第7話

 マイクロ波の照射が終わると凍りついていた体が体温を取り戻し、ゆっくりとした呼吸が行われる。

 そして、


「ん……アチチ……」


 頭の芯に響くような鈍痛を感じてダンは目覚めた。

 習慣性や依存性など悪影響のある副作用を無くしたことと引き換えに、目覚める時の重い頭痛を感じさせることだけが難点とされる覚醒剤注射を受けたダンは顔を顰めながらも目を開く。


 冷凍睡眠コールドスリープカプセルはすぐにダンの眼前にホロディスプレイを投影して現在の健康状態など必要事項をダンに教えてくれた。

 今回の跳躍移動ハイパー・ドライブ中に経過した船内時間は数分程度だったようで、ホロディスプレイの時計にはダンが眠りについた時から一〇分程しか変わらない時刻が表示されている。


 カプセルの健康チェックが終わって蓋が開くと、ダンの周囲のカプセルの蓋も次々と開くところだった。


「……」


 全員がダンのように顔を顰めたままカプセルから立ち上がると、こちらも同様に小さな溜め息を吐くような音をその口から漏らしながらぞろぞろと船橋へと向かい始める。


――ホント、いつも思うけどゾンビみたいだよな……。


 苦笑を浮かべてそう思いながらも、ダンは一番下っ端らしく船橋へと急ぐ。

 最悪でも船長が席につくまでの間に船のステータスを把握し、報告の用意をしなければならない。


「現在位置はまだ確認中です。現在加速度、完全にゼロ。推力偏重ありません……」


 跳躍移動ハイパー・ドライブの終了直後はエンジンが動いていようが完全に静止状態で通常空間に出現することになるので、また噴射を行って加速を行わねばならないのだ。

 エンジンは跳躍移動ハイパー・ドライブの直前には暖機運転とでも言うべきアイドリング状態にしてあったために再加速はすぐに行うことが可能だ。


「現在位置の特定、終わり。ドゥーヴァイン5星系のヘリオポーズまで約一光時です。現在の推進軸方向は目標のドゥーヴァイン5-4に対して約三〇度中天方向にずれています。修正しますか?」


 矢継ぎ早に報告をしながらデータバンクに格納されているドゥーヴァイン5星系の星系図を船橋のスクリーンに投影させた。


「三〇度か……もう少し……そうだな、ドゥーヴァイン5-4に近づくようにあと二五度進路を修正しろ。まずは一標準重力で加速開始。加速度報告は一分毎に行うように」


 スクリーンを見つめながら船長が命じた。


――何で正対しないんだ? 二五度しか修正しないならドゥーヴァイン5-4じゃなくて5-5の周回軌道の方に、明後日の方角に行っちまうぞ?


 現在位置から目標であるドゥーヴァイン5-4方面には幸いなことに邪魔になるような惑星や小惑星帯は存在しない。

 ダンは直進した方が良いと思って船長の指示に疑問を感じながらもすぐに了解の意を伝え、加速に必要な数値に入力を始めた。


――ま、どっかで修正するんだろ。船橋の皆も疑問に感じてはいないみたいだし……。


 ダンが思った通り、作業の合間に横目で周囲を盗み見ても妙な顔つきをしていたのはダンの隣の席に座った同期のミッシュだけであり、他の船員は誰一人として不思議そうな表情すら浮かべていなかった。

 そんなミッシュに対してダンの後方の座席では航海長が進路修正に必要な指示について訊ねており、ミッシュは多少時間が掛かったもののきちんと答えることが出来た。

 しかし、やはりと言うか、時間がかかりすぎているとダメ出しを食らっていた。


「今度は文明もクソも無い筈ですからね。ダウンロード時間はかなり短くて済むでしょう……」


 ミッシュをいびっている航海長を見て、通信長はやれやれと首を振りつつ軽口を叩きながら船長を振り返って言った。


「通信長、たねのビーコンを捕まえたぞ。そっちに回す」


 航海長はセンシングした結果、すぐにドゥーヴァイン5-4に撃ち込まれているたねの通信波を捉えたようだ。


――もうかよ!? センシング結果を読む速さが並じゃねぇ! 嫌なおっさんだけど、悔しいことに確かに腕は良いんだよな……。


 未だ各種の微弱な電磁波が入り乱れる星系外にも拘わらず、航海長は即座にたねから発信されているビーコンを特定したことにダンは驚きと感心……そして僅かに嫉妬心を覚える。

 ロッシ教官も言っていたが、ラングーン航海長こそ航海士として必要な能力を全て兼ね備えた理想的な航海士だとダンは思っている。下の者をいびり倒すその人格はともかくとして。


「これか……。よし、通信確保……っと。人類がいない星系だけあって出力が段違いだぜ。船長、今回はいつもくらいで大丈夫です」


 通信長が言うのは先のドゥーヴァイン4-3のたねほどには通信量も多くない上、大出力の通信となっているためにエラーも起きにくいのでデータのダウンロードは短時間で済むだろうということである。

 とは言え、流石にこの位置では遠すぎる。


「うむ。このまま加速を続け、ドゥーヴァイン5-4近傍を通りながらダウンロードを行う」


 通信長からの報告を受けて少しだけ考えたあと、船長は決定を下した。


「修正した進路なら目標からは多少遠いが通信の邪魔になるのような物も無いし、移動しながらでもダウンロード可能だろう。通信長……大体八時間後に五〇〇光秒位の距離を通る。大丈夫か?」


 そして、船長は通信長に確認するように尋ねた。


「充分ですよ。ドゥーヴァイン5-7の自転軌道近辺からダウンロードを開始しますんで……今から計算しますが、そんなに時間は掛からないと思いますよ」


 通信長は忙しそうにホロキーボードを叩きながら答えた。


「分かった。航海長、最接近時の速度は光速の五〇%を超す事のないようにな」

「了解しました」


 航海長は船長の指示に答えると、すぐにダンとミュッシに加速シミュレーションを行うよう、尊大に命じてきた。




■□■




「いや、すげぇのなんのって」

「へぇ」


 その日の夜、シフト明けのタイミングが重なったために、ダンはゲインと一緒に食事を摂っていた。

 話題は今日行われたドゥーヴァイン5-4からのデータのダウンロードの件である。


「船長もさ、すぐに移動しながらのダウンロードを決断するし、通信長もあっという間に通信の同期を取ったと思ったら、六時間もしないで移動しながらダウンロードが行えるように専用のマクロ組んでんだぜ」

「ふーん。それって凄いのか?」

「凄いよ! 俺んとこの教官も言ってたけど、本来、たねからのデータのダウンロードは衛星軌道上に静止してやるんだと」


 ダンはフォークを握りしめながら少し興奮気味に話している。

 なお、カミラはダウンロードしたばかりのデータの解析に忙しく、この場にはいない。


「おいおいダン。お前は何を言ってるんだ? 止まんなきゃ通信出来ないなんてそりゃ嘘だろ? だったら宇宙船同士の通信も出来ないし、惑星上の司令部との通信だって移動してたら出来ないってことにならないか?」

「……ゲインよ。お前は本当にエンジン以外のことは興味無いのな」


 呆れたような声音でダンが答える。


「音声データや動画データ、戦術データ程度ならデータ量も知れてるから移動してても問題はない。超空間通信だってその程度のデータ量だったら移動してても大丈夫だよ。だけど、たねからダウンロードするデータ量は尋常な量じゃない。出来るだけ通信エラーを起こさないようにしっかりと停船して通信状態を良く保つことが必要なんだ」


 ダンはロッシ教官から聞いた言葉を受け売りのように話す。


「わかったから食えよ。冷めるぞ」


 対してゲインの興味は目の前のプレートに乗った料理に移っていた。

 今日二人が選んだメニューはガーゴズイブ星系のスープ麺だ。

 まだ湯気が立っているが冷めると非常にまずくなるとベンダーの品書きにも書いてあった。


「あのな、スープ麺なんかどうでもいいんだよ。お互いの相対位置を計算して……まぁいいや。要するに、移動しながらそれを出来るようにするってのはたねの仕様と船の通信機器の仕様を完全に知ってなきゃ出来ないし、知っててもものすごく難しいことなんだぞ。航海長だってその仕様に合わせて全くズレのない加減速をするしさ……」


 今日行われた操船は非常に高度な技術を必要とされるものであったことを力説しながら、ダンはスープ麺をフォークに絡めとって頬張った。


「そらようござんした。こっちはこっちでエンジン状態のチェックでてんてこ舞いだった。ありゃそのせいだったんだな」


 ゲインは一つ肩を竦めるとダンと同様に大口を開けてスープ麺を啜り込んだ。


 こうして一月ほどが経過した。

 クイジーナ2は各星系からのデータダウンロード作業を順調にこなし、最初の遅れを取り戻すことに成功していた。

 勿論、船長を始めとしたベテラン乗組員達の腕の冴えよるところが大きい。




■□■




「ん。分かった。今日は私が引率しよう」

「すみません、大尉」


 少し青い顔をして保安課の女性教官、リシュタム軍曹は航海科の教官であるロッシ大尉に頭を下げた。

 生理的な問題で体調を悪くしてしまったリシュタム軍曹に変わって、シフトの空き時間であったロッシ教官が保安課の生徒達を引率して船内の見回りを請け負ったのである。


「気にするな、軍曹。私も今は暇だからね。ゆっくり船内を見て回るのも悪く無い。それに、いつも船橋に詰めていると息が詰まるし、たまには良い気分転換だよ」

「そう言って頂けると……ありがとうございます。今日はダメコンの訓練はありませんし、見回りだけなので……」

「ああ、見回りに付き合うくらいなら俺でも大丈夫そうだし、ゆっくり休んでくれ」


 ロッシは保安課の生徒の引率のため体育室に向かった。


「ええと……まずは武器のチェックだったっけ……? 順路の確認が先だっけ? 士官学校でもやったけど、もう忘れちまったな……」


 ぶつぶつと昔を思い出しながら準備運動代わりに肩を回し、コキコキと首を捻る。


「ま、いいか。やってりゃ思い出すだろうし、ジースって生徒が優秀みたいだから、まずはそいつに先導させるとしよう……」




☆★☆




 背の低い男が第三船倉制御室カーゴコントロールルームに姿を現すと早速声が掛かる。


「マシュー、大体終わった。準備はどうだ?」


 そう言って背の低い男に問いかける背の高い男の顔には疲労が滲み、目も少し落ち窪んでいるようだ。


「ん。第五から第八までは俺の管轄だからな。そっちはいつでも大丈夫だ。機付きの整備員もデータバンクの中身までチェックはしないよ。まして、今回はそもそもルーグ2に撃ち込むだけの予定だし、ソフト面でのチェックは惑星改造モードになっているか確認するくらいで、データバンクの中身についてなんか見やしない……そっちは何とでも出来るから心配はいらないさ」


 背の低い男が答える内容を聞きながら背の高い男は少しだけ心配そうな表情をして手許のタブレットを見た。

 タブレットに表示されていたのはスケジュール表のようなもので、どうやら彼らはこのスケジュール表に従って何らかの作業を行っていたようだ。


「あと二週間か……ルーグ2、いや、ハムノース7へ行くのは」


 軽く溜め息を吐きながら背の高い男は確認するように言った。


「ああ。座標データはもう書き換え済みだ。ワープアウト直後の現在地情報についてもルーグ2星系と誤認するようにいじってある。おっと、そんな顔をしないでくれ。確認するのは勿論俺がやるが、練習生にも確認はやらせる。船橋にいる奴らは全員、ルーグ2だと思い込むのは間違いないよ」


 クイジーナ2の航法コンピューターに細工をしていると嘯く背の低い男。

 だが、二人の間では既定の行動であるらしく、それを聞いても背の高い男は特に大きな反応を示さなかった。


「それより、第二データバンクのメディアがもう一杯だ。新しいのと交換しなきゃならん」


 タブレットを見ながら背の高い男が言った。


「う……もう一杯か。メディアスロットは一〇〇もあるのにな。だけど兄貴、悪いんだけど、俺はあと一時間半で船橋に戻らなきゃならん。メディアの交換は次のシフトの時でもいいか?」

「む……今やっとかないと時間が足りなくなるかも知れん……。お前が良いなら俺も手伝うぞ? メディアの交換くらいなら俺にだって……」

「じゃあ、一気にやっちまうか。幸い第二データバンクまではすぐだし」


 背の低い男はそう言うとタブレットを見る。

 念のため無人の状態であるかチェックをしているようだ。


「……チッ、保安科の……ああ、見回りのスタートは三時間も前か。ならもう通り過ぎてるな……他に来る奴なんか誰も居ないだろう。良し、行こう」


 そう言うと二人は連れ立って船倉制御室カーゴコントロールルームを後にした。




■□■




「よし、異常ないな? 次は……第二データバンクか。じゃあ、貴様、先導しろ。少し遅れ気味だから急げよ」

「はっ、教官殿! ……点呼は宜しいので?」


 タブレットを見ながら適当な生徒に先導を命じたロッシは既に飽き始めていた。


「ああ、すまん。点呼、始め!」

「はっ! 一!」

「二!」

「三!」

「四!」

「良し、行け」


――保安課って、いつもいつも口うるさく規律や清掃に文句つけるだけじゃないよな、そりゃ。最初の艦隊勤務の時のイメージが強すぎた。結構地味で面倒だなぁ。


 船内の見回りを始めて数時間が経過し、どこを見て回っても当然のように何の異常も見受けられない。

 ロッシは通路の空中を移動する生徒達の最後尾に位置して前を行く生徒達の後ろ姿に目をやる。

 規則通り熱線銃ブラスターのエネルギー残量を確認するのを見てロッシも腰のホルスターからブラスターを抜き、エネルギー残量を確認した。


――射撃訓練なんかもう何年もしてないけど、扱い方は覚えているもんだな。


 宇宙の軍人たる宇宙船乗りは個人戦闘用の小火器とは縁がない。

 特にロッシのような士官学校卒業生であれば在学中に少し訓練するだけで、陸戦要員か降下猟兵の指揮コースに進むような場合を除けば、あとは一生、そんなものに触れないまま軍を退職する者も珍しくはないのだ。

 一応、乗艦が敵艦に接舷され、陸戦隊が送り込まれる事を想定して年に一度くらいは防御戦闘訓練を行うこともあるが、艦橋で指揮を取る立場であるロッシにはやはり縁の無いシロモノであった。




☆★☆




「兄貴、こっちはあと一ケースで終わる。そっちは?」


 第二データバンクに並ぶメディアスロットの前で背の低い男が背の高い男に問いかけている。


「こっちはあと三ケースは残ってる。そっちが終わったら手伝ってくれ」


 慣れない手つきをしながらも黙々とタバコの箱くらいの大きさの記憶メディアを入れ替え続けながら背の高い男は返事をした。

 引き抜いたメディアには予め番号が振ってあるようで、番号順に並べながらケースに格納している。

 そしてその代わりに挿入する新しいメディアにはサインペンで番号を記入して行く。


「コピーが済んだ方、たねに入れるのまでは手伝えないぞ」

「ああ、そっちはたね側の設定もあるし、俺がやるから……」

「これ入れるの、七番だったよな?」

「ん? ああ。そうだ」

「解った。今晩から明日の朝の四時まで七番にはダミーを流しておくから……」


 背の低い男は話しながらも慣れた手つきでどんどんと記憶メディア入れ替えの作業を進めていく。


「っと。こっちは終わった。手伝うよ」

「ああ、すまん。そこのケースが新品だ。スロットは下の方から頼む」


 少し申し訳無さそうな声音で指示をする背の高い男。


 その時。


 ピピッと言う電子音がデータバンク内に響いたかと思うと通路と室内を隔てていた扉が開いた。

 二人がビクリと反応する間もなく、すぐに保安科の生徒と引率してきたロッシがデータバンク内に現れる。


「ん? 航海長? 何を……?」


 ロッシが不思議そうに声を掛けた。

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