第二節 二 「追い掛けるもの」




 割り当てられた調査域へと向かう道すがら。脇に草木が生い茂る獣道を歩きながら、クレールは昨日のとある話をテオに聞かせていた。


「じゃあ、特訓っつっても別に全力で打ち合ったりしたわけじゃねえのかよ?」


「ああ。練習程度の立合いはしたが、基本的にはアンブルに体捌きや武器の構え方を教わっただけだ」


「それであの動きって……どうなってんだよお前の体」


 怪訝そうな顔で言うテオに対し、クレールは小首を傾げて「どうなっているんだろう」と返す。実際、何故あそこまでの動きが出来るのか、彼自身にも分からなかった。


 そもそものきっかけは昨日に遡る。魔銅杖を手に入れた後、アンブルの「どれだけ武器を振れるか把握させろ」という言葉から、彼女と共に騎士科の訓練場に足を運んだクレール。

 そこで訓練がてらに杖を剣に変えて振ってみれば、その様子を見たアンブルが瞠目したのだ。「お前、本当に素人か」と。曰く「教科書のような剣筋」。彼の動きは、基本を十全に知っている人間のそれであるらしかった。


「もしかすると、失った記憶が関係しているのかもしれない」


「ああ、元々剣とか扱えてたとかか……異界人なら無くはねえ、のか?」


「は、そんなことはどうでもいい」


 二人の会話をアンブルはばっさりと切り捨てる。


「下らん考察は時間の無駄だ。動けるのなら足手まといにはならん。それが分かっただけで十分だろうが」


「……なんつーかお前、いろいろとブレねえなあ」


 呆れ気味なテオの言葉に鼻で笑って返すアンブルは、雑談に耳を貸しつつも周囲の警戒を怠っていないようであった。

 猛禽を思わせる目付きでつぶさに森を観察している彼女は、常と同じように鋭い緊張感を纏っている。アンブルが漂わせる独特の空気に、クレールは未だ慣れることが出来ないでいた。

 そんな雰囲気を察してか、テオは殊更に明るく口を開く。


「ったくよぉ、お前があんまり冷てえからクレールが怯えちまってるじゃねえか。なあ?」


「いや、そんなことは……」


「ほれ見ろ、声震えてんじゃねえか。アンブルよぉ、いい加減お前も人当たりってのを考えたらどうだ?」


「下らん、時間の無駄だ」


 一顧だにせず吐き捨てたアンブルは、何故かおもむろにしゃがみこんで小石を三つほど拾い、二、三度宙に放り投げる。

 こちらの話を不愉快に思って手遊びでもし始めたのだろうか、クレールがそう思った瞬間、アンブルは石を強く握って振り被った。


 ――――全力の投擲。ごう、と風を突き破り三つの飛礫が放たれる。


 凄まじい速度で木々の間を抜けた石は、やや離れた場所にある三つの草むらを鋭く穿った。直後、汚らしい獣の鳴声が上がる。転がり出てきたのは三頭の狼であった。


「仲間をやられた報復か。度胸だけは買ってやる」


「……相変わらず化けモン染みた勘してやがんなぁ」


 テオが感心したように声を上げた瞬間、アンブルの姿が消失する。

 ――――瞬間、巻き上がる風。裂かれた空気が悲鳴を上げて、周囲の草木を薙ぎ飛ばす。鮮血に狼の首がひとつ舞った。


「弱い」


 何が起こったのかクレールには分からなかった。気付けばアンブルは狼らの傍にあり、血濡れの両刃剣を手にしている。

 いつの間に剣を抜いたのか、どのようにして斬ったのか。それすら欠片も分からない。恩恵を用いずとも己の目に自信のあったクレールは、故にアンブルの速さに愕然とする。その間にも、琥珀色の瞳は既に次の獲物を捉えていた。


 石による奇襲を受け、さらには仲間を殺された二頭はそれぞれ別の方向へとなりふり構わず逃走を始める。内一頭は森の奥へと。もう一頭は――――


「げ、こっち来やがった」


 面倒臭そうな声を上げたのはテオだった。肩に担いだ長大なハルバードをぐるんと右手一本で回すと、刃を後ろへ向けて半身の構えを取る。

 そして疾走。アンブルには劣るものそれでも常人を遥かに上回る速度で狼を迎え撃ったテオは、片手で持ったハルバードに渾身の力を籠めて――――


「おらぁ!」


 どごう、と重い音。斧槍の刃の腹が狼の下顎を思い切りカチ上げた。跳ね上げられ木々よりも高く吹き飛んだ狼は、そのまま地面にどさりと落ちて動きを止める。

 同じ頃、アンブルの刃もまた狼を捉えていたようで、二つ目の獣の首が赤い螺旋を描いて宙へと跳ね上がっていた。


 そうして瞬く間に戦闘は終わる。それは最早戦いと呼べる次元のものではなく、クレールは眼前で起こった光景に驚愕して言葉を失った。

 その間にアンブルは、拭いた剣を鞘に納めながらテオとクレールの傍へと戻ってくる。開口一番に彼女へと文句を飛ばしたのはテオだ。


「おい、討ち漏らしてんじゃねーよ!」


「活躍の無いお前に手柄を譲ってやったまでだ。……それよりお前、何故刃を立てなかった」


「はぁ? 決まってんだろ、新品のこいつを汚したくなかったからだよ」


「下らん、何のための武器だ。刃が要らんのなら今すぐへし折ってやろうか?」


「んだとコラ、できるもんならやってみろ! 全力で死守してやんよ!」


「……二人とも、凄いんだな」


 言い争いを始めた二人の間を縫うようにクレールのその言葉が届き、テオとアンブルは揃って一瞬動きを止めた。

 直後、テオは心底不思議そうに、アンブルはやや不機嫌に眉を顰め、それぞれ口を開く。


「凄かねえよ、俺なんかまだまだだ」


「あんなもの、一匹二匹倒せたところで何の自慢にもならん」


 二人ともが実にあっさりとした口調で言ったのを聞き、クレールは口の端を引きつらせる。二人の言葉をそのまま信じるならば、王立学園には彼らよりも上の水準に居る人間が少なからず存在していることになる。

 どうやら王立学園は想像以上に人外魔境であるらしい。クレールは努めて平静を装おうとしたが、引きつった口元はついぞ治ることは無かった。


「つーか、あの三頭で最後なんかね?」


「多ければあと五は湧くかもしれんが、今の面子ならどうとでもなる」


「それもそだな。ちょっと周りに気ぃ付けつつ、予定通り目的の区域まで進むか」


 そう言ってさくさくと歩き出すテオとアンブルに、少し遅れてクレールは動き出す。

 ほんの二、三歩の距離がいやに遠くに感じられるのは、決して気のせいではないのだろう。二人の背中は背丈以上に逞しく見えた。

 せめて足手まといにはならないようにしなければ。そう心に決めるとクレールは、三歩分の遠い距離を埋めるため、心持ち速く駆けた。




 ◇




「この辺、だよな?」


「地図ではそうなっているな。間違いない」


 クレールは森の地図と周囲を見比べながら、テオの問いに答える。せせらぐ小川の傍に立つ角柱の標石には、地図の座標が記されていた。

 この小川の標石を中心とした周囲一帯が、クレールらの組に割り当てられた区域である。改めてクレールは辺りをぐるりと見渡す。


 生い茂る森林を細く割るように流れる小さな川原。さらさらと流れゆく清水の中には、優雅に泳ぐ魚たちが見える。その光景に、ふとクレールは既視感を覚えた。

 立ち並ぶ木々の大きさ。草木の緑が為す濃淡の波。満ちる癒しの雰囲気に、小鳥や栗鼠が戯れる気配。……間違いない、とクレールは確信する。


「この辺りに、小さな滝壺があると思うんだが」


「あー、そういやあるなぁ。それがどうしたんだよ」


「僕が目を覚ました場所なんだ。その滝は」


「へー、また微妙に危ねえ場所で気ぃ失ってたんだな。この辺はそこそこ『奥地』に近えから魔獣も多いぜ?」


 テオのその言葉に聞き慣れない単語を拾ったクレールは、小首を傾げて「奥地、とは?」と聞き返す。


「ここから南に行くと山があるんだよ。その山も一応森の庭の一部なんだけどな、麓越えた辺りから魔獣の数と質が一回りくれえヤバくなるから『奥地』って呼ばれて怖がられてんだ」


「実際はどうということもない。多少歯応えが増すだけだ」


「お前の次元でモノ語んじゃねえよアンブル。どうってことねえ場所に入山制限なんか掛かるわけねえだろうが」


「は、お前達が貧弱に過ぎるだけの話だ」


「真に受けんなよクレール、奥地はガチでヤベえからな」


 アンブルを無視して真剣な声色で言うテオの表情はいつになく険しい。片手で狼を吹き飛ばせる彼をして「ヤバい」と言わしめるのだから、恐らく本当に危険度の高い場所なのだろう。

 そんな場所になど頼まれても行きたくはない。自分はまだ死ねないのだから。そう思ったクレールは「わかった」と頷く。そこでふと、己の思考に疑問が生じた。


 ――――まだ死ねない、とはどういうことなのか。


 死にたくない、ではなくまだ死ねない。まるでなにか大きな目的でも抱えている人間のような言い草である。

 なぜ自分はそのようなことを感じたのか。己自身の思考の結果にもかかわらず、クレールはその感情に首をひねる。抱いた感覚はまるで、滝の前で目を覚ます前の――――


「おかしい」


 クレールが何かを想起しようとしたその時、アンブルがぽつりとそう零す。


「何がだよ」とテオが警戒を示しながら問い返した。その手は斧槍を強く握り込んでいる。


「空気が違う。言葉では説明できんが、何か妙だ」


 言いながらアンブルは、早足で川原の方へと歩いていく。「おい、待てよ!」とテオが追い、それに続いてクレールも駆ける。

 砂利の川原を踏みつける音が、静寂の森に三つ響く。魚影が激しく動く気配。小動物も速やかに散っていく。クレールはその『反応の速さ』に眉をひそめる。

 警戒の二文字が頭に浮かんだ。森の生命が何かに対して気を張っているような、そんな雰囲気。アンブルが感じたのもそういった類のものなのだろうか。

 漂う緊張感に促されるように周囲を観察し始めたクレールは、ふと視界の下に映ったそれを見て、思わず声を漏らした。


「何だ、これは」


 砂利の川原に出来た不自然な穴。強く抉られたような凹みが数か所、ぽつぽつと散見している。

 明らかに自然に出来たものではないその凹凸具合にクレールが首をひねっていると、テオがその穴を見て口を開いた。


「こいつぁ……踏み込みの跡だな。しかもこれ、割にえげつねえ力で地面を蹴ってやがる」


「見たところ、穴は二つないし四つが一組のように見えるな。……それだけはっきりとした跡を付けられるような獣が複数居た、ということだろうか」


 獣が付けた、強烈な踏込の痕跡。クレールの脳裏には『森の庭の異常調査』の依頼内容が浮かんでいた。もしやこれは。目の前の痕跡と記憶が一本の線で繋がりかけたその時、アンブルが鋭く声を上げる。


「向こうを見ろ。上の枝だ」


 彼女が指差す方向に視線を遣ったクレールは、表皮が剥がれ木目が露わとなった木の枝を捉えた。枝のほぼ全周に刻まれた損傷を目の当たりにした彼は直感する。――――あれは『何かが枝を強く握り込み、ぶら下がった跡』だ。


「当たりだな。恐らく猿の方が、最近までこの辺りに居たんだろう」


 アンブルが僅かに喜色を滲ませて言う。対照的にやや声色を曇らせたのはテオだ。


「慎重にいこうって言った傍からこれかよ。幸先いいのか悪ぃのかわかんねえな」


 あくまで安全を優先する態度を崩さないテオは、乱れた赤髪を掻きながら「まあ、見ちまったもんは仕方ねえ」と軽く溜め息を吐いた。


「見た感じ枝の跡はまだ続いてるみてえだし、一応追っかけてみっか」


「当たり前だ。全頭刎ね飛ばすまで追いかけてやる」


「おいアンブル、これ調査依頼だからな? 別に討伐まで請け負ってるわけじゃねえんだぞ?」


「だからどうした。目障りな魔獣は殺せるときに殺しておくべきだ」


 諌めるようなテオの言葉を冷淡に拒絶したアンブルは、テオとクレールに背を向けて先へ先へと歩いていく。

 テオは「ったくよぉ」と小さく悪態を吐きながらアンブルを追おうとして、一瞬考えるように立ち止まり、その後クレールへと向き直った。


「もっかい言っとくけど、いつでも逃げられる体勢だけは作っとけよ?」


 その言葉にクレールが「ああ」と頷くのを見て、テオは明るい笑顔を浮かべる。

 不安を取り払おうとしてくれているのだろう。その優しさにクレールが感謝を抱いていると、ふとテオの表情が再び真剣なものに戻った。

 まだ何か忠告があるのだろうか。「あとあれだ」と前置いたテオの言葉に、クレールは一番の恐怖を抱くこととなった。


「ガチで戦ってるアンブルには絶対に近づくな。そこらの魔獣より断然危ねえから。下手すりゃ死ぬぜ」



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