第一節 三 「五日前・少女は迷子を追い掛ける」




 トロイメン旅楽団の噂は、どうやら王立学園中に広まっているようであった。

 先日のシェルムと名乗る軽業師の演技も話題になっているようで、街を歩けばいろいろな場所から旅楽団の噂が聞こえてくる。

 王立学園全体が、トロイメンの来訪を歓迎する雰囲気に包まれていた。――――だからといって。


「全部の授業が休講? 普通に考えて可笑しいと思うんだけど」


 南門通りの掲示板に張り出された紙を見て、リナは怪訝な表情を浮かべている。彼女が愛用する筆記具入れのショルダーバッグは、どうやら無用の長物となったらしい。

 クレールもまた首を傾げ「どうなっているんだ」と小さく漏らす。……七日間に渡る全講義の休講という知らせ。クレールの目から見ても、明らかにその措置は異常であった。


「まあ楽しそうなことは大歓迎なんだけどさぁ……ちょーっとよく分かんないねえ」


 後ろで縛って右に流した長い黒髪、その先を弄う例の癖を見せながら、リナは不可思議そうに言う。


「学園が直接関わっていたりするのだろうか。正式な催事として旅楽団を迎え入れた、とか」


「それは無いんじゃない? オフィシャルな行事だったらもっと早くに知らせがある筈だし。……まったく、何がどうなってんだか」


 クレールの予測を否定したリナは、肩をすくめてその場で回れ右をした。

 これ以上この場所にいても意味は無いか。クレールもまたそう思い、掲示板に背を向けて歩き出す。


「ま、とにかく暇になっちゃったわけだけど……どうしよっか?」


「キトリーの様子でも見に行こうか。確か次の展覧会に向けて作品を作っていると聞いたが」


「あーだめだめ。あの子絵ぇ書いてるとこ他の人に見られるのとかすっごい嫌がるから」


「そうなのか。……そういえば、絵そのものも知っている人間にはあまり見られたくない、と言っていたような」


「あの子恥ずかしがり屋だからねえ。目立つの苦手だし。……アンブルは相変わらず訓練漬けだろうから……とりあえずボクらだけで暇潰す?」


「そうだな。あと、いい機会だからエクリプスに何か土産物でも見繕って行こう」


「クレール……相変わらずエクリプスに甘いよねえ……なんやかんやでだいたい毎日あの子になんか買ってない?」


 呆れたような表情でリナが言う。そんなことはないと思うが、とクレールは最近の出来事を振り返ってみる。 


 昨日は確か骨型のおもちゃを買った。一昨日はジャーキーが切れそうだったから補充をした。三日前は毛並を整えるいいブラシを見つけて衝動買いをした気がする。

 雨が降っていた五日前は、ふと思い立って犬用の雨具を購入した覚えがあった。七日前には確か、犬でも食べられるように味を調整した菓子を見つけて買った記憶が。


 ……リナから眼を逸らしながら、クレールは言う。


「…………そんなことは、ない」


「その表情はもう墓穴掘りまくってるよね、うん」


 目を細めたリナの生易しい視線が妙に痛い。クレールは「いや、必要だと思うものしか買っていないつもりだ」とやや声を震わせる。

 その言葉にリナは表情を変えず、少し間を開けた後に「へー」と短く返した。言い訳が若干苦しいのはクレール自身も承知しているところだった。


「ま、ほどほどにね。エクリプスも構われ過ぎて最近ちょっと鬱陶しそうだし」


「そ、そんなことはない! ……筈、だ」


「言いながら不安になっちゃってんじゃん」


 一匹狼という言葉もある。あまりすり寄り過ぎても駄目なのだろうか。

 ああでも彼女は贈り物を送ると必ず喜んでくれるし、凛とした黒い姿と緩んだ表情との落差がとても愛らしいのだ。たまに向こうから甘えてくるときなどは無上の喜びすら感じる。

 授業や用事が無い時は出来る限り共に居たいと切に思うのだが、しかし彼女自身の時間もやはり必要なのか。艶やかな毛並の黒狼の姿を思い出し、クレールは「エクリプス……」と思わずつぶやく。


「なんかさあ、恋人でも想ってるみたいな顔だね」


「ああ。大切だからな」


「うわーお、そんな直球予想外だよ……リナちゃんびっくり」


 自信満々に答えたクレールに、げんなりとした表情を浮かべるリナ。「ま、そこがクレールのいいとこなのかも?」と苦笑いを浮かべる黒髪の少女にクレールは小首をかしげる。自分は何かおかしなことを言っただろうか?

 そんな表情がまた、リナのつぼに触れてしまったようで。少女はこらえきれずにぷっ、と吹き出した。


「別におかしなことを言ったつもりは無かったんだが……」


「い、いや、ごめん、馬鹿にしてるとかじゃないんだけど。やっぱクレールってピュアだなぁって思っちゃって、つい」


 手を合わせて謝るリナに「それは構わないが」と返すクレール。

 笑われた理由が分からず首をひねる彼に対し、リナは「うん、純粋純粋」と何故か何度も頷いている。


「ここまで純粋だと周りの空気が浄化される気がすんね。うん、クレールは清涼剤だよ、清涼剤。マイナスイオンが染み渡る~」


 自分の方に手をかざしながら目を閉じて言うリナを、クレールは不思議そうなまなざしで見つめる。まいなすいおん、とは一体何なのだろうか。

 それよりも、通行する人々の少なくないこの南門通りで目をつぶって歩くのは少々危なくはないだろうか。そう思ったクレールが「危ないぞ」と口にした丁度その時。


 リナは正面からどん、と誰かにぶつかった。仰け反った後弾かれたように顔を上げたリナは、「っとと、ごめんなさい!」と直ぐ様に頭を下げる。


「いや、こちらこそ済まない。僕も不注意だった」


 響いたその男の声は驚くほどに綺麗で、かつ力強く。クレールの視線は声の主の男性へと引き寄せられた。


 鼻筋の通った端正な顔に、煌びやかな白金色の髪が揺れている。多分に野暮な表現を用いるならば、絵に描いたような美青年と言ったところか。

 白色のブラウスシャツと薄灰のボトムは特段派手さは無いものの、それが却って彼の相貌を引き立たせているようであった。

 総じて美丈夫。目を引く容姿と言って良い。現にリナもその男性の美しい容姿に見惚れているようであった。


 一方、そのまま立ち去ろうとした男性は、ふと立ち止まってクレールとリナの二人に声を掛ける。


「済まないが君たち、ツィスカという女性に心当たりはないだろうか。前髪が長くて、眼鏡を掛けた背の小さい女の子なんだが」


「ええと、知らないです、けど」


「そうか……突然尋ねて済まなかったね、失敬」


 リナの返事にやや憂い顔を見せた美丈夫は、軽く礼をして離れていく。周囲を見渡しながら歩いていく彼は、どうやら人探しをしているようであった。

 王立学園は初めてなのだろうか、足取りには不慣れさと慎重さが垣間見える。決して少なくはない人通りの中、探し人は果たして見つかるのだろうか。

 傍目から心配をするクレールとは別に、白金色の髪を揺らすその後ろ姿を見てリナがぽつりと呟く。


「いやあ、おっそろしい程のイケメンだったね」


「いけ……? よく分からないが、容姿が優れているという意味なら、確かに。目を見張るほどだった」


「だよねえ。あのレベルはなっかなか居ないよ。なんかもう顔だけでゴハン食べてけそうだったよね」


 賛辞かどうか判断に悩む言葉を零したリナは、腕を組んでひとりうんうんと大きく頷く。

 その挙動がいつもよりも大げさに見えて、クレールははて、と心の中で疑問符を浮かべる。よくよくリナの顔を観察してみれば、頬にやや赤みが差していた。


 ちらちらと美丈夫が歩いて行った方向へと目線を遣っている彼女の様子を見て、クレールはふと思い出す。テオが美人のギルド職員と話している時と今のリナとが、少しばかり似ているような気がした。

 そんなテオは確か『俺は可愛い子とキレイな人に弱えんだよ』と言っていた記憶がある。なるほどつまり――――


「そうか、リナは『いけめん』に弱いんだな」


 その言葉にリナは「はぁ!?」と機敏に反応して大きな声を上げ、思わずクレールは仰け反る。


「な、何言ってんの? い、イケメン好きとか、ボクそんなミーハーじゃないし! 顔だけ見て人を好きになったりとか絶対しないし!」


「いやでも、先ほども白金髪の男性に見惚れて――――」


「ないし! 見惚れてないし! あれはちょっと珍しいモンみたなぁ的な好奇心からの目線だし!」


「では嫌いなのか」


「嫌い! とまではいかないし遠くから見る分には眼福というかなんというかそんな感じなんだけど……!」


「それは『いけめん』好きということじゃないのか」


「違う! 違うしその言葉の響きはすごい嫌! なんかボクのイメージ崩れる感じする!」


 頭を抱えて顔を横に振り、『いけめん』好きという言葉を拒むリナ。その反応の激しさに気圧されたクレールは「そ、そうか、ならもう言わないことにする」とやや身を引きながら言う。

 先ほどとは別の意味で赤みがかった顔でクレールをじっと睨み付け「そうして貰えるとありがたいなあ?」と頬を引きつらせるリナを見て、思わず彼は言葉を零す。


「……なんだろう、リナは時々よく分からないな」


「お、オトメゴコロはフクザツなんだよ! デリケートなの!」


「そ、そうなのか、すまない」


 リナの謎の勢いに押され、クレールは気付けば謝罪の言葉を発していた。相変わらずよく分からないが、何にせよこれ以上怒らせるのはいけないだろう。

 何か別の話題を持ってきて流れを逸らそうか。そう思ったクレールは何かなかろうかと周囲を見渡して……全くの偶然に、その姿を捉えた。

 きょろきょろと周りを窺う、ひとりの少女。その姿には見覚えがあるような、ないような。

 クレールは少しの違和感を抱きつつその少女を見ていると、リナもまた同じ方へと視線を遣って「あれ、あの子……」と呟く。


「眼鏡、掛けてるよね」


「ああ、掛けている」


「前髪、長いよね」


「うん、長い」


「背、低いよね」


「そうだな、低い」


「……ひょっとして、ビンゴかも」


 クレールとリナは互いに目を合わせ、しばし無言となる。そして二、三度の瞬き。

 やがて二人は引きつけられるように、再び件の少女に視線を向けた。眼鏡を掛けていて前髪が長く、背の低い女の子。その名は――――


「ツィスカ?」


 奇しくも重なったその声は存外大きく響き渡り、その少女の耳にも届いてしまう。

 びくり、と肩を弾ませてクレールとリナの方を向く少女。前髪と眼鏡に隠れていても、その怯えた表情ははっきりと分かるもので。

 次の瞬間、少女は一目散に走り出した。一瞬遅れたその後に、リナもまたクレールの手をぐいっと引っ掴んで駆け出す。


「追っかけるよ!」


「何故!?」


「なんか面白そうだから!」


 クレールの手を握って走り出すリナ。その後ろ姿に何か既視感を覚えたクレールは、そういえばと初めて彼女と会った時の事を思い出す。

 たしかあの時も、強引に手を引かれて走らされた記憶がある。何か思い立った時はとにかく突っ走るのが恐らくは彼女の性質なのだろう。

 突然始まった追走劇に面食らいながらクレールは、リナの凄まじい勢いに流され必死に足を動かしていた。

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