頭を向けると彼の上司が早足ながらも優雅な足取りで自分に近づいてきている所だった。その姿を見て、黒いローブの男、ジャン・コルベールは被っていたフードを外し、顔を露わにする。

 やや垂れ目気味ではあるが、その眼光は獲物を狙う捕食者を連想させるほど鋭い。鼻は高く、鼻筋は整っており、一見すると美男子と言えるだろう。だが、彼には圧倒的に華というものがなかった。疲れた表情が華というものを消していた。全てに対し、興味がないという表情は彼のような若者がしていいような表情ではない。

 眉の辺りまで伸ばした前髪を揺らし、彼は自分のすぐ手前で止まった上司に向かって口を開く。


「テリエ隊長、お早うございます」


 人懐っこい顔を浮かべたその人物は『おはよう』と軽くコルベールに返した。


「しかし、疲れたろう? 報告は実験室で頼むよ。いい紅茶葉が手に入ったんだ。そうそう、ジャン。君、朝食プティ・デジュネはまだかい?」

「はい」

「まだなら、丁度いい! 君は私の趣味を知っているだろう? そう、料理だ。君に私の新作料理を振る舞おう。ラ・ロシェールのホテル……名前は忘れてしまったが、そこのホテルの料理が素晴らしかったのでな。何日も泊まり込んで味を覚えたのだ。その後、研究に研究を重ねて、あの味と近いものを作れるようになった。ああ、君はなんと幸運なのだろう。私が丁度、完成させた日に私と会うなんて! そうは思わないか?」

「はい」

「そうだろう、そうだろう。では、早速、向かおうじゃないか」


 矢継ぎ早に言葉を投げてくるテリエを慣れた様子でコルベールはあしらう。それは、二人の間で幾度ともなく同じような掛け合いが行われたことを証明するものであった。


+++


「これは……?」


 食事前の始祖への祈りを終えたコルベールは、出された食事を見て言葉を漏らす。

 変わらない表情。コルベールと親しくない人間ならば、そう評したであろうがテリエはほんの僅かにコルベールの眉が動いたことに気がついた。このコルベールの表情は困惑を示していることをこの1年の付き合いで十二分に知っていたテリエは、自分の料理がコルベールに与えた衝撃の大きさを嬉しく思った。


「ガリアから来た商人がラ・ロシェールのホテルに卸している“ゴボウ”というものだ。それを、薄く切り、油で揚げる。酒のつまみにも合うし、このように生野菜のサラダにもよく合う。私はハシバミ草のサラダよりも好きだと言えるな。あれもあれで分量をキチンと調整したら苦みがアクセントとなり旨いものだが、ゴボウの香ばしさには敵わないだろう」

「ええ」


 言葉は少ないコルベールだったが、その手は動き続けている。ゴボウのサラダを突き刺した銀のフォークを何度も口に運ぶコルベールの様子を見たテリエは満足げに彼の様子を見つめている。

 それからしばらくは、食器が奏でる音と咀嚼音だけが部屋の中に響いていた。ふっくらと焼き上げられたパン、そして、黒胡椒が軽く振られたオムレツと表面はカリッと焼き上げられながらも中には瑞々しい肉汁が積まれた塊のベーコン、そして、揚げたゴボウが頂上に鎮座する生野菜をたっぷり使ったゴボウサラダ。

 貴族の食卓に相応しいかと言えば、答えは“否”である。コルベールが魔法学院に在籍していた時は豪華絢爛を端的に表した朝食が毎日のように饗されていたからこそ、今の食事は貴族の食卓足り得ないと言えるだろう。

 しかし、その食卓はコルベールを心より満足させていた。元々、下級貴族であった彼は学院に通う前は質素な生活で日々を過ごしていた。いや、過ごさざるを得なかったというのが正しい。燕麦粥オートミールを啜り空腹を凌いだこともあった。

 そのために油をふんだんに使った学院の食事は反りが合わなかったというのもある。それが為、何度も学院のシェフに自分の食事だけ軽いものを頼もうかと悩んだものだった。その結末は、シェフに我儘を通すことは貴族らしくないという自身の考えの元、一度も実行されることはなかったのではあるが。


「ありがとうございます」


 目の前にあった食事はコルベールがかつて望んだものだった。心よりの感謝をテリエに述べたコルベールにテリエは手を振り、楽にするように促す。


「さて、楽しい時間があれば辛い時間があるのが人生だ。ジャン、報告を頼むよ」


 テリエは顔付きを引き締め、“魔法研究所アカデミー実験小隊、隊長”の顔へと自身の顔を変化させる。それを見たコルベールは顔付きを特に変えることもなく淡々と昨夜の報告を口にする。

 トリスタニアに違法な魔法薬を売りさばいていた悪人どもの屋敷の主人以下全員を屋敷ごと焼き消したという事実を報告していくコルベールにテリエは厳しい顔付きを維持しながら頷く。


「よくやってくれた、ジャン。昨日は人手不足ということもあって、君、一人で処理するように押し付けてしまったのが心残りでね。しかし、君を信じていたというのもある。君はトライアングルにも関わらず、スクウェアメイジにも匹敵する魔法の使い手だという信頼だ」

「ありがとうございます」

「実験小隊が新設されて一年。任される任務も多くなってきている今、君たちにかかる負担が多くなってきているが理解して欲しい」

「心得ています」


 テリエはコルベールの返事に笑みを溢す。


「新規隊員の補充のめども立っている。その準備に少し時間が掛かっているが、隊員が増えれば負担は減るだろう。驕り高ぶった魔法衛士隊には負けてられない」


 テリエの顔が曇る。

 トリステインの軍隊は王が保有する陸海空軍の他、諸侯軍、トリステイン貴族が保有する戦力をトリステイン王が徴収するという形で軍の運営を行っている。また、魔法衛士隊という貴族の子弟で編成された近衛部隊も王は持っているが、あくまで近衛部隊。王や王城の守護をその主な仕事としている部隊だ。

 そして、魔法研究所実験小隊が所属しているのは、王直轄の王立魔法研究所アカデミー。その一部隊にしか過ぎない実験小隊であるが、そこに所属するには戦闘のエキスパートの屈強なメイジたち。実験小隊の隊員と魔法衛士隊の隊員との実力には差がないと考えているテリエにとって、魔法衛士隊のように莫大な予算を王から与えられていない現状は満足できないものであった。


「魔法衛士隊は常に上級貴族だけだった。上級貴族に代わる中下級貴族からの有能な人材の登用。貴族の階級の垣根を越えた優秀な人材の確保! それは、国家の力を大きくする。そうは思わないかね、ジャン? そして、今の低予算はおかしいと思わないかね? 予算を遣り繰りして規模を拡大するのに1年も掛かってしまった。私が! 1年もだ!」

「……ええ。家格ではなく実力で以って部隊を作り上げるというのは、国力を上げるのには最短の道かと」


 少しの逡巡。

 しかし、魔法衛士隊は実力が超一流のメイジのみで構成される。家格も男爵以上の一流のメイジであるが、それはあくまでのような要素だ。メイジとしての力が強いからこそ、魔法衛士隊の隊員は隊員としていられるということをテリエ隊長は忘れているのか?

 コルベールが押し黙ったことに気がついたテリエは自らを落ち着かせる。部下の前で感情を荒げることなど普段はしないテリエであったが、今日は別の案件もあり興奮していた。

 とはいえ、それは理由にならないと自分を律し、コルベールに問いかける。


「君が少し言葉に詰まったということは何か思う所があるみたいだな? ジャン、君の意見は隊長である私の耳に入れておきたい。話してくれないか?」


 自身の上司の能力を疑ったコルベールであったが、それは自分の間違いだと気づいたコルベールは頭を下げる。


「魔法衛士隊の選抜理由は家格もあるでしょうが、ウェイトが重い選考理由はメイジとしての実力と聞きます。かの烈風カリンも家格は高くなかったと聞き及びました」

「烈風カリン。トリステインが他国に誇るメイジが魔法衛士隊に入ったのはカリンの実力が他とは比べ物にならないほど高かったからだ。それに、カリンが魔法衛士隊に入隊した時は隊員不足に悩まされていた時だからな。あれは例外と考えなければならぬ」

「そうですが、例外がある以上は同じようなケースがあると考えることもできます」

「ジャン、君は甘いな。いや、君の年齢を考えれば、私に意見を返した時点で見事というべきだろう」

「……」


 確かに、自分と同年代でテリエ隊長に僅かでも意見を言える人物はいない。トリステイン王国でテリエ侯爵家は多大な力を持つ家だ。特に軍閥の家系では数多くの元帥を排出したグラモン家と同等の家格と聞く。その当主であり、過去に元帥を務めたこともあるフランソワ・ド・テリエとこうして話すこと自体が下級貴族出身である自分には過ぎた栄誉であるとも言える。

 口を噤んだコルベールにテリエは苦笑を浮かべる。


「すまない、少し言葉が重くなってしまったが、今の私の発言は純粋に君を称賛する言葉だけだ。そこには、何の皮肉もない。話を戻すが、例外というのはまずないことだ。だからこそ、魔法衛士隊に入れなかった下級貴族出身の優秀な人材を受け入れる場としての魔法実験小隊が国力の上昇に繋がる」


 『それに』とテリエは言葉を繋げる。


「君を先ほど甘いと言った理由。それは、上級貴族でない者は魔法学院卒業後の進路として魔法衛士隊を思い浮かべないということを考えていなかったことだ。下級貴族出身の者は、魔法衛士隊は自分がいるべき場所ではないと考えて、他の取るに足らないことを進路として選んでしまう」


 そうだろうというようにテリエはコルベールを見遣る。

 魔法衛士隊は自分のいるべき場所ではない、それどころかトリステイン城自体が、自分がいるべき場所ではないと考えていたコルベールにとってテリエの言葉は耳が痛かった。


「隊長。よく分かりました。ご教授くださり、ありがとうございます」


 魔法実験小隊のある意味。下級貴族出身の魔法学院卒業者のための新しい進路としての存在。自分の考えが浅かったとコルベールは自省する。しかし、テリエは全く気にしていないというように、彼に向かって優しい笑みを浮かべながら頷いた。


「魔法実験小隊はそのためにある。今はトリステインの暗部としての活動のみだが、ゆくゆくは規模を拡大し、魔法衛士隊とも轡を並べて戦える部隊にすることが私の目標だ。そして、第一期の部隊員として最も優秀な君に役職を与えたい」

「役職……ですか?」

「その通りだ」


 テリエは大きく頷いてコルベールに笑みを溢す。


「魔法実験小隊“副長”。私の右腕、そして、私の支えとなる存在だ。受けてくれるね? 私の理想を叶えるためには君の助力が必要不可欠なのだよ、ジャン。是非、君にお願いしたい!」

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