第二節 森の庭、再び

第二節 一 「確かめるもの」



「思ったより危ねえ橋だったかもしんねえな」


 銀色のハルバートを肩に乗せたテオは、跳ね放題の赤毛を掻きながら唸る様に低く呟いた。


 空は青く、雲が悠然と泳いでいる。爽やかな陽気が頬を撫でるのとは対照的に、テオの表情はどうにも優れない。

 依頼の説明を受けて『森の庭』の管理棟――クレールとミシュリーヌが初めて会った場所だ――を出てから、彼はずっとその調子だった。

 ギルド依頼『森の庭の異常調査』当日。クレールは森を貫く道を、テオとアンブルと共に歩いている。鞄を背負い、手に握るのは魔銅杖。普段の服の上からは、昨日杖とは別に買った革鎧を纏っていた。

 テオとアンブルはそれぞれ一昨日クレールと会った時の格好をしている。並び立つとやはり、サーコート姿のアンブルが良く目立った。


 そのアンブルが、テオの呟きに反応して鼻で笑う。


「肝の小さい男だな。怪我人が出たから何だというんだ。相手はたかが猿と狼だろうが」


 左に円盾、左腰に剣を佩いている彼女の一言は実に頼もしい。だが、その言葉にテオは素直に頷かなかった。

 ――昨日、数人の学園生が灰色の魔猿の群れに襲われて、重傷を負った。

 管理棟で今回の依頼の責任者、ゼナイド教員が語った事実である。それを聞いてから、テオの顔色が変わったのだ。


「そりゃあお前なら問題ねえかもだけどよ。今回はクレールが居んだぜ? もうちょっと簡単なのにすりゃあよかった。

 すまねえな、クレール。恩返しのつもりだったんだけど、若干厄介なクジ引いちまったみたいだ」


「構わない。こういうことをやる以上、僕も危険は承知の上だ」


「その割には武器を用意しようとすらしていなかったがな」


「……そこはあれだ、反省をしている」


 痛いところを突かれて思わず言葉に詰まるクレール。あのテオが苦笑いを浮かべているところを見ると、やはりまずいことだったようだ。

 クレールは密かに反省しつつも、話を強引に転換する。


「そ、そういえばテオとアンブルは知り合いなのか? 一昨日聞いた話だと、テオの方はアンブルを知っていたみたいだったが」


「知り合いっつうか、去年の『魔法戦闘実技』で一回ガチで戦ったからなぁ、その縁だよ。あと、アンブルは何かと有名だしな」


「それに、この槍馬鹿の荒れ放題のぼさぼさ頭など、一度見たら忘れようがない」


「お前それもうちょっと言い方あるだろ……」


「ただの事実だ」


 端的に吐き捨てたアンブルにテオは肩を落とすも、すぐに調子を取り戻して笑顔を浮かべた。


「まあ、要は腐れ縁ってやつだぁな。今でもたまに訓練場とかでやり合ったりしてるしよ」


「やり合う? 毎回私が一方的に完勝しているだろうが」


「なんでお前はそう俺の心を的確に抉るんだよ……」 


「ただの事実だ」


 元気に話すテオに冷たい指摘を入れるアンブル。この流れは二人の常なのだろう。信頼が僅かに覗くそのやり取りに、クレールは少しの羨望を覚える。

 こうやって遠慮なく誰かと話せる日が、いつか自分にも来ればいいのだが。クレールがそう思っていると、テオが真面目な調子に戻り口を開く。


「ま、何にせよ慎重にいった方が良いのは確かだな。元々人海戦術ありきの調査だから、そこまで結果を求められてるわけでもねえし」


 ゼナイドの説明によれば、今回の依頼を受けた学園生は五十人程度居り、それぞれが三人~五人程度のグループに分かれて森の庭の指定された地域を調査する、とのことであった。

 指定地域は、配布された森の庭の地図に書き込まれている。クレールら三人は、その地域に向かって歩を進めている最中であった。


「クレール、特にお前はあんまり戦闘経験無いだろうから、いつでも逃げられるようにはしとけよ」


 テオの言葉にクレールは頷く。武器を持ち魔法を扱えるといえど、本当の『戦い』をしたことが無い以上、下手に前に出るのは危険だ。

 その事を理解していたクレールは、いざという時以外では極力武器を振るわないでおこう、と考えていた。

 しかしその思いは、アンブルの何気ない一言によって簡単に崩されることとなる。


「そこまで気を遣う必要は無いと思うがな」


「なんだ、守ってやるのがめんどくさいからって放り投げる気か? 流石にそれは感心しねえぞ」


 鋭い声でテオがアンブルへと釘を刺した。先ほどまでの和やかな空気ががらりと変わり、怒気を含ませたテオの目線とアンブルの冷たい琥珀の視線がぶつかり合う。

 雰囲気がささくれ立っている。アンブルの性格からして、真正面からテオの言葉に反論し、そこから口論が始まるかもしれない。そう考えたクレールであったが、当のアンブルから放たれたのは非常に落ち着いた「違う」との言葉だった。


「事実心配いらんからだ。私が昨日見た限りでは――――」


 そこでアンブルが突然言葉を切り、鋭い琥珀色の目を道の脇の木々へと向ける。林を眺めているというよりは、その中にいる『何か』を捉えたかのようであった。

 何を見つけたのだろうか。クレールがそれを問おうと口を開く前に、アンブルの口の端が僅かに吊り上った。


「丁度良い。ぐだぐだと語るよりあれで試してみれば分かるだろう」


 アンブルが指差す先へと、クレールとテオが同時に目を向ける。

 そこには、木の幹の上部に四肢を、上から三人の姿を睨み付ける狼の姿があった。

 茶色い体毛の狼、テオが言っていた森の原生種だろう。重力に逆らって木の幹に立つその狼を、クレールは一目で魔獣と断ずることが出来た。

 思わず唾を呑む。互いが互いに気付いた今、いつあの魔獣が襲い掛かってくるかは分からない。そんな恐怖を感じていた灰髪灰目の少年へ向けて、アンブルは実に冷酷な言葉を投げた。


「クレール、あいつをやれ。無論一人でな。死なない限りは治してやる」


「おいアンブル! お前――――」


「いいから見ていろ。そうすれば分かる」


 淡々とテオに告げたアンブルは、乱暴な手付きでクレールを前へと押し出す。

 いきなりのことで思わずたたらを踏んだクレールであったが、次の瞬間には危機を感じて弾けるように顔を上げた。

 ――――それと全く時を同じくして、魔の狼が木の幹から跳ぶ。超常の速度による奇襲である。


「――――っく」


 真直ぐに跳んで来た狼の顔を視認した瞬間、クレールは即座に己の眼球へと魔力を注いだ。刹那に『目』の魔法が発動し、視界が一気に鮮明となる

 涎絡む牙、真赤い舌、鋭い双眸。荒れた毛並や嫌に伸びた爪などその仔細を瞬時に捉えたクレールは、狼の運動状態そのものをも捕捉し、自身と接触する瞬間を予測する。――対処は十分可能。判断は早く、故に初動も速やかであった。魔銅の杖が空を裂く。


 ――――どごう、と鈍い音。狼の首元に打撃が入る。奇襲を逸らされた狼は、打たれた痛みに悲鳴を上げつつクレールの横を通り過ぎ、勢いのままに木の幹へと激突した。

 間に合った、とクレールは息を吐く。だがまだ戦いは終わっていない。


「……なんだ、今の反応」


 テオの声が聞こえたが、今はそれにかかずらっている暇はない。クレールは振り返って再び茶色の魔狼を視界に入れる。狼は既に立ち上がろうとしていた。

 浅かったか。クレールは分析するとともに、魔銅杖の端を両手で握り魔力を練る。想像するのはアンブルの握る得物。即座にイメージを固めたクレールは練った魔力と想像を混合し魔法を為す。属性は物質と運動――形状変化・軽量化・強度操作の三重発動。

 剣か、とテオが声を上げたような気がした。それをクレールが確かめられなかったのは、同時に魔狼が雄叫びを上げたからであった。


「来るか」


 魔狼が再びの突撃の構えを取る。それと同時にクレールは、眼球へ注ぐ魔力を増量させた。魔獣が扱う魔法の正体を暴く為に。


 ――肉体魔法、加えて物質魔法。肉体強化に加えて爪部の強化。主に脚部の変化・強化が顕著。木の幹に張り付いていたのは爪によって幹を掴んでいた為――


 情報を捉えた直後、鎌のような鋭さと形の爪が襲い来る。分析に時間を掛け過ぎた、反撃は不可能――――ならば。


「つっ――――」


 体を半身にして攻撃を躱す。鼻先を茶色い体毛が掠め、獣の臭いが嗅覚を突いた。

 間一髪で爪を回避したが一息など吐く暇はない。次はこちらから仕掛けねばと、クレールは魔力を練り始める。肉体強化に加えて、さらにもう一つ。

 その間に狼は再び木の上に陣取っていた。四肢の筋肉がきりきりと引絞られていく様がクレールの目にはっきりと映っている。


 次で仕掛ける。そして終わらせる。小さく決意したクレールは、二つの魔力を体内で練りながら機を待つように剣を構える。

 燐光纏う灰色の双眸が、魔狼の筋肉が最大の緊張を見せたその時を正確に見抜き、そして。 


「燃えろ!」


 クレールは叫び、銅剣を振るう。剣の軌跡から飛び出したのは発火魔法。突如現れた火の刃は長く尾を引き狼の眼前を撫でる。突然の炎に魔狼は驚愕し、幹を掴む爪が緩んで木から落ちた。


 ――――今だ。強化された脚力による瞬時の接敵。茶色の体毛が地に付く前に、ごう、と銅色の刃が煌いた。

 肉を切る重い手応え。飛び散った鮮血が頬を濡らす。反射的にクレールは後ろに飛び退いた。


 そこで初めて、クレールは重い息を吐く。目の前には、胴のあたりを大きく裂かれて血を流す死に体の狼が転がっている。……しばしの痙攣を経て、やがて狼は物言わぬ骸となった。


「……なんとか、なったか」


 剣の切っ先を地に付けると共に、軽量化と強度操作、肉体強化の魔法を解く。同時に再び形状変化の魔法を掛け、銅剣を元の魔銅杖へと戻した。

 いきなりの戦闘だったが、よく何とかなったものだ。これも昨日のアンブルの教えが利いているのだろう。しかしあんな形で戦闘へと持ち込むのは今回だけで勘弁願いたい。

 そんな気持ちがない交ぜになった状態でクレールはアンブルへと視線を向ける。彼女は常と同じく冷たい目線で、横たわる狼の死骸を見下ろしていた。


「だから言っただろうが、心配はいらんと」


「…………」


 アンブルの言葉を受けたテオは、しばらく不自然に黙り込む。……よく見ると手が小刻みに震えているのは気のせいではないだろう。

 どうしたのだろうかと、クレールが不安を抱いたその時。テオの感情が勢いよく爆発した。


「おおお! お前すげえじゃねえかクレール! 今のやべえ、いろいろとやべえ! 誰だよこいつが経験薄いとか言った奴!」


「お前だ槍馬鹿、それと煩いぞ」


「ああそっか俺か! 悪かったなクレール! つーかうるさいのも俺か! すまんすまん! ていうかさっきのやべえ、マジでやべ――痛ってえ!?」


 騒ぎ立てるテオの頭を握り拳でぶん殴ったアンブルは、「煩いと言ったぞ」と吐き捨てる。


「お前……もうちょっと、加減しろやぁ…………!」


 殴られたせいかさらに乱れたように見える赤毛の頭を押さえ、テオは蚊の鳴くような声で弱弱しく言う。

 これも信頼が覗くやり取りには違いないが、殴り殴られの関係は流石に遠慮したい。クレールは己の顔が引きつっていることを自覚しつつ、しみじみとそう思った。 

 

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