第16話

 いつもカミラと落ち合っている右舷側の舷窓の前でダンは一人虚空を眺めていた。

 もう三〇分もこうしている。


 今日に限ってカミラが現れるのが遅いが、カミラが来たときに何と言って慰めたら良いか思案していたので退屈ではなかった。


――助かる可能性は万に一つもない……だろうな。


 どう考えてもまず助からない。

 自分で考えておきながら絶望感に囚われ、意識せずとも体が震えそうになる。

 だが、もうすぐここにカミラが来る。

 少なくとも、戦死をすら覚悟して軍人を志したダンと比べれば多少特殊ではあるが単なる一学生であるカミラの方が色々と怖い思いをしているだろう。


――でも、俺だって死ぬのは怖い。


 ダンとて軍人を志したとは言えども弱冠二〇歳の若造もいいところ。

 兵学校に入校しておらずに進学していたのであれば、未だ彼も学生の年齢であるからして無理もない。

 敵と交戦しての戦死ならいざ知らず、銀河のど真ん中で漂流死など真綿で首を絞められ続けるようなものだ。

 今はまだ事故のショックや船体の被害調査、復旧作業などに追われていて思考の表層では状況を理解しているものの、心の底から実感し、恐怖を克服してなお前進しようという精神状態には至っていない。


――今のうちにカミラに何か言っておいてやらなきゃ……。


 が、結局うまい言葉は何一つ思い浮かんでいない。

 遭難事故の原因は不明なままで、どういう理屈で遭難してしまったのか、なぜこんな事態になってしまったのかを説明することも出来なければ、ある程度実現性の高い助かる方策を言うことも出来ない。


――頼りにならねぇな、俺って……。


 聡明な彼女の事なので、一部の船員や練習生のように無闇に騒ぎ立てたり、責任者と思しき後悔科の乗員を吊るし上げようなどとは思っていないだろうし、自暴自棄になって乱痴気騒ぎを起こしたり、ましてや厭世的になって何もかも諦めるような精神状態には陥っていないだろうとの予想はある。


――俺に任せておけば安心だ、とか言ってやりたいけど……。


 舷窓の脇に設えられている手摺を掴み、遠くで星の瞬く宇宙空間に焦点の合わない視線を送る。

 気が付くと溜息を吐いていた。


――でも、一つだけ言えることがある……かも。


 ルーグ3星系の調査が終わった6時間後に行われる投票。

 そこでは、近傍の星系を目指して通常航行を続けるか、いつか発見されることに期待して皆で冷凍睡眠コールド・スリープを行うのかの決が採られる。


――現実的な観点から考えると冷凍睡眠コールド・スリープしかあり得ない。でも……。


 幾ら全方位に救助信号を発信したとしても高速電波の速度はかなり遅い。

 一光年先に救助信号が到達するには一〇年くらいかかってしまうのだ。


 そして、今居るのは銀河の中心部だと考えられている。

 常識では銀河の中心から最低でも半径数光年以内は危険宙域とされているので、近付く船はない。

 従って“もう一度生きて家族や友人に会う”という事を「最優先」にするのであれば僅かな可能性に賭けて通常航行を行う方がまだ可能性は高いのである。


 ゲインも、ミッシュも、ダンが知る他の練習生や乗組員も皆が皆、冷凍睡眠コールド・スリープを行って救助を待つ方に票を投ずるつもりだと言っていた。


――でも……。


 そう。

 でも。

 でもしかしだ。


 ダンの脳裏にはほんの一時間前、シフトの交代で船橋から退出する時の記憶が甦る。


――おいお前。グレイウッドと言ったよな?


 例の、一ヶ月前に子供が生まれたという電測員がダンに声を掛けた。

 返事をして振り向いたダンに彼は言った。


――なぁ、もし迷ってるなら投票は近くの星系目指して航行する方に投票してくれないか? 俺は、俺は……家族に、生きて子供に会いたいんだ。頼む……。


 まだ半人前にすらなっていないダンに電測員は頭を下げて頼んだ。

 その電測員はすぐに他の乗組員に宥められながら何処かに連れて行かれてしまったので、頼みに対しての返事はしていない。

 彼の悲痛に歪んだ顔が忘れられなかった。


 子供のいないダンには彼の本当の気持までは理解できないが、それでも想像することくらいは出来る。

 彼にしてみれば、助かったところで今の家族が全員老衰死した後では何の意味も無い事なのだろう。

 両親が健在だというカミラも同様の気持ちでいる可能性もある。


――俺は……俺は、カミラが望む方に投票しよう。


 そこまで考えたとき、転送機が警告音を発し、ランプが灯ったのが眺めていた舷窓に映った。


「ごめん。待った?」


 なんとも形容し難い笑みを浮かべて現れたカミラは開口一番、待たせたことに対して詫びてきた。

 ダンがメッセージを送ったとき、丁度シャワーを浴びていたところで気が付くのに遅れてしまったらしい。


「星を眺めていたからね。退屈じゃなかったよ」


 ふわりと飛んできたカミラを受け止めながらダンは優しく言った。

 今来たばっかりだ、などと嘘を吐くような間柄はとっくに卒業している。


「ごめんね、ありがと」


 カミラはもう一度侘びると礼を言いながらダンに抱きとめられ、ダンと同じ手摺に掴まる。


「……」


 ダンは何故だか正面からカミラの顔を見ることが出来ずに再び舷窓から外を見やった。


「どうしたの?」


 キスもしてくれずにぷいと横を向いてしまったダンに不思議そうな顔で尋ねるカミラ。

 ダンが怒っている訳ではない事は彼女にも解っているのでその心配はないが、自分から呼び出したにも拘わらず理由もなく余所見をするような男ではない。

 カミラにはそんな男を受け入れたつもりはない。


「こんな状況になって、それでもカミラはいつもと変わらないんだな……」


 カミラの言葉にダンはやっと彼女の顔を見た。


「そんなことないよ」

「そうか?」

「うん。私だって人並みに怖いよ」


 だが、ダンには彼女が怖がっているようには見えなかった。

 ダンを心配させまいと、必死で取り繕っているのかも知れない。


「そうか。実は俺も怖い。でも、百%助からないと決まった訳じゃない。かすかなものだけど、希望はある」


 自分で言っておきながらダンは落ち着いた声音で喋ることが出来たことに内心で驚いていた。


「本当に? 本気でそう思ってるの?」


 一方、カミラは俯いて聞いていたが、すぐに顔をあげると困ったような顔をして尋ねてきた。


「……確かに、冷静に考えれば助からない方が圧倒的に多いよ」


 ダンもどう言ったら良いのかわからずに常識的な受け答えをしてしまう。


「望みはある。希望を捨てるな……みんなそう言うのね」


 学術調査隊でも最年少のメンバーであるカミラを慰めるために、大人たちは同じようなことを言ったのだろう。

 カミラの答えを聞いて、ダンにもそれくらいは想像がついた。


「……」


 気の利いた言葉などダンには何一つ思い浮かばない。


「でも、私を元気づけてくれようとしたんだよね? ありがと」


 弱々しい笑みを浮かべ、ダンを見上げて言うカミラ。

 ダンはカミラの表情を見てハッとしてしまう。

 自分の言った言葉はカミラを取り巻く大人たちと何一つ変わらない。

 そして、カミラはそんな言葉を聞いたくらいでは慰めきれないほど大きなショックを受けていたのだ、という事を思い知ったのである。

 この状況に、カミラは絶望していたのだ。


「……悪かった。許してくれ」


 深い反省の色を滲ませて、ダンは絞り出すような声で言う。


「許して、って……何を?」


 そんなダンを見てカミラは不思議そうに尋ねる。

 カミラは、ダンから許しを請われるような事をされたり言われたりした記憶はない。


「君を少しでも元気付けようと思って言ったんだけど……実は君の気持ちについて何も考えていなかった。“元気付ける”という事だけしか考えていなかったんだ……ああ、畜生! 何て言ったらいいんだ? 俺は……俺は君を元気付け、希望を持ってもらいたい、そうしたい、そう出来たら良い、そうやって君に希望を持たせることで俺は自分を慰めようとしていた」


 そこまでダンは早口に言うと、一旦息を継ぎ直した。


「これだけの事故だ。皆がショックを受けていて当たり前だよ。望みなんか殆どないことも皆知ってる。でも……それでも、俺は、俺の力で君を救いたいと思っていた。俺を頼って欲しかった。あ、いや、勿論、俺なんかまだ半人前もいいとこなんだけど、それでも……」


 ダンの言葉は支離滅裂で何が言いたいのかカミラには良く解らなかったが、黙って耳を傾けている。


「少しでも格好の良いところを見せたかったんだ……こんな事故なんかに動じてないって思わせたかった。」


 必死な様相になってきたダンを遮るような事はせずに、カミラは掴んでいた手摺から手を離すとそっとダンの背に回し、胸に頭を預ける。


「カミラ……?」


 ダンはカミラの行動に我に返る。


「聞いてるよ。あなたの言葉だもん。真剣に話してくれてるの、解るから」


 カミラはダンの胸に顔を埋めながら言う。


「ごめんな。こんな情けない奴で……」


 ダンは手摺から手を離そうかどうか、僅かの間逡巡したが結局手を離すとカミラの背に回した。


「でも、これだけは本当だ。俺は、決して諦めない。俺に出来ることは何でもやる。絶対大丈夫なんて約束は出来ないけど、どんな事になっても最後まで諦めないでカミラが生きる為に努力を続ける」


 宙を漂いながら力強く宣言した。


「うん。知ってるよ。あなたがそういう人だって」


 嬉しそうな顔で答えるカミラ。


「でも、二人が生きる為に頑張って……私だけ生きててもしょうがないでしょ?」


 そう言うとダンを見上げて目を閉じた。




■□■




 一日後。

 クイジーナ2は順調にルーグ3の調査を行っており、残すのは星系の中心にあるルーグ3とそれを公転する連星太陽、ルーグ3-3の伴星であるルーグ3-4だけとなっていた。

 ガス惑星や単なる岩石惑星の調査など高軌道で衛星軌道を一周もすれば余程のことがない限りは完了するし、太陽であるルーグ3-3についても連星太陽自体は珍しくないのでさっさと調査を終えていた。

 太陽の伴星、ルーグ3-4についてはルーグ3を挟んで太陽の正反対にあるため、ルーグ3星系を脱出する際に行う予定である。


 ここまでの過程でルーグ3には生物がいることは確認されていた。

 尤も、長距離からの光学観測しか行えていないので、確実に“居る”と判明しているのは植物だけであるが。

 その植物も、恒星ルーグ3-3からの太陽光を浴びて活発な光合成を行っているらしいことは判っており、この分なら人類はともかくとして何らかの動物が居てもおかしくはないと予想されている。


「今から一〇分後より五分おきに標準重力で〇・二四ずつの減速を開始します」


 航法士席に着座したダンが航海長に報告を行った。


 今、クイジーナ2はルーグ3本星の静止トランスファ軌道に入ったばかりである。

 低軌道に推移するために減速を行う必要があるのだ。


 地表から三〇〇㎞程度まで近づいた上で、丹念に地表を走査し、たねを撃ち込む場所を決定するためだ。

 調査内容によってはこれから丸一日、時として数日程度はこの衛星軌道に滞在する可能性がある。

 調査が終了し、たねの撃ち込みが完了したら、適当な小惑星に船体を固定して数年以内に救助が来ることを祈りながら全員で最長五〇〇〇年以上になるかも知れない冷凍睡眠コールド・スリープを行うか、一か八かを賭けて一番近くにありそうな恒星系に向けて通常航行で近づくのかを投票で決定しなければならない。


「センサーにはデブリ一つ引っかかってません」


 ダンの隣では数少なくなったセンサーとレーダーから得られたデータを見つめていたミッシュが報告する。


「綺麗なもんだな……」


 ミッシュの報告を受けて誰かが呟いた。

 確かにルーグ3の衛星軌道上にはスペースデブリのような超小型の天体は何一つ無いようである。

 しかし、これは非常に珍しいとも言える。

 未開の惑星だとしても普通は大気に突入し損なった隕石の欠片などが多少はあるものだ。


「ふん。宇宙の中心にはゴミも来ないんだろうよ。ま、俺は助かってるけどな」


 デブリの排除を主な仕事とする保安長が吐き捨てるように言った。

 事故処理が一段落して以来、保安長は少しばかり自棄になっている。


「地表の光学観測はどうかね? そろそろ色々見えるんじゃないか?」


 少しばかり重くなった船橋の雰囲気を和らげるように機関長が言う。


「は、はい。……メインスクリーンに出します」


 センサー群を操っていたミッシュが光学センサーのうち、ルーグ3を向いていた一つから映像を取り出してメインスクリーンに投影すると船橋にいた全員が注目をした。


「え、えーっと、大陸が見えますね」


 ミッシュが見れば判ることを言うが誰一人として反応を返すこと無くスクリーンの映像に見入っている。

 光学センサーに捉えられたルーグ3はスクリーンからはみ出しそうなくらい大きく映っている。

 雲が渦巻いていることから大気や水があることが判る。

 また、青い海も広がっており、センサーが捉えているこちら側の半球には合計して大小五つもの大陸が見て取れる。

 どの大陸もかなりの部分が緑色に染まっており、植物らしきものが繁栄しているようだ。


「あの、真ん中あたりにある大陸の適当な場所を最大望遠で映せ」


 船長がミッシュに命じるとスクリーンに投影されている映像はある一点を中心に拡大された。

 しかし、未だかなりの距離があるためある程度詳細な地形は解っても生物を見分けられる程ではない。


「……ん? おい、少し戻せ」


 航海長のマシュー・ラングーンが身を乗り出すようにしながら言った。


「もう少し右下……いや、もう少し上を……そう、その草原みたいな……」


 サバンナのような草原っぽい開けた場所に何か小さなドットが動いたのが見えたと言う。


「おい、あれ」

「何だ?」

「動いてるって? どこが?」

「……判った、あそこだ。今微妙に……」

「どこだよ?」

「この距離で判るって事は相当でかい筈だが」


 高性能な光学センサーとは言え、宇宙空間ならまだしも分厚い大気に阻まれれば最大望遠の解像度はかなり落ちてしまうので動く点の正体はまだ不明だ。


「動物だ! きっと群れてるんだよ!」


 誰かの叫び声が船橋に響き渡った。

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