序節 五 「会話と友誼」


 王の意によって創立した学びの園、故に王立学園。

 学術の追求を国是とする黒の王国には様々な種類の教育機関が数多く存在するが、その中でも王立学園はあらゆる点で別格である。


 そもそも王立学園という施設は、名の響きから察せられるような学舎の集合体などではない。学問・芸術を極める為に必要な環境、設備、資材等々が十全に揃えられた、黒の王国随一の巨大都市なのである。

 街そのものがひとつの学園という、その規模からして先ず他に類を見ない学び舎。豊富な資金力、様々な保有設備、優秀な人的資源、数万もの学生数、そのどれを取っても王立学園に肩を並べ得る場所など存在しない。そもそもの規格が違うとすら言えよう。


 ……ならば当然、そんな規格外の学園の門戸はさぞ狭いのだろう、と思われがちであるが、そのような事は決して無い。

 王立学園へ入学するには、およそ百はある入学試験科目の内で、たった一つでも合格水準を満たせばいい。それだけなのだ。

 全ての試験を受けて合格する必要はない。年齢性別人種などは全く関係ない。家柄や身分によって入学を断られることもない。自分が何より得意とすること、その熟達度合が王立学園の設けた水準を超えてさえいればそれで良い。


 もっとも、黒の王国最上の格を持つ王立学園が設ける入学基準である、そう易々と越えられるものでは断じてない。

 しかしながら、貴族平民どころか他国の人間すらも分け隔てなく扱い、たった一つでも秀でた能力があればその者を入学させる試験方式をして、王立学園の門戸が狭いなどとは誰も言えないだろう。


「選別すれども選民を生まず、って考えが根幹にあるんだってさ。下らないしがらみに縛られて学びが疎かになるのは国是に反する、ってな具合に。

 それ絡みで、月謝とかもめちゃめちゃ安かったりするんだ。要は余計なこと考えなくていいからお前らとりあえず勉強しろよ、折角選んでやったんだから、ってことだね」


「僕は選別すらされていないが、それはいいのだろうか」


「異界人は色々と例外。変な知識とか技術持ってたりするから、野に放つと逆に厄介なわけ。……さーて、着いた着いたっと」


 言いながら馬車から降りたリナは大きく伸びをしたあと、腰を軽く左右に捩って体をほぐす。

 一方、リナに続いて降りたクレールはと言えば、己に与えられた鞄を片手に持ち、とても興味深そうに周囲を見回していた。


 日は落ちかけ、空が赤みを帯び始めている。夕暮れ時というにはやや早い時間帯。

 二人が降り立ったのは、王立学園の外壁門、南門を潜ってすぐの場所だ。二頭立ての馬車が行き違えるほどの道幅をもつ通りが、真直ぐに続いている。歩く人影は中々に多い。

 通りに並んでいるのは木造の家々。家は白塗りの壁であったり、煉瓦で装飾されていたりと一軒一軒外観の差異はあるものの、通りそのものはどこか統一感を帯びている。その中にはいくつか商店も交っており、通りには客引きの声がまちまちに響いていた。

 南門は森の庭に用事のある学園生以外の利用があまり無く、東西南北の各門の中では比較的穏やかである。そうリナから聞いていたクレールは、もっと閑散とした光景を想像していたのだが。


 これは、どちらかと言えば賑やかな部類に入るのではないのだろうか。比較対象となるものの記憶を持ち合わせてはいないものの、一目見た印象でクレールはそう感じていた。

 リナとクレールが荷物を持って降りたことを確認した御者の青年が、軽く手を上げて「では」と声を上げる。


「ありがとーございました!」


「ありがとうごさいました」


 二人がそれぞれに礼を述べると、御者は笑みを浮かべて頭を下げたあと、二頭の馬へ軽く鞭を入れた。

 ゆったりとした足並みで、馬車は通りを抜けていく。その背を見送りながら、クレールはふと呟いた。


「それにしても……本当に、街、なんだな」


「名前が『王立学園』なだけで、実質的には『ちょっと特殊な城塞都市』みたいなもんだからね。よいしょ、っと」


 そう言って傍に置いてあった自分の鞄を背負ったリナは、「じゃあ、いこっか」とクレールに声を掛ける。

 首肯で答えたクレールは、鞄を片手にリナと揃って歩き出した。


「これからどこに行くんだろうか?」


「宿舎だよ。異界人学園生用の寮のうち、ボクらが住んでてキミも入るところね。今日、疲れたでしょ? まずは荷物と腰を落ち付けないとね」


「なるほど。分かった」


 そうしてしばらく、二人の間の会話が途切れる。街の喧騒に、二人の足音が消えていく。

 馬車での道中では、己の中の疑問を解消したいクレールが次から次にとリナへ疑問を投げていたためにこのような沈黙は無かった。

 が、ここへ来てクレールは口を噤んでいる。理由は明白、王立学園の街並みに意識を奪われているからだった。


 灰髪の少年は、左を向いては目を輝かせ、右を向いては感嘆の息を漏らしている。あれが商店というものか、並んでいるのは保存食だろう、今剣士らしき青年が堅パンを手に取り店員に声を掛けた。代わりに差し出したのは銅の硬貨か。


 知識としては知っているものばかりであるが、実際に見てみるとやはり感じ入る何かがある。煉瓦は思っていたよりも見た目が丈夫そうだ、靴というものにはこんなにも種類があるのか、駆ける子供のなんと楽しげなことか。

 そうやって様々なものに目移りしているクレールの様子を、リナは微笑みながら眺めていた。視線に気づき、クレールが首を傾げる。


「なんだろうか」


「いやあ、なんか楽しそうだな、って思ってさ」


「否定はしない。が、どちらかと言えば興味深いという方に心持ち針が振れている」


「それ、あんまり違いが分かんないんだけど」


「む………………確かに。言われて気付いたが、その差異を言葉で説明しろと言われても、中々難しい」


 そうやって真面目に考え込むクレールを見てか、思わず、といった風にリナは吹き出した。

 くつくつと堪えるように笑うリナを、クレールは不思議そうな目で見つめる。いったい何が可笑しかったのだろうか。


「変わってるよね、クレールくんは。言葉遣いはキビキビしてるけど、妙に無邪気っぽいっていうか」


「そう見えるのか。……色々な事へ無節操に興味が向いているのは自分でも分かる。恐らくは、己の記憶が空であることが影響しているんだろう」


 知識はある。だがそこには本来付随しているはずの実感が無い。まるで白黒の線画のようだ、とクレールは思う。


 白地に黒の線で単純に描いた林檎は、それが林檎であることを知るには十分だが、その林檎が新鮮であるのか美味であるのかを想像するには不足である。何故ならばそこには、大切な色彩が欠けているから。

 無味乾燥とした情報に意味が無いとは言わないが、実感という色味のあるなしで記憶の質に大きな差が出るのは確かなのだ。その事は今、クレール自身がそれこそ身を以て実感している。

 だからこそ自分はその色味を求めるために、様々な事へ興味が向くのだろう。無色の既知に、自分なりの色を塗りたいがために。


 そうひとしきり考え、軽く頷いたクレールがふと顔を上げて隣を見ると、そこにはばつの悪そうな顔で俯いたリナの姿があった。


「……ごめん。ちょっと無神経だったかも」


「なぜ君が謝る? 理由がよく分からない」


「あ、いや、その……」


 言いよどむリナの様子にクレールは首を傾げる。彼女は何を後ろめたく感じたのだろうか。

 少しの間考えるクレール。恐らくは自分の発言が何かのきっかけになったのだろうと思ってふと思い返す。すると、答えらしきものは直ぐに見つかった。


「もしかすると、私的な記憶を失っていることを僕が気に病んでいる、と思っての言葉だろうか。だとすれば気遣いは要らない。無いものは無いのだから仕方がないと、僕はそう割り切っているつもりだ」


「でも、そんなに簡単に割り切れるものじゃあないと、思うし……ちょっと図々しかったかなって」


 尻すぼみにそう返すリナは、どこか申し訳なさそうに苦笑いながら、髪の先を弄う。どうやらクレールの想像した答えは正しかったようだ。

 正しかったのはいいが、さておきどうしよう。クレールは考える。彼はその言葉通り然程気にしてはいないのだが、リナの方が過剰に反省してしまっている。

 どうやらリナという少女は、クレールが想像した以上に他者へ気を遣う性質らしい。話口調や振る舞いに快活さが目立つ分、繊細な面が目立ちにくかったということだろうか。


 ともあれどうしよう。クレールはさらに考える。気落ちした人を慰める方法など分からない。それは己の脳の中にある無色の既知に含まれていない。さてどうすればいいものか。

 そんな考えが巡り過ぎた結果だろうか、クレールは殆ど衝動的に、その言葉を発していた。


「難しいな、すごく」


「…………へ?」


「僕の方から気にしなくていいと言っても、君からしてみればそれは気に病まない理由にならない。なら他にどうすれば君が気を遣わなくて済むのかと目下考えているが、僕の頭ではそんな方法など全く思い浮かばない。かといって対話を止めるのは駄目だろうと感じてもいる」


「え、っと」


「恥を承知で尋ねるが、君はどうすればいいと思う? リナさん。どうすれば一番、君は気に病まないだろうか」


 真剣な顔でそう尋ねたクレールを、リナは目を丸くして見つめる。二、三度、少女の目が瞬いた。

 しばし沈黙が流れる。この間に焦りを覚えたのはクレールであった。考えが行き詰ってつい本音を口にしてしまったが、もしかすると自分は何か失言をしてしまったのだろうか。

 そんな考えを頭の中で捏ね繰りまわし始めたクレールの耳に、ぷっ、と吹き出すような声が響く。

 見ればリナは、先程と同じように、口元を押えて堪えるように笑っていた。


「やっぱキミ、変わってるよ」


「そう、なのだろうか。よく分からない」


「分かんないんなら、そのままでいいんじゃない? あ、ここ左ね」


 大通りから左へ逸れる道へと、リナが先導するように小走りで駆ける。

 それに続いてクレールの方も、歩みを速めようとしたその時に。


「あ、それとね」


 くるり、と黒髪をなびかせながら少女は振り向いて。


「名前、リナでいいよ。さん、とかなんかくすぐったいから」


 と、朗らかに笑った。

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