第10話
あれから更に一ヶ月程が経った。
下士官候補生の練習航海中に教官を含めて五名もの犠牲者を出すという死亡事故を起こしてしまったクイジーナ2だが、その後の航海については順調にスケジュールを消化していた。
死亡事故は訓練生がふざけて収集端末兼変性装置の姿勢制御用スラスターの燃料強制排出スイッチを押してしまったことが原因とされ、それ以上の追求は行われなかった。
そして今、練習航海はあと一ヶ月弱を残すのみとなっている。
最後の目的地であるルーグ2星系まで連続して
「……と、これでよし。兄貴、そっちはどうだ?」
「ああ。今……終わった」
航海長とその兄はたった二人で第八収集端末兼変性装置の内部にある変性データバンクで作業を行っていた。
作業内容は空のメディアスロットへドゥーヴァイン4-3で得たデータを記録したデータメディアをマウントし、変性装置として機能させる際の元データとするための調整である。
勿論、挿入するデータメディアは単にドゥーヴァイン4-3で得たデータをコピーしたものではなく、この三ヶ月程を費やして兄が取捨選択した内容となっている。
「ふふ、これで兄貴の、ゴードン・ラングーンの名前は永遠に残るな」
航海長は兄を見て冗談めかしながら言う。
「バカ、そんなことは今気にすることじゃない。それより、このデータはぶつけ本番で使うことになるんだ。つまらんケアレスミスで折角の機会を台無しにはしたくない。せめて他の部分のチェックだけは念入りにな」
ゴードン・ラングーン。
もう何年も前にその研究内容を異端視され、ウィングール大学を追われた研究者である。
研究主題は造星学ではあるが、そのうちでも惑星開発の効率化を専攻としていた。
効率を追求するあまり禁忌とも言える部分に足を踏み入れ、無許可での人体実験(許可など下りる筈もない)を始めとして倫理観に欠ける行動が散見され、学会から追放されていたのだ。
ファシール合星国でも、その交戦国であるヴェルダイ連邦でも、未開惑星の可住化改造においては対象となる惑星上に知的生命体が発生していればその星の改造が行われる事はない。
可住化可能な星はそう滅多に見つかる物でもないが、銀河は広大だし、未だ人類の手の及んでいない星の方が圧倒的に多いこともその理由である。
加えて、既に知的生命体が発生しているのであればその星の所有権はその星で発生した生命体に帰属するという原則がある。
今でこそ各星系間の人の行き来は一般的だが合星国と言う名の通り、多種族であるのは当たり前の事なのでその原則だけは破る訳には行かなかった。
何しろ、一度でも破ってしまえば合星国に所属する力の弱い星は「次のターゲットは自分の星になるのではないか」との疑念が発生してしまうのは自然なことであるからだ。
所属する各星系に力の大小が出来てしまうのは仕方のない事だが、恒星間国家を標榜する以上、政治的にはどの星系も公平でなくてはならない。
その対象が殆ど知能を持たいない動物か植物レベルであれば
それに併せて地質や大気組成の変性なども同時に行うことが可能だ。
対象となる惑星上に必要な原子や分子が余程足りないのでない限り、一万年もあればまず目的の地質組成に変化させられるし、大気に至っては長くても一〇〇〇年も必要としない。
だが、高度な知能を持つ生命体に対して変性機能を使用する事だけは禁忌とされていた。
先に述べたように既に知的生命体が発現しているのであればその星の所有権はその生命体のものであると定められているのが第一の理由だが、知的生命体の子供に対して
どんなに科学が進み、文明の発達している星系だとしても、そこに至るまでの過程においては惑星上に人類と呼べる生命が誕生して以来、必ず長い原始時代を経て命は脈々と受け継がれてきた。
子を産み、愛情を持って育て、そして命を次代に受け継がせる生命の営みが継続した上に成り立っているのである。
要するにゴードンが行いたかったのは、未だ合星国に参画するには至っていない文明レベルの知的生命体が発生している星に対して
神などいないと言われて久しい時代だが、ゴードンの研究はまさに神をも恐れぬ所業である。
「……それに、この結果が目に見えて現れるのは早くても数百年後だ。その頃には俺の名などとっくに忘れ去られているだろうさ」
確認作業を行いながら呟くように言うゴードンの言葉はマシューの耳に届くことはなかった。
■□■
「やっと終わりましたね、ファクナー
データメディアやコンピュータ端末で雑然とした会議室に安堵の溜息が漏れた。
「ああ。皆、よくやってくれた。お疲れ様」
助教授の一人に声を掛けられたファクナーは学術調査隊のメンバーを労うように言葉を掛ける。
この三ヶ月以上もの間、彼らはドゥーヴァイン4-3で得られた貴重なデータの解析を行い、最後の目的地であるルーグ2-4へ打ち込む
結局、パラメータの調整自体は殆ど行われることはなかったが、変更可能なパラメータの数は膨大で、それに対応する解析を行っていたために数人がかりでもこれだけの時間がかかってしまっていたのは無理も無い。
「じゃあ、パラメータデータを全部の
ミダス星系出身の女性の助教授が端末のキーを押下した。
「よし。では帰港するまでのあと八日間、好きに過ごしてくれ。だが、明々後日の打ち込みの時には一基くらいは全員で見守ろう。予定では……明々後日の二二時から丸一日掛けて……ん~、大体二~四時間おきに八基を打ち込むらしいからな。何時の打ち込みが良いかね?」
それを確認したファクナーは全員で仕事の成果を見届けることを提案する。
「
赤銅色の肌をしたホミール星人の助教授が言う通り、
そう思ったファクナーは会議室を見渡して反対意見がないことを確認する。
「では、明々後日の二二時、食堂で乾杯でもしながら観ようか。おっと、エリスナー君は無理に酒を飲まなくても……この船、酒は積んでいるのか?」
「あれだけのメニューは全部合成製造らしいですよ。酒くらい合成できるでしょう。ねぇ
「それもそうだろうが、私は合成酒はちょっとな。故郷の酒を飲みたいものだ」
ファクナーの故郷の酒は宇宙でも珍しい動物由来の発酵酒である。
ネイスンという魚を薄い塩水に漬け込んで発酵させ、その過程で生成されるアルコール分を絞りとったものだ。
それを缶詰にして、缶の中で更に発酵・熟成が進むがあまり古くなると飲用には適さない。
その芳香は非常に特徴的であり、ファクナーの故郷出身地でも大半の人間は酷い悪臭と感じるのが一般的であった。
「
「そうですよ、やめて下さい。あんなの好きなの、研究室で
「ど、毒とはなんだ! 私の故郷では一般的だし、何十億人にも愛飲されているんだぞ! 匂いが酷いことは認めるが、味は最高だ!」
和気藹々とする会議室の隅でカミラは一人片付けを始めていた。
■□■
「来たね」
カミラが転送機から現れたところで舷窓の前でふわりと浮いたままダンは言った。
「うん、来たよ。なに?」
そっと床を蹴るとカミラはダンに向かって宙を飛ぶ。
「よっ……と」
左腕だけで器用にカミラを受け止めると同時に右手に握ったガスガンをふかしてダンはカミラの慣性力を打ち消した。
体を離した二人は手を繋いだままゆっくりと回転を始める。
舷窓に対して正対したところで軽く手足を振って回転を止めた。
もうカミラも慣れた動きだった。
先々週、無重力遊泳についてはダンから免許皆伝を言い渡されただけのことはある。
それだけ時間が必要だったのは二人共毎日それほど自由時間が取れなかったためだ。
「どうしたの? 改まって呼び出したりなんかして」
落ち着いたところでカミラはダンに尋ねた。
「う、うん……」
――舷窓から星を見ながらちゃんと言おうと思ったんだけど……改めて見ると空気がないから星が瞬く訳じゃ無いし、ロマンチックさの欠片もねぇよな、ここ。さっきからなんか落ち着かないし。
ダンは覚悟を決めてカミラを呼び出していた。
今までなんとなく親しくなって、なんとなく一緒に食事をしたり、なんとなく無重力遊泳について教えたりしていたが、決定的な言葉を伝えるには至っていなかったのだ。
ダンが言い出せないまま舷窓から宇宙空間を見つめて時間が過ぎていった。
「……あのさ」
遂にダンは思い切って口を開く。
その口調はいつもの調子であり、自然に話し始める事が出来たとダンはほっとした。
「あの星、綺麗」
せいぜい数光年先だろう、比較的近くに見えるどこかの青色巨星を指差しながら言うカミラにつられてダンもそちらを見た。
「あれは……どこの星だっけな」
「ごめん、何か言いかけてたよね? 何?」
ダンと同時に喋ってしまったことで話を遮ってしまったことを詫び、改めて話を促すカミラ。
「い、いや……その、別に……」
――やっと思い切ったのに、勢いが削がれてしまった……。
「え? 何か用があったから呼んだんでしょ?」
きょとんとした様子でカミラは尋ねる。
「え? うん。用、と言えば用、なのかな……用じゃないと言えば……」
なんだか煮え切らない様子を見せるダンにカミラは僅かに苛ついた。
「用がないならいちいち呼び出さないでよー。……別に、い、嫌じゃないけどさ」
少し体を寄せながらカミラは後半を小さな声で言う。
――あああ……どうしよう。今更何て言えば……。
「ちょっと場所を変えようか」
――仕切りなおしだ。場所を変えて仕切りなおす!
「え? もう?」
彼らがここに来てまだ碌に時間が経っていない。
「シフトまではまだ何時間も先でしょ? もう少しここに居ようよ」
少し拗ねたような表情でカミラは握ったままのダンの手を引く。
子供っぽい表情だったがダンの目には魅力的に映った。
そもそもここに呼び出したのはダンの方だ。
無重力状態はカミラも気に入っているし、二人きりになれるからカミラとしても喜んで来たのである。
たとえ、ゆっくりと世間話や冗談を言い合いながらでも無重力且つ二人だけのデートはカミラにとっても貴重だった。
「ん……うん。それはそうなんだけど、もうちょっと落ち着いた場所でさ、その、改めて話がしたくて……」
「落ち着いた場所って、ここも充分落ち着いてるじゃない。静かだし、誰もいないし」
「それはそうだけど、すぐ傍に転送機があるからいつ誰かが来るんじゃないかって思うとさ。なんか落ち着かなくてさ」
「あんな事そうそう無いって言ったのあなたじゃない?」
カミラが言うあんな事とは、出航前に舷窓の傍で無重力状態に慣れていない彼女をたまたま通りかかったダンが救った時、航海長が運悪くその場に転移してきてしまった事を指しているのだろう。
「……それはそうだけど、なんかここじゃ落ち着かなくてさ。誰かに見られている気がして」
「外は星しか見えないわ」
大きな舷窓から見えるのは何光年も離れた場所で光っている無数の星々だけだ。
また、まず有り得ないことだが対空砲火をくぐり抜けたデブリが命中し、大きな被害でも引き起こさない限りは船外活動をする人などもいない。
誰かに見られている気がする、などと言うのは完全に気のせいだ。
「そ、それはそうだけど……」
「さっきから“それはそうだけど”しか言わないけど、話がしたいならここじゃダメなの? さっきも言ったけど、ここなら静かだし、邪魔も入らないと思うわ」
食堂や体育室は時間帯によっては確かに殆ど人がいなくなることもあるが、完全に無人になることなどまずないし、それこそいつ誰が現れても不思議ではない。
クイジーナ2で二人きりになるのであれば舷窓の傍というのはかなり良い場所であることは言うまでもなく確かなことなのだ。
「う……そ、その……お、俺の部屋……とか」
「あなたの部屋?」
真剣なものに変わったダンの表情を見て、カミラも何かに気がついたようだ。
カミラもウィングール大学に入学してから何度か告白されたことはある。
しかし、勉強の邪魔にしかならないと全て断ってきた。
勝ち気な性格と飛び級故の若さから来るコンプレックスも相まって、冷たくあしらってしまったこともある。
「……ゲインは?」
少し上目遣いになって、小さな声で尋ねるカミラ。
最近ではカミラの冷たい、他人にあまり興味を持たない性格も学内で知れ渡り、告白されることも減ってきた。
お高く止まりやがって。
いや、優秀かも知れないけど彼女も所詮はまだまだ子供だってことさ。
ちょっとばかし頭がいいからって見下してるんだよ。
飛び級で入学するほど頭が良くないと釣り合いが取れないと思ってるんだろ?
自らに関する心ない噂話も何度となく耳に入っていた。
しかし、彼らが告白してきた際には全員が容姿とともに優秀な成績を修めている事を褒めていた。
勿論、悪い気はしなかったが、カミラの気持ちについて触れてきたものは誰一人いなかった。
「奴なら一時間前からシフトでいないよ」
万が一の為にゲインのシフトの時間は完全に把握している。
「でも……」
左舷側の居住区は一応男性用とされている。
船員に見られても大きな問題になるとは思えないが、ダンの身分は未だ術科学校の生徒であり、教官や生徒に見られると問題視されかねない。
――私、なんでダンの心配なんか……。確かに助けられた事もあるし、無重力遊泳も教わったけど……。
「うあぁぁっ! 待て、待ってくれ。言う。ここで言うからさ」
ガリガリと頭を掻きながらダンは決心を固めた。
頭を掻きむしった拍子に少しだけダンの体は傾いたが、すぐに腕を振って傾きを修正すると、カミラの目を見つめて口を開いた。
「カミラ……」
怖いくらい真剣に見つめられてもカミラは目を逸らさない。
「うん」
解っている、というような声音で聞いているよ、という意味の返事をする。
「あのさ、い、今更なんだけど……」
「うん」
「その……お、俺さ……」
「うん」
ダンは一度目を閉じるがすぐに開いてカミラの瞳を見つめる。
――くそっ、言え! 言うんだ!
自らを励まして、ダンはなんとか言葉を繋ぐ。
「その……未だに一人前ですらないんだけどさ」
「うん」
カミラとしてもさっきから予感はしていたし、この流れで勘違いをするほど子供ではない。
――どうしよう……断りたくない。この気持ちはなんなの?
「あー、もういいや! 好きなんだ、君が! 好きになっちまったらもうどうしようもない! 正式に俺と付き合ってくれ!」
ダンは少し強めの語勢で言い切った。
「ず、随分ストレートに言うのね……」
僅かに驚いたような顔で答えるカミラ。
「うん。実は色々と言う事を考えてた。でも、どれもこれも嘘くさい気がしてね。こりゃもう正直に言うしか無いと思った」
そう言ってカミラに微笑みかける。
――あ、この顔……。
カミラの胸にはいつか食堂で彼女に慰めるような言葉をかけた時のダンの表情が去来する。
勿論、同じ表情ではないし、今の表情とは似ても似つかない。
あの時と異なり、少し怯えていて、でも期待も混じっている、そんな不安げな表情。
――あの時、ダンを試すように私の考えを言っちゃたけど……怖かったけど、ダンはきちんと答えてくれた。私の気持ちを知れて嬉しいって言ってくれた。
「その……返事は……?」
明らかに怯えが増大した顔で尋ねるダン。
「……一時間後に私の部屋に来て。右舷の二〇九号室……。女性の乗組員の方が少ないし、私は相部屋じゃないし……部屋であなたが来るの、待ってる」
回転を始めるのにも構わず、すっとダンの頬に両手を当てると顔を引き寄せ、額を触れさせながら言った。
「無重力っていいわね! 背伸びする必要がないから」
それだけ言うと腰の後ろのホルスターからガスガンを抜いてトリガーを引くと、カミラは転送機に向かい、光の粒となって消えた。
回転したまま、呆然としていたダンは暫くしてようやく回転を止める。
「部屋は重力区画だぞ……」
ニヤつきながらも、どこか弾んだ声がダンから漏れた。
☆★☆
翌朝。
船橋では航海長を始めとする航海士達が
「航路状況、異常なし」
どこか明るい声でダンが報告する。
ちらりとダンの後頭部に視線を移した航海長は「よし。座標固定、開始」と正規の航海士に命じた。
「跳躍先座標、ルーグ2星系近傍に固定完了しました」
航海士からはキビキビとした返答があり、ダンの目の前に浮かぶホロディスプレイの一つ、
――あと四〇分くらいか。
ダンが目だけを動かして予想時間を確かめた時、バーグウェル船長が全船に対してクイジーナ2が
「おい貴様」
航海長の呼びかけに一瞬だけダンは自分に対するものかとびくりとしたが、航海長は続けて「そこはもういいから行け」という声が聞こえたため、航路状況の確認作業に戻った。
航海長が命じた相手は旧戦闘指揮所で特にやることもなく船のステータスを眺めていただけのミッシュに対するものだったからだ。
一応、旧戦闘指揮所でも操船は可能であるし、船の重要区画でもあるので船橋要員は当番制で必ず誰か一人は詰めていることになっていた。
視界の隅に追いやって小さく縮めていた、戦闘指揮所の艦長席に座るミッシュが「了解しました」と言って消えた。
そして、船橋からも船長が冷凍睡眠室へと移動すると、ダンや下級の船橋要員達もぞろぞろと冷凍睡眠室へ向かう。
最後に機関長と航海長が船橋を後にして船橋は完全に無人となった。
後は
――ふふふ。全員がルーグ2へ行くと思ってやがる。ま、当たり前なんだがな。
航海長は自分の
――ハムノース7に行くとも知らず、ハムノース7-3をルーグ2-4だと思い込んで
そこで航海長を始め、冷凍睡眠室に居る全員の意識は肉体とともに凍りついた。
■□■
数回の
いつもの様に加速を行って
そして、すべての準備が整ったクイジーナ2は異次元空間に転移する。
意識まで凍りついて動くことも無い乗員を乗せたまま異次元空間内で通常次元へ転移するためのエネルギーをチャージするのだ。
と、どういう訳か、クイジーナ2の船体は紫電のような不思議な光に包まれた。
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