第一節 だんだんと速く 

第一節 一 「七日前・少女は雑さを弾劾する」




 真っ二つに折れた魔銅杖をもつ小さな手は、ぷるぷると震えている。つぶらな瞳は心なしか濡れていた。


 悲しみのせい、というわけではないだろう。きつく結ばれた小さな唇は何かの感情を抑えている証だろうが、それが悲哀の類でないのは誰が見ても明らかだった。

 恐る恐るクレールが「あの、ロロット……?」と語りかけたのは、カウンター越しに佇んでいる作業用の前掛けを着た三つ編みの少女。魔銅の杖を涙目で見つめる彼女からの返事はない。


 どうすればいいんだろうか、という気持ちを込めてロロットの背後に居るバルタザールに目線を遣るが、返ってきたのは首を横へ振る所作のみ。なるほど……あきらめろということか。


「クレール君はアレです、ホント学ばない奴なのです。……何か申し開きはあるですか?」


 震える声で漏れ出た三つ編みの少女の言葉。伝わる雰囲気からして嘘など吐けない。


「……申し訳ない、訓練に熱が入ってしまって、つい」


 ――――その言葉がクレールの口から発せられた瞬間、少女の感情が爆発した。


「つい、じゃないのです! これで五回目ですよ、馬鹿じゃないのですかクレール君!? 口だけの反省なんて聞きたくないのですよ! 武器はもうちょっと大事に扱ってほしいのです!」


 申し開きはあるかと問われて理由を言ったのに聞きたくないというのはちょっと理不尽ではないだろうか、と思うクレールであったが流石にそれを口には出さない。


「というか、訓練でここまで使い潰しますか普通!? いくらアンブル先輩が相手だからってはっちゃけすぎなのです!

 だいたい、あれは唯のバケモノなんですから真面に相手すればこうなることくらい予想が付くでしょうが!」


「あの、言葉が過ぎると思うんだが」


「完全に否定しないあたりクレール君も間違っちゃいないと思ってるのです! その時点で私と同罪なのです! アンブル先輩に嬲られると良いのです!」


「……なんという強権」


「ああん!? 何か言いましたですか!?」


「いや何も」


 これは何を言っても火に油か、とクレールはただ彼女の叱責を身に受け続けることを選択する。

「だいたいですねえ――」と続くロロットの怒りの言葉に、灰髪の少年はただただ平身低頭しているしかなかった。 

 お叱りの言葉を一身に受けながらクレールは、そういえば、と思い出す。彼女と初めて会った時も、こうして怒られたものだったか。


 ギルド依頼『森の庭の異常調査』の後。赤猿の魔物との戦いで、魔銅杖は大きく損傷してしまっていた。

 赤猿の足を止めるために使った地中爆破の魔法。あれのせいで杖の銅部分の大半が吹き飛んでしまっていたのだ。

 胴の部分が細く目減りした杖を見て、流石にこれは使い続けられないだろうとバルタザール武器店に持ち込んだ時だった。彼女の怒声を初めて聞いたのは。


「ちょっと、聞いているのですかクレール君! 聞き流していたりすればタダじゃおかないのですよ!?」


 意識を過去から引き戻される。「あ、ああ、聞いているとも。本当に申し訳ない」と多少どもりながら返すクレールに、ロロットはじとりときつい視線を浴びせかける。

 そこで「まあまあ」と口を挟んだのは白髪の壮年男性、店の主でもあるバルタザールであった。モノクルをくいと直しつつ言うその姿には、年長者の貫録が感じられる。


「その辺で許してやりなさい、ロロット。クレール君も悪気があって壊したわけじゃないんだから」


「ほう、悪気が無ければ許されますかお父上殿。何度も何度も作品を壊されるのも、無断で私の作品を他人に譲渡したことも、悪気が無かったのだから許されてしかるべきだとそう言いたいのですね?」


「む、ぐ…………それはだねロロット、私も君の成長を考えて――――」


「せめて許可くらいは欲しかったと思うのは、子供の我儘だと?」


「ぬ、う……」


 年長者の貫録は一分と持たなかった。親馬鹿対一人娘の対決など端から目に見えていたようなものであるが、それでもクレールは落ち込むバルタザールへの同情を禁じ得なかった。

 それにしても、吐き出される罵倒の切れは実の親相手でも衰え知らずか、と微妙な点でクレールが感心していると、ようやくもってロロットは怒りの矛先を収めたようで。


「まあいいでしょう。カリカリしているだけでは非生産的なのです。若者たる私はもっと前を向かなければならないのです」


 そう言って折れた魔銅杖をカンカンと叩き合わせる。気持ちの切り替えが早いのはロロットの性格上の特徴でもあった。

 頭を下げて「済まない」と改めて謝るクレールに、ロロットは「もういいです。それはそれとして」とさっぱり言い放って。


「この杖は二、三日お預かりするです。ぺーぺーの私なりにもう少し知恵を回し、クレール君の乱暴な扱いに耐え得る物に仕上げてみせるですよ」


「ありがとうロロット、助かる」


「お礼は良いからさっさとお代を出しやがれなのです」


 ロロットは小さな掌を差し出す。クレールは黒いズボンのポケットに手を入れ、あらかじめ用意していた硬貨数枚を取り出してロロットへと渡した。

 仏頂面のロロットは「毎度どうも、なのです」と言って受け取った硬貨を前掛けのポケットに仕舞う。


「……いつも思うんだが、費用が少な過ぎはしないだろうか」


「何度も言わせないでほしいのです、これ以上は要りません。いまだ技術科にすら入れていないぺーぺーが偉そうにお金貰ってることすら、本来はおこがましいのですよ」


 技術科入りを志望するロロットは、クレールと同じく入学一年目。つまりはまだ総合科の所属であった。


 鍛冶や工芸、土木建築などの技術を習得するための学科である『技術科』は、手に職を付けられるという点から平民の間で比較的人気の高い学科である。

 科旗の燕は、繊細かつ頑丈な巣を作るその感覚と計画性が、技術科の生徒に望まれる能力の象徴とされている。現役の技術科生の中には、本業の職人に引けを取らない腕を持つ生徒もいるらしい。


 全てはロロットなどからの受け売りであり、彼女はそんな技術科生を尊敬しているのだそうだ。もっとも、彼女自身もバルタザール曰く「既に売り物を製作できる腕」らしいのだが。


「本音を言えば今すぐにでも叩き返したいのですが……使ってくれている当人からの頼みなのです。無下に断れもしないのですよ」


 そう言ってじとりとクレールを睨み付けるロロット。偏屈ながらも自己評価が低い、というのが彼女の父親の評である。

 魔銅杖を売り物にしようとしなかった理由もその辺りにあるようで、バルタザールはそんな娘の消極さを無くしたいと言っていた。


 クレールがロロットに金銭を無理矢理に渡しているのも、そんなバルタザールに陰で頼まれたからであった。もっとも、ロロットは本当に最低限の金額しか受取ろうとはしないのだが。


「正直なところ、もう少し受け取ってほしいところだ。いい物を使わせてもらっているのだから、それに見合う金額を払いたい」


 これは紛れも無いクレールの本心であった。現状ではあまりにこちらが得をし過ぎている、と思わざるを得ない。

 本来子供の駄賃程度で修理を依頼できるようなものではないのだ。そう思ってクレールは自分の気持ちを口にしたのだが。


「だから、モノに見合う金額は十分に貰っていると言っているのです。しつこいですよ、クレール君」


 やはりと言うべきか、ロロットは頑なであった。その後ろでバルタザールがひっそりと溜め息を吐く。

 この頑固な子の心を解きほぐすことが、果たして自分に出来るのか。クレールには見当もつかなかった。


 店内に妙な沈黙が下りる。その雰囲気を解すようにか、バルタザールが白髪交じりの頭を掻きながら「ああ、そういえば」と気持ち大き目の声で漏らす。


「クレール君はベルトランを知っているかな? 騎士科の教導官をしている、がたいと声の大きい男なんだが」


「ベルトラン教導官ですか? ええ、知っています。編入したての時に一度お会いして、今は『武器術基礎』の講義でお世話になっていますが……それが何か?」


「出来たらで良いんだが、彼へ言伝を頼みたいんだ。『依頼の件だが、全数仕上げるには納期ぎりぎりまで掛かりそうだ』と」


「それくらいならお安いご用です。次の講義の時にでも伝えておきます」


「そうかい? いやあ、助かるよ。騎士科に行っても捕まらないし、手紙を送っても返事がこないし、どうしたものかと思っていたんだ」


 いつもの柔和な笑顔の中に、やや困った様子を覗かせて言うバルタザール。

 教導官とはいえ正規の騎士団員でもあるベルトランは、騎士団の業務が多忙になると別の教員に講義を任せることがある。

 そういえば最近はぽつぽつと姿を見せない時があったような、とクレールは思い出し、つい先日会った時に随分と疲れた様子を見せていたことも思い起こされた。


「最近の教導官は、確かにかなり忙しそうですね。この間会った時はうわ言のように『いかん、もうだめだ』と仰っていましたし……」


「ほう、あの気合と根性だけで生きてそうなベルトランさんがそんな弱音を吐いてたのですか。顔に似合わないのです」


「中々に手厳しいな、ロロット……」


 ロロットの毒舌に冷や汗を流すクレール。彼にとっては様々な事で世話になっている教官、という立場のベルトランだが、武器屋の娘からしてみればただの常連客のひとり。

 その上ロロットはベルトランが担当する講義を受けていない。故に扱いも多少はぞんざいになるのだろうか。


「手厳しいも何も本当のことなのです。しかし、気になるですね。近々に催事が控えているわけでもなし……何かあるんでしょうか?」


「何か、ね……関係あるかどうかは分からないけど、最近ちょっとした噂が流れているね」


 そうぽつりと零したバルタザールに、クレールとロロットの視線が引き寄せられる。

 モノクルの縁に手をやり、目を伏せて何かを思い出す素振りを見せたバルタザールは、ややあってゆっくりと口を開いた。


「どうも近いうち……確か、三日後だったかな。この王立学園に『トロイメン旅楽団』がやって来るらしいんだ」




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