第一節 七 「空腹の音」
壮観、とはこのことを言うのだろう。クレールはその景色に目を奪われていた。
四方が書籍に囲まれた空間。内壁のほぼ全面を埋める書棚には、数え切れないほどの本が収められている。壁面だけに留まらず、フロアの端からも順番に書棚が列を為している。
そして、書棚らが避けるように空けたフロアの中央。数台の長机が並ぶ広めの閲覧スペースには、灯具が灯っていないにも関わらず白く柔らかな光に満ちていた。
上から差すその光の元は何処なのだろうか。探すように見上げてみれば、閲覧スペースの真上四階までを大きく貫く吹き抜けが目に入る。本が為す回廊に囲まれた高い高い天井の先には、四角く切り取られた青い空が在った。
天窓から差す陽射しに目を細める。クレールは、思わず感嘆の深い息を吐いていた。
『すごいですよね。わたしも初めて来たときはしばらく見入ってました』
出力を抑えられたキトリーの念話でさえ遠くに響いていると錯覚するほど、館内は静謐に澄んでいる。その静かな空気感がまた、館内の荘厳さを際立たせていた。
『本の聖堂、なんて呼ばれ方もしてるんですよ。広さもありますから、ちょっとした催事なんかにも使われたりしてます』
「なるほど。これだけの場所なら、ただ本を読む以外にも使い道があるのは頷ける」
些か以上に声を絞ってクレールは言う。視界の端に『館内はお静かに』という張り紙が見えたが、そんな忠告が無くとも進んで声を張る気にはならなかった。
しばらく館内の景色と雰囲気に浸っていたクレールであったが、キトリーが促すように視線を向けたことに気付く。
『魔法の基礎的な学習書は利用者が多いですから、一階の分かりやすい場所にコーナーが設けてあるんです。行きましょうか』
「ああ、分かった」
静かに歩き出したキトリーからやや遅れて、クレールもまた足音が鳴らないようにゆっくりと一歩を踏み出した。
●
課題その三、『恩恵魔法』について。
元来魔法とは、発生させる現象の細やかな想起を経なければ発動が不可能なものであるが、稀にその段階を飛ばし、手足を扱うような感覚で特定の魔法を行使できる人間が存在する。
そのような人間のことを『恩恵を受けた者』と言い、その『恩恵を受けた者』が扱うことの出来る特定の魔法のことを『恩恵魔法』と呼称している。
恩恵魔法はその行使の際、現象の想起を必要とせず、魔力を特定の器官に入力するだけで半自動的に一定の効力を持つ魔法が出力される。
現象の想起を必要としない理由は、特定の器官が現象の想起を代替して魔法を発動している為、と言われているが、実際のところは明らかとなっていない。
通説としては、媒体である器官に『魔法の雛形』となる機能が備わっており、そこに魔力を流し込むことで特定の魔法が自ずと成形される、という解釈が一般的。
所謂『異界人』のほぼ全員が恩恵を受けた者であることが知られているが、異界人であることと恩恵魔法との因果関係は現在不明である。
その他の特徴は、消費魔力が低いこと、同一効果を持つ魔法を六属性では再現困難なことが挙げられる。
具体的な例としては――――
◇
人間、空腹には勝てないものだな。クレールはしみじみと思いながら、香ばしい串焼きの肉を頬張る。
焼き目の付いた肉は噛み応えがありつつも歯切れが良く、噛むたびに滲む肉汁と塩胡椒が良い意味で大味な旨みを感じさせる。
彼は今、大図書館に沿って城へと繋がる『東門通り』を散策していた。道幅の広い通りにはいくつかの屋台が並んでおり、人通りも南門と比べてかなり多く、賑やかな雰囲気が漂っている。
この『王立学園』の目抜き通りとも言うべき東門通りは、東西南北四つの通りの中で最も広く、かつ栄えている場所である。
というのも東門は、学園の関係者や訪問客、行商などにとっての玄関口となっているからだ。
東門は黒の王国の内地、具体的には王都に向いた門であり、王立学園の『正面』という扱いを受けている。それ故に他門と比べて発展しており、人通り多く栄えているのだ。
……などという話を串焼き肉を買うついでに屋台の店主から聞いたクレールは、ならば少し見物してみようかと思い立ち、こうして歩いていた。
で、そもそもの話。彼が大図書館を出た理由であるが。
「腹が減っては何もできないな、うん」
端的に、そういうことであった。
キトリーに勧められた幾つかの教本を参考に館内で課題を進めていたクレールであったが、途中からだんだんと腹が空き始め、ついぞ耐え切れなくなって席を立ったのは先ほどのことだった。
「腹の音を、館内で響かせるわけにもいかない」
あの静かな閲覧スペースで腹の虫など鳴かせた日には、周りの人間から白い目で見られること請け合いである。……という理由もあるが、それは結局後付けの建前に過ぎなかった。
別れ際に『頑張って下さいね』と優しい言葉をくれたキトリーに若干申し訳ない気持ちを覚え、また彼女のおかげで課題が随分と進んだことに感謝を抱きつつ、クレールは零す。
「何か礼を考えないとな、本当に」
……課題の経過はすこぶる順調であり、『恩恵魔法』についての理解はかなり進んでいた。
曰く、異界人がほぼ例外なく扱うことの出来る魔法。脳による魔法現象の想像を介さず、身体の特定部位――クレールの場合は眼球――に直接魔力を注ぐことで半自動的に出力されるもの。
目が思考を代替して特定の形の魔法を行使している、というイメージなのだろう。本が語るその説明を、クレールは違和感なく受け入れることが出来た。
加えて、学んだところによれば恐らくリナやキトリーも何らかの『恩恵魔法』を有しているはずだと分かった。今度、彼女らの恩恵魔法について尋ねてみてもいいかもしれない。そう思いつつクレールは、最後の肉を口へと運びもぐもぐと咀嚼する。
「後は、三番目の課題の最後だけか」
――――課題その三。例外的な分類である『恩恵魔法』について、具体例を挙げつつ説明せよ。
この『具体例』という文言が、クレールが頭を悩ませている原因であった。
言わずもがな自分が持つ『目』の魔法を例として挙げればいいのだが、そもそもその『目』に関しての理解があまり進んでいない。『目』の魔法に関して言えば、知識に依らず感覚的に使用しているせいかうまく説明として文章化が出来ないのだ。
腹の虫が落ち着き、思考の回転も速くなってきたところでクレールは改めて考える。といっても、取れる手段は然程に多くは無い。
「繰り返し使って知っていくしかない、かな」
文章で説明が出来るようになるまで、何度も魔法を行使しつつその実態を俯瞰するしかない。
そんな結論に達したクレールは早速、物は試しとたまたま目に入った屋台の中に目を遣る。汁物を出している店のようで、火に掛けられた寸胴鍋の中では、煮立つスープに煽られる野菜や肉の形が見える。
クレールはそこで、何も考えずに目に魔力を注いだ。眼球が淡い燐光を帯び始めると共に、視界がより鮮明になっていく。鍋の中で踊る具材の色形、掬い損ねの灰汁まではっきりと捉えられる。鍋下で踊る炎のゆらめきが、より滑らかに動いているようにも見えた。
……これはクレールも感覚的に理解していたことだが、『目』の魔法は視力や色覚、動体視力を強化する効果がある。
先の騎士科の出来事で、飛んでいた金属片が『折れた剣の先』であると判別できたのも、この『目』の魔法を発動した後の事だった。故にこの『目』の魔法が視力強化をもたらすということに間違いは無い。
問題は、折れた剣の先に強度操作の魔法が掛けられている、と理解した時の話だ。あの時はさらに眼球へと魔力を注いだことで魔法が付加されていることに気付いた。
であれば、今この場で、目に注ぐ魔力を増やせば一体どうなるのか。
「……変らない」
試してみるが、クレールの視界や知覚に変化は訪れなかった。強いて言えば視界がさらに鮮明になった程度で、明らかな違いは見受けられない。
はて、何故だろう。クレールは考える。今までのパターンなら目に注ぐ魔力を増やした段階で、注視した物への理解が深くなったというのに。さらなる情報を得るにはまだ何かしらの条件が足りていないのだろうか。
「……ん?」
そこでふと、視界の中で揺れる調理の火について疑問が浮かぶ。火の発生元に、燃焼物らしきものが見当たらないのだ。
焜炉のような台の上に鍋が乗り、鉄の格子を挟んで下にある空間で炎が踊っているのだが、そこにはあるべきはずの木炭などが見当たらない。
ならば何故燃えているのだろう。ひょっとして、魔法でも使っているのだろうか。クレールがそう考えた瞬間であった。
――発火魔法。調理者が継続的に魔法を行使することで火を発生させ続けている――
突如頭に湧き上がったその情報にクレールは瞠目する。今日幾度か『目』の魔法を行使した時の感覚と、全く同じものだった。
なぜこのタイミングで発動したのか。理由を考えるクレールは、程なく一つの結論に辿り着く。
「疑問、か」
なぜ。どうして。その思考に反応しているのだ。具体的な疑問を持って物を見た時、『目』はそれに答えるために魔法を為す。
つまりは『知りたいことを知ることが出来る』魔法か――――と、クレールが思考を結んだその時。
「おい、兄ちゃん達。喰いてえならさっさと買ってくれねえか」
屋台の店主の男がやや苛立ち気味にそう言う。物欲しそうに眺めている風に見えたのだろう。
否定をしようとクレールが「いや、僕は」と発したのとほぼ同時に。
「金がねえんだよ! 察してくれおっちゃん」
と、右の隣から声が上がった。
「ん?」
「おぁ?」
疑問の声が二つ重なり、その二人が時を同じくして互いの顔を見合う。
クレールの視界に映ったのは、やたらに目をぎらつかせた一人の少年であった。跳ね放題の赤毛と頬の傷が、やや粗暴な印象を抱かせる。
ただ、目が思いの外円らであったり背がクレールと比べてやや低いところから、どちらかと言えば不良よりも悪餓鬼、といった表現の方が良く似合う。
焦げ茶の皮鎧と、手に持った長物の袋が良く目立つ。とくに長物の方は、袋越しからも解る刃の形と、赤毛の少年の背丈を優に超える長さで、下手をすれば持ち主よりも注目を集めている。斧槍、という言葉がクレールの頭を過った。
と、その姿をじっと観察していたせいか、赤毛の少年は険しい目付きでクレールを睨み返し、唸る様に口を開く。
「何見てんだよテメエ、なんか文句あ」
と、不自然に言葉を区切る赤毛の少年。その動きをぴたりと止めたかと思えば、目からは徐々に生気が抜けていく。
一体どうしたというのだろう。心配になったクレールが声を掛けようとしたその時、ごぎゅるるる、という凄まじい音が赤毛の少年の腹から響き渡った。
「あ、だめだこれ」
空気の抜けるような呟きを漏らした少年は、その場に崩れ落ちるように座り込む。
突然の出来事にしばし言葉を失ったクレールであったが、すぐにおおかたの事情を察して屋台の方へと目を向けた。店主の男と目が合って、何故か互いに頷き合う。
……人間やはり、空腹には勝てないものだ。
「済まない。そのスープを一つ、大至急で頼む」
●
課題その一の五、現象属性の魔法について。
現象属性魔法とは、発熱や発光など、様々な現象を引き起こす類の魔法である。
属性の分類分けにおいては、環境属性と共に後発に属しており、別の言い回しをすれば『物体・運動・肉体・精神・環境属性以外の魔法』となる。
六属性の中でも特に曖昧な判断基準に基づいて定められた属性であるため、現象属性の中でもさらに分類分けが可能であると言われている。
主な魔法は火や冷気、電気、音の発生等。分類分け後発であることもあってか、非常に多様な種類の魔法が現象属性に位置づけられる。
物質創成、という伝説染みた魔法も存在するが、必要な魔力量の莫大さから、一億人の魔法巧者を集めても実現が不可能であるとされている。
代表的な例としては、発火魔法が挙げられる。
炊事や暖取り、灯りの確保、獣避けなどに多岐に渡って用いられ、その習得の容易さもあって万人が扱うことの出来る魔法として知られる。
規模や火力、持続時間を強化した発火魔法は魔獣退治などの戦闘にも用いられるが、延焼などの二次被害が予想されるために扱いには十分な注意が必要である。
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