第三節 「落日ノ三・葬送」





 あるいは、そう。

 キトリーの恐慌も、ユーグの戯れも、クレールの決意すらも、誰かの掌の上であったとするならば。

 それは最早悲喜劇の類であり、舞台の上で馬鹿馬鹿しく踊らされた彼ら彼女らには誰もが同情を禁じ得ない。

 一言、非道である。他者の心を弄び己の思う様に事を運ぶその行動は、『彼ら』が憎む黒の王と何も変わりはしない。


 例えばこの場に全てを俯瞰する視点があったとするならば。その目から非難を受けるのは『彼ら』であろう。

 だとしても『彼ら』は――――トロイメン旅楽団は止まることなど無い。

 始まりの『劇団』からして救い様も無いのだ。トロイメンと名を変え、赤の帝国の駒と成り果ててからは、幾度か人の命を奪ったこともある。

 最早戻れない、故に戻らない。彼らは進み続ける。時計の針は止まらない。


 舞台の上から彼は言う。役の殻を捨てひとりの青年として。――――クラウスという名の小汚い復讐者として。




「選ぶのは貴様だよ、ユーグ。――――吐いて死ぬか、吐かずに死ぬか。選べ」




 その言葉が合図となり、萌芽劇場は不可視の靄に包まれる。

 劇場に仕込んだ魔法の陣。舞台裏に潜む二十の役者。外を囲わせた六十の術者。

 仕掛けは回り、舞台は整う。旅楽団の総力によって編まれた大絡繰り。六つの魔法を絡め合わせた封魔の領域。


 ――六属性併用、静的領域。各属性に合致する動的魔法効果の全てを大幅に抑制する――


 あるいは超常の『目』を持つ彼ならばそう読み取ったであろう。不可視の靄の領域は全ての概念存在の『現状を維持』する抑制の楔。変わり得ぬ停滞は魔の力をも拒絶する。

 この場における超常の頂、黒の王たるユーグすらも、停滞の靄に逆らうことなど出来はしない。

 魔を封じられた気配を感じ取り、ユーグは哄笑と共にクレールの首を無造作に放す。そして舞台へと向き直り、満面の喜悦をクラウスへと向けた。


「くく、ふははァ――――愚かだとすら、最早言うまい。『廃都』の生き残りめらァ……何だ、此度の悲劇は当て付けか何かかァ? くははァ」


「黙れ。自由に言葉を吐く権利など、貴様に寄越した記憶は無いぞ」


 クラウスがそう言い放つと同時に、ユーグの首元に刃が付きつけられる。

 キャスケットのつばの影に皮肉げな笑みを忍ばせて。音も無く這い寄った道化のシェルムはユーグの喉へと曲刀を向けていた。


「……済みませんねえ、これもお仕事ですので」


 しかしながら、己に向いた切っ先などまるで気にも留めず。ユーグは人外の目を厭らしく細めて嗤う。

 その様子に苛立ちを覚えたのか、シェルムは酷薄な声色で嘲るようにユーグへと言葉を投げる。

 

「さしもの黒の王といえど、魔法を封じられれば唯の人。……いえ、それ以下ですねえ。酒と薬に溺れた憐れな病人、と言ったところですか? さもしいですねえ、みすぼらしいですねえ?」


「く、はははァ――――否定はすまい。事実ゆえ、なァ?」


 己の危機を否定せず、過ぎたる罵倒を受けて尚、黒の王は外道かつ悠々たる振舞いを一向に崩しはしない。

 封魔の領域の中では誰しもが魔法を使えない。故に、護衛すらつけずこの場を訪れた黒の王にとって現在の状況は絶体絶命である筈。

 こちらが合図を送りさえすれば、秒を待たずして狂王の首は落ちるだろう。だというのに……あの余裕は何なのか。

 覚悟を決めたか、狂人ゆえの蛮勇か、それとも何かを隠しているのか。訝しむクラウスはしかし、自分達の優位が揺るがない事を確信もしていた。


 ――――躊躇う必要など無い。今こそ悲願を成し遂げる時なのだから。


「聞きたいことがある。答えて貰おうか、ユーグ」


「よい、よいぞォ? 余は今、中々に楽しんでおる。やはり持つべきものは旧友よなァ? そうは思わんか、死にぞこない共よォ?」


「自由に言葉を吐くなと、言った筈だ――――」


 クラウスの言葉と共に、シェルムの曲刀が風と血肉を引き裂いた。

 上がる短い悲鳴は客席から。纏う黒と金の外套が裂け、ユーグの肩口から真赤い血飛沫が舞う。

 あれほどの外道人外でもどうやら血の色は赤いらしい。嘲りの感想を抱いたクラウスはしかし、次の瞬間には形容しがたい気味の悪さを味わうこととなる。

 ――――王は笑っていた。何かを嘲笑っていた。まるで全てを玩弄するかのように。


「く、ふふ……痛いなぁ、痛い痛い、あはは、ははははァ――――」


「黙れと言ったぞ、口を閉じろ!」


「くははァ……余裕が無いなァ、死にぞこないィ」


 そう言い捨てた次の瞬間からユーグはぴたりと、悍ましさすら感じさせて口を噤む。

 何だと言うのだ、目の前のこの人間は。肩を斬られても眉一つ動かさずに大笑を上げるなど狂人にすら出来はしない。正気を疑うどころか人としての枠組みにすら収まっているのか怪しい。

 かつて赤の都市で聞いた言葉が思い出される。――――悪魔、と。そう形容する以外に無い怪物。それは比喩でも何でもない、ただの真実だったということか。

 内心から湧き上がる恐れを抑えるように、冷徹に冷酷に、クラウスはユーグへと問いを投げる。


 ――――七年前から渇望していた、『廃都』の真実について。


「自由都市のあの一件は、貴様がやったのか」


「ああ、如何にも。あの吹溜りは余が残らず浚ってやった。そうだ、貴様等も見た筈であるなァ。……どうであった? 綺麗に、何もなかったであろうゥ?」


「ッ、貴様、余計な口を挟むな……!」


 心を煽り掻き乱すユーグの言葉に、思わずクラウスの激情が吹き出し掛ける。

 黒の王は何故こうも他者を嘲り続けるのか。自身が危機に陥っているにも拘らず、何一つ態度を変えようとしないのか。

 その内心は分からないし、そも分かりたくも無い。ただただクラウスは全てを小馬鹿にするユーグの振舞いに憤慨し奥歯を軋ませて。捻り出すように心中の怨念を叫ぶ。


「貴様、何故自由都市を滅ぼした! 何故皆を殺す必要があった! 答えろ、答えろユーグ――――!」


 するとユーグは、何故か首を傾げてしばし押し黙って――――その後、何かに気付いたような含み笑いを浮かべた。


「なるほど、貴様等は知らなんだか。とすれば、あの娘をここに寄越したのはあやつの差配であったかァ? なるほどなるほど、実にあやつらしきやり口よなァ」


「何の話をしている、韜晦はもう十分だ! 知っていることを話せ!」


「はは、しかしなァ死にぞこないよ、真実とは得てしてつまらんものだぞ? 抉り返して新たな物が浮かび上がるとも限らぬ」


「お前の意見など訊いてはいない! 何度も言わせるな、知っていることを今すぐに話せ! でなければ殺すだけだ!」


「そうか。そこまでして知りたいと言うか。なれば致し方あるまいィ……」


 押し問答の末にユーグは神妙な面持ちとなり、しかして鷹揚な態度のまま、言葉を溜める。

 ……ようやく、ようやく知ることが出来る。七年前のあの日、一体何が起こったのか。

 それを知ることが出来ればユーグ、その時こそ貴様の命が終わる時。黒の王国は王の畏怖より放たれ、赤の帝国と真の意味で手を結ぶことになる。

 七年間待ち望んできたものに、ようやく手が届くのだ――――――




「――――なァァどと言うものかァ馬ァァァ鹿ァァァめェェェ!!! 教えるものかよォォ愚か者共がァァ!!! あは、ははは、ふははははははははァァ――――――!」





「貴様ァ、ユーグゥゥ――――――――!!!」


 瞬間に理性が吹き飛んだ。全身の筋肉が赤熱するような錯覚。

 舞台から跳躍したクラウスは血気迫る形相で一直線に駆ける。狂ったように呵々大笑するユーグの元へと。

 途中呆けたように立っていたシェルムから曲刀を奪い取るとクラウスは、何の迷いも無くそれを振り被って――――


 ――――肩口へと斬り掛かり、ユーグの腕を斬り落とした。


 吹き出す血潮、上がる観客の悲鳴――――されども王の大笑は止まず。


 もういい全て構うものかと、怒りと狂気に脳を犯されたクラウスは全身を躍動させてユーグの肉体へと刃を浴びせ掛ける。

 袈裟、逆袈裟、突き――――初めの数撃ほどは剣技の体裁を保っていたそれは、血飛沫に客席が赤く染まる頃には最早人間の所業とは思えぬ狂乱と成り果てて。

 仰向けに倒れる黒の王。既に両の腕と右脚は斬り飛ばされており、腹から肩から首から夥しい量の血を流している。

 ――――だというのに、ユーグの粘り付くような嗤いは欠片も止むことが無く。


「死ね、死ね、死ねェ――――」


 笑うユーグへと馬乗りになったクレールは、躊躇うことなく幾度も幾度も、曲刀の切っ先を振り降ろし突き立てる。

 ぐずり、ぐじゅりと肉が突き抉られる音がする度に血飛沫が上がり、王の哄笑が小さくなっていく。

 まだだ、まだ足りない。全身を返り血に染めて尚クラウスは、己の狂気に従い復讐の刃を振り降ろし続ける。

 ユーグの肌が青褪めていく。まだだ。流れ出る血の量が少なくなっていく。まだだ。ついぞ笑い声が止んだ。まだだ。

 生の可能性の一切を排さなければならない。この男をこれ以上、一分一秒たりとも生かしては置けないのだ。

 上半身全て隈なく肉が抉れ、最早王は人としての形を為していなかった。だがまだ足りない、足りないのだ。

 血に塗れたクラウスは幽鬼のように立ち上がり、両手でしっかりと曲刀を握ってその切っ先を天へと向ける。そして――――


「死ね……死ねェェェェ――――――――――!!!!」


 最早理性を手放したその叫び声と共に、渾身の力で曲刀を振り降ろした。それは、無慈悲などとは程遠い怨嗟の断頭刃。

 肉が裂け、骨が圧し斬られ、髄が断たれた。血潮は最早飛び散らず、王の素首はあまりにも呆気なく、胴から離れてごろりと転がる。


 そして沈黙。混乱の坩堝であった観客席へ、水を打ったような不気味な静けさが訪れる。


 一体何が起きたのか。事ここに至って現状を正確に把握できている人間など、この劇場には存在しないだろう。


 故に何も言葉に出せない。受け入れられない、とも言うべきか。


 誰彼からもあれを阻めと願われながら、誰彼にも阻むことなど出来なかった絶対の王。


 怠惰の支配者、百年王ユーグが、よもやこのような場所で斃れたというのか。

 

 首と胴の離れた骸。もはやそこには一片の精気すら宿ってはいない。――――王は死んだ。今ここに間違いなく、死んだのだ。

 

「やった――――――やってやったぞ、俺はァ!」

 

 全身を返り血で染めたクラウスは、瞳孔の開いた瞳を虚空へ向けて高らかに叫ぶ。

 勝者の鬨。狂気に吐き出されるその声は掠れながらも、凄まじい音量を以て客席へと響く。

 静まり返った激情にただただ満ちる、ひとりの青年の怨嗟と狂乱。

 最早彼の仲間すらその激情と現状を受け止め切れず、ある者は顔をそむけ、ある者は胸を押さえてうずくまる。

 

 ――――鮮血の落日、此処に為せり。美麗な容姿を悍ましく歪めて青年は、己のたがを外して高らかに笑い続ける。


 ――――そしてまだ、悲劇は進む。時計の針は止まらない。






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