第15話
「通信長、どうだ?」
超空間通信機の再起動とセルフチェックに必要な時間が過ぎたと思われる頃、バーグウェル船長は質問を発した。
「……セルフチェック、今終わりました。先ほどと同様、二番と三番のメインアンテナは大破していますが、一番損傷なし、サブアンテナは五機のうち三機が完全にやられてますが4番は無傷で五番は中破しています……」
通信長が答えた内容であれば暗号化やパリティデータの復元などに多少の問題はあるだろうが、通信回線を開く事に問題はない。
まして今は緊急時だ。
通信内容の暗号化も必要なければ、画像や音声データの欠損を修正するエラーコレクトデータの付加などを行う必要もない。
音声や画像など多少欠けても、そんなもの、どうでもいい。
「よし、もう一度接続を試みろ」
船長の命令に従って、航海長は超空間通信機のコンソールを目の前に投影すると合星国の通信ステーションに対して緊急通信回線を開くように要求を送った。
「ダメです。応答ありません。ステーションに指定した座標が違うか、アンテナにセルフチェックでも引っ掛からない障害が出ている可能性が……」
即座に船外作業可能な技能を有する者が再招集された。
勿論、船外に出て直接アンテナを目視チェックするためだ。
……そして一時間後。
クイジーナ2に乗り組む全ての乗員にとって重要な報告が齎された。
無事だと思われていた第一メインアンテナは、その基部から失われており、失われた拍子に内部のケーブル同士が都合よく接触していたためにセルフチェックをくぐり抜けていたことが判明したのである。
根本から無くなっていては修理も糞もない。
新しいアンテナを持って来る他はない。
交換用の予備のアンテナ部材はあるが、基部から無くなっているために第一メインアンテナの交換については行われず、大破したうちでも基部がしっかりと残っている第二メインアンテナを交換修理することが決定された。
修理が終わるまでにはアンテナ接続部の船内工作作業に一日、交換作業に掛かる時間が二時間と見込まれている。
☆★☆
「……そういう訳で、通信は一両日中には確保される可能性がある」
第三
「そうか。通信が確保されたらどうなる?」
ゴードン・ラングーンは弟の方を見ることなく返事をした。
「希望的な意見を言うなら、多分、数週間……一ヶ月もしないうちに救助船が来ると思う」
自分の方を見向きもしない兄を意に介すことなく、マシューは消費されたチューブ食料や排泄パックを一纏めにしながら答える。
「希望的?」
ゴードンはキーボードを叩く手を休めて弟の方を見た。
「ああ。忘れてないか? ここが銀河の中心だってことを」
マシューは無表情、無感情の鉄面皮のままゴミを箱に入れ終わった。
「……そうだったな」
納得したような表情を浮かべながらゴードンは言った。
今いるルーグ3星系が銀河の中心点であると思われるという報告はついさっき受けていたばかりなのにすっかりそれを忘れていた。
もし、本当にここが銀河の中心であるならば、救助船なんか来れる訳はないのだ。
銀河中心にあると考えられている超巨大ブラックホールの調査は万年単位の過去から幾度も行われ、一定距離以内に近づいてしまった調査隊は全て未帰還に終わっている。
尤も、ルーグ3という星系が存在できる空間があり、惑星開発調査船クイジーナ2が生存している以上、ブラックホールは無いのかもしれない。
そうなると過去の調査隊が未帰還となっているのには何か別の理由があると思われるが、それが一体何なのかは現時点では知るよすがもない。
何にしても今は何も判らない。
僅かでも希望があるのであればそれに縋る他はない状況だ。
ゴードンが改めて見た弟の顔は、目は落ち窪んで頬も痩けている。
余程根を詰めて仕事していたのだろう。
――貴重な休み時間だろうに、それを俺の面倒を見ることで……。
申し訳なく思うゴードンだが、今更礼や詫びを言うにはあたらないと言葉を飲み込んだ。
「まぁ、全く希望が無いわけじゃないさ」
マシューの説明によると、可能性は極小だがこの場所に来る手段が確立されたのかもしれない、という事だった。
今までの調査隊が失敗したのは短い距離での
万が一、通信が確保されたのであればそういったデータを提供する用意はあるとの言葉で彼の説明は結ばれた。
かなり無理のある論法だ。
根拠も薄弱、と言うのもおこがましいくらいである。
だが、高い科学文明を手に入れているファシール合星国も、敵国として銀河を分かつヴェルダイ連邦も、そのどちらもが宇宙の真理を解き明かした訳でもない。
宇宙空間の大部分は実際にそこまで行って観察されていないのだ。
勿論、人類社会が惑星の表面上で完結していた頃とは比較にならないほどずっと多くの事が解明されており、宇宙には物理法則すら変化する場所があることも知られている。
そんな星系間国家でも宇宙については未解明な部分の方が解明されている部分と比して圧倒的に多い。
つまり、可能性がゼロと断言できない限りはどんなことでも起こりうる。
そして、宇宙では可能性がゼロであると言い切れるものの方が圧倒的に少ない。
「通信が確保されたら、救助船が発進するのはまず確実だ。例え無人のロボット船だとしてもな。俺の推測した座標が正しく……って、通信が確保されたら正しいということになるんだが。運が良ければ、その補給物資や修理用の部材が満載の船とランデブーできる。そうしたら跳躍機関を丸ごと交換して帰ればいい」
落ち窪んだ目をギョロつかせながらマシューは言った。
“運が良ければ”と言ったのはマシュー自らがそうならないないであろうことを予想しているからに他ならない。
「それまでの時間はルーグ3を調査する時間はたっぷりある。人類が発生していようがいまいが、ルーグ3には調査用の
知的生命体が発生していた場合、
知的生命体が発生――文明レベルが二以上になること――してから、
先日、調査データのダウンロードが行われたドゥーヴァイン4-3ではもっと短い時間だったようだが、あれは例外中の例外であるので今考慮してもあまり意味は無い。
可能性はゼロではないが、事態の好転を期待して望みを賭けるのと、現実的な判断として可能性を論ずるのとではわけが違うからだ。
マシューはまだ続けるようだ。
「……通信が確保されなくても、船長は乗組員や調査隊のパニックを抑えるためにルーグ3を調査した上で
その理屈はゴードンも理解できる。
帰還の望みが完全に絶たれた場合でも、ルーグ3の文明レベルに問題がない限りは、せめて自分達の爪痕を残すためにも
なお、仮にルーグ3に人が暮らせる環境が整っていたとしても、クイジーナ2の乗組員がルーグ3に降り立つことはない。
クイジーナ2は元々惑星の大気圏に突入するようには作られていない。
それでも計算に計算を重ねて強行すれば、なんとか大気圏突入は出来るだろうが、各所に異常をきたすであろうし、仮に無傷で着陸できたとしても単独では再び宇宙空間に戻る能力もない。
当然、風雨に晒されれば船体は数十年と経たずして劣化してしまうであろう。
そんな事よりも、何より宇宙空間でクイジーナ2に乗っている限りは
また、
それ以前に、
「……それまでにはデータとパラメータを完全にするさ。最後に一花咲かせるつもりでな」
ゴードンは不敵な笑みを浮かべて言った。
そんな兄の顔を見てマシューは僅かに表情を苦しそうに歪めるが、頷いただけで何も言わずに制御室を後にした。
通路を漂うマシューの脳裏には覚悟を決めたような兄の顔が鮮明に浮かんでいる。
――兄貴……
■□■
一日が経過し、クイジーナ2はルーグ3-9まであと一日程度の距離まで近づいていた。
アンテナの修理が終わり、チェックも念入りに行われている。
機能に異常はない。
「よし、通信長。接続しろ」
船橋に詰めている乗組員達が固唾を呑んで通信長を見守る。
「……ダメです。回線が通じません」
喉の奥から絞り出すような声で通信長が残念な結果を報告すると、船橋の空気が凍りついた。
――そんな!
ダンも大きなショックを受ける。
一度目を瞑り、大きく深呼吸をして精神を落ち着けた。
――慌てたって何も始まらないんだ。
しかし、膝が笑うのを自覚した。
ミッシュに気付かれたら恥ずかしいと思い、慌てて隣を見やる。
ミッシュはあからさまに震えており、口がパクパクとしている。
すっかり血の気も引いたようで、顔色は青を通り越し越して白くなっている。
ダンには明らかにパニックを起こす寸前に見えた。
――まずいぞ!
「もう一度試みろ」
毅然として再度命じる船長の声音を聞いて現実に引き戻されたのか、ミッシュの震えは収まったようだ。
顔は真っ白なままだが。
――船長の存在感ってのは凄いな。
落ち着いてそんなことを思っている間に通信長が再度報告する。
「お、応答、ありません。超空間通信波は正常に発信されていますが……」
通信長の声は震えているように聞こえた。
ダンは少し意外に思って横顔しか見えない通信長に注目する。
通信長の頬を汗が滴り落ちるのが見えた。
ところで、超空間通信は次元や時空を飛び越えて行う特殊な通信であるため、通信を行う二点間にブラックホールがあろうとその大重力の影響は受けず、ただ、先方の座標が特定出来ていさえすれば繋がると考えられがちだ。
だが、あまりに大きなブラックホールは時として時空をすら歪めることが知られている。
そういった場合、ブラックホールの重力を受けない方向の通信ステーションを中継して目的地との通信回線を確保するのだ。
船長や通信長、航海長はそういったことも考慮しており、別の通信ステーションの座標も計算済みであった。
船員達もそれは理解しており、従ってミッシュのようにパニック寸前になる者もいなかったのであるが……。
「ならば、デゾラのステーションを中継点にしろ」
船長は落ち着いて次の指示を飛ばす。
「だ、ダメなんです! デゾラのステーションも、バミールのステーションも、カロークも、ドミツレンも! どこのステーションも応答が無いんです!」
通信長は船長に命じられるよりも早く、最初の通信ステーションへの接続に失敗した時点で計算済みの通信ステーションの座標全てに対する接続を試みていたのだ。
「くっそぉぉっ!」
誰かが小さく叫ぶと
「黙れっ!」
船長は先日のように鋭い声を上げてパニックを抑えこんだ。
「……だいたい三日後には本船の全乗員で多数決を取る。全員、時間までに覚悟を決めろ」
落ち着いた声音で宣言する船長。
船長が目前のホロキーボードの一つを押下すると、全員のホロディスプレイや個人
ウィンドウ内には合星国との連絡が途絶え、現時点では復旧の目処が立たないことが書かれている。
その他、跳躍機関が損傷して修理の見込みも絶望であること。
従って、適当な座標を入力しての運を天に任せたワープが行えないこと。
エンジンも四機のうちの二機が機能を停止して加速力も半減しており、通常航行も碌な速度が出せそうにないことなど、クイジーナ2が置かれた現状について説明されていた。
そして、今後の行動指針については全乗員の投票による多数決で決定し、船長を含む全ての乗員は正規の乗組員であるかどうかに拘らず、決定された方針に従って全力を尽くすことが記載されている。
なお、今後の行動オプションは僅かに二つ。
一、観測できた最短の合星国勢力圏にある恒星系に対して通常航行を行う。
二、このルーグ3星系を動かずに、定期的に救難信号を打ちながら
現在座標が判明しなくなった直後から誰の頭にも浮かんでいた内容である。
船長は通信が接続不能であるという事態に陥ることも想定して予め用意していたのだろう。
ウインドウの末尾にはどちらの方針になるにしても、通信の回復や座標の特定には全力を以って当たる旨の言葉で締められていた。
「双方ともルーグ3星系の調査を終えてからだ。また、私も一票を投ずるが、たとえもう一方の案が採用されたとしてもその案の実現に全力を尽くす」
船長はそう宣言するとルーグ3星系の調査が終了した六時間後に決を取ると伝え、船橋を後にした。
■□■
勤務シフトを終えたダンが船員食堂に姿を現した時、食堂内は荒れていた。
「ったく、冗談じゃねぇぞ!」
船員食堂で誰かが吠えている。
「おうよ、航海科の連中には責任を取って欲しいもんだぜ!」
別の誰かが追随するように声を出す。
その声を聞いて、身の安全に思い至ったダンはギクリとして思わず声の主の方を見てしまう。
「お前ぇ、その制服は航海科の練習生だな?」
「航海科の奴がよく顔を出せるなぁ!?」
そんなダンに目をつけた一部の船員が憎々しげな表情を浮かべてダンに詰め寄った。
ゲムリード航海術科学校の制服は、一発で航海科所属であることが判るダークブルーに染められている。
一般の民間船では袖章や肩章を見なければ航海科かどうかは判らないが、クイジーナ2の乗組員の殆どは宇宙軍の出身である。
宇宙軍ではダークブルーは航海科の制服カラーとされている。
「あ、そ、その……」
何か言おうとしながらも何を言ってよいか分からずに口ごもってしまった。
「ふん、軍の練習生にまで言いやしねぇ。半人前に責任がねぇことくらい解ってるさ」
ダンに気がついた船員のうちの一人が大きな声で言ってくれた。
「ふん。どうせ言われた通りの事しかしてねぇんだろうしな」
「そりゃそうだろ。機関科に来てる練習生にだって小間使い程度しかやらせてねぇしな。半人前にエンジン調整なんかやらせねぇよ」
最初の一人が言った言葉に反応して心ある船員達から擁護の声が上がり、ダンは「お前のせいじゃない」と解放された。
「無事なようでなにより」
隅っこのテーブルの椅子に浅く腰掛けて、だらしなく足を投げ出すゲインがダンに声を掛ける。
「全くだ。生きた心地がしなかった……」
迂闊にも航海科全体が乗組員の恨みを買っていることに思い至らず、のこのこと食堂に来てしまったことをダンは後悔した。
「お前はどっちに入れるんだ?」
食事のトレーをテーブルに置いたダンが席に着くなりゲインは船長から突きつけられた選択肢について尋ねた。
「そんなの、考えるまでもないだろ?」
マグカップに入った味の濃いスープを啜ってダンは答える。
「……だよなぁ。通常航行で別の星系を目指すなんて狂気の沙汰だ」
ゲインの言葉には反応せず、ダンは食事を始めた。
ダンとしてもゲインの言葉には心から賛同している。
「でも……コールド・スリープしてもな。運良く助かったとしても何年経ってるかわかったもんじゃねぇ。数年やそこらで助かるなんてこたぁないだろうしな」
ゲインの言いたいことはダンにも想像がついた。
家族のいないダンにはあまり気にすることでもないが、親兄弟を始めとして配偶者や恋人、友人にはもう二度と会う機会はないだろう。
先月子供が生まれたという電測員の気持ちは如何程だろうか。
それに、親が存命中であるカミラの気持ちは……?
ダンは喋り続けるゲインを横目にしながら、食事を中断するとタブレットを取り出した。
「お? なんだ? カミラちゃんを呼ぶのか?」
ゲインへの返事など二の次である。
カミラも相当に不安に思っているだろう。
何と言ったらよいかなどさっぱりわからないが、何か言ってやるべきだ。
気の利いたことなど言えなくても傍に居てやりたい。
何の力にもなれなくても、頼りにならなかっとしても、一人で居るよりはマシだろう。
――もし時間が開いているなら、いつもの舷窓に来てくれ。先に行ってる。
文字メッセージを送ると食べかけのトレーをゲインに押し付けてダンは転送機に向かった。
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