第一節 四 「五日前・少年は迷子を案内する」
人と人との間を縫うように駆けてゆく『ツィスカ』と思しき少女。その背を追いながらリナとクレールもまた南門通りをひた走る。
始まったばかりの追走劇であるが、いきなり一つ予想外な出来事が起きていた。それは――――
「ちょ、あの子なんか速くない!?」
「魔法を使って追い付けないとは……!」
二人ともが肉体強化魔法を行使して尚、少女との差が一向に埋まらない。どころか徐々に、その距離を離されている。
リナの肉体魔法素養はクレールと同程度であり、出力としては平均に留まる。とはいえ超常の力を行使しているのだから、その速度は常時の疾走などとは及ぶべくもない。
ならば、もしや。予感したクレールは『目』の魔法を行使する。燐光を帯びる灰色の瞳が走る少女の姿を鮮明に映し出す。間を置かず、情報がクレールの脳へと流入してきた。
――肉体魔法、肉体強化――その端的な分析結果が示す事実は、明確に一つ。
「恐らく、向こうのほうが、魔法の出力が、高い……!」
息つきながらクレールがそう零すと、リナは走りながら「嘘でしょ!?」と驚いて声を上げる。
よくよく見てみれば、少女の動きの機敏さには目を見張るものがあった。アンブルまでとは言わないが、それにしても随分と速い。
恐らくは自分達よりも幾分か年下の少女が、これ程までに出力の高い肉体強化魔法を行使するとは。素養差か、あるいは練度差か。
クレールが少女に驚きと関心の眼差しを向けるその間にも、距離は少しずつ広がってゆく。このままでは巻かれてしまうか、とクレールが諦めかけたその時。
「しゃーない、コレあんまし使いたくなかったんだけど――――」
言いながらリナは肩から掛けていたバッグをごそごそと弄って、タグの付いた小さなガラスビンをひとつ取り出す。
鮮やかな紫色をした毒々しい液体入りのそのビンを、リナは片手に握って振り被り。
「怪我したらゴメンね!」
と言ってぶおん、と放り投げる。宙に紫の放物線を描いたそのビンは、途中で急激に速度を増して一直線に少女の足元へと飛んでいく。
運動魔法か、とクレールが思ったその時には、前を走る少女のやや前方へとビンが着弾していた。広がった毒々しい紫の水たまりへ、小さな足がぱしゃりと突っ込んだその瞬間。
「うきゃあっ!?」と声を上げた眼鏡の少女はとんでもない勢いで足を滑らせ、そのまま空中でぎゅるぎゅると縦に二回転ほどした後にどてん、とすっ転んだ。
その光景を唖然とした表情で見ていたクレールは、思わず言葉を漏らす。
「…………なんだ、あれは」
「リナちゃん謹製『ちゅるちゅるの薬』! 塗ったところに掛かる摩擦力を限りなくゼロに近付ける魔法薬だよ。
平地で重い荷物運んだりするときに便利かなぁ、って思って試作してみたんだけど……」
「きゅう……」と声ならぬ声を上げ、目を回しぐったりとする少女。その様子を見てリナは、ばつの悪そうな苦笑を浮かべながら。
「ちょっと、使う薬間違えたかも?」
「言ってる場合じゃないだろう……!」
リナに突っ込みを入れつつクレールは、とにかく彼女を介抱しなければと一目散に駆け寄った。
◇
南門通りの外れにある『クレマチスの風車』は、大輪のクレマチスが描かれた看板と赤煉瓦の壁が目印の小さなカフェである。
手ごろな値段でコーヒーや紅茶、軽食を味わえるとあって、学生たちの憩いの場として親しまれている。
窓から差し込む白の陽射しが煉瓦の赤を引き立て、落ち着きがありながらもどこか華のある空気を演出している。
テーブルの上には湯気立つミルクティーと、程よい茶色の焦げ目からバニラが香るクレームブリュレ。どちらも『クレマチスの風車』の人気メニューである。
三人が座るテーブルの上、ひとりの少女が座る席の真ん前にあるその二つは、純然たる『お詫びの品』であった。
「本当に申し訳ない」
「ごめんね、ちょっとやりすぎちゃった」
クレールとリナは二人して深く頭を下げる。申し開きすら不可能なほどに、一から十まで彼らの責任であった。
肉体魔法のおかげか、幸いにも少女――やはり名をツィスカというらしい――に怪我は無かったが、それでも怖い思いをさせてしまったのは確かである。
興味本位で追い掛けっこを始めたリナも流石に反省したようで、しゅんと肩をすぼめて俯いている。クレールもまた、申し訳なさそうに目を伏せた。
長い前髪の間、眼鏡のレンズ越しにそんな二人を見つめる少女ツィスカは、
「あ、あの、それはもう、大丈夫です。……あたし、体だけは丈夫、だから。それに、」
言いながらツィスカは目線を落とし、ミルクティーとクレームブリュレを交互に見やり。
「こんなものまで、くれた、から」
「そう言ってくれると助かる。いきなり済まなかった」
改めてクレールが頭を下げ、それに遅れてリナも「ほんっとにごめん」と謝る。
するとツィスカは何度も謝られて恐縮したのか「い、いえ、本当にもう、大丈夫ですから、謝らないで……」と消え入りそうな声で返した。
それからしばらく、反省する二人と恐縮する一人の恐る恐るなやりとりが続いて。
ようやくクレールとリナが互いに常の調子に戻ったところで、ツィスカが前髪の間から様子を伺う様に二人へと視線を向けた。
「お二人は、あの、もしかして……クラウスさんの知り合い、ですか?」
問われたクレールとリナは一瞬だけ互いを見合い、揃って首を傾げる。クラウスという名に心当たりはなかった。
二人の反応が芳しくないことに焦りを覚えたのか、ツィスカは心持ち早口になって理由と事情を話し出す。
「あ、あの、あたしが会ったことなくて、でもあたしの顔と名前を知ってる人たち、だから。ひょっとして、クラウスさんに、探してって、頼まれてる人たちなのかな、って」
「クラウスという人は知らないが……君のことを聞いたのは、白金色の髪の男性からだ」
「人探ししてたみたいでさ、たまたまその辺歩いてたボク達に声かけてきたんだ。眼鏡かけてて前髪が長い、ツィスカって名前の子を知らないか? って。すっごいイケメ――格好いい人だったよ」
「あ……それ、たぶんクラウスさん、です」
クレールとリナの言葉にツィスカはそう零す。ということは、とその言葉からクレールは想像を働かせて。
「あの男性は君の保護者、ということなのだろうか」
「そう、です。お世話になってる人、っていうか」
「で、そのお世話になってるクラウスさんとやらから逃げてたのはなんで?」
素朴な疑問としてリナが放ると、ツィスカは途端に目を伏せて「それは、その……」とどもり始める。
恐らく何か後ろめたいことがあるのだろう、そう感じたクレールが「話してみると良い。僕達は別に君を無理にどこかへ連れて行こうとは思っていない」と優しく声を掛ける。
すると、恐る恐る顔を上げたツィスカは、ぽつぽつとその理由を語り始めた。
「あたし、王立学園に来たの、初めてで。いろいろ、見て回りたくて……でも、クラウスさん、きっと許してくれない、だろうから……」
「思い切ってクラウスさんの目を盗んで、ちょこっと冒険に出てみちゃったってわけか」
「…………は、い。それで、ちょっと、迷っちゃったのもあって、不安で……急に名前、呼ばれて、怖くなって……」
「なぁるほどねえ。事情はだいたいわかったよん」
殊更に明るい声で言ったリナは、少しだけ考えるそぶりを見せると「よぉし!」と大きく声を上げた。
「ここは一丁、迷惑かけちゃったお詫びもかねてお姉さん達が王立学園を案内してあげよう!」
「え……? いいん、です、か?」
「おーけーおーけー! なんせ今ボクら暇だし! それに何を隠そうボク達はここの学生だからね! こっちのクレールはちょい新参だけど、ボクは三年目だからけっこうイロイロ知ってるのだよ」
「……クラウスさんのところに、連れて行ったり、とか、は?」
「あーしないしない。だってそのクラウスさんが今どこにいるかとかボク知らないし。そんなことより、目の前で困ってる子のお世話焼いちゃう方がよっぽどいいと思うんだよ、ボクは」
あっけらかんとした態度でそう話し、ツィスカの緊張と不安を取り除こうとするリナ。そんな彼女へ向けてクレールは一つの疑念を抱く。
リナは深く考えて喋っているのだろうか。保護者であるクラウスの下に帰すことが先決ではないのだろうか。その思いからクレールは、ツィスカに気付かれないようリナへ向けてこっそりと念話を飛ばす。
『大丈夫なのか』
『だいじょぶだいじょぶ。この子が満足するまで観光案内した後、ちゃーんとあのイケメンに引き渡すから』
『引き渡す、とは言うが……出来るのか?』
『忘れたの? ボクあの人とぶつかってるんだよ? だったらあとはボクの恩恵でどうにでもなるって』
言われてクレールは思わず「ああ、そうか」と口に出してしまう。「あの……何が、ですか?」とツィスカから不思議そうな顔で見られ、クレールは「い、いや、独り言だ」と焦りながら返す。
さらにやや呆れ気味な視線をリナから投げられ少し落ち込むクレールであったが、気を取り直して念話魔法を再び飛ばす。
『なら、その辺りのことは任せる。正直なところ僕には荷が勝ちすぎている気がするからな』
『おうおう、任されたよん』
そうやって念話でのやり取りをしていると、ツィスカが気まずそうな表情を浮かべておずおずと口を開く。
「あの、あたし、邪魔しちゃってない、ですか……?」
「ほえ?」
疑問の声を上げたのはリナだった。クレールも同じくツィスカの言葉の意味を理解できず首をひねる。
「邪魔、とはどういう意味だろうか。僕達が暇を持て余しているというのは事実だから、君に構うことはやぶさかでないんだが」
「あの、そう、じゃなくって……別の意味の邪魔者、っていうか……」
わざと意味合いをぼやけさせるツィスカの言葉をやはりクレールは呑み込むことができず、リナもまた「んん?」と語尾を上げる。
そんな二人の反応を見てツィスカは、言いづらそうに口をもごもごさせながら顔を薄赤に染め始めた。そしてややあって、思い切りを付けるためか「あの……!」と気持ち大き目な声を出し。
「二人は、その……たぶんですけど、特別な関係、です、よね?」
「――――ふぉあぁ!?」
それに激しく反応したのはリナだった。途端に顔を真っ赤に染めた彼女は、己の顔の前で片手をぶんぶんと横に振る。
「ちちちちち違う違う! 全然違うから! ただの先輩後輩で寮の仲間ってだけだし! べ、別にそういう関係とかじゃないから! ゴカイなきよう!」
必死になってツィスカの言葉を否定するリナであるが、クレールにはなぜ彼女がそこまで狼狽しているのかが分からなかった。故に彼は純粋な気持ちでもって問いを投げる。
「リナ、少し訊きたいんだが」
「ななな何!? 今ちょっと余裕無いんだけど――――」
「特別な関係、とはどういうものなんだろうか。近しい友人、とはまた別の意味合いなのか?」
「ぅえ!? いや、それはその、なんていうかアレだよ、ほら……」
語尾をもにょもにょと弱らせながらも顔がどんどんと紅潮していくリナ。表情は茹で蛸もかくやの紅色に染まり、頭から湯気でも出るのではと心配になるくらいである。
流石に心配になったクレールが、自身が抱いた疑問など余所へ置き「り、リナ、大丈夫か」と声を掛けたその時。
「――――ちょっと気持ち整理タイムっ!」
雰囲気に耐えきれずかそう叫んで立ち上がったリナは、脱兎のごとく店のトイレへと駆けて行った。
少しの間が空き、やや遠くからばたん、と扉の閉まる音が聞こえてきて。
……取り残されたクレールとツィスカは、揃って首を傾げることしか出来なかった。
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