第一節 六 「本の聖堂」


 ●




 課題その一の四、精神属性の魔法について。


 精神属性魔法とは、生命体の精神に干渉する魔法である。

 念話や生体探知、読心、催眠など、人間の精神に関わるあらゆることに干渉可能であり、応用幅は多岐に渡るものの、普段の生活ではあまり利用されない類の属性。

 肉体属性魔法と同様に『心の壁』の中和効果を有しており、精神属性の場合は精神保護機能を突破することが可能。

 ただし、『心の壁』の精神保護機能は肉体保護機能よりも複雑かつ堅固であり、ひとりの他者に対して『完全な』精神掌握を為すには千人単位の魔法巧者による高度な干渉が必要とされる。

 一方、自分自身へ向けて精神(あるいは肉体)属性魔法を用いる場合、己の意志で『心の壁』の厚薄をある程度操作できるため、保護機能中和の難度は然程高くはない。

 日常生活ではあまり使用されないが、医療分野では精神干渉による麻酔がよく用いられる。読心魔法は、犯罪捜査などの分野で活用されている。


 代表的な例としては、音声ろ過魔法が挙げられる。

 指定した音声以外の雑音の知覚を制限する魔法であり、環境音が大きい場所での会話や、外に聞かせたくない話題についての会話などに用いられる。

 ただ単に聴力を強化するだけであれば肉体属性魔法の管轄であるが、感覚器が拾った情報の加工・ろ過となると聴力強化では不可能であるため、精神属性魔法が利用される。




 ◇




 馬車を降りたクレールは、手に持っていた鞄を肩に掛け、御者に礼を言う。壮年の御者はゆるりと一礼すると、手慣れた様子で手綱を握り馬車を走らせて行った。


 ……先の一件の礼としてベルトランに馬車を用意して貰ったのでどうせなら、とクレールは東門通りまでの送迎を依頼していた。

 多少なりとも自分で歩くほうが街に慣れるか、とも考えたが、それで失敗して騎士科の一件に首を突っ込むことになったのだからと思い直し、当初の目的地である大図書館まで送ってもらうことにしたのだった。

 馬車の道中でも車窓から見える様々な店に興味をひかれたことを考えると、結果的にこの選択は正解だったのだろう。クレールは一人頷いた。


 それにしても、短い道のりながらとても快適な乗り心地だったとクレールは振り返る。森の庭から帰ってきたときの馬車が快適でなかったわけではないが、それと比べても違いが分かるほどに心地良いキャビンであった。

 振動の少なさもあったが、キャビンの中で蹄鉄や車輪の音が聞こえなかったことが一番の驚きである。恐らく内向きの音声ろ過魔法の効果だろう。快適な旅路は御者の細かな心配りの為せる技、ということか。


 魔法にも様々な使い道があるものだ。しみじみと思いながらクレールは、降り立った場所にある建物を仰ぎ見る。

 ……それは何となしの行動のつもりであったが、クレールは眼前のモノに圧倒されて息を呑み、しばし言葉を失ってしまった。


「これが、大図書館」


 扇に広がる階段の上、二つの巨大な柱に支えられた正面の扉が、堂々と人々を迎え入れている。大学舎に劣らぬ大きさと風格を持つその建造物は、どこか神聖な空気すら感じられる。

 機能美に寄った大学舎と違い、所々に白亜の装飾が見受けられ、淑やかな華美さを印象づけている。王立学園が誇る大図書館は、その名に恥じない荘厳さと美しさを湛えてそびえ立っていた。

 あるいはそう、聖堂、という形容が似合う程、大図書館の威風には凄まじいものがあった。


「凄いな」


 ただ大きいだけではなく、漂う空気感が違う。流石、学術の探求を国是とする黒の王国有数の大書庫なだけはある、と感嘆しながらクレールは感じていた。

 課題一つの為の調べもので利用するには少々大層な気もしないではないが、これも一つの勉強か。と、彼は階段を一段ずつゆっくりと登る。

 するとそこで、誰かに肩を二度、とんとん、と叩かれた。振り返ってみれば。


『今朝振りですね、クレールくん』


 という念話と発すると共にたおやかに笑みを浮かべる亜麻色の髪の少女、キトリーの姿があった。

 シンプルなワンピースを纏い、手提げ鞄を両手で持って、キトリーは人懐こい表情を浮かべている。


『騎士科の馬車が止まっていたから、珍しいなと思って見てたんですけど。まさかクレール君が降りてくるなんて。何かあったんですか?』


「いや、それが────」


 問われたクレールは、『魔法学基礎』の講義で出された課題のことや、騎士科での一件を順を追って語っていく。あまり詳細を語っても無駄に時間を喰うだけと見て、内容は軽めに話すだけとした。

 そして、クレールが一通りを話し終えた頃。キトリーの表情は実に微妙な苦笑いとなっていた。


『なんというか……課題の件は仕方ないにしても、初日から波乱含みですね』


「僕もそう思う」


『でも原因の半分はクレールくんの迷子ですよね』


「……僕もそう思う」


『興味が湧いたからって見る店見る店に入っていけばそれは道にも迷いますよね』


「…………僕も、そう思う」


『もうちょっと考えて行動した方が良いんじゃないかなってわたし思います』


「申し訳ない寮長、僕が全面的に悪かったから許してほしい」


 キトリーの妙な気迫に圧されて思わず頭を下げるクレール。その様子に『え? えっと』と戸惑いを見せたのはキトリーだ。


『あの、別に怒ってるわけではなかったんですけど』


「そ、そうなのか。とても怖かったが」


『こわ……!? えっと、そういうつもりは微塵も無くてですね。ちょっと『大丈夫かなこの人』とか思ったのは確かですけど』


「……済まない。以後はもう少し好奇心を抑えて、物事を考えてから行動したいと思う」


『あ、いや、今のは別に責めるとかそういう意味じゃなくてですね!?』


「大丈夫だキトリー寮長。……反省している」


『そこでへこまないでくださいよ! なんかわたしがすごく叱ったみたいになってます!?』


 途中から少しふざけ混じりだったことは内心に秘めつつ、クレールはもう一度「申し訳ございませんでした、寮長殿」と頭を下げる。

 そこでからかわれていることに気付いたのか、キトリーは『……やっぱり順応早いです、クレールくん』と恨み節を漏らし、顔を上げたクレールをじとっとした目付きで睨んだ。


「それはそれとしてだ、キトリー寮長」


『立ち直り早くないですか? あと寮長って付けないでください、それなら呼び捨ての方がマシです』


 むくれて言うキトリーに、クレールは「済まない」と三度謝る。『まあ、別にいいですけどね』とキトリー。

 これ以上軽口で怒らせるのは駄目だろう。そう考えたクレールは話の筋を真面目な方向へと戻す。


「キトリーは何をしに図書館へ?」


『いえ、特に用事は……というか、別に図書館自体には用向きは無いんですよ。『萌芽の美術館』に行った帰りに、たまたま図書館の前に珍しい馬車が止まっていたので、気になって見ていただけです』


「萌芽の美術館?」


『芸術科の学生の作品を展示するための建物です。次の展示会の準備をしに行ってたんですよ』


 なるほど、とクレールは納得するとともにひとつの疑問を抱く。なぜキトリーが美術館の展示会準備を手伝っているのだろうか。

 そんなクレールの内心を表情で悟ったのか、キトリーは説明を付け足していく。


『あ、そういえば言ってませんでしたね。わたし、芸術科の所属なんです。今度の展示会はわたしがお世話になってる先生の主宰なので、そのお手伝いをと』


 その言葉でクレールは得心のいった表情を浮かべ、そうだったのか、と呟いた。


 芸術科。絵画や彫刻、音楽などといった芸術分野を専門とする学科であり、六つある王立学園の学科の内で最も『平和』である、と言われている。

 科旗は水に浮かぶ白鳥。水上での麗しい姿を保つため見えぬ場所で努力を重ねるその様は、芸術科生の矜持と勤勉さの現れであるらしい。


「なるほど、キトリーは絵や彫り物が専門だったのか」


『わたしは主に絵画ですね。水彩画を中心にやってます』


「ということは、その萌芽の美術館というところに行けばキトリーの絵が見られる、ということだな。楽しみだ」


 素直に気持ちを述べたクレールだったが、その言葉にキトリーはびくり、と反応して急におどおどとし始めた。


『い、いえいえ、今回の展示会は油絵だけなのでわたしは出展してませんよ? それに、わたしの絵なんてわざわざ見に行くほど大したものじゃあ────』


「なんだ、キトリーの絵は見られないのか、残念だ。では、出展する機会があったら言ってほしい。その時は見に行かせてもらう」


『え、あ、あの、お話聞いてましたか? わたしの絵なんて、他の学生さんと比べてもそんな大層なものじゃあなくてですね』


「それは見てから判断させて欲しい、というのは無理な注文か?」


 キトリーの描く絵に興味を引かれたクレールは、純粋にそれを見たい、という気持ちを乗せて彼女を見つめる。

 それに対して何故か渋る態度を見せるキトリーであったが、クレールの真直ぐな瞳に負けたのか、肩を落として溜め息を一つ吐いた。


『はぁ、わかりました。しばらく間は空くと思いますけど、出展する時はお伝えしますね』


「ありがとう。………本当に見てほしくないというなら、無理に行きはしないが」


『ああ、いえ、そういうわけじゃないんです。ただ、知り合いに絵を見られるのはどうも慣れなくって』


 鞄の取っ手を弄いながら俯き加減に言うキトリーの表情には、やや赤みが差している。


『恥ずかしいというか、もどかしいというか、他の人と比べられたら嫌だなぁとか、趣味に合わなかったらどうしようとか、いろいろ考えちゃうんですよね』


「知らない人間に見られる分には平気なのか」


『ええ。赤の他人の方は絵だけを見ますけど、わたしのことを知ってる人は絵を通じてわたしのことも見るじゃないですか。そういうのがちょっと、恥ずかしくて』


 尻すぼみに言うキトリーは、その言葉通り恥ずかしげに視線を泳がせる。どうやら本当に絵を見られることを苦手としているようだった。

 無理に見に行きたいと言うべきではなかったかもしれない。少しの後悔がクレールの頭をよぎるも、興味があるのは事実であるし、ここまで踏み込んでしまえば下手に遠慮をする方がかえって気まずくなる。


 せめて、見物しに行くその時は、こっそりと行動して本人にばれないようにしよう。心配りと呼べるか怪しいラインの気遣いであるが、それでもなるべく彼女の負担にならないように行動しよう、とクレールは内心でひとつ頷いた。


『まあ、わたしの絵のことは機会があれば、ということで。それより、課題の方は良いんですか?』


「っと、忘れかけていたな。出来れば早々に済ませておきたい」


『こんな場所でいつまでも立っていては邪魔にもなりますし、入りましょうか?』


 言って、扇状の階段を一段上るキトリー。彼女は図書館に用など無かったはずでは、とクレールは思いだし、同時に彼女の気遣いを察した。


「付いてきてくれるのか?」


『ええ、もののついでですし、わたしでも軽い案内ならしてあげられます。迷惑でしたか?』


 二段上で振り向いて遠慮がちにそう問うたキトリーに、クレールは笑みで返す。この寮長殿は本当に根っこからの世話好きなんだな、と改めて彼は思う。


「いや、心強い。頼らせてもらうよ」


 そう言って、クレールもまた階段を上る。先を行く亜麻髪の少女は、穏やかながらもどこか楽しそうに笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る