第13話

 ダンとミッシュが割り振られた仕事を終えて船橋に戻ったのは五時間も経った後のことだが、それだけの時間が経過していてもクイジーナ2の現在地は判明していなかった。

 そのためか、船橋は重い空気に包まれており、船橋要員達の表情も精彩を欠いている。


「右舷前部、破孔は全て自動修復済みを確認しました。大規模な空気漏れはありません。センサーの被害も管理コンピューターの報告と一致しておりました」


 ダン達はラングーン航海長に船内調査の結果を報告するが、彼は顔も上げずに必死にホロキーボードを叩いて生きているセンサーの調整を行っており、「わかった。次は船体前部の第二と第三甲板を見てこい」と、こちらを見もしないで返事をするだけだ。


 ところで、航海長が行っている作業は光学センサーの調整である。


 彼の狙いは他の恒星から発している光の周波数スペクトルを解析することだ。

 光の波長が判ればクイジーナ2に格納されているデータベースと照らしあわせて、その光を発する恒星がなんという名で、どの座標にあるのかが判る。

 複数の恒星の正確な位置はともかくとして、見える方向が判明すればクイジーナ2の現在地も、その候補が絞り込めるだろうとの考えである。


 とは言え、それも簡単には行かない。

 本来はビーコンを捕まえる事で現在地を割り出すのだし、ごく一部の観測船などの例外を除いてクイジーナ2を含むここ数百年内に建造された全ての宇宙船はそれを前提として設計されているからだ。

 畢竟、現在の宇宙船乗りの間では前時代的な位置割出しの知識や方法など、使われることはない。

 航海学校や航海術科学校で、物好きな懐古趣味の教員が授業の余談としてちょろっと話す可能性がある程度だ。

 当然ながらテキストにすら載っていない。

 現代の地球の海上航法の教育課程で月距法を教えていないのと同様である。


 恒星までの距離が離れれば離れるほど星間物質や天体の重力などの影響で光の周波数はブレが大きくなる。

 本来であれば光源となる恒星までの正確な距離が判明している状態でスペクトル解析を行い、星間物質や星などの重力に影響されてブレしまった光の周波数を復元するという計算が必要になる。


 クイジーナ2が搭載している重力波センサーや光学センサーが幾ら高性能な物であるとはいえども、完全に正確で信頼のおける観測距離はせいぜい一~二光年先までだ。

 そして、銀河を構成する恒星のうち、隣の恒星との距離がそこまで近いものは非常に少ない。


 大まかでも現在の座標さえ判明しているのであれば、それでも大きな問題にはならない。

 その座標近辺から見える恒星の角度や距離はほぼ決まっているからだ。


 ところが、今は現在座標が全く不明であることが大きなネックとなっている。


 つまり、センサー任せだと完全に正確な距離を観測する事はできない上、距離が遠ければ遠いほど観測誤差は幾何級数的増大していく状況にある。


 従って、データベースから提示された数百数千もの候補から絞り込むのは手作業になる。

 勿論、勘や経験がモノを言うのだが、ベテランの航海長ですらこんな作業は初体験だ。


 加えて、解析した恒星の正体をできるだけ正確に特定するには、ある程度特徴を持った光を発している方がデータベースから検索する条件を付けやすい。

 その為には特徴的な光を発している恒星をで可能な限り多く観測する必要がある。


 話を戻す。

 航海長から新たな命令を受けたミッシュは回れ右をしようとして、航海長のディスプレイを覗き込むようにしているダンに気が付いた。


「おい」


 しかし、ダンは真剣な顔で航海長の前に表示されているホロディスプレイを見ている。

そして、何か思い切ったような表情を浮かべた。


「あの……航海長」


 航海長が行っている作業を見たダンは、それがスペクトル解析のための光学センサーの調整であることに気づいたのだ。


 ダンの祖父は船乗りであった。

 しかも、乗っていたのはかなり古い時代の船で、センサー類はよく故障したし、ビーコンを捕まえる能力も低かった。

 跳躍移動ハイパードライブの後に光学観測を行って現在位置を計算する事すらある程の老朽船。

 そんな船だったが、ダンの祖父は船長として立派に運行していたのだ。

 その裏で活躍していたのは、光学観測を行って観測した結果を元に恒星の名を推測する手製のアプリーケーションだ。


――最近の船じゃあ必要はないかも知れんが、これは俺が四〇年掛けて練り上げたアプリだ。お前が将来船に乗るかはわからんが……ま、一応持っとけ。


 祖父の船は軍の下請けの輸送を請け負った先で、ヴェルダイ連邦の駆逐艦に沈められた。

 その最後の航海に出る直前に祖父はそう言ってアプリケーションのコピーを譲り渡していた。

 ダンにはそのアプリケーションが祖父の遺品のように感じられ、今も携帯情報端末タブレットに入れていた。




☆★☆




 第三船倉制御室カーゴコントロールルーム

 覚醒したゴードン・ラングーンが弟のマシュー・ラングーン航海長から送られたメッセージに目を通している。

 メッセージはかくかくしかじかで計画は中止せざるを得ないとの言葉で結ばれていた。


「……とんだことになったな……」


 クイジーナ2が置かれている状況を理解すると同時に、実験を行うことが絶望的となった事も理解する。

 しかし、何か良い案がある訳もなく、その表情には焦燥感が顕に浮かび始めている。


 ゴードンとしても弟のマシューの言う事は理解できる。


 自らの座標すら見失っている現在、人類進化の促成実験など乗組員の安全が確保されてから行うべきものであり、今回は諦めるべきだという弟の主張は至極真っ当な物である。

 出発した港に船を戻す目処がつくまで棚上げするという責任感のあるマシューの言葉は、ある意味で弟の成長が感じられてゴードンを安心させてすらいた。


 しかし、ゴードンには真の意味で人類全体に尽くそうという崇高な志と強固な意志があった。


 少なくとも、自分でそう思っているからこそ、学会を追われた身でありながら密航までして実験を行い、自説の正しさを証明しようとしているのだ。

 実験の結果が判明し始めるまでには早くても数百年、遅ければ千年単位のオーダーの時間を必要とするのであるからして、生きて栄誉を掴むことは覚束ない。

 名誉欲も全く無いではないが、それよりも人類全体に対する奉公心の方が圧倒的に大きい。


「座標なんかすぐに判ってしまうだろう……そうなるとここがルーグ2ではなくハムノース7だということも……いや、ハムノース7ですらないと……」


 ゴードンは顎に手を当てて沈思黙考する。


「手詰まりか、糞」


 今目の前にあるという未知の星系。

 すぐに座標が判明しないからには確かに未発見の星系なのだろう。

 発見済みの星系なら最外周を公転する惑星表面や適当な岩石状の小惑星などにビーコンの発信機などが配されている筈だし、そうであれば座標が判明しないなどという事態にはならない。


 とにかく、この星系に属する惑星に生命が宿っているか、宿りそうな可能性は極小だ。

 新発見の星系である以上、確かにその可能性は残されている。

 しかし、将来的に可住惑星への改造が可能な星など、既に発見されている星のうちでも〇・〇一パーセントも無い。


「万が一の可能性に賭ける以外、やることはない……か」


 諦めたような表情を引き締め、ゴードンは端末の操作を始めた。




■□■




 ダンが祖父から譲り受けたアプリケーションソフトは優秀な働きを行って、現在の候補座標を数百にまで絞り込んだ。

 あとは一つ一つ手作業で潰していけばいい。


 そのような理由もあって、ダンとミッシュが再び船橋に戻った時には船橋内は楽観的な空気が支配的になりつつあった。


 しかし、報告を終えたダンもミッシュも数時間の休憩を言い渡される瞬間。


「船長! こ、これを御覧下さい!」


 復旧した重力波センサーが捉えたのであろう星系図がメインスクリーンに大写しになった。

 当然、目の前の星系のものである。


 船員が発した声を聞いた全員がメインスクリーンを見た。

 不自然な部分はない。

 黄色矮性の太陽が中心にあり、その周囲に合計九つの惑星が配されている。

 人が住むには適さない大質量のガス惑星やダンの故郷の星系にある一番大きな衛星よりも小さな惑星などがある。


「今、センサーが復旧してから数時間で推測できた公転軌道を重ねます!」


 船員がそう言うと、メインスクリーンに映しだされた星系図に幾つもの円が重なった。


「えっ!?」

「あ?」

「はぁ!?」

「まじかよ……?」


 口々に疑問の声を上げる船員達。

 だが、それも無理は無い。


 太陽に公転推測線が引かれていたのである。


 星系の中心はなんの変哲もなさそうな一個の星であり、この星がこの星系の恒星となっているようだ。

 恒星という言葉は“恒常的にそこにあって動かない星”というのが語源であり、そこにはイコールで発光天体であるという意味は含まない。

 それはクイジーナ2が所属するファシール合星国でも同様だ。

 勿論、銀河自体が回転していることが判明している現在ではその意味が失われて久しい。

 一つの星系に、複数の発光天体である恒星がある星系も万単位で発見されている。


 それはともかく、一般的な常識ではその星系で“一番重い星”が星系の恒星となり、その周囲を“惑い動く星”である惑星が公転する。

 その“一番重い星”では核融合などが行われ、全方位にエネルギーの奔流が発生している結果として発光していることが圧倒的に多い。

 ほぼ全ての星系の恒星はこうした発光天体であることは確かである。


 発光しているから遠くから観測しやすく、結果として広く知られている事実でもあるが、ごく僅かな例外――ブラックホール化途上にあるような“元”発光天体や、発光天体になる程の質量が得られなかった褐色矮星など――を除けば星系の恒星はおしなべて発光天体である。


 しかし、目の前の星系の恒星が発光天体ではないのは一目見て明らかであるし、かと言って、元発光天体であり、その残滓でもなさそうなことも明らかである。

 どう見てもどこかの星系で虚空を回っているごく普通の惑星のように見える。


「ん?」

「連星か?」


 星系の中心にある非発光天体の周りを公転しているらしい恒星の公転軌道に重なるように、もう一つ、別の星の公転軌道が走っているのに気がついた者の声だ。

 太陽とでも言うべき発光天体から、光っていない恒星を挟んでほぼ反対側にかなり質量が大きそうな星があった。

 その二つの公転軌道は完全に合致しており、重力波センサーによると公転速度も全く一緒のようだ。

 このような似た大きさの発光天体が星系の中心点を互いに公転している星系はあまり珍しくないが、大抵の場合は質量は微妙に異なったりしている結果、星が発する重力が異なるためにそれら連星の公転軌道は楕円を描くことが多い。


 目の前の星系のように全く同質量の星が星系の中心点をほぼ真円状に公転していることは稀だが、理論的には有り得る。

 宇宙では理論的に有り得る事象であれば探せば必ずどこかで発見できると言われている。


「つまりは太陽と、この星を挟んでぴったり反対側に同じような重力の星があるから……」

「珍しいな」

「中心の星は丁度重力のポケットにいるようなもんなんだろう」


 星系中心の発光していない恒星の周りを回る二つの惑星。

 その外側を回る太陽と、その太陽と対となる連星の惑星。

 その更に外側には五つの惑星が公転しているようだ。


「完全に新発見の星系ということがはっきりしたな……」

「ああ、位置はともかく、新発見は新発見だ」


 誰かが呟く。

 その言葉を認識した者は、船長を見た。


 法律では新しく星系や天体を発見した場合、発見者が命名する。

 この場合は偶然の産物ではあるが、クイジーナ2の責任者であるバーグウェル船長にその権限がある。


「あの星系をルーグ3と名付ける。各惑星は公転軌道内周からルーグ3-1、ルーグ3-2、ルーグ3-3を太陽、二連星をルーグ3-4、以下ルーグ3-9までだ」


 バーグウェル船長は事務的に命名した。

 ルーグ星系は本家のルーグ星系のすぐそばにルーグ2星系があり、ルーグ3以降は未だ使用されていない。

 本来であれば座標の特定を終えた上で、近傍の適当な星系から連番で名付けるか、船長の名を取るなど全く新しい名を付けるのが普通である。

 しかし、現在は座標も不明であることに加え、この星系を構成する星々に固有名がないと呼称するときに面倒であるから事務的に名付けたに過ぎない。


 とにかくこうしてこの星系や星々の名は決まった。


「それはそうと、今は出来ることは全てやっておくべきだ。とりあえずここから一番近いルーグ3-9に船体を指向しろ」


 なんの通信波も捕まえられない以上、あのルーグ3星系が敵国であるヴェルダイ連邦の勢力圏下にあることも考えにくいため、船長は新発見の星系の調査を行っておこうと考えた。

 センサーが回復し、星系を把握することが出来たために一応は抑えられているが、船員達もパニックの寸前であった事は船長には手に取るように理解できていた。

 ヒヨっ子である実習生はともかくとして、ベテランの船員達も「生きて帰れないかもしれない」という不安を抱えながらここまで過ごしていたのだ。


 これが完全に素人である学術調査隊の一行であればちょっとした事で不満や船に対する不信が噴出する事態に発展するであろうことは想像に難くない。

 で、あれば彼らが興味を持ちそうな仕事を与え、パニックまでの時間を引き伸ばした方が良い。


 何にしてもこのような事故が起きてしまった以上、当初の予定通りルーグ2-4へのたねの撃ち込みは出来ないであろう。

 万が一、あのルーグ3星系に可住化可能な惑星でもあればそこにたねを撃ち込むのは必要なことだ。

 無事に帰る事が出来たとしても、新発見の星系にそんな星があれば近いうちにたねを撃ち込む仕事は国土省の調査船のどれかが行うのだから。


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