ハイドランジア

クロム・ウェルハーツ

24年前の炎

 始祖ブリミルの子の一人によって創られたトリステインという王国、その国に聳え立つ王城から見える街は美しい。さりとて、その美しさは表面だけのものと言えるだろう。実際には、その美しさの後ろでは多くの汚れた出来事が葬り去られ、忘れ去られてしまっていた。

 違法な魔法薬、傭兵による暴行事件、貴族の汚職など綺麗な城下町にはあってはならないモノはトリステイン王の名の元に、文字通り焼き尽くされなくてはならない。今日も今日とて、トリステイン王国にあってはならないものが存在していた。


「金だ」


 ある屋敷の一室。その部屋のテーブルの上に金貨がたんまりと入った袋を投げ捨てるように置いたのは一人の貴族だ。その貴族は自慢の顎髭を触りながら、テーブルに備え付けられている椅子にドカッと腰を下ろす。


魔法薬ポーションの売れ行きはどうかね?」

「それはもう……笑いしかでませんな」


 貴族の正面の椅子に座り、袋の中身を確かめながら邪悪な笑みを溢すのは人当たりの良さそうな顔付きの男だ。彼は貴族が雇った男であった。魔法薬の売人として多くの街を薬漬けにしてきた男は新しい獲物トリスタニア強力な後ろ盾権力を得て、今度の仕事は今までとは比べ物にならないほどの規模になることを信じていた。上手くいけば、いや、上手くいくことは確定している。自分の売り込みの腕と決して捕まることのない情報操作。これで上手くいかないことはあり得ない。


「ちなみに、この金貨は?」


 男は袋の中から数枚の金貨を自らの掌に広げて見せる。


「何、君の働きのお陰で当初の予定よりも随分と儲けることができた。これはその報酬だよ。君の働きに対する正当な対価だ」

「ふふ。正当な対価でございますか」

「そうだ。学のない愚か者どもに一時の快楽を、そして、幸福を与えるための対価だ」

「そうでございましたな。それに、薬の効果で廃人になる前に金を、より有効に使える我々に払うということは至極、当然なことでしょうとも。そうでしょうとも」

「君の言う通りだ。そうそう、これからも君とは親しい付き合いをしていきたいと考えている。どうかね?」


 その貴族は椅子に腰かけたまま、後ろに控える侍女メイドに手で合図をして促す。彼女は素早く、しかし、洗練された優雅な動きで己の主人とその客の前にワイングラスを差し出した。キュポンと軽い音が部屋の中に響いたかと思うと、すぐにグラスに液体が注がれる音に変わる。彼女が下がると、テーブルの上には二つのグラスにワインが注がれていた。


「いただきます」


 貴族の男は口を開いた目の前の伊達男に軽く微笑みかけて、グラスを手に取る。


「我々の成功のために」

「我々の成功のために」


 甲高い音が部屋に響いた。彼らに喰い物にされた被害者であり愚者たちの悲鳴のような高い音を堪能しながら、彼らはその喉に最後の一滴まで搾り取った獲物の血を流し込む。

 それは美味かった。何にも代えがたく美味い。二人は顔を見合わせてまた嗤う。彼らの悪意はまだ収まりを知ることはなかった。


 グラスの中のワインは赤い。ゆらゆらと揺れるそれは血を思い浮かばせるだろう。火を思い浮かばせるだろう。赤いグラスに赤い炎が映る。


 そのために、悪意は燃えつくされなくてはならない。収まる場所を知らない感情は常に他者を喰らうための凶器となる。

 トリステイン王国にとって、その凶器が守るべき民に振るわれるのは看過できることではない。で、あるから、トリステイン王国は決定を下した。人々を破滅へと追いやる薬を売る人間と、その人間に市街を警邏する兵の情報を流した人間の両人を炎の中へ葬り去ることを。

 特に、警邏兵の情報を流していた貴族は国王から任されていた責務を放棄し、欲に走ったため厳罰、自分自身と一族郎党を“突然の火事”によって失うことにされた。民に対して面目が立たないということで表立っての処刑ではなく、炎によって全てを消し去るという決定をトリステイン王国は下したのだ。


「ウル・カーノ・ジエーラ・ティール・ギョーフ」


 屋敷の門の前に一人の男が立っていた。その男、いや、顔付きはまだ幼さが残っている。年の頃は20に満たないであるだろう。その青年が薄く唇を開くと、青く高熱の炎が彼の前に現れ形を変える。

 それは蛇だった。青い炎で創られた蛇は窓を自らの熱で溶かし、幸せそうに盃を交わしている男たちの部屋の中へと入り込んだ。彼らが気づいた時にはもう遅い。炎の蛇は二人の人間を瞬く間に飲み込んだかと思うと貴族の男の屋敷に自らに灯る炎を移した。蛇はわが物顔で、主人、自らが飲み込み灰にした者、を失った屋敷を這いずり回る。ここは自分の場所だぞというように蛇の体から同質の炎が屋敷の全てに燃え広がっていく。

 全て燃えて散っていく様子を見つめながら、彼は屋敷に向けていたワンドを下げる。先ほどの炎の魔法はこの男が放ったものだ。黒髪を風に揺らす魔法使いメイジは放った炎とは逆に、その双眸は限りなく冷たかった。

 燃え上がる時の熱風を頬に受けながらも男は表情を全く変えない。ガラガラと燃え墜ちた建物が立てる音を耳にしながらも男は表情を全く変えない。炎に焼かれ、痛みと熱で命を落としていく者の悲鳴を脳が認識しながらも男は表情を全く変えなかった。

 そのメイジの名はジャン・コルベール。彼の二つ名は“炎蛇”。

 彼が属するのは魔法研究所実験小隊。トリステイン王国が持つ屈指の戦力でありながら、決して誇りえない組織の名である。

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