第一節 五 「剣の行方」



 ●




 課題その一の二、運動属性の魔法について。


 運動属性魔法とは、あらゆるモノの運動状態を操作する魔法である。

 主に加速と減速、運動方向操作の三種の要素によって成り立っている。運動状態を固定することで、空中に物体を静止させ続けることも可能。

 運動属性単体での利用は、物資の運搬や馬車等の移動補助などに限られており、物体魔法に比べると応用幅が少ない。

 しかしながら、投射物の威力強化や瞬間的な移動速度向上が出来るという点から、魔法戦闘術の分野では多岐に利用されている。

 物質属性魔法との併用によって無機物の形状を変化させることが可能。運動属性単体でも概形を変化させることは出来るが、細部まで形状を変化させるには物質属性の補助が必須となる。


 代表的な例としては、減速魔法が挙げられる。

 運動状態の操作において最も重要なのは『制動』である。いくら高速度で物体を運搬出来ようとも、その動きを制して止める術を知らなければ徒に物を壊してしまうだけとなる。

 その為、運動属性を学ぶ上で一番最初に触れなければならないのが、運動状態を制限する減速魔法であり、減速魔法の練度そのものが運動属性魔法の技量の巧拙を決定づける、と言っても過言ではない。




 ◇




「拙い」


 焦りを滲ませてクレールがそう呟いたのは、金属の刃が落下するおおよその地点の目途が付いた直後。恐らく間に合わない、という予測が立ってしまったからだ。


 上空を吹く風の強さもあるのだろうか、速度に乗った銀色の刃は一直線に空を切り裂いていく。幸いなことに刃は長い道に沿ってを飛翔していたため追いかけることは容易であったが、それでも追い付けなければ意味が無い。

 落下するであろう地点までは、肉体強化を用いた全力疾走ですら到底間に合わない距離。だがここで諦めるのはまだ早い。


「やるしか、ないか!」


 時間と勝負を張る段階となっている今、逡巡は不要。そう判断したクレールは、迷わず二種類の魔法発動の準備を行う。

 肉体強化を維持したままに、魔力の奔流をさらに二つ練る。同時に想起するのは、己の背を押す突風と、加速を促す運動熱量。

 魔法を為せるかどうかという不安は無かった。クレールの中にある『記憶』が可能であると告げていたから。目標、正面にある刃の落下地点。通行者回避の為跳躍仰角は二十五度を目安に設定。


 脚の力を大きく溜める。強化された筋肉の発条がぎりぎりと軋む幻聴を聞き、限界まで縮み切ったその刹那を読み取って、クレールは思い切り跳躍する。

 風を切って己の肉体が跳んだ直後、その運動方向を正確に把握する。俯角にズレ無し。仰角およそ二十三度、想定範囲内。振り絞るように少年は叫ぶ。


「追い風っ!」


 魔法の解放。クレールの背中にどん、という衝撃が伝わる。瞬間風速に特化した突風が跳躍した灰髪の少年を更に弾き飛ばす。

 まだ終わらない。二段の加速を経たクレールは、己が空を跳ぶ速度が最大となる瞬間を見極め、再び声を張り上げる。


「加速!」


 ぐん、と背を押される感覚。加速のための運動熱量が直接体に伝わり、三段目の加速と相成る。正しく超常の速度で以てクレールは、中空を矢のように駆け抜ける。

 肉体・現象・運動、三種の魔法による超加速力で彼は、高空から飛来しつつあった銀の刃を優に抜き去った。これで落下地点には辿りつけるが、まだ油断はできない。さらにクレールは魔力を練る。


 加速したならば止まらなければならない。当然の理屈だ。このまま地面にぶつかれば重傷どころでは済まないだろう。故にクレールが用いるのは、維持したままの肉体強化に加えて、運動属性の減速魔法。

 目標地点への到達間近、クレールは練った魔力に制動のイメージを乗せ、魔法を発露する。


「────ぐっ」


 急激な減速による衝撃。クレールは小さく呻き声を漏らすもその苦痛を耐え切り、たたらを踏みながらも着地する。直後、足に痛みが走った。だがそれを気にしている余裕など無い。クレールは幾度目かの魔力練成を始める。

 まだ追いついただけ、何も終ってはいない。着地した場所の傍に小さな子供の姿があった。突然飛来したクレールに腰を抜かしている様子で、口をぱくぱくと動かしている。

 このまま刃が落ちていれば、この子が怪我を負っていたかもしれない。ともすれば死すらもあり得た。そう思えば自分の頑張りには千金の価値がある。クレールはそう己を奮い立たせる。


 連続の魔法行使で途切れかかった集中力に喝が入り、素早く魔力の練成を終えたクレールは、上空から飛来する刃へ向けて、その落下を阻むように左手をかざす。迫り来る刃に気付いた誰かの悲鳴が、周囲に響いた。

 ──発動に際して動作・発声を必要としない魔法であるが、想起するイメージと出力結果には密接な関係性がある。即ち、具体的かつ濃密なイメージを創り出すための動作・発声には、相応の価値が付随する。

 故にクレールは開いた手を確とかざし、渾身の叫びを以て魔法を吐き出す。


「止まれぇっ!!」


 高速で飛来してきた刃が、ぐいぃん、とまるで何かに引っ張られるかのように減速する。二度目の減速魔法は覿面に効果を現した。

 しかし、足りない。咄嗟の魔力練成だったためか減速魔法の出力が足らず刃の速度が殺し切れない。

 最早他の魔法を行使する時間的余裕はない。背後から子供の短い悲鳴が聞こえる。避ける訳にはいかない。身一つで阻むしかないのか。大方の威力は減じたが直撃すれば大怪我は避けられない。当たり所が悪ければ死も見える。


 恩も碌に返さないまま、拾って貰った命をここで危機に晒してしまうのか。死ぬわけにはいかない。しかし見殺しにすることも看過できない。ならどうするのか。

 音が消える。色が消える。時が澱む。全てが薄く引き伸ばされたかのような錯覚の海の中、クレールは己の中にある何かが胎動するのを感じた。

 死んではいけない。消えてはならない。突き動かされるように拳を握りしめ、何かの形を為そうとした、その瞬間。


「────よくやった、そこの白黒」


 凛とした声が、音と色と時を戻す。クレールの眼前に、黄金色の風が奔った。




 ◇




 所謂、土下座という姿勢である。


「本当に、申し訳なかった!」


 深々と頭を下げているのは、白のサーコートを着、口髭を整えている中年の男性だ。他人の土下座を見るのは中々に心苦しいものだな、とつい昨日土下座をしたクレールは深く思う。リナもこういう気持ちを抱いていたのだろうか。

 いくらここが木張りの部屋──騎士科の校舎の一室──と言えど床に座って額を地に付けた人を長々と放っておきたくはないと、クレールは極力柔らかな声色を心掛けて言葉を発する。


「あの、僕は気にしていませんので、顔を上げてください」


「いや、そう言われて易々と上げられるほど騎士の頭は軽くは無────おい、お前も頭を下げろアンブル!」


 そう叫んだ中年の男性は頭を下げたまま器用に腕だけを伸ばし、隣で同じように座っていた──といってもこちらは一切悪びれる様子が無い──同じくサーコート姿の金髪の少女の頭を引っ掴んで思いっきり床に叩き付けた。

 どご、という鈍い音が響き思わずクレールは顔を引きつらせたが、当の少女は声一つ上げなかった。痛くは無いのだろうか。


「すまない」


 頭を押さえつけられたまま、少女は抑揚のない声でそう言った。本当に謝意があるのかは正直なところ疑わしいが、それでも謝っていることには違いない。

 だからもうこの状況を早く抜け出したい。早く頭を上げさせたい。眉をハの字に歪めたクレールは改めて目の前の二人に声を掛ける。


「あの、この方も謝っていることですし、もう大丈夫ですから。早く頭を上げてください。大丈夫ですから」


 何が大丈夫なのか自分で言いながらもよく分からなかったクレールは、この居た堪れない現状を打開するためにはどうすればいいのか、焦る頭で必死に考えていた。

 この中年男性──ベルトランと名乗った騎士団の教導官──が語るところによれば、先ほどアンブル、と呼ばれた金髪の少女が今回の一件の元凶である、とのことであった。

 騎士科の生徒であるアンブルが実戦訓練中に別の男子生徒と諍いを起こし、魔法込みの全力で以て打ち合った結果、男子生徒の剣がへし折れて宙を舞い先の件に至った、というのが大まかな流れである。


「教導官としてこのような事態を看過してしまったことは、本当に情けなく思う。私の監督不行届きだ」


 頭を下げたまま悔いるように言葉を絞り出すベルトランに、クレールは今日何度目かの「大丈夫ですから」を口にする。


「謝罪はもう充分ですよ。それに、結果として僕は彼女に助けられた形にもなるわけですし」


 そう。飛来する刃を阻んだ黄金色の風の正体は、霞む程の速さでクレールの眼前を駆け抜けたアンブルの姿だった。


 彼女は、相手の剣を折って弾き飛ばした後、それを自力で処理しようと追い掛けた結果、絶妙なタイミングでクレールの危機を救ったのだ。

 アンブルのおかげで自分は怪我を負わずに済んだ。そもそもの原因が彼女自身にあったと言えども、助けて貰ったことは事実である。その想いでクレールは先のような言葉を口にしたのだった。


「言い忘れていた。助けてくれてありがとう、アンブルさん。あれは僕一人ではどうにもならなかった」


 クレールは言いつつ一礼する。頭を押さえつけられているアンブルの視界にその姿は映らなかっただろうが、雰囲気や布音で彼の所作を察したのか、少女はぴくり、と体を反応させた。

 それがどのような感情を伴っての動きだったのか。クレールには察することが出来なかったが、代わりにその隣で弾かれたように頭を上げたベルトランの方の内心は、何とはなしに理解できた。

 なぜ君の側がアンブルに礼を言うのかと、そんな驚愕が彼の顔にありありと浮かんでいたからだ。事実それを言おうとしたのだろうが、それよりも先に口を開いた人間がいた。


「礼は要らん。それに、お前の力は無駄じゃなかった」


 金髪の少女アンブルである。ベルトランが驚愕を見せたその瞬間、彼女は抑えられていた頭を強引に上げ、真直ぐにクレールの目を見つめてそう言った。

 口調そのものはやや粗暴であるが、その言葉には先の謝罪のような無機質な平坦さは無く、真に自分の考えを口にしているようにクレールには感じられた。


「お前、少しは口の訊き方を────」


「いいんです、ベルトランさん」


 ベルトランの叱責を静かに遮ったクレールは、言葉を選ぶために少しの間を開ける。


「……剣が折れて飛んだ理由なんて、本当は僕の与り知る所ではないんです。僕は勝手に剣を追いかけて、止め損なっただけの間抜けだ」


 そもそも剣が落ちる場所にわざわざ駆けて行ったのは自分の意志からだったのだ。自身の力量を深く考えもせず、反射的な思いだけで動いた馬鹿者だと、クレールは心中で自嘲する。

 自分の力を過信して危険に身を晒しただけ。それを間一髪で救ってもらったのは自分なのだから、本来謝るべきは、感謝するべきは己の方だ。


「こちらこそ、勝手な真似をして、気を揉ませてしまって、済みませんでした。それと改めて、助けて頂いてありがと────」


「迷惑を掛けて済まなかった」


 突然クレールの言葉を遮り、深く頭を──今度は自分の意志で──下げたのは他の誰でもない、アンブルだった。その金色の髪がさらりと揺れる。


「相応の罰は受ける積もりだし、幾らかの詫びも用意する。……これでいいだろう、ベルトラン教導官」


「あ、ああ、それでいい」


 やや戸惑いを見せつつも、ベルトランはアンブルの謝罪を前向きなものと受け取ったのか、一度だけ大きく「うむ」と頷いた。

 一方、戸惑っているのはクレールも同じであった。表現は悪くなるが、先ほどまで何一つ反省した態度を見せなかった彼女が何故、急に深々と頭を下げたのか。ベルトランが驚きを見せている理由もその点にあるのだろう。

 気にはなるが、この場で問うのは流石に憚られる。そう感じたクレールは、敢えて言葉を発することをしなかった。

 そうして、妙な沈黙が流れる。その空気を一度入れ替える為だろうか、ベルトランはひとつ、咳払いをした。


「しかしな、アンブル。お前には罰を受ける義務はあっても、物で賠償を済ませる権利は無い。勝手な行動は許さんぞ」


「何だと、私は────」 


「聞く耳持たん。お前はただただ反省の念を感じながら学園と俺からの罰を受けろ。いいな」


「…………了解」


 不承不承、という風にアンブルは頷いた。そうして彼女とベルトランはようやく立ち上がる。目上の人間を床に座らせているという罪悪感から抜け出すことの出来たクレールは、密かに安堵の溜め息を吐いた。


「今回のことは本当に済まなかった、クレール君。せめてもの詫びに、帰りは馬車で送らせて貰おう。手配をするから、ここで少し待っていてくれ」


「は、はい。ありがとう、ございます」


 改めて頭を下げたベルトランは、コートを翻して教室を後にした。後に残されたのは、クレールとアンブルの二人。

 しばしの沈黙の間、クレールは改めてアンブルの姿を視界に収める。 


 艶めく金色の髪はうなじを隠しきらない程度の長さで揃えられている。琥珀色した瞳は美しくも鋭く、磨き抜かれた刃物のような印象を抱かせる。

 薄片鎧の上に羽織ったサーコートは、ベルトランのものよりも幾分か簡素な意匠であった。恐らくは騎士科の学生用のものだろう。


 などと、クレールがしげしげとその姿を眺めていたせいか。アンブルは冷たい視線を彼の方へと向ける。

 不躾だったか、と思ったクレールであったが、彼女の目線は彼の顔ではなく、右の足首へと刺さっていた。


「お前、足を痛めてるな」


 呟くように言ったアンブルは、クレールの傍へと歩み寄ってしゃがみこむ。かちゃり、と鎧の薄片が擦れる音。

 彼女の言葉は正しい。刃に追いつく為三段加速を行った後、着地の際にクレールは右脚を捻っていた。

 ただ、痛みが出て彼が負傷に気付いたのは事があってしばらくした後、ベルトランらとこの部屋で話し始めた時だった為、治療の魔法を施す機を失いそのまま放置していた。

 それをアンブルは、彼の立ち姿や表情から見抜いたのだろう。


「何を」


 するつもりなのかとクレールが言い切る前に、おもむろにアンブルは左手を伸ばして彼の右脚に触れる。

 変化は一瞬。クレールの足首に纏わりついていた鈍い痛みが綺麗に引いた。炎症の治療魔法か、とクレールは直ぐに思い至る。

 ではなぜ。アンブルの突然の行動の理由が読めなかったクレールだったが、立ち上がった彼女が発したその言葉で、おおよその意味を理解した。


「全てではないが、一応の借りは返した」


 琥珀色の冷たい視線が、クレールの灰色の双眸に向けられる。思わず彼は息を呑んだ。


 まるで、刃を突き付けられているかのような緊張感がクレールの総身を包む。

 向けられているのは殺気や気迫ではない。そういった『意図して』発するようなものの類ではない、とクレールは直感した。

 吐息のように、生きている過程で自然と流れ出す類のもの。では一体『それ』の正体は何なのか。彼は、そこまでの答えに至ることが出来なかった。


「一つだけ言っておく」


 右手を伸ばすアンブル。その行き先はクレールの首元。

 彼は左の襟を掴まれ、ぐいと締め上げられる。首への圧と彼女の瞳の鋭さに、息が詰まった。


「こちらの身に覚えのない恩を勝手に感じるな。不愉快だ」


 言い捨ててアンブルは右手を突き放した。思わず仰け反りバランスを崩すクレールを余所に、彼女は教室を後にする。

 ぱたり、と木の扉が閉まる音。それを聞いて、クレールは安堵の溜め息を漏らした。

 

「……いろんな人間が、居るものだな」




 ●




 課題その一の三、肉体属性の魔法について。


 肉体属性魔法とは、生命体の肉体に干渉する魔法である。

 身体機能の強化や負傷の回復、病気の治療など、およそ肉体に関係することであればその全てに関して影響を及ぼす事が出来る。

 精神の宿る生きた肉体には、『心の壁』という己の心身のカタチを保つための機能が備わっており、魔法による干渉を無意識下で強く制限するため、魔法効果が通り辛い、という性質がある。

 この『心の壁』における肉体保護効果を中和し、生きた体に直接的な効力を及ぼすのが、肉体属性魔法の特徴である。

 肉体属性魔法の利用は、第一に医療分野が挙げられる。怪我の治療は言わずもがな、魔法に依らない医学の知識を併用すれば様々な病気を効率よく治療することが可能である。

 物体魔法との併用によって、魔法対象となる肉体が本来持ち得ない性質・形状を、『心の壁』を中和して与えることも可能であるが、これに関しては相応の魔法巧者でなければ効率よく利用できない。

 その他、身体強化や五感強化などは魔法戦闘術において頻繁に活用され、物体魔法との併用による体組織の一時的な硬質化、強度上昇等も利用されている。


 代表的な例としては、肉体的な外傷を修復する治療魔法が挙げられる。

 治療と一口に言ってもその種類は様々であり、血液凝固の促進や、筋肉や靭帯の炎症抑制、修復など、外傷の種類によって多様な治療魔法が存在する。

 起こる症状や外傷の種類ごとに有効な治療魔法が異なってくるため、患者の容体を見てどの種の治療魔法が最も効力を発揮するのか、それを見極めるのが重要である。



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