第一節 二 「六日前・少年は期待を胸に抱く」




 旅芸人一座、というものがある。


 大陸各地を巡りながら歌劇や芸を披露する集団のことであり、彼らのパフォーマンスは国や人種を問わず広く親しまれている。

 安価な見物料で多様な芸を見られるとあって、大衆娯楽としては有名な部類に入るそうだ。特定の一座の巡業をわざわざ追い掛けている好事家もいるのだそう。

 その旅芸人一座の中で、バルタザール曰く『今一番人気が高いと言ってもいい』集団というのが――――


「トロイメン旅楽団、か」


 昨日、その事をクレールに教えてくれたのは、モノクルをきらりと輝かせたバルタザールであった。

 若かりし頃に所謂『おっかけ』をしていたらしいバルタザールは、今でも旅芸人についての造詣が深いようで、中々の時間を掛けて彼らの魅力を語ってくれた。

 身振りを交えながら楽しげに話すバルタザールの顔と、うんざりとした素振りを見せながらも輝く目を隠しきれないロロットの様子を思い出す。


「……面白そうだ」


 気付けばクレールも、トロイメン旅楽団の来訪を待ち遠しく感じている。だからであろうか。彼の足は、自ずと人通りの多い東門通りに向いていた。

 講義を一通り終えて夕暮れ時、行き交う人の雑踏と屋台の呼び込みの声が混じり合う東門通りは、心なしかいつもよりも人が多いように見える。

 周囲に耳を澄ませてみれば「旅の一座が来るらしい」「確か……なんとか楽団、だったっけ?」などといった言葉がちらほらと聞こえた。

 ――――するとそこで、女の子の「トロイメン!」という溌剌とした声が響く。


「トロイメン旅楽団だよ、そこ行くお兄さん!」


 どうやら道行く人の呟きを拾って声を上げたらしい。

 声の主を探してクレールが周囲を見渡せば、道端でぴょんぴょんと飛び跳ねる少女の姿があった。

 オーバーオールとキャスケットが目を引く、そばかすまじりの愛嬌ある笑顔。両手を広げて誇る様に、彼女はその名を謳い上げる。


「さあさ皆さんお立合い! よってらっしゃい見てらっしゃい! 来たる二日後やってくる、新進気鋭の旅一座! トロイメン旅楽団のご紹介だよぉ!」


 言葉と共に、キャスケットの少女が高く高く飛び跳ねる。空中で体を捻りながら凄まじい速さでくるくると回り、華麗に着地してポージング。

 その光景を目の当たりにした人々は、口々に驚愕の言葉を漏らす。超人的な少女の技巧に、大衆の心は一瞬にして掴まれた。

 不敵ににやりと笑った後、仰々しく一礼したキャスケットの少女は再び大きな声を上げる。


「どうもどうも、紳士淑女の皆々様! ワタクシ、トロイメン旅楽団宣伝隊長の命を仰せつかっておりまする、軽業師のシェルムと申します! どうぞよしなにー!」


 軽妙に話す少女の雰囲気に乗せられてか、立ち止まる人々の声に囃し立てるような歓声が混ざり始める。

 少し前と比べて、人々の密度が明らかに増していた。段々と見えづらくなる少女シェルムの姿をなんとか捉えようと、クレールはうんと背伸びをする。


「さてさて我らトロイメン、生まれは赤でございますが歌劇と芸に国境なし!

 黒の皆々様方にもお喜び頂けるよう、様々な趣向を凝らした演目を披露させて頂く所存にございます! 本日はそんなトロイメンの切り込み隊長ことワタクシ、シェルムの軽業を少しばかりご覧に入れましょう!

 なになにお代は頂きません! 私の技を見て『なんだいなんだい、中々やるじゃねえかトロイメン』なんて思っていただければこれ幸い! ついでに二日後からの舞台に来て下されば言うことなしの感無量!

 おっとっと、喋ってばかりでもいけませんね。――――それでは皆様お立合い! シェルムの軽業始まるよぉ!」


 よっ、待ってましたと何処かから声が上がる。自然と拍手が巻き起こる。ざわめきが期待の渦となって通りの一角を巻き込んだ。

 少女は足元に置いた大きなカバンをがさごそと漁り、何かを両手でがっしりと引っ掴むと、それを思い切り空中に放り投げる。

 ばらばらと音を立てて宙を舞うのは、数十本はあろうかという木の棒だった。ロッテが片手を挙げて「はいな!」と声を掛ければ、細い薪のようなそれらの棒切れはぴたりと空中で動きを止める。


「さあてさて、ここに取り出したるは『空のハシゴ』! ただの棒切れ共じゃあございません! その名の由来はどうぞ、皆様の両の目でお確かめを!」


 そう言うとシェルムは指揮者のように両手を動かし、宙に浮かぶ木の棒を同じ向きにずらりと並べ始める。

 波打ちくねりながらも等間隔に空へと並んでいく棒切れたちは、なるほど確かに梯子のようだ。クレールが感心を示したその時。


「そいやっ!」という掛け声とともに、シェルムが宙に浮かぶ『梯子』へと飛び乗った。おお、と周囲から歓声が上がる。


「驚くのはまだ早いですよぉ! それっ!」


 気合の声と共に『梯子』の上を駆けるシェルムは、木の棒を地面代わりに側転、後方転回、宙返りと次々に軽業を繰り出していく。

 彼女が技を繰り出す度に、歓声が飛び拍手が巻き起こる。今この時、東門通りを歩いている恐らく全ての人々は、彼女の曲芸に魅了されていた。

 気付けば『梯子』は始端と終端が繋がり、大きな輪を描いている。――――と思った次の瞬間、『梯子』の輪は勢いよく、ぐるんぐるんと回り始めた。


「よいさっ、ほいっと!」


 閉じられ回る『梯子』の輪の中で、シェルムは次々に飛び跳ね曲芸を重ねていく。その勢いは衰えることなく、むしろ一つ一つの技のキレは増す一方。


 宙を舞い、体を捻り、全身を躍動させる少女の姿は蝶や鳥のように軽く、自由に見えて。動きを縛る全てのものから逃れ出でたかのように、シェルムは自在に跳ね踊る。

 最早黄色い声は鳴りやまず、手を叩く音に混じって甲高い指笛まで鳴り始める。東門通りは最早、軽業師シェルムの一大舞台と化していた。


 やがて終幕が近づく。『梯子』の上でしゃがみこみ、力を溜めこんだシェルムは「そりゃあ!」と一声、うんと高く跳び跳ねた。

 その高さは周りに立つ商店の天井を優に越え、皆は空をくるくるとひねり舞うシェルムの姿にくぎ付けとなる。誰かが息を呑む音が聞こえた。


 そして、しゅたっと。衝撃を感じさせない美麗な着地を見せたシェルムは、口が空いたままのカバンを片手で引っ掴んで掲げ、空いている手でぱちんと指を鳴らす。

 すると宙を飛んでいた木の棒たちが、吸い込まれるようにカバンへと仕舞われていった。からり、と乾いた音がして、最後の一本がカバンへと収められると。


「――――はい、お粗末さまでございました」


 幾分か落ち着いた声で言ったシェルムが、カバンを置いて深々と一礼をする。暫し、呆然とした間があって。――――通りいっぱいに、拍手喝采が響き渡る。

 クレールも気付けば手が痛くなるほどに拍手を繰り返し、「おお、おお」とうわ言のように声を漏らしていた。


 すごい、すさまじい、素晴らしい。言葉に言い表せない程の驚愕と感動を、この瞬間にクレールは初めて抱いた。なるほどこれが旅芸人というものか。


「ではではワタクシはこの辺で。他にも見たい! と仰る方は、来たるトロイメン旅楽団の到着をお楽しみに! 二日後、明後日ですよ!

 それでは皆様ごきげんよう! トロイメンの宣伝隊長こと、軽業師シェルムがお届けいたしました! それじゃあねー!」


 頭を上げて早々と締めの言葉を口にしたシェルムは、キャスケットの向きを整え、足取り軽く中央区の方へと駆けて行った。

 凄かったぜ嬢ちゃん、楽しみにしてるよトロイメン、と口々に賞賛を送る人々に、片手を振って応えながら街並みに消えていく少女シェルム。

 ものの数分で学園の人々の心を根こそぎ掴んでいった軽業師の姿に、クレールもまた大きく手を振った。……恐らく見えてはいないのだろうが。


「トロイメン、か」


 手を降ろし、改めてクレールは呟く。あんなものを見せられては、期待しないわけにいかないだろう。三日後が、トロイメン旅楽団の来訪が、待ち遠しくて仕方ない。

 そわそわうきうきとした気持ちを抱きながら、クレールは東門通りを歩く。もう少しだけこの気持を抱いたまま、街を歩きたい気分であった。




 ◇




 暗闇で密やかに会話をすることには慣れ切っている。

 伊達に長く鼻つまみ者として生きてきたわけではなく、いつの頃からか息をするよりも息を殺す方が得意になってしまった。

 意地汚く暗い己の性を厭いながらも、しかしここまで生きてこれたのは間違いなくその卑しさのおかげであると自覚していた彼は、内心の澱みに顔を歪める。

 そんな表情の変化が、暗闇に隠れて隣にいる相棒に伝わっていないことを祈りつつ、彼は声を絞りながら言葉を発した。


「なら、数日中には必ず現地に来るんだな」


「ええ、確かな筋からの情報よ。間違いないわ」


 自信の籠った彼女の声に、彼はその情報の正確さを確信する。それは、彼らが長らく待ち望んでいた機会が、ようやく訪れることを意味しており。

 吉報には違いないものの、その後に待つ光景を想像したところで間違っても笑顔など零れ得ない。ただ、来るべき時が来たのだと、彼は堅い決意をさらに堅固なものとする。

 意志は何よりも重く、感情は音も無く煮え滾る。拳を握って目を閉じれば、全てのきっかけとなった出来事が思い起こされた。そして、彼は思わず言葉を零す。


「……ようやく念願が叶うか」


「やけに遠回りをした気がするけれど、ね」


「それでもその日がきちんと訪れたんだ。遠かったけど、間違った道じゃなかった」


 彼は自身に、そして彼女にもそう言い聞かす。自分たちは間違ってなどいないのだと。正道を歩み続けているのだと。

 例えその後ろに暗い影が落ちていようとも、命の危機が常に傍にあろうとも、最早後戻りなど出来ないのだから。

 踏みとどまってはいけない。逡巡してはいけない。一度足が止まれば嫌でも振り返ってしまう。道に刻んだ轍を見返してしまう。そうなれば全て終わりだ。

 だから歩く。歩き続ける。それ以外に選択肢など残されてはいないのだから。……だが、自分達の中には『そうでない人間』も居る。 


「今回のことに対して、後ろ向きな意見もあるけれど」


「どうしても嫌というなら強制はしないさ。結局は俺達の我儘だからな。……もしもの時には逃がしてやれるよう、手筈は整えておいてくれ」


「その辺りは抜かりないわ。最低限の誠意だもの」


 彼女がそう告げた後、暗闇に相応しい沈黙が降りる。ここでこれ以上言葉を重ねる必要はない。

 やるべきことは、すべきことは決まっている。その為の計画も既に出来上がっているのだ。あとは筋書き通りに事を勧めればそれで悲願は達成される。

 目の前に迫ったその時を前に、彼は喜びの気持ちなど一切抱かず。ただ苦々しく表情を歪め、心中で宿敵へと吐き捨てる。


 ――――お前のふざけた遊びは、これで全部終わらせてやる、と。



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