第一節 四 「目の前の課題」
初めての授業が終わり第三大学舎から外に出たクレールは、鞄を肩に掛けつつ、手に持たされた三枚の紙を眺め、眉間にしわを寄せていた。
それらの紙の内、表紙にあたる一枚には『魔法学基礎:特別課題』と実に簡潔な題が手書きで書かれており、その下に三つほどの小題目が綴られている。
なんとも苦々しい表情を浮かべているクレールは、先程の講義中、怒りと共に放たれたゼナイド女史の言葉を思い出していた。
「二度目は無い、と仰っていたのは覚えているんだ。うん、それは確かなはずだ」
リナの悪戯に嵌ってつい大きめの声を出してしまった際、そのように叱責を受けたことは確りと覚えている。
それに深く反省し、彼は残りの講義を極々真面目に聞き入り、『二度目』の過ちを犯すようなことはしなかった。
「なのになぜ、僕の手には『罰としての』課題があるんだろうか」
「二度目が無いとは言ってたけど、一度目があるとは言ってなかったんだなあ、これが。くふふ」
「……君は何故、そんなに楽しげなんだろうか」
「やだなあ、顔怖いよクレールったら。怒るの禁止っ、めっ」
「…………なるほど、この気持ちが苛立ちか」
頬が引き攣っているのを自覚しながらも、クレールは己の抱く感情の新鮮さを噛み締める。目新しい刺激であることは違いないが、あまり味わいたくない部類の感覚だな、と思いつつ、灰髪の少年はこめかみをひくつかせた。
罰という名の課題を受け取る一因であるリナの、何故か心から楽しげな様子が妙に癇に障るが、ともあれ長々と苛立っていても仕方がない。努めて落ち着こうと、クレールは手に持った課題の紙を改めて確認することにした。
『課題その一。六属性の魔法それぞれについて簡潔に説明し、それらの具体例を一つずつ挙げよ』
『課題その二。属性の『静・動』について説明せよ』
『課題その三。例外的な分類である『恩恵魔法』について、具体例を挙げつつ説明せよ』
課題は、問われている事柄に対して文章によって回答を行う記述形式である。表紙以外の二枚の紙は、それらを書き込む解答用紙だ。
初めてこれを貰って内容に目を通したとき、ふと「何故僕は文字が読めるのだろう」という疑問に駆られたクレールであったが、リナ曰く「異界人はそういうもの」であるらしかった。
彼女によれば、異界人は例外なく初めから『こちら側』の言語を理解している……というよりも『母国語がそのまま挿げ変わってしまう』らしい。その確たる理由は不明、とのことであった。
自分の記憶喪失と同じく、その原因など探りようがないということか。クレールはそうして、一先ずの納得をしたのだった。
さて、
粗方の答えは頭に浮かんでいるのだが、課題の問題文中に一つだけ知らない単語が見受けられ、クレールは少しばかり戸惑う。出所の知れない例の記憶にも、その単語は引っ掛からなかった。
これは何なのだろう、クレールが悩んでいると、いつの間にかリナが隣に立って紙面を覗き込んでいた。
「ほうほう、結構基本的な事ばっかりだねえ。これなら大丈夫じゃん?」
「いや……最後の課題が、よくわからない」
「あー、恩恵魔法ね。そういや授業じゃあ触れてなかったけど。知らないの?」
「そのようだ。少なくとも『記憶』には無いな。……口振りからすると、常識的な物のようだが」
「常識っていうか、魔法学基礎の結構序盤で習うから。それにボクも────って、あ、そうだ」
何かを言いかけたリナであったが、その途中で別のことを思い出したかのような言葉を吐いた。
「クレールがさっき使ってたやつ、あれ恩恵魔法だよ。ほら、学生証調べてる時の」
「ああ、目に魔力を籠めた時の。あれが、そうなのか?」
「うん。なんせ目が光ってたからね」
リナのその言葉に、クレールは頭を傾げる。
「……恩恵魔法を使うと、目が光るものなのか?」
「いんや、そういうわけじゃあないよ。ただ、あの状況でああいう魔法を使っても、普通は目なんか光らないから。絶対に。
魔法ってのは正直でさ、自分が思い描いた以外のことは絶対に起きないんだよ。クレール、目を光らそうなんて思ってなかったでしょ?」
「ああ、確かに」とクレールは得心したようにひとつ頷く。学生証を調べた時は、走査や解析に近い魔法を使う感覚であった。それで目が光るのは確かにおかしい。
「あと、『目に魔力を籠めた』って表現ね。これもちょっと不自然なんだよ」
不自然? とクレールはオウム返しをする。その言葉は、彼にとってみればごく自然に、そして感覚的に放ったものだった。
「普通の魔法っていうのは、発現させる事象の形を頭の中で思い浮かべた後、その想起したイメージそのものに魔力を浸透させることで発動するんだ。だから、魔力を通すのは主に、ここになるわけ」
言いながらリナは、自分の側頭部を人差し指でつん、と突く。要は頭の中、脳に魔力を送る、という感覚なのだろう。クレールが持つ『記憶』にもそのような情報が確かに存在していた。
「それなら、確かに不自然だな。脳を介さず直に両目へ魔力を注ぐ、という行為は」
「でしょ? だからキミが使った魔法は普通じゃない、っていうのが分かったんだよ。それと同時に、恩恵魔法だろうな、っていう予測も立ったわけ」
つまり彼女は、たった一度クレールが使った魔法を見ただけで、そこまでの推理をしたらしい。その事実に思わず「なるほど」とクレールが感心を漏らすと、ふふん、とリナは自慢げに胸を反らした。
それはさておき。クレールは今一度リナの言葉を反芻するが、どうにも理解できない点があった。それは。
「恩恵魔法とはそもそも何なんだ。普通の魔法との違いはあるのか?」
自分が使った目の魔法が普通のものではなく、恩恵魔法と呼ばれているものであるのは理解できた。だが、恩恵魔法の正体が未だに分からない。
課題の文にあるとおり『例外的』であることはリナの言葉からも察しがついたが、何をもって例外と呼ぶのか、その点をそもそもクレールは理解していなかった。
故にリナへと問いかけたのではあるが。
「そこまではちょぉーっと、教えられないなぁ」
返ってきたのは、彼にとって予想外の言葉だった。思わずクレールは呆気にとられ、口を半開きにする。
今の今まで様々なことを懇切丁寧に教えてくれていたというのに、と、急に梯子を外されたような感覚に陥るクレール。
一体なぜ、と彼が口にする前に、リナが先に言葉を放った。毛先を弄いながら、やや嗜めるように。
「クレール。キミが今手に持ってるそれは、一体誰宛ての課題だったかな?」
「む、それは……」
そのリナの言葉は、これ以上無いほど正論であった。自分に課された問題の答えを、直接人に尋ねるのは正道ではない。
クレールは灰色の瞳を逸らし、言葉を詰まらせる。質問すれば余さず答えてくれていたリナの親切に、少し甘え過ぎていたようだ。
「人から教わった答えって、案外身に付かないもんだよ。自分で調べて納得するのが一番の勉強、ってね」
「そう、だな。いつまでも人に頼り通しでは駄目になる」
リナやミシュリーヌ、キトリー。出会う人皆に世話を焼いてもらってばかりで。いつかは礼をしなければならないと心に誓っていたというのにこの様では、いい笑いものだ。クレールは一人自省する。
森の庭で死にかけていたのは過去の話だ。病み上がりなど理由にならない。右も左も分からない子供ではないのだから、もうそろそろ自分の足で歩かなくてはいけない。
心の中で気合を入れたクレールは、課題の紙を改めて
「差し当たっては、図書館を探さないといけないか」
「案内しようか?」
「いや、構わない。一度自分で探してみることにする。ひとりで学園を歩く事にも慣れないといけないからな」
手始めに街の地図や案内板を探さなければ、と顎に手を添えて考えるクレールを、じっと見つめるリナ。
その視線に気づいたクレールは二、三度瞬きをした後、何か用か、と視線で訴え返す。すると彼女は、にっ、とどこか楽しげな笑顔を浮かべた。
「がんばりたまえ、後輩くん」
「言わずもがなだ、先輩」
◇
大見栄を切ってリナと別れてからしばらく経って。クレールは、高々とそびえる尖塔が目印の、四階建ての巨大な校舎の前に居た。
塔の上ではためいているのは、眼光鋭く学園を見据える大鷲の紋。気高く勇猛な猛禽は王国に忠を捧げる剣の証。すなわち『騎士科』の科旗である。
つまるところ彼は。
「迷ったか」
きっかけは何だったか、と考える。王立学園の案内板を見て、図書館が街の東側にあると分かり、そちらへと歩を進めていたのは確かだった。
ただ道すがら、雑貨屋や地図屋、武器屋など興味深い店が立ち並んでいた為、思わずいろんな場所へ寄り道をしてしまった。
また途中、物珍しそうに周囲を見渡す人間への親切心からかわざわざ声を掛けてくれた街の人々と、会話を楽しんだことも幾度かあった。
さらに道中、フルプレートで身を固めた騎士達が
思えばその最中、街の案内板を一度も視界に入れていない。そこまで想起してクレールは、何かに納得したように小さく頷いた。
「思うままに動くのはあまり良くないな、うん」
興味が湧くまま無節操にぶらついていては、目的地になど辿り着くはずもない。もう少し好奇心を抑えた方が良かったか、とクレールは自省する。早めに課題に目途を付けて他の授業を受けに行くつもりが、まさか迷子になってしまうとは。
しかしながらこの道々、様々なことを見聞き出来たのは大きな収穫だったし、目的や時間を忘れる程に楽しめたことも確かだ。なら、この迷子にも価値はあったのだろう。
などと反省半分開き直り半分に、さて、とクレールは周囲を見渡す。迷子と言えども地図の見方が分からないと云う訳ではない。案内板を見つけれさえすれば、また元の道に戻ることが出来るだろう。今いる場所が何処なのかも、おおよその見当は付いていた。
「確か、騎士科は西に固まっているんだったか」
王立学園は隣国である赤の帝国に程近い位置にあり、国境側にある学園の西門は帝国の人間の出入りが多い。その為、他の三門よりも警戒の水準を高くする必要があり、都市防備を担う騎士団の拠点も街の西側に配されている。
その関係で、正式な騎士を教導するための学科である騎士科の学舎もまた大半が学園西側にあるのだと、一般事務棟の受付嬢は語っていた。
つまりここは学園西側なわけで、本来目指すべきであった図書館のある学園東側とは位置関係的に真逆になるわけか、と改めてクレールは自身の迷走ぶりを省みる。
次こそは、寄り道せずにきっちりと目的地を目指そう。そう思いつつ、視界の端に入った案内板の方へ歩こうとしたところで、きん、という甲高い金属音が鼓膜を微かに震わせた。
遠いな、どこからだろうか……などと思う暇などクレールには無かった。何故ならば彼は、その音の元凶らしきものを、既に視界に捉えていたからだ。
「は?」
仮にクレールと同じ位置取りで音の元凶を目撃できた人物がいたならば、恐らくそれをこう言い表すだろう。空へと昇る細い銀色の線だ、と。
高く高く伸びていく線は、孔雀や大鷲の旗よりも遥か上へと昇っていく。遠目には銀色の糸のようにしか見えないあれは、一体何なのか。常人では欠片も想像が付かないことだろう。
しかしながら、人並み以上に優れた『目』を持つクレールには、その銀色の線の正体がはっきりと見えていた。だからこそ彼は、間抜けな声を上げたのだった。
「金属の棒?」
高速で回転しながら上へ飛んでいく金属の棒。クレールの目にはそう映っていた。しばし呆然としていた彼は次の瞬間、弾かれたように走り出す。
徐々に上昇速度を落としていく銀色の線。それは、何らかの原因で『跳ね飛ばされた』金属片だ。どうしてそんな事態になったのか、何故あそこまで高々と跳ね上がったのかなど疑問は浮かぶがそれらを気にする余裕など今のクレールには存在していない。
あれが落ちれば唯では済まない。人に直撃すれば九分九厘即死である。それでなくても落ちた衝撃で石などが飛び、周囲の人が怪我を負うかもしれない。落下しそうな場所まで先回り、どうにかしてあれを止めなければ。
視界に銀色の線を捉え、彼は己の目に魔力を注ぐ。瞬く間に彼の視界は冴え渡り、その超人的な視力で以て改めてその銀線を捕える。
ただの金属の棒に視えたそれは、よくよく注視すれば鋭利な部分が見受けられた。折れた直剣の刃か、とクレールは即時に判断する。
さらにクレールは注視を続ける。万一何か魔法が付与されていれば、落下時に副次的な被害が出るかもしれない。その予測の下に己の『目』を働かせた彼は、やがて捉えたその情報に僅かに驚きを見せた。
「強度操作、なのか」
具体的には硬質化、靱性の向上。物質属性に位置づけられる魔法である。籠められた魔力量には目を見張るものがあるが、それ自体には何ら特筆すべき点も無ければ危険性も無い。
脅威には当たらない。しかし驚異には値するものだとクレールは断ずる。何故ならばその強化を施されているのは『折れた剣の刃』なのだ。
つまりあの折れた刃は、強力な魔法によって強化された金属剣をへし折って尚高空へ跳ね飛ばす、そんな存在が居ることの証左なのである。
何か途轍もない化物でも居るのか、と驚くクレールであったが、今はその点を深く考える必要はないと即座に思考を切り替える。
危急の時だ、飛来するあの刃を処理する方法だけを考えろ。銀色の刃を見据えたままに、クレールは息をするように肉体強化の魔法を行使する。対象は脚部、持続的な速力強化である。
一段階速度を上げ、クレールは目標へと疾走する。銀色の刃は既に上昇する速度を失い、大地へと引かれつつあった。
●
課題その一の一、物質属性の魔法について。
物質属性魔法とは、形あるモノ、特に無機物に関して、その性質や状態を変化させる魔法である。
モノの重さや固さ、強靭さなどを変化させたり、或いは蓄光や薬効などの性質を付与することが可能であり、錬金や製薬、鍛冶、土木等々、幅広い分野で利用される。
物体の形状変化に関しては、運動エネルギーの運用が不可欠となる為、課題一の二で挙げる運動属性魔法を共に利用しなければならない。
また、生体に干渉し肉体の性質などを変化させることも不可能ではないが、それを行うには課題その一の三に挙げる肉体属性魔法を併用しなければならない。
代表的な例としては、強度操作魔法が挙げられる。
その名の通り物質の強度を操作する魔法であり、硬度や靱性、展延性などがその操作対象に含まれる。
本来加工に向かない高強度の金属を柔軟にすることで加工を容易にしたり、脆性が高く崩れやすい物体を強化することで運搬による破損の危険性を低減したりすることが可能。
また、魔獣討伐などの分野において、武器の破損防止の為に用いられたり、破壊が困難な障害物を破砕するために使用される場合もある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます