第一節 九 「予想外の再会」
「それで明後日、そのテオって子と森の庭に行くことになったの?」
「そういうことになるな」
『あの後もまだそんなことがあったんですか……随分と内容の濃い一日でしたね』
陽が落ちて間もなく。『旅烏の梢亭』の酒場スペースは、燭台に点された火によって優しい橙色に染められている。
テーブル席のひとつを食卓として囲っているのは、クレールとリナ、キトリーの三人。彼らは、キトリー手製のビーフシチューを堪能した後、雑談に耽っていた。
話題は今日一日のクレールについて、である。起こった出来事が多すぎて、全て話すのになかなか時間が掛かったな、と話題の当人はしみじみと思いつつ、ちらりと空になったシチュー皿に目を遣る。
ドミグラスの深い旨味と赤ワインとトマトの酸味が染み渡った肉は、軽く歯を立てるだけでほろほろとほぐれる程に柔らかく、味の方も実に美味であった。キトリーの料理の腕には感心するばかりである。クレールは心中で深く頷いた。
そういえば、と話を変えたのはリナである。
「クレール、アンブルにも会ってたんだね。あの子、だいぶとっつき辛かったでしょ?」
「……いや、まあ」
「あはは、流石のクレールでもフォローできない感じ? ま、気持ちはわかるよ」
『根は真直ぐな子なんですけどね。ただちょっと、融通が利かないところがあるというか』
「ぶっちゃけ相当な頑固者だよねぇ。まあ、だからこそボンボンの多い騎士科の中で目立ってんだろうけどね、いろんな意味で」
リナもキトリーも、まるで知り合いのことを語るかのような口ぶりでアンブルのことを話している。テオが言っていたように、学園内でかなり名が通っているからだろうか。
クレールは話に相槌を打ちつつ、己の疑問を口にする。
「やはり有名なのか、あのアンブルという女生徒は」
「結構ね。なんたって『二年目最強』だから」
最強、とはどういうことだろうか。その意味が上手く飲み込めず首をひねるクレールへ、ゆっくりと語りかけるようにキトリーが説明する。
『総合科の授業に『魔法戦闘実技』っていう科目があるんですけど、その講義の一環として、学園内の訓練闘技場で模擬戦闘があるんです。
その模擬戦闘のトーナメントで優勝したのが、アンブルちゃんだったんですよ』
「しかも全試合ぶっちぎりの瞬殺でね。ちょっとした伝説だよ、あれは」
そう言ってなぜか自慢げに胸を張るリナ。クレールは、先ほどから二人の語り口に少なくない情が乗っていることに気付いていた。
学園の有名人についての噂話をしている、というような雰囲気ではない。むしろ、友人の為したことを自慢しているような、近しい者について語っている色味がクレールには感じられた。
これは、もしかすると。そう思ったクレールが問いを投げようとしたその時。きい、という音と共に酒場スペースの扉が開いた。
「……人が居ないところで、一体誰の話をしている」
凛とした、しかし鋭い声色。聞き覚えのあるその声にクレールが振り返ると、そこには琥珀色の瞳を持つ少女が立っていた。
サーコートを小脇に抱えた金髪の少女は瞳鋭く、テーブルを囲う三人を睨み付ける。彼女の服装はクレールが騎士科の校舎で見た薄片鎧ではなく、襟を詰めた黒のシャツと白い七分丈のパンツという幾分気楽な格好となっていた。
服装で雰囲気は変わるものだな、などと一瞬だけほのぼのとした感想を抱いたクレールはその直後、何故彼女がここにいるのか、という驚きの感情に支配された。
『アンブルちゃん、お帰りなさい。あ、晩御飯よそいますね』
言ってキトリーは椅子からすっくと立ち上がり、軽い足取りで炊事場へと向かう。
「おかえりー。いろいろ聞いたよー? そこそこ大層な事やらかしたんだって?」
「別に。大したことはしていない」
言いつつ別のテーブルへサーコートを放ったアンブルは、空いていた椅子──クレールの斜め前──へどっかりと腰掛ける。
その様子にリナはくすりと笑い「相変わらず態度悪いなぁ」と呆れたように呟く。「自分の住処でまで気を遣えと? 馬鹿馬鹿しいな」とアンブルは吐き捨て鼻で笑う。「おっとぉ、その言い方だとまるで外では気を遣ってるみたいに聞こえるけどぉ?」とさらに返したリナの顔には、からかいの表情が浮んでいた。
そこから先しばらく、アンブルとリナのじゃれ合いに近い口論が続いた。リナのからかいの言葉に対して冷ややかに、かつ少しむきになって反論するアンブル。そんな二人の会話をぽかんとした表情で傍観していたクレールは、しばらくして驚きから醒め、はっと我に返る。
「……済まない、平然と団欒しているところ申し訳ないんだが、事態についていけていない。少しばかり説明が欲しい」
「何だ。簡潔に言え」
「はいはい、アンブルはえらそうにしないことー。で、なになに?」
腕を組んでそっぽを向いているアンブルと、両肘を机に突いてにこにこしているリナ、二人の両方へ視線を送りつつクレールは問う。
「アンブルさんはその、ここの寮生なんだろうか」
「そうだよー、『旅烏の梢亭』の末っ子ね。あ、クレールが来たからもう末っ子じゃないのか」
「リナ、何故お前が答える。問われたのは私だろうが」
「でもキミ、その手のこと聞かれたって大概まともに返さないでしょ?」
「……否定はせん」
「そこは否定しとこうねー? ってのは置いといて、この愛想のないアンブルって子は、ここでのクレールのいっこ先輩にあたる訳だね」
「相応に敬えよ、新参」
『なんでそこでえらそうになるんですか……全くもう』
炊事場から戻ってきたキトリーは、手に持った湯気立つビーフシチューと付け合せのサラダをアンブルの前へと置き、元座っていた場所へと掛け直した。
嗜めるキトリーに対し、アンブルはふん、とひとつ鼻で笑い、クレールの方を指差して吐き捨てるように言葉を投げかける。
「事実、コレより私の方が先輩にあたる。コレが私を敬うのは当然のことだろう」
『アンブルちゃん、人のことを指差してコレなんて言ったら駄目ですよ』
「というかアンブルさあ、そうやって言うなら当然キミは、先輩であるボクとかキトリーのことも尊敬してるわけだよね?」
「……今は食事の途中だ。無駄口を叩くのはマナーに反する」
と言いつつアンブルは、スプーンを手に取りシチューを食べ始める。その様子に呆れ顔となったのはリナとキトリーであった。
「そういう屁理屈だけは、無駄に回るよねぇ」
『その知恵をもう少し別のところに向けてくれれば……』
二人の忠告などなんのそのと冷たい表情で受け流しつつ、ひと口ふた口とシチューを食べ進めていくアンブル。
その姿には騎士科で見た時のような苛烈なまでの鋭さは感じられない。しかしながら、とクレールは、それでも彼女から発せられる緊張感のようなものを僅かながらに感じ取っていた。
アンブルが纏うその鋭利な空気の正体は、一体何なのだろうか。そこには、あるいはキトリーの『事情』のような、触れてはいけないものがあるのかもしれない。
何にせよ、今この場でそれを問う勇気など、今のクレールは持ち合わせていなかった。
◇
「明後日、魔獣調査のために森の庭に行くことになった。一日空けるぞ」
食事を終えたアンブルがふと口にしたその言葉に、クレール、リナ、キトリーの三人ともが一様に驚きを見せる。
「え、アンブルもあの依頼受けるの!? 『森の庭の異常調査』!?」
「ああ、不本意だがな。謹慎を免れたいならこの依頼を受けろなどとベルトランの馬鹿が言って来……待て、私『も』とはどういうことだ」
リナの言葉尻を捕えたアンブルは、鋭さを感じさせる口調で問い返す。リナはそれに対し、端的にではあるがクレールの事情を説明した。
クレールが入学・入寮するまでの経緯は食事の最中にリナとキトリーが軽く話していた。それに加えて、テオという少年との出会いから依頼を受けるまでの過程を、リナは順を追ってさらりと語っていく。
そうやって一通りを聞いたアンブルは、その琥珀色の瞳で真直ぐにクレールを見、口を開いた。
「では、お前もあの依頼を受けるということか?」
「そういうことになる。向こうで会った時はよろしく頼む」
「そうか……それは丁度良い」
クレールの答えを聞いたアンブルは口の端を吊り上げる。笑顔、と言うには少々剣呑さを含み過ぎているそれを見て、クレールは思わず身構えた。
「半端な借りをここで返してやるとしよう。当日は、私もお前達の組に入ってやる」
組、とは調査の際のグループ編成のことだろう。つまりは依頼に手を貸してくれる、という申し出であるらしかった。思いの外まともな提案が出たことに、クレールは拍子抜けして構えを解いた。
力を貸してくれるというのならありがたい。彼女も騎士科の一件の『借り』を返したがっていることだし断る理由はないだろう。そう思ったクレールは「いいのか? なら、お願いしたい」と頭を下げた。
その様子に「引き受けてやろう。私も心残りが晴れて満足だ」と、やや横柄さを感じさせる口調で言うアンブル。そこに口を挟んだのはリナだった。
「うーわ、超上から目線ー。『単に付き合ってくれる友達がいないだけ』に一票いーれるっと」
「黙れリナ、煩いぞ」
「そーやって都合が悪くなったらすぐ暴言吐くとこ、可愛くって嫌いじゃないよん?」
『わたしとしてはそういう尖った所はもう少し丸めてほしいんですけどね。友達が少ないところも含めて』
「……勝手の分からない新参の為に、わざわざ一肌脱いでやるんだ。これで貸し借りは無し、ということで良いな?」
無視かぁ、無視ですね、と互いに言い合うリナとキトリーのことを完全に視界から外し、アンブルは尊大に言い放つ。
態度の大きさはさておき、元より彼女に対して貸しなど無いと思っていたクレールは「ああ、それで構わない」と返す。
本当はむしろ自分の方が何かを返さなければならない、とすら思っているが、それを表に出せばアンブルの機嫌を害すると理解もしていたので、クレールは自分の考えを吐露することはしなかった。
「言質は取ったぞ。後で文句を付けても聞かんからな」
「その辺は大丈夫だって。クレールは純粋な子だからねー」
『少なくとも、嘘とか方便を使いこなせる人ではないですし』
あっけらかんと言い放つリナとキトリー。これは信頼されているのかどうなのか、判断に迷うところだとクレールは苦笑いを浮かべる。
アンブルは「なら構わんが」と腕組みして、改めて口を開く。
「で、お前。持っているエモノは何だ? その程度は事前に知っておかなければ話にならんからな」
アンブルの問いに対し、クレールは小首を傾げた。一瞬、『エモノ』という言葉の意味が把握できなかったからだ。
文脈から見て獲物ではないだろうと踏んだクレールは、ならば得物かと理解し、そこで再び彼の頭の中で疑問が浮かび上がる。
「得物、というと……武器のことだろうか」
なぜ突然武器の話になるんだろうか。そんな内心を表すクレールの質問に、妙な雰囲気が流れた。
リナとキトリーは、あ、そういえば、とでも言いたげに表情を引きつらせ、アンブルの瞳には怪訝な色が浮かぶ。……はて、今の質問は何か拙かったのだろうか。
クレールは自分なりに何故『得物』が必要なのか、それを考える。そして、何秒も数える間もなく答えは直ぐに出た。
「そうか、魔獣が出る場所に行くのだから、身を護る為の武器が必要なのか」
「……おい、こいつは今更何を言っているんだ?」
「し、仕方ないよ、だってクレールってば昨日学園に来たばっかりなんだし」
『誰だって初めてやることは不慣れなものですから』
「初めて? こいつは森の庭で魔獣に襲われかけたんじゃなかったのか?」
『……そ、それはそうですけどね』
リナとキトリーがフォローしてはいるが、アンブルの呆れも当然であった。なるほど確かに、森の庭に行くのであれば武器は必要になる。
さらに言えば、魔獣調査が名目なのだから相応の危険があって当たり前だ。最低限、襲ってきた魔獣を追い払えるだけのものは要るだろう。クレールはむう、と唸った。
「武器か、言われてみれば考えていなかったな。一体どんなものを選べばいいんだろうか」
「下らん、そんなものは自分で」と言い掛けたアンブルを遮るように、リナがにやつきながら言葉を挟む。
「当然センパイのアンブルちゃんは、その辺の面倒も見てあげるんだよね?」
『それはもちろんですよね? なにせあれだけ自信満々に『引き受けてやる』なんて言ったんですから』
「お前ら、ここぞとばかりに……!」
苛立ちを含んでそう言い、反論しようとしたアンブルであったが、途中で自分から言葉を呑み、ぎり、と歯噛みする。
何か思うところがあるのだろうか、しばし唸りながら考えるアンブル。その様子をリナとキトリーは微笑ましげに眺めている。
そして、金髪の少女は仕方がない、という感情を滲ませながら声を張った。
「いいだろう、言葉を覆すのは性に合わん。武器の一つや二つ、ついでに面倒を見てやる」
「さっすが『二年目最強』、太っ腹ぁ」
『そういう潔さは、アンブルちゃんのいいところです』
「くそ、煩いぞお前ら!」
暴言を放つのは都合が悪くなった証拠だったか、とクレールはアンブルを見ながら思い出す。彼女にも、なんだかんだで可愛らしいところがあるのかもしれない。
ともあれ。依頼の同伴に加えて武器の選定までしてくれることとなった彼女に、クレールは改めて「よろしく頼む」と頭を下げる。
当の少女は不機嫌そうに舌打ちをひとつ飛ばすと、クレールを指差して「ともかく」と吐き捨てる。
「明日、武器を選びに行ってやる。早めに出るぞ、そのつもりで用意しておけ。いいな?」
「分かった。ありがとうアンブルさん、いろいろと助かる」
「……礼は要らん。敬称もだ。私は、単に借りを返したいだけだからな」
そう言って腕を組み、琥珀色の瞳を逸らしたアンブルに、リナとキトリーは含み笑う。それが癇に障ったのか、アンブルは「お前ら……!」と白熱し、二人に対して突っかかっていく。
これが『旅烏の梢亭』の日常なのだろう。そう感じたクレールは、早くこの空気に馴染めると良いのだが、と思いながら、三人の遣り取りを眺めていた。
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