第6話
クイジーナ2がドゥーヴァイン4-5の陰に隠れ、
「ダウンロードの状況はどうか?」
船橋では一段高い船長席に座ったバーグウェル船長が通信長に尋ねている。
「現在の進行状況は九七・六七%です。この分ならあと二時間くらいで終わると思いますが……」
通信長は歯切れの悪い返事をするが、さもありなん。
当初、ダウンロードに必要な時間は五七時間と見込まれていたが、ガス惑星であるドゥーヴァイン4-5の大気圏の悪影響は予想以上に大きく、七〇時間を経過してもまだ完全には終わっていない。
「二時間か……航海長、次のドゥーヴァイン5星系までは
「はい。たった四光年ちょいしか離れていませんから。なお、その後のドゥーヴァイン3とドゥーヴァイン6の各星系との距離はいずれも一〇光年も離れていませんが、その後のサーラ4星系までは三〇〇〇光年以上はたっぷりありますから一回ではとても……」
改めて航海長の返事を聞いて船長は内心で少しだけ困ったが、表情には何も表さなかった。
勿論、航海日程には不測の事態に備えて予備日も予め計上されている。
それは問題ない。
そして、数日の予備日を消費した程度であれば、この航海の次の航海の出発日が後ろにずらされることはない。
それは、取りも直さず船員たちの休暇日が減ることを意味する。
船長としてもこの航海が終わった後の一ヶ月間の休暇は重要なのだ。
「どこかで取り戻さなくてはな……」
胸のポケットをそっと撫でながら独りごちた。
そこには出港間際に生まれた孫の写真を印刷したものが入っていた。
その時である。
「船長、まぁたエンジンが……。今度は四番です」
船橋にいて機関室と連絡を取っていた機関長から嫌な報告が行われた。
船長は一瞬だけ瞑目するように目を閉じるが、すぐに原因の究明と即座に対策を講じるように命じる。
ついでに「ああ、機関長。人手が必要ならシフト外の機関員も使え。私が許可する」と言うのも忘れずに付け加えた。
■□■
「で? どうなんだ?」
機関室に姿を現すなり機関長は部下に問いかけた。
つい先程、機関室の部下から二番エンジンの調子だけでなく、四番エンジンの調子まで悪くなったと報告を受けたために、機関長は詳しい状況を知ろうと船橋からここまで足を運んで来たのだ。
機関長の出現には機関室にいたゲインも緊張した。
何しろ正規の機関員達からは普段乱暴に怒鳴られたり工具で小突かれたりしている。
その親玉の出現なのだから当然だ。
――機関長が来なきゃいけないほどの障害ってことか……。
ゲインは会話をしている機関長達を横目にそう思いながらも自分に割り振られた仕事であるエンジンのチェックを進めていった。
「いやぁ、どうもこうもありません。加速器の部品が摩耗してるんだと思いますがね……」
機関員の一人が機関長に報告しながら手に持ったタブレットのディスプレイを見せる。
表示されているのはエンジンの概略図であり、そこの一部が赤く明滅していた。
「もうすぐ出航だぞ? 一〇時間もすると
渋い顔をしてディスプレイを見つめたあと、機関長は腕を組んで考え込んだ。
そして僅かな時間、黙しただけですぐに組んだ腕を解いて口を開く。
「仕方ねぇ、こいつは交換だ」
それを聞いてゲインや同期の訓練生たちは納得した。
が、同時に不思議にも思う。
――加速器の交換となりゃ大仕事だ。そうなりゃ四番エンジンを止めるしかない。しかし、いいのか? 止めても。
一度停止したエンジンを再起動するのには何日もの時間を必要とする。
特に対消滅機関(対生成機関も含む)は天文学で言うガンマ線バーストを人為的に起こし、且つ安全に制御しなくてはならないが、それには船で通常消費されているのとは比較にならない程莫大なエネルギーを一気に使用するからだ。
要するにエネルギーの溜め時間がどうしても必要になる。
それは、他のエンジンが動作していて、そこから余剰のエネルギーを回したとしても一日やそこらは必要になるほど莫大なエネルギーである。
元々は軍艦なのでそれらについてもある程度考慮された設計になっているクイジーナ2だが、現在は国土省に移管されているためにエコ運転を心掛けて運用されている。
普段から必要以上にエンジンをふかして余剰エネルギーを貯めるような真似はしていない。
「了解です。ですが、流石に手が足りませんよ? まさか、こいつらを使う訳にも……」
船員が答えるのを聞いてゲイン達は興奮する。
「おい、聞いたか? 加速器の交換だってよ!」
「ああ。俺達にも触らせてくれるのかな?」
「だといいけど。こんな機会滅多にないし」
「おう、これぞまさしく練習航海だな!」
戦闘中にダメージを受けた場合など、その場で修理することはままある。
軍艦にはその為の予備部材などは大型の物を除いて大抵は揃っている。
まして加速器となればエンジンの中でも対消滅・対生成縮退反応炉の次の次くらいには大切な部分である。予備部材が用意されていない等という事はない。
訓練生たちも術科学校で実物には触った事があるものの、実習でたったの一度きりであったために心が浮き立っているのだ。
今は訓練生と言えど、将来は機関員を目指しているのだし、エンジンに興味が無い者はいない。
とは言うものの、日がな一日怒鳴られながらエンジンのお守りをしているだけの退屈な環境に飽きが来て、単に変わったイベントの発生を歓迎しているだけと言うのが彼らの本音でもあった。
機関長は休憩のシフトに入っている乗組員も動員して作業を行う腹づもりのようだ。
作業分担の指示が飛ぶ。
そんな機関長に機関科の教官がなにやら掛け合っている。
どうやら作業の手伝いか、見学についての許可を得ているようだ。
交渉の結果、未熟な訓練生だけでなく、ベテランであるはずの教官の手伝いまでも却下され、手隙の者のみが作業の邪魔をしないように見学することを許された。
作業が開始されると教官以下、訓練生達は仰天するほど驚いた。
何と、加速器の部品交換はエンジンを止めずに運転したまま行うとの事であったのだ。
クイジーナ2にはエンジンが四つも乗っているのだから一つくらい止めてしまっても航行に支障はない。
勿論加速性能は大幅に落ちてしまうが……。
それを聞いた訓練生達は口々に教官に質問をした。
「規定では加速器の部品交換はエンジンを停止させた上で行うとありますが……?」
「うむ、その通りだ。戦闘中でもないし、今回のケースでは俺もエンジンを停止させるべきだとは思うが……だが、世の中にはそうも言っていられない状況があるのも確かだ。貴様ら、目ん玉おっぴろげてよく見ておけよ!」
クイジーナ2の機関員達は熟練の業でエンジンを運転させながら見事に加速器の交換をやってのけた。
☆★☆
同時刻、第三
重力制御が切られているためか、背の高い男がリラックスしながらソファーに腰掛けるような姿勢で宙に浮き、両手の指先は宙のあちこちを叩くように忙しく動いていた。
男の胸の前にはタブレットが浮き、そこにはホロキーボードとゴーグル状のパーソナルモニターが接続されており、それらを操作していたのである。
時折、思い出したように口に咥えたままのストロー状の吸入器から、こちらも宙に浮かんだままのチューブ食料の内容物を吸い込むくらいで、文字通り一心不乱とでも言うように両手の指先は細かく体の周囲を叩くような動作を続けている。
「ふぅむ。ここまでとは……」
感心したように小さく呟くとチューブ食料のパックを無造作に握り潰し、残っていたゲル状の内容物を嚥下した。
男以外は無人の空間にごくりと喉が動く音が響く。
空になったチューブ食料のパックを部屋の隅の方に目掛けて軽く押しやると再び両手の指が目まぐるしく動き出した。
「……サンプルの差し替えの理由には充分だ。今回のデータの格納先は……ここか」
クイジーナ2は大型輸送艦から改造済みであるとは言え、元々は実戦に耐えられるように設計されているために、船内の設備配置は機能の冗長化と配置の分散化が設計思想の根底に流れている。
そのため、データバンクも物理的に一箇所ではなく船内数カ所に分散配置されている。
データバンクに格納されたデータを閲覧したりするだけであればそれらの設計について利用者が気にするようなことではない筈である。
しかし、彼のパーソナルモニターの一部には船内図が展開され、データバンクの設置場所が点滅表示されていた。
「ユニットナンバーは……六〇二五から六一九四までか……追加で一七〇近くもあるとなるとかなり骨だが……最終チェックの後にやるしかないだろうから時間との勝負になるか……」
何やらブツブツと呟きながらも手は休むことなく動いていた。
■□■
クイジーナ2は無事にドゥーヴァイン4-3からのデータのダウンロードを終え、ドゥーヴァイン4星系を脱しつつあった。
「ようし……二十秒後にもう一段加速だ」
「了解。加速度を標準重力六・九九八に引き上げます。加速終了予定は一〇分後です」
航海長の命を受けたダンはタイミングを見計らってホロキーボードの加速キーを押した。
すぐに宙に浮かぶ加速ダイアログに次の加速度である七・一八五が入力されているかチェックする。
何度もチェック済みであるのでしっかりと正しい数値が入力されている事を確認した。
操船については基本的に予め入力しておいた各種運行数値を任意のタイミングか、セットしてあった時間で実行することによって行う。
勿論、大昔の船にあったような操縦桿やスロットルレバーなど手動の操縦システムも備わっているが、光速の何十%という速度域で航行することもある宇宙船で手動の操縦など余程の緊急事態か、宇宙港に入港する際や宇宙空間で補給をする際など相対速度がものすごく小さく、且つ時間に余裕のある場合にしか行わない。
一応、そのために船橋は視界を確保するために船の胴体から少し飛び出すように作られているし、船橋内から直接周囲を見渡せるように肉視窓もある。
勿論、船の周囲の光景は船体各所のカメラやセンサーなどからコンピューター合成された状態で船橋のスクリーンに投影するのが普通だが、カメラやセンサーが戦闘によって破損することもあるため、脆弱性を承知で肉視窓を残しているだけだ。
操縦法自体は機動戦闘艇でもほぼ同一だが、機動戦闘艇のコックピットは機体の奥にあって透明なキャノピーは備わっていない。カメラやセンサーが破壊されたら母船のビーコンを捕まえてランダムな機動を行いながら速やかに帰投するしかない。
航海士やパイロットは予めプリセットされている機動について実行の指示を下すなどタイミングの判断を行うのが主な仕事である。操縦桿は最後の最後に使う“かも知れない”という程度で殆ど飾りのようなものである。
「航海長、
船長席に座ったまま船長が航海長に尋ねた。
「予定通りならあと二八分……三〇秒後です」
ホロディスプレイに浮かぶカウントダウンを睨みながら航海長が答えた。
「次の加速まで一〇分だったな。そろそろ行っておくか……」
船長は襟元のマイクに向かって、間もなく
同時に
チェックを完了し、異常がないことを確認した船長は階下にある宇宙服格納庫兼冷凍睡眠室へと向かうために席を立った。
船橋要員のうちで一番重要な立場である船長から移動を行い、船長専用のカプセルに入っておくのだ。
勿論、
「航海長、冷凍睡眠に入るタイミングの設定は
冷凍睡眠はカプセルが動作を始めてからおよそ三~四分後に完了してカプセル内の対象は完全に凍りつく。
それを見越しての指示であった。
その後、船橋に詰めていた乗組員達はダンを始めとする訓練生から順番に冷凍睡眠室へと移動した。
冷凍睡眠室には二〇程のカプセルが並んでおり、既に幾つかは黄色いランプが点灯して誰かが使用中であることを示している。
このランプが赤になると冷凍睡眠が完了している状態である。
他のカプセルより少し大型のものは船長専用のカプセルだ。
カプセル内でも冷凍が開始されるまでの間に船の状況をモニタリング出来たり、指示を行う事が出来るような機能が備わっているためにどうしても大型になってしまう。
ダンは端の方の普段は誰も使用していないであろうカプセルに向かうとスリットにタブレットを挿入して横になると右手の側にある“準備完了”スイッチを押した。
蓋が自動的に締まり、目の前にはホロディスプレイが投影される。
ディスプレイには“調整中”と表示されていたが、すぐに表示は“調整完了”となり、冷凍睡眠に必要なデータや予定されているタイムスケジュールなどの表示に切り替わった。
特にやることがなければそのまま目を閉じてしまっても何の問題もないが、ダンは冷凍睡眠のシークエンスが開始され、意識を失う瞬間まで船の状況をモニタリングすることにしている。
船長用のカプセルではないのでモニタリングしか出来ないが、それでも勉強の一環として習慣づけようと思っていた。
ホロディスプレイの右上の方には冷凍睡眠が開始されるまでの残り時間が表示されている。
もう残り一五分を切っていた。
ディスプレイの中央に視線を移動し、現在の加速度をチェック。
問題ない。
視線をディスプレイの左端のメニューに移動させる。
視線追従カーソルがメニューの上の方にある「船内設備」に移動した。
素早く三回連続の瞬きをすることで「船内設備」を選択し、続いて「冷凍睡眠カプセル」のアイコンを展開した。
船内各所には合計して二五〇〇以上の冷凍睡眠カプセルがあるが、使用されているのはそのうちの一二〇弱に過ぎず、数十個のカプセルは故障中か何かで使用不能だった。
使用数から逆算してあと七人、まだカプセルに入っていない。
自分の職責ではないが、ふと興味を覚えて故障中のカプセルの位置を表示させる。
以降の
その場合は何も問題ない。
だが、カミラの無重量遊泳の練習に付き合っているかも知れないし、外が見える舷窓の傍で何かを飲みながらゆっくりと会話をしているかも知れない。
そんなエリアに居て、ゆっくりと過ごしている時にだって
勿論、手近なカプセルに飛び込めば良いし、普通は時間に余裕があるので重力エリアまで戻って適当なカプセルを使ったって良い。
しかし、ダンとしては念には念を入れるつもりで故障中で使用出来ないカプセルのある部屋の把握くらいはしておきたかった。
なぜなら……。
――人気がなく静かな舷窓の傍……。宙に浮きながらつい会話に熱中するあまり、
「あら、忘れてたわ。あと二十分で
船長からの船内アナウンスを聞いて少しばかり慌てるカミラ。
「カミラ。あそこには故障中で使えないカプセルがある。こっちだ!」
元来た転送機の脇にある冷凍睡眠室に向かおうとするカミラを制して、落ち着いて反対方向に向かって彼女の手を取るダン。
「えっ? そんなこと、よく知ってるわね」
カミラは少し感心した顔つきだ。
「艦内の重要な設備の状態を把握しておくのは軍人としての義務だからね。それに、いや、そんなことよりも大切な友人の命に関わるものだから、当然チェックはしていたさ」
フッと薄く微笑みながら宙で彼女の体を引き寄せ、ガスガンを噴かす。
「ダン……」
カミラの頬に朱が差すところまで鮮明に想像した。
颯爽とカミラを誘導する自分の姿を脳裏に思い浮かべ、ダンはニヤつく。
しかし、よく考えると冷凍睡眠室に設置してあるカプセルは少ない部屋でも一〇くらいはある。
その殆どが故障中で使用不可などという事態はありえない。
まずいのは船体の各所にある制御室内などに少数設置されているものが使えない場合くらいだが、それだって規定されている操作要員以上の数は用意されているのが当然だ。
「ダン……。あんた、バカ? 近い方がいいに決まってるでしょ?」
ここまで想像してしかめっ面をした。
ホロディスプレイには故障中のカプセルが設置されている部屋のリストが表示されている。
一番目立つのは一五〇〇以上のカプセルがある第一冷凍睡眠室に四〇あまり。
続いて五〇〇程のカプセルが並ぶ第二冷凍睡眠室も二〇程。
それから
第二と第四エクサイマーレーザー砲塔の傍の部屋。
第一と第四中間赤外線レーザー砲塔の傍の部屋。
船体上部にあるセンサーの付近。
機関室にある第三エンジン基部と第四エンジンの中央部付近。
船体左舷を貫く通路沿いの数部屋。
同じく右舷の部屋にも数部屋。
そして、流量交換室脇にある第三
使用中なのはその殆どが重力エリアにある第二冷凍睡眠室に集中しており、他にはぽろぽろと機関室内のものを中心に使われているようだ。僅かに砲塔付近に五人ほど固まって使用中の部屋があるが、これはきっと保安科の実習生と教官、船員のグループだろう。
リストの機関室より下は普段人が居ることなど殆ど無い。
最下段にある
当然ダンもカミラも窓もない船体の奥、中央付近なんか行くわけがない。
――アホか、俺は。
そう思ったダンは改めて船の状況をホロディスプレイに表示させると運行状況に異常がないかチェックを始めた。
何故か知らないが、「学校にテロリストが来たらさぁ……」とか言っていた、ちっとも親しくないハイスクール時代の同級生の顔が突然に思い浮かんだ。
――考えてること、あいつと一緒じゃねぇかよ……。
げっそりとしたダンはなんだかバカバカしくなってしまった。
冷凍睡眠が開始されるまであと一〇分程も残っていた筈だが、深い溜息を吐くとタイマー作動するまで待つことなく、冷凍睡眠を行うことにした。
運行データの表示を消してカプセルのメニューを開く。
冷凍睡眠からの覚醒シークエンスの開始が
これはデフォルト設定なのでいじる必要はない。
視線と瞬き指示により即時冷凍睡眠開始を選択。
カプセルの内側のクッションに不凍ゼリーが充填されぐっと体が圧迫されるような圧力を感じるが不快な程ではない。
この後、しばらくしたらゼリーは急速に冷却が始まる筈だ。
完全に冷却が終わった後もゼリーは凍ることなくあらゆるショックからダンの体を守ってくれるが、温度が一定以上を下回り、下がるに従って粘性は増し、最終的には個体近くにまで高まるので
クッションが膨らんでダンの体を包むと同時に首の後ろに僅かにチクリとした痛みを感じた。
即効性・短時間効果の睡眠薬が注入されたのだ。
せめて今の妄想なんかよりもう少しマシな夢が見れますように。
そう願う間も無く耐え切れずに目を瞑った。
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